涌蓮 ようれん 享保四〜安永三(1719-1774)

伊勢の人。浄土真宗高田派の僧侶として江戸澄泉寺に住したが、のち京に出奔し、嵯峨に庵を結んだ。和歌は冷泉為村に学び、小沢蘆庵伴蒿蹊と親しかった。「生涯一物もたくはへず。明暮念仏するいとまには歌をよめりしに、歌書一巻をだに持た」なかったという(伴蒿蹊『近世畸人伝』)。安永三年(1774)五月二十八日、没。五十六歳。歌は一首として書き残していなかったが、聞くままに書き付けた人があり、辛うじて一巻の家集をなしたのが『獅子巌和歌集』であるという(校注国歌大系十七所収)。以下には同書より六首を抜萃した。

 

春曙眺望

月影も霞の空にしづまりて明け方ちかき(をち)の山の端

【通釈】月の光も霞がたちこめる空に衰えて、明け方近いことを感じさせる遠くの山の稜線よ。

【語釈】◇しづまりて 月の光が弱まって。「しほりつる風はまがきにしづまりて小萩がうへに雨そそくなり」(玉葉集、永福門院)など、京極派が好んで用いた句である。

【補記】衰えてゆく月の光と、濃くなってゆく朝霞。その交替の一時に、春の曙の情趣を捉えた。「閑中春曙」の題で詠んだ「静かにとすむ身はいとどあけぼのの春ばかりなるあはれさもなし」も捨て難い。

【参考】清少納言「枕草子」
春は曙。やうやう白くなりゆく山際、すこしあかりて…

立秋

浅茅生のきのふの露の色ながらゆふべ寂しき秋風ぞ吹く

【通釈】庭の浅茅はまだ夏だった昨日の露の色と変わらないけれども、さすがに夕方になると寂しさを感じさせる秋風が吹くことよ。

【補記】秋になると露が多くなり、その露によって草木は色を変えてゆくものとされた。「露の色」とはそのことを言うが、立秋を迎えた朝も、浅茅生の「露の色」は以前と変わりなかった。ところが夕方、その浅茅を靡かせて吹く風には寂しさが感じられ、紛れもなく秋が来たことを知ったのである。

【参考歌】順徳院「紫禁和歌集」
草も木もきのふの露の色ぞかし人の心に秋は来にけり

紅葉出垣

夕日影へだつる垣の外面(そとも)より片枝(かたえ)さし出づる紅葉色こき

【通釈】夕日を遮る垣根の外側から片枝が出ている紅葉――その葉ばかりは色が濃い。

【補記】庭の垣根を道の側から眺めての詠。日当たりが良いほど早く色づくので、一本だけ飛び出している枝がいちはやく紅葉しているのである。作者には珍しく写生的な一首。因みに「紅葉出垣」の題は三条西実隆の『雪玉集』などに先例が見える。

雪中待人

さびしさはおなじ山路の雪のうちに隣の人も我を待つらし

【通釈】寂しいことに変わりはない山中の、この雪に降りこめられて、隣の人も私の訪れを待っているに違いない。

【語釈】◇山路(やまぢ) 本来は山の道を言うが、和歌では山あるいは山中を漠然と指すことが多い。

【補記】山居は個々離れているのが常で、「隣の人」と言っても家は遠い。「寂しさはおなじ」であるから、お互いがお互いの訪問を待望しているだろうというのである。「山家隣」の題で詠んだ「山風もおなじ軒端に聞き馴れてさびしとだにも問はず問はれず」も情感深い一首である。

夕眺望

入相の鐘よりのちも立ち出でて寂しきままに向かふ山々

【通釈】日暮を告げる鐘の音が鳴り終った後も、外へ出て行って、寂しい心のままに向かう山々よ。

【補記】雑歌。前歌に続いて「寂し」の語が出て来るけれども、作者の家集に必ずしもこの語が頻出するわけではない。むしろ惜しんで使っている語である。

【参考歌】良暹「後拾遺集」
寂しさに宿を立ち出でてながむればいづくも同じ秋の夕暮

旅宿

夢さめて思ふも夢か古郷のはるかになりぬ()よの中山

【通釈】夢が覚め、こうして物思いに耽るのも、また夢のうちであろうか。故郷は遥かになったことよ。小夜の中山で過ごす、真夜中――。

【語釈】◇小よの中山 「さやの中山」とも。遠江国の歌枕。静岡県掛川市日坂と金谷町菊川の間、急崚な坂にはさまれた尾根づたいの峠で、東海道の難所の一つ。「さ夜の中」の意を兼ねる。

【補記】街道の難所で過ごす一夜、故郷の夢から覚め、再び故郷に馳せる思いはあまりに頼りなく、これもまた夢かと疑う。題「旅宿」は旅寝のことで、和歌では野宿を詠むのが普通。

【参考歌】慈円「千載集」
旅の世にまた旅寝して草まくら夢のうちにも夢をみるかな


公開日:平成20年10月29日
最終更新日:平成20年10月29日