藤原隆房 ふじわらのたかふさ 久安四〜承元三(1148-1209) 号:冷泉大納言

四条隆房とも。六条藤家顕季の裔。正二位権大納言隆季の嫡男。母は従三位藤原忠隆女。平清盛女を妻とし、権大納言隆衡・河内守隆宗らを儲けた。子にはほかに僧正隆弁、摂政師家の室となった娘などがいる。系図
永暦元年(1160)二月二十八日、加賀守に任ぜられたのを始め、因幡守・右少将・右中将・左中将・蔵人頭などを経て、寿永二年(1183)十二月十日、参議に任ぜられ、右兵衛督を兼ねる。同三年七月二十四日、従三位。文治五年(1189)七月十七日、正三位権中納言。建久六年(1195)正月五日、従二位。正治元年(1199)六月二日、中納言に転ず。同年十一月二十七日、正二位。同二年三月六日、中納言を辞したが、建仁四年(1204)三月六日、権大納言として復帰した。元久二年(1205)正月二十九日、再び辞職し、翌建永元年(1206)六月、出家。法名寂恵。三年後、六十二歳で薨じた。
建春門院北面歌合・別雷社歌合・御室五十首・正治二年院初度百首などに出詠。また自邸に俊恵らを招き歌会を開いたことが知られる(林葉集)。
安元二年(1176)か翌年頃の成立と見られる歌物語風の家集『隆房集』(異本は『艶詞』とも)がある。また『和漢朗詠集』から句題をとった歌集『朗詠百首』がある。千載集初出。『平家物語』に描かれた小督との恋は名高い。

風わたる夕草かげに涼みきてただ一ときの秋ぞうれしき(正治初度百首)

【通釈】風が吹き渡る夕方の、長く伸びた草の陰。そこへ涼みに来て、ほんの一時の秋を感じる。それが気持ちいいんだ。

【語釈】◇夕草かげ 夕方、長く伸びた草の陰。作者の新造語か。万葉集には「夕影草(ゆふかげくさ)」の用例がある。◇一ときの秋 季節はまだ夏なのだが、その時間、そこにいる時だけは秋の涼しさが感じられる、ということ。

七夕後朝の心をよみ侍りける

たまさかに秋のひと夜を待ち得ても明くる程なき星合(ほしあひ)の空(新勅撰220)

【通釈】秋の一夜、ようやく待ちこがれた恋人に逢えたとしても、あっという間に明るくなってしまうよ、牽牛と織女の出会いの空は。

【語釈】◇七夕後朝 牽牛織女がともに夜を過ごした翌朝の別れ。◇たまさかに ごく稀なこととして。◇明くる程なき 明けるまでにわずかな時間しかない。

【本説】「和漢朗詠集」巻上・七夕(→資料編
二星適逢 未叙別緒依依之恨 五更將明 頻驚涼風颯颯之聲

女につかはしける

人知れぬ憂き身にしげき思ひ草おもへば君ぞ種はまきける(新勅撰774)

【通釈】人知れず辛い我が身には、思い草が生い茂るように、物思いばかりが増えてゆきます。どうしてこんなことになったのかと思いますと、貴女が種を蒔いたのでした。

【語釈】◇思ひ草 ナンバンギセルかという。思ひ種(ぐさ)に掛け、草が茂るイメージによって「さまざまな物思いが生じる」という心の状態を暗喩している。

【補記】『隆房集』『艶詞』ともに巻頭の歌。後者では初句が「人しれず」。

わかき人々あつまりて、よそなるやうにて物がたりなどするほどに、しのびかねたる心中、色にや出でて見えけん、すずりをひきよせて、「ちかのしほがま」とかきて、なげおこせたりしことの、おもひいでられて

思ひかね心は空にみちのくのちかの塩竈(しほがま)ちかきかひなし(艶詞)

【通釈】[詞書]若い人々が集まった折、私も女も同席していたが、関係のないふりをして雑談しているうちに、こらえかねた心中の思いが、表情にあらわれてしまったのだろうか、女が硯を引き寄せて、「千賀の塩竈」と書いて、その紙を投げて寄越した。その時のことが思い出されて。
[歌]思いを抑えかね、心はうわの空になってしまった。遥かな陸奥(みちのく)のちかの塩竈ではないが、せっかく近くにいるのに、そのかいもなく、遥か遠くにいるように感じられてならないよ。

【語釈】◇ちかの塩竈 今の宮城県塩竈市、松島湾の千賀ノ浦あたり。遠い陸奥にありながら「ちか」が付いた地名なので、「近くて遠い仲」を暗示する。女は「みちのくのちかの塩竈近ながら遥けくのみも思ほゆるかな」(伊勢『古今和歌六帖』)を踏まえ、この名を紙に書いて寄越したのである(『平家物語』では、紙を贈ったのは隆房の方になっている)。

【補記】『平家物語』「小督(こごう)」に引かれて名高い歌。隆房は少将の時、高倉天皇中宮徳子に仕えていた小督(藤原成範のむすめ)に思いを寄せたが、やがて小督は高倉天皇の寵愛を受けたため、中宮の父であり隆房の舅であった平清盛の怒りを買い、内裏を去って嵯峨に身を潜めた…云々。

【参考】作者未詳「古今和歌六帖」
みちのくのちかの塩竈ちかながら遥けくのみも思ほゆるかな

なにの舞ひとかやに入りて、はなやかなるふるまひにつけても、「あはれ、思ふ事なくてかかるまじらひをもせば、いかにまめならまし」とおぼえて、又さしもうらめしくあだなれば、見る事つつましく

ふる袖は涙にぬれてくちにしをいかにたちまふわが身なるらん(艶詞)

【通釈】[詞書]何の折の舞楽であったか、舞人の仲に入れられて、そのように花やかな行事につけても、「ああ、恋の悩みがなくて、このような奉公をするのであったら、どんなにか誠心を尽くして行なおうものを」と感じられたが、その上女の態度もあんなふうに恨めしく不実な様子だったので、よけい気持ちが晴れず、舞を見られることも気が引けて。
[歌]振って舞うはずの袖は、涙に濡れて朽ちてしまったのに、どうやって人前で舞うつもりの自分なのだろう。

【語釈】◇なにのまひとかや 安元二年(1176)三月四日、後白河院五十の賀に際して舞われた地久の舞を指す。

【補記】玉葉集に入集。詞書は「安元御賀に地久をまひ侍りける中にも、心にかかる事のみ侍りければ」。

逢ひみぬことの、後まで心にかからんことの、返す返すあぢきなくて

恋ひ死なばうかれむ(たま)よしばしだに我が思ふ人のつまにとどまれ(艶詞)

【通釈】私が恋い死にしたら、うかれ出てゆく魂よ、しばらくの間だけでも、恋しい人の褄(つま)のところに留まってくれ。

【語釈】◇あぢきなくて 思い通りにならず、心苦しくて。◇つまにとどまれ 褄(つま)は、着物の裾の左右両端の部分。褄を結ぶことによって、魂の遊離を留め得るとの俗信があった。

【補記】千載集に入集(「題しらず」)。『平家物語』延慶本などは、これを小督に贈った歌とし、小督の返歌「君ゆゑにしらぬ山路にまよひつつうきねの床に旅寝をぞする」も載せる。

むげに恋しくて、いかにすべしともおぼえざりしかば

あな恋し恋しや恋し恋しさにいかにやいかにいかにせむせむ(隆房集)

【通釈】略。

つくづくとおもひつづくれば、この世ひとつに恋し、かなしとおもふだに、いかがはくるしかるべき。そののちの世にふかからん罪の心憂さに

あさからぬこの世ひとつのなげきかは夢よりのちの罪のふかさよ(隆房集)

【通釈】浅くない因縁で生まれ落ちた今生(こんじょう)の世――ここだけの歎きだろうか。夢のようにはかない煩悩の世を去った後に償うべき、罪の深さを思うと、ああ…。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成22年10月14日