勝延 しょうえん 天長四〜延喜元(827-901)

笠氏出身。東大寺・延暦寺の僧。昌泰元年(898)、少僧都。勅撰集入集歌は、古今集に1首のみ。

堀川太政大臣、身まかりける時に、深草の山にをさめてける後に、よみける

空蝉はからを見つつもなぐさめつ深草の山けぶりだに立て(古今831)

【通釈】この世のものとしては、亡骸を見ながら心を慰めていた。深草の山よ、埋葬した今となっては、せめて煙だけでも立ってくれ。それを形見として見よう。

【補記】太政大臣藤原基経を深草山に埋葬した後に詠んだ哀傷歌。「から」は亡骸のことだが、生前の現身(うつそみ)と見る説もある。なお、『遍昭集』に下句「けぶりだにたてふかくさのやま」として見える。

【主な派生歌】
煙だにしばしたなびけ鳥辺山たち別れにし形見ともみむ(寂然[千載])
つもる雪のすこしたかきや人のいほ道こそなけれけぶりだにたて(
慈円)


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日