朱雀天皇 すざくてんのう 延長元〜天暦六(923-952) 諱:寛明(ゆたあきら)

醍醐天皇の第十一皇子。母は藤原穏子(藤原基経女)。保明親王の同母弟、村上天皇の同母兄。
皇太子慶頼(よしより)王(保明親王の子)の死により、延長三年(925)十月、皇太子となる。同八年九月、醍醐天皇より譲位を受け、十一月、八歳で即位。男子を儲けることなく、天慶九年(946)四月、弟の成明親王(村上天皇)に譲位した。この時二十四歳。天暦四年(950)、熙子(ひろこ/きし)女王との間に昌子内親王をもうけた。同六年三月、病のため出家し、同年八月崩御。三十歳。来定寺に葬られる。
『朱雀天皇御集』がある。後撰集初出。勅撰入集九首。

女御熙子女王かくれて後よませ給うける

ひとりねにありし昔のおもほえて猶なき床をもとめつるかな(玉葉2347)

【通釈】独り寝をしていると、あの人と共寝した昔が思い出されて、もういない寝床を、それでも探し求めてしまったなあ。

【語釈】◇熙子女王 朱雀天皇の女御。天暦四年(950)、薨。

【補記】御集では「ひとりねにありし昔のおぼほえて猶なきからをもとめつるかな」。

仏名のあした、けづり花を御覧じて

時すぎて霜に消えにし花なれどけふは昔のここちこそすれ(新古1583)

【通釈】咲く季節が過ぎて霜に枯れた花であるけれども、なお瑞々しい色を見ると、今日はまだ盛りだった昔のような心地がするのだ。

【語釈】◇仏名(ぶつみやう) 仏名会。陰暦十二月十九日より三日間行なわれた法会。三世の諸仏の仏名を唱え、その年の罪障を懺悔し消滅を祈る。◇けづり花 仏名会に用いた、丸木を削ってつくる造花。古今伝授で三木(さんぼく)の一。

【補記】削り花を自分に擬え、皇位にあった時を追懐する。

例ならずおはしましける比

遠近(をちこち)の風とぞ今はなりなましかひなき物は我が身なりけり(新続古今1559)

【通釈】行方さだめぬ風と今はなってしまうのだろう。むなしいものは、ほかならぬ我が身であったよ。

【補記】新続古今集巻十六、哀傷歌の巻頭。「例ならず」とは病気になったこと。


最終更新日:平成16年06月12日