飛鳥井雅康 あすかいまさやす 永享八〜永正六(1436-1509) 号:二楽軒宋世

雅世の次男。雅親(宋雅)の弟。子に頼孝がいる。
兄雅親の猶子となり、家学を相伝。文明三年(1471)正三位に叙せられ、同十一年四月、権中納言に任ぜられる。まもなく同職を辞し、文明十四年(1482)二月四日、近江松本にて出家、法名宋世。剃髪の際、後土御門天皇・将軍義尚より慰留されたが謝絶している。飛鳥井家嫡流は雅康の猶子雅俊(雅親の実子)が継いだ。永正六年(1509)十月二十六日、七十四歳で薨去。
雅親の庇護下、足利将軍家等に信任され、文明期の歌壇で指導的な立場にあった。自邸で度々歌会・連歌会を催す。文明十年(1478)、朝倉孝景に招かれて越前に下向したり、同十八年には上杉房定の招きで越後に下ったりと、地方歌壇でも活動した。
家集に『雅康集』、詠草に『入道中納言雅康卿百首』、永正三年(1506)の『蹴鞠百首』がある。著書に『歌道抄』『蹴鞠条々大概』『富士歴覧記』ほか。蹴鞠の名手としても重んじられ、書・尺八などにも秀でた。なお文明十三年(1481)に守護大名大内政弘の求めに応じて雅康が書写した源氏物語は『大島本』として伝わり源氏古写本中の善本として重視されている。

「雅康集(雅康卿詠草)」 私家集大成6・新編国歌大観8
「入道中納言雅康卿百首」 続群書類従392(第14輯下)
「蹴鞠百首」 続群書類従537(第19輯中)

紅葉深

そめつくす秋はもみぢのかたはらのまた深山木となる桜かな(雅康集)

【通釈】あらゆる木々を染め尽くす秋にあっては、楓もみじの傍らの深山木(みやまぎ)として紅葉したのを、再び見て賞美する桜なのだなあ。

【語釈】◇深山木(みやまぎ) 深山の樹。前句とのつながりで「また見」(春ばかりでなく、秋にも見る)の意が掛かる。

【補記】桜の紅葉は楓ほど鮮やかではないがやはり美しい。春は主役であった桜が、晩秋は楓の脇役として活躍するという趣向。

【参考歌】源頼政「詞花集」
深山木のその梢とも見えざりし桜は花にあらはれにけり

月前雪

水にのみふるをやは言ふ月にだに光きえゆく庭のうす雪(雅康集)

【通釈】水の上に降る雪ばかりを果敢ないと言うものか。月明かりにさえ融け、光消えてゆく庭の薄雪よ。

【補記】家祖の勅撰入集歌(下記参照)を意識した作か。冷え寂びた趣向は時代の好尚。

【参考歌】飛鳥井雅経「新拾遺集」
春風に野沢の氷かつきえてふれどたまらぬ水のあわ雪

恋筆

人や知らむあらぬ筆には書きなせど心の見ゆるわが玉づさは(雅康集)

【通釈】人は知ってくれるだろうか。あらぬことをわざと書いているけれども、真心が現われた私の手紙であることは。

【語釈】◇あらぬ筆 心とは違うことを書く筆。思いとは異なる文章。◇玉づさ 玉梓。昔、伝言をつたえる使者が梓の杖を用いたことから、手紙をこう呼ぶようになったと言う。「玉」とは、言葉に籠めた魂であろう。

【参考歌】冷泉為相「藤谷和歌集」
たのめてし言の葉なるる玉づさをあらぬ筆かと人に見せばや

遇不会恋

しひてなどしたふ心ぞ一夜こそこの世のちの世かくるなさけを(延徳三年百首)

【通釈】どうして無理をしてまで恋い慕う我が心なのだ。あの逢瀬の一夜こそ、今生(こんじょう)・後生(ごしょう)をかけて、たった一度きりあの人がかけてくれた情けなのに。

【語釈】◇かくる 「この世のちの世、両方をかけて」「情けをかける」両義の掛詞。

【補記】題は「逢瀬を遂げてのち、逢えなくなった恋」の意。生まれ変っても再び一夜を共にはできまいと知りつつ慕わずにはいられない恋心を詠む。続群書類従所収の百首歌。後書に「延徳三年十一月三日、春日社法楽」とある。


公開日:平成17年07月03日
最終更新日:平成18年03月02日