日野俊光 ひのとしみつ 文応元〜嘉暦元(1260-1326)

藤原北家内麻呂の裔。中納言資宣の息子。母は賀茂神主能継女。権大納言資名・同資明・賢俊僧正の父。
右衛門督・文章博士・右大弁・左大弁・蔵人頭等を歴任し、伏見天皇の永仁三年(1295)、参議に任ぜられる。同五年、権中納言。花園天皇の文保元年(1317)、権大納言に至る(同年、辞職)。伏見院の近臣で、後伏見花園・光明院の乳父。大覚寺統の信任も厚く、後宇多院司もつとめた。正中二年(1325)・同三年に勅使として鎌倉に下り、皇位継承問題をめぐり幕府との折衝に当たったが、嘉暦元年(1326)五月十五日、任半ばにして関東で没した。六十七歳。最終官位は正二位。
文保二年(1318)、大嘗会に和歌詠進。永仁五年(1297)八月十五夜歌合、乾元二年(1303)閏四月の仙洞五十番歌合、同年五月三題三十番歌合などに出詠した。嘉元百首・文保百首の作者に列なる。新後撰集初出。勅撰入集計三十三首。家集『俊光集』がある。

題しらず

物おもふといはぬばかりぞ露かかる草木も秋の夕ぐれの色(玉葉549)

【通釈】口に出して物思いをしているとは言わないだけだ。涙のような露に濡れた草木も、秋の夕暮の憂愁の色を帯びている。

【補記】玉葉集では作者を藤原定成とするが、乾元二年(1303)仙洞五十番歌合では俊光(二十九番右勝)とし、俊光の家集にも載る。正しくは俊光の作であろう。なお歌合での題は「秋露」。

【参考歌】藤原兼平朝臣母「後拾遺集」
すむ人のかれゆく宿は時わかず草木も秋の色にぞありける
  源顕仲「新古今集」
物思ふといはぬばかりはしのぶともいかがはすべき袖のしづくを

嶺霧

はれうつる峰より峰はあらはれて梢をつたふ秋のあさ霧(俊光集)

【通釈】夜間降っていた雨があがり、朝日の中に次から次へ峰が姿を現して――尾根を眺めやれば、木々の梢にそって移動してゆく秋霧よ。

【補記】初出の文保百首では初句「雨はるる」とする。

冬夕

雲こほる空は雪げにさえくれて嵐にたかき入相のこゑ(俊光集)

【通釈】雲が凍りついたような空は、雪模様のまま冷たく暮れて、嵐に響き高く入相の鐘の声が届く。

【補記】雪気をはらんで吹き荒れる冬の嵐に、入相の鐘も普段より大きく響いて聞こえる。上句はややくどい気もするが、下句「嵐にたかき」で景に立体感が出た。


最終更新日:平成15年02月14日