丹生女王 にうのおおきみ 生没年未詳

天平十一年(739)正月、従四位下より従四位上に昇叙される。天平勝宝二年(750)八月、正四位上。万葉巻三に石田王卒時の挽歌を残す丹生王とおそらく同一人。

丹生女王、大宰帥大伴卿に贈る歌 (二首)

天雲のそくへの極み遠けども心し行けば恋ふるものかも(万4-553)

【通釈】あなたのいらっしゃる筑紫は、雲の果てのはるか彼方ですが、心はどんなに遠くへも通って行くので、私はこうして恋しく思っているのですねえ。

【補記】巻四の大宰府関連歌群にあり、大伴旅人が大宰府に赴任した神亀五年(728)頃の歌にちがいない。当時旅人は六十四歳。丹生女王は和銅四年(711)頃に亡くなった石田王の妻だったらしいので、やはり相当の年齢であったと思われる。同じ時に女王が贈ったもう一首には「古人(ふるひと)のたまへしめたる吉備の酒やまばすべなし貫簀(ぬきす)たばらむ」とあり、これ以前に旅人から吉備の酒を贈ってもらったらしい。

高円(たかまと)の秋野の上の撫子の花 うら若み人の挿頭(かざ)しし撫子の花(万8-1610)

【通釈】高円の秋の野辺に咲く撫子の花よ。初々しいので、人が挿頭にした、撫子の花よ。

【補記】この歌は旋頭歌。「なでしこを我身にたとへ人とは大伴卿をさして、若かりし時にめでられし事も有しをといふ也」(萬葉集略解)。


最終更新日:平成15年08月05日