源宗于 みなもとのむねゆき 生年未詳〜天慶二(?-939)

光孝天皇の孫。是忠親王の子(三十六歌仙伝)。ただし異本歌仙伝には「式部卿本康親王一男。仁明天皇孫歟」とある。「閑院大君」「閑院の御」などと呼ばれた娘のあったことが知られる(古今集で源昇に歌を贈っている「閑院」とは別人物だろうという)。
寛平六年(894)臣籍に下って源姓を賜わる。丹波・摂津・参河・信濃・伊勢などの権守を勤め、正四位下右京大夫に至る。
寛平御時后宮歌合や是貞親王家歌合などに出詠。紀貫之との贈答歌があり、親交が窺える。また『伊勢集』に伊勢に贈った歌がある。三十六歌仙の一人。小倉百人一首にも歌を採られている。家集『宗于集』がある。古今集の六首をはじめ、勅撰集には計十六首入集。また『大和物語』に右京大夫としてたびたび登場しており、身の不遇をかこつ挿話が多い。

  1首  2首  1首  5首  1首 計10首

寛平御時きさいの宮の歌合によめる

ときはなる松のみどりも春来れば今ひとしほの色まさりけり(古今24)

【通釈】常に不変の松の緑も、春が来たので、さらに一際色が濃くなるのだった。

【語釈】◇ひとしほ 原義は、布などを染め汁に一度入れて浸すこと。

【他出】新撰和歌、古今和歌六帖、和漢朗詠集、三十六人撰、深窓秘抄

【主な派生歌】
秋の色や今一しほの色ならむふるき思ひのそめし袂に(慈円)
をしほ山いま一しほの春の色に君をみどりの松ぞ久しき(藤原家隆)
色まさる松の緑のひとしほに春の日数の深さをぞ知る(藤原定家)
あづさ弓いそべの小松春といへばかはらぬ色も色まさりけり(藤原定家)
春くれば今一しほのみどりこそかはらぬ松のかはるなりけれ(藤原良経)
宮川やいつもみどりの杉の葉にいまひとしほの春風ぞ吹く(後鳥羽院)
夏の日の木の間もりくる庭の面(おも)にかげまでみゆる松のひとしほ(*順徳院)
かくてみむ外山の里のうす紅葉今一しほの色なしぐれそ(宗尊親王)
松の葉のいつともわかぬ岡のべに今一しほの下もみぢかな(細川幽斎)
色まさるをのへの松の木間より今一しほの桜咲くころ(烏丸光広)
雪きえてうすみどりなる野べの色も今一しほの春雨ぞふる(後水尾院)

題しらず

梓弓いるさの山は秋霧のあたるごとにや色まさるらむ(後撰379)

【通釈】梓弓を射る、と言う入佐の山の木々は、秋霧があたるたびに紅葉の色が濃くなってゆくだろう。

【語釈】◇梓弓(あづさゆみ) 弓を射ると言うことから「いるさの山」を導く枕詞。◇いるさの山 但馬国の歌枕と言われ、今の兵庫県出石郡出石町の此隅山とする説などがある。「入佐山」とも書かれる(『歌枕名寄』など)。◇あたる 「弓」の縁語。

是貞親王家歌合の歌

いつはとは時はわかねど秋の夜ぞ物思ふことの限りなりける(古今189)

【通釈】どの季節と限らず、いつでも物思いはするものだが、秋の夜こそは、この上なく深く物思いに沈むことだよ。

【補記】古今集は読人不知とするが、『宗于集』に「物おもふころのひとりごとに」の詞書で載っている。但し『小町集』にも見え、作者は定かでない。

【他出】小町集、宗于集、定家八代抄、秀歌大躰、僻案抄、歌林良材

【主な派生歌】
橘にあやめの枕にほふ夜ぞ昔をしのぶかぎりなりける(藤原俊成[新後撰])
山ざとの暁がたの鹿のねは夜はのあはれのかぎりなりけり(慈円[千載])
しほがまの浦のけぶりのいつはとは時はわかねどかすむ春かな(宗尊親王)
ほととぎすしひても名のれいつはとは時はわかねどたそがれの声(木下長嘯子)

冬の歌とてよめる

山里は冬ぞさびしさまさりける人めも草もかれぬと思へば(古今315)

【通釈】山里は、冬にこそひときわ寂しさが増さって感じられるのだ。人の訪れも途絶え、草も枯れてしまうことを思うと。

【語釈】◇山里 山にある人里。山の中の里。貴族にとっては京近郊の景勝地に営んだ別荘・山荘を指す場合が多い。◇人め 人を見ること。人が会いに来ること。「め(芽)」は草の縁語。◇かれぬ 「離(か)れぬ」(人目が途絶えてしまう)、「枯れぬ」(草が枯れてしまう)の掛詞。

【補記】「人目も草も」と普通なら並列しないような語を並べて、それを「かれぬ」(「離れぬ」「枯れぬ」)という掛詞の一語で承けたところに面白みがあり、またそれによって人も自然も冬の寂しさのうちに融け合ってしまうような山里の情趣が生れている。なお『宗于集』には「うたあはせに」の詞書がある。

【他出】陽成院一親王姫君達歌合、古今和歌六帖、和漢朗詠集、三十六人撰、宗于集、俊成三十六人歌合、百人一首、新時代不同歌合

【参考歌】藤原興風「是貞親王歌合」
秋くれば虫とともにぞなかれぬる人も草葉もかれぬと思へば

【主な派生歌】
ひとめさへ霜がれにける宿なればいとど有明の月ぞさびしき(具平親王[玉葉])
いつしかと人めも草も枯れねとやおろす嵐の今朝ははげしき(俊恵)
さびしさに堪へたる人のまたもあれな庵ならべむ冬の山里(*西行[新古今])
霜おかぬ人めも今はかれはてて松にとひくる風ぞかはらぬ(藤原有家)
春も又かれし人めにまちわびぬ草葉はしげる雨につけても(藤原定家)
人目さへいとど深草かれぬとや冬待つしもに鶉なくらむ(〃)
宿からぞ都の内もさびしさは人目かれにし庭の月かげ(〃)
夢路まで人目はかれぬ草の原おきあかす霜にむすぼほれつつ(〃)
我が宿は人目も草も草は猶かれても立てる心ながさよ(〃)
庭しげき草葉の下の道たえてとはぬ人めは夏もかれけり(〃)
花ちればやがて人目もかれはつる深山の里の春のくれがた(藤原良経)
いつとてもかかる人目の山里は草の原にぞ冬はしりける(藤原為家)
山里はしらぬ人目もいまさらに霜にかれゆく庭の冬草(〃)
あはれまた人めも草も枯れにけりみ山の庵ぞ秋はさびしき(順徳院)
垣ねなる草も人めも霜がれぬ秋のとなりや遠ざかるらむ(後嵯峨院)
我すめば人めもかれず山里に猶ききすてぬ朝まつりごと(後宇多院)
たまさかの人めも草も秋はなほ跡見えし庭に峰のこがらし(宗祇)
たれかとふ冬ぞさびしさまさ木ちる外山の庵は風にまかせて(木下長嘯子)
木の葉ちる人めもかれて山里の四の時には冬こそありけれ(〃)
秋くれて冬ぞさびしさわすれけるみ雪ちりぼひ梅かをるころ(小沢蘆庵)

題しらず

つれもなくなりゆく人の言の葉ぞ秋よりさきの紅葉なりける(古今788)

【通釈】つれなくなってゆくあの人の言葉は、葉というだけあって、紅葉さながら移り変わるものだったのだ。まだ秋が来るには早すぎるのに。

【補記】秋に飽きを掛ける。恋人の変心とつれない言葉を恨む。

からうじて逢ひ知りて侍りける人に、つつむことありて、逢ひがたく侍りければ

あづまぢの小夜(さや)の中山なかなかに逢ひ見てのちぞわびしかりける(後撰507)

【通釈】小夜の中山ではないが、苦労を越えてやっと逢えた人なのに、再び逢い難くなってしまい、かえって逢ってからの方がわびしさが増さることだ。

【補記】詞書の「つつむことありて」は、「何か障害があって」の意。「小夜の中山」は遠江国の歌枕。箱根に次ぐ東海道の難所。同音反復で「なかなか」を導く。

題しらず

逢はずして今宵明けなば春の日の長くや人をつらしと思はむ(古今624)

【通釈】逢えないままこの夜が明けたら、また春の永い一日が始まる――ちょうどその春の日のように長く、いつまでも、私は恋人を無情だと恨むだろう。

【補記】女の立場で詠む。

命婦がもとにつかはしける

よそながら思ひしよりも夏の夜の見はてぬ夢ぞはかなかりける(新勅撰1378)

【通釈】逢わずに想っていた時よりも、夏の夜の見果てぬ夢(のような短い逢瀬)のほうが、儚かったのでした。

【補記】後撰集には読人不知の歌として載る。また『大和物語』三十一段には宗于が「監(げむ)の命婦」に贈った歌とある。

兵部卿元良親王家歌合に

人恋ふる心は空になきものをいづくよりふる時雨なるらむ(続千載1540)

【通釈】人を恋する心は我が胸にあって空にあるのでないのに、どこから降ってくる時雨なのだろうか。

【補記】時雨に涙を暗示。

故右京の大夫宗于の君、なりいづべき程に我が身のえなりいでぬことを思うたまひける頃ほひ、亭子の帝に「紀の国より石つきたる海松(みる)をなむたてまつりける」を題にて、人々歌よみけるに、右京の大夫、

沖つ風ふけゐの浦に立つ浪の名残にさへや我はしづまむ(大和物語)

【通釈】沖つ風の吹く吹飯の浦に、波が立ち、退いてゆく――そのなごりの浅い水にさえ、私は沈んでしまうだろう。

【補記】「ふけゐ(吹飯)の浦」は普通和泉国の歌枕(今の泉南郡岬町)を指すことが多いが、この場合、紀伊国の吹上の浜の異名であろう。「名残」は波が引いたあとの水たまりなど。寵愛を得ず沈淪する我が身を帝に訴えている。『大和物語』第三十段。同じ歌が新千載和歌集にも見える。


更新日:平成15年11月17日
最終更新日:平成20年08月18日