武蔵国埼玉郡の人。上丁藤原部(ふじわらべの)等母麻呂(ともまろ)の妻。天平勝宝七歳(755)二月、夫は防人として筑紫に派遣された。
色深(ぶか)く夫汝(せな)が衣は染めましを御坂たばらばまさやかに見む(万20-4424)
【通釈】あなたが御坂を越えながら袖を振る時、鮮やかに見えるように、衣を深く染めるのだったのに。
【補記】「まし」はいわゆる反実仮想で、実際にはそうしなかったことを悔やんでいる。
更新日:平成15年03月21日 最終更新日:平成15年03月21日
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