貞常親王 さだつねしんのう 応永三十二〜文明六(1425-1474) 号:後大通院

応永三十二年十二月十九日、伏見宮三世貞成親王(のちの後崇光院)の二男として生れる。母は敷政門院准三后源幸子(贈左大臣庭田経有女)。後花園院の同母弟。従二位源盈子(権大納言庭田重有女)との間に邦高親王・堯胤法親王・慈運法親王ほかをもうけた。
二品式部卿に任ぜられる。法名は日照恵晃または恵光。没後、一品を贈られる。
和歌は尭孝飛鳥井雅世雅親に学ぶ。寛正四年(1463)十二月、伏見殿で催された六十番歌合に出詠。『後大通院殿御詠』等の家集が数種伝わり、また文明元年(1469)の『貞常親王御百首』がある。勅撰集への入集は無い。

「後大通院殿御詠」私家集大成6
「貞常親王御百首」続群書類従388(第14輯下)

  5首  1首  2首  3首  3首 計14首

春氷

とけのこる石間(いしま)の春の朝氷影みし水の月かあらぬか(後大通院殿御詠)

【通釈】春浅い朝、石の間に融けずに残っている氷――あれは昨夜、水面に影を映していた月ではないのか。

【補記】朝日を受けて冷やかに光る朝氷を、昨夜見た水面の月が残っているのかと疑った。浅春の朝の温さと冷たさが入り交じる季節感をみごとに捉えた上句、一転して前夜の冷艶な月の記憶を鮮やかに呼び起こす下句。寛正二年(1461)、作者三十七歳の秀詠。

【参考歌】藤原家隆「壬二集」「新続古今集」
おもひ川かげみし水のうす氷かさなる夜はの月もうらめし

菫露

すみれ草つみつつかへる春の野にたがためとなく袖ぬらしけり(後大通院殿御詠)

【通釈】菫草を摘みながら帰る春の野で、誰のためというわけでもなしに、袖を露で濡らしたよ。

【補記】言うまでもなく袖が濡れたのは菫の露のためばかりではない。第四句「たがためとなく」から微かに漂う孤独感が余情となる。後朝(きぬぎぬ)の歌と解しても面白い。寛正六年(1465)、作者四十一歳。

【本歌】光孝天皇「古今集」「百人一首」
君がため春の野に出でて若菜つむ我が衣手に雪は降りつつ
【参考歌】山部赤人「万葉集」「古今集仮名序」
春の野にすみれつみにと来し我ぞ野をなつかしみ一夜ねにける

見花

山里にすむ身となれば帰るさを忘れし花の春ぞ恋しき(貞常親王御百首)

【通釈】山里に住む境遇となったので、都への帰り道を忘れて迷った、花咲く春が懐かしいよ。

【補記】文明元年(1469)九月九日の『貞常親王御百首』。応仁の乱を避けて大原に隠棲していた時の百首歌。後花園院・足利義政に点を請うているが、掲出歌は両者の加点を得ている。

月前花

夜もすがら咲きちる花の下陰に()の間さだめず月ぞもりくる(後大通院殿御詠)

【通釈】一晩中散り続ける桜の下蔭では、どの樹間とも一定せずに月明かりが漏れてくるのだ。

【補記】花の落ちた枝は隙間が空いてそこから月光が漏れる。春風に散り乱れる花びらなら、それ自身が月光を遮りもするだろう。文安四年(1447)、作者二十三歳の詠。

夜思花

さだかにぞ寝覚のとこに残りけるかすみて暮れし花の面影(後大通院殿御詠)

【通釈】夜半、眠りの途切れた寝床にあっても、しっかりと残っているよ――霞んだまま夕暮に包まれていった花の面影は。

【補記】文安四年(1447)、作者二十三歳。

【参考歌】二条道平「風雅集」
けふもなほちらで心にのこりけりなれし昨日の花のおもかげ

雨中郭公

ほととぎす鳴く一声のなみだにはあまりおほかる村雨の空(後大通院殿御詠)

【通釈】時鳥が一声啼く時流す涙にしては、あまりに多すぎる、叢雨降る空よ。

【補記】時鳥は雨空にも鳴き渡ることが多いため、雨がその涙に喩えられた。文明四年(1472)四月二十六日、内裏当座三十首内。

【参考歌】式子内親王「新古今集」
こゑはして雲ぢにむせぶ時鳥涙やそそくよひのむらさめ

野月

月みつつぬればや袖の露の間もみえぬ夢野の秋のたまくら(後大通院殿御詠)

【通釈】月を見つつ寝るからだろうか、袖を濡らす露の、その「露の間」も見えない故郷の夢――この夢野の秋に独り寝する手枕よ。

【語釈】◇露の間 ほんのしばらくの間。「袖の露」は涙を暗示。◇夢野 播磨国の歌枕。現在の神戸市兵庫区辺り。この野に住む牡鹿が淡路島の牝鹿に恋をし、海を泳いで渡った云々という伝説が『摂津国風土記』逸文などに見える。◇秋のたまくら 秋の夜長、ひんやりとした己の腕枕の感触。故郷の妻への恋しさを余情として籠めている。

【補記】明月のゆえに旅先「夢野」で夢が見られない皮肉。文安三年(1446)、作者二十二歳、月次歌会での野心作。

【本歌】小野小町「古今集」
思ひつつぬればや人の見えつらむ夢としりせばさめざらましを
【参考歌】藤原定家「拾遺愚草」
床の上の光に月のむすびきてやがてさえ行く秋の手枕

初雁

へだて行くおのがすがたは薄霧の籬にちかきはつかりの声(後大通院殿御詠)

【通釈】薄霧を隔てて飛んで行く自身の姿はうっすらとして――しかしその啼き声は庭の垣根に近く、ありありと聞こえる初雁よ。

【補記】「薄霧の籬(まがき)」は下記好忠の歌を踏まえ、霧の隔てを言うが、掲出歌では庭の籬をも掛けて言う。文安六年(1449)正月の詠。

【参考歌】曾禰好忠「新古今集」
山里に霧の籬のへだてずはをちかた人の袖も見てまし
  順徳院「紫禁和歌集」
山里のみねの木の葉や散りぬらん枕に近き秋のかりがね

冬夕嵐

はげしさをききしにそへて秋よりもつらき嵐の夕暮の声(後大通院殿御詠)

【通釈】秋に聞いた時よりも激しさを増して、より耐え難く響く夕暮の嵐の声よ。

【補記】定家の恋歌を本歌取りし、「待つ恋」の風情を漂わせる。宝徳三年(1451)詠。

【参考歌】藤原定家「新古今集」
あぢきなくつらき嵐の声もうしなど夕ぐれにまちならひけん

寒草

夢かとも雪よりさきにとひてみよ小野の千種の霜枯の色(貞常親王御百首)

【通釈】先人は「雪ふみわけて」小野を訪ねたというが、これは夢かと、雪が積もる前にたずねてみなさい。小野に咲き乱れていた千草の、今や霜に枯れた色――。

【補記】「とひてみよ」は友(または恋人)への呼びかけで、「我に問ひてみよ」「我が家を訪ひてみよ」の両義を兼ねる。在原業平が小野に隠棲していた惟喬親王のもとを訪ねた際の作を本歌とするが、掲出歌を作った当時、作者は実際に洛北小野郷の大原に住んでいた。応仁の乱を避けてのことである。

【本歌】在原業平「古今集」
忘れては夢かとぞ思ふ思ひきや雪ふみわけて君を見むとは
  惟喬親王「新古今集」
夢かともなにか思はむうき世をばそむかざりけん程ぞくやしき

浅雪

おくもまたふかくは見えず山人の薪におへるけさの薄雪(貞常親王御百首)

【通釈】奥山も深く積もっているとは見えない。樵(きこり)が薪に載せている今朝の薄雪よ。

【語釈】◇おくも 「奥も」「置くも」の掛詞であろう。◇山人 山または山里に住み、山で採れる物(木や獣)によって生計を立てていた人々。この歌では樵夫。

【補記】出典の『貞常親王御百首』は、文明元年(1469)、応仁の乱を避けて大原に隠棲していた時、日課として詠んだ百首歌。作者四十五歳。

初恋

分けそむる小篠(をざさ)が露の一ふしもしらぬさきより袖ぬらすかな(後大通院殿御詠)

【通釈】分け入り始めたばかりの恋の道――露がついた笹の一節ではないが、あの人とのちょっとした逢瀬の機会も得られず、一臥しもせぬうちに、早くも袖を濡らすのだなあ。

【補記】「一ふし」は「ちょっとした機会」程の意。「臥し」を掛けていると見た。文安四年(1447)、住吉法楽和歌。題は「初めの恋」、すなわち「恋の初期段階」ということ。

【参考歌】作者不明「古今和歌六帖」
誰はかは知らぬさきより人を知る知らぬ人こそ知る人になれ
  藤原伊経「千載集」
わけきつるをざさが露のしげければあふ道にさへぬるる袖かな

春恋

涙よりかすむとならば我ぞげに春の名だての袖の月影(後大通院殿御詠)

【通釈】月が涙ゆえに霞むというのならば、なるほど私こそ春の浮名を立てるわけだ、びっしょり濡れた袖に月影を映して。

【補記】密通が露顕して光源氏の須磨流謫の原因となった「朧月夜」の一件を連想させる。長禄三年(1459)正月の詠。

【参考歌】藤原俊成女「新古今集」
面影のかすめる月ぞやどりける春やむかしのそでの涙に

期忘恋

きかじただそのかねごとは昔にてつらきかたみの夕暮の声(後大通院殿御詠)

【通釈】もう決して聞くまい、あの鐘の音は――あなたと交わした兼言(約束)は昔のことで、もはやただ辛い思い出につながるだけの夕暮の鐘の声などは。

【補記】夕暮を告げて鳴る鐘(晩鐘)は、また恋人の訪れる時刻を告げる声でもあった。寛正六年(1465)十二月十八日。

【参考歌】藤原定家「新古今集」
あぢきなくつらき嵐の声もうしなど夕暮に待ちならひけん
  藤原基家「続後撰集」
契りこしそのかねごとはむかしにて有明の月のあらずもあるかな


最終更新日:平成17年02月05日