幽仙 ゆうせん 承和三〜昌泰三(836-900)

藤原北家魚名の裔。宗道の子。寛平二年(890)、権律師。同四年、律師。昌泰三年二月二十七日、没。常康親王と交流があった。勅撰集入集は古今集の2首のみ。

山にのぼりて帰りまうできて、人々わかれけるついでによめる

別れをば山の桜にまかせてむ()めむ留めじは花のまにまに(古今393)

【通釈】別れは、山の桜が散るか散らないかに任せてしまおう。帰ろうとする人々を引き留めようか、引き留めまいかは、花次第ということにして。

【補記】作者の本心は、帰宅を急ぐ人々を「もう一晩泊って行きなさい」と引き留めたいのである。しかし、明日桜が散ってしまえば、その思いは無となってしまう。だから、自分の意思で引き留めることはできない。それは、桜の心次第だ、というのである。

【主な派生歌】
まれにきてかへらむ人をほととぎすとめむとめじは声のまにまに(藤原教長)

雲林院のみこの舎利会に山にのぼりてかへりけるに、さくらの花のもとにてよめる

ことならば君とまるべくにほはなむ帰すは花のうきにやはあらぬ(古今395)

【通釈】どうせなら、親王が立ち止まるように、もっと色美しく照り映えてほしい。親王をお帰ししてしまうのは、花が厭わしいからということにはならないか。

【語釈】◇雲林院のみこ 常康親王◇ことならば 同じなるなら。どうせなら。万葉集には「こと降れば(原文は「殊降者」)」の用例があり、「同じ降るにしても」程の意である。◇かへすは花のうきにやはあらぬ 桜に向かって咎め立てするような言い方。

【主な派生歌】
はる風におほふかすみの袖もがなちらさば花のうきにやはあらぬ(細川幽斎)


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日