慶運 けいうん 生没年未詳

法印浄弁の子。永仁年間(1293-99)に生まれ、応安二年(1369)頃まで生存したことが確認される。青蓮院尊円親王、次いで尊道親王に仕え、祇園別当の目代を務める。
二条派歌人。父浄弁・兼好頓阿と共に、二条為世門の和歌四天王と称された。正和四年(1315)、為世主催の「花十首寄書」に出詠。康永三年(1344)、高野山金剛三昧院奉納和歌に参加。同四年、為定より古今の説を伝授する。文和元年(1352)、二条良基の「後普光園院殿御百首」に頓阿・兼好とともに加点。晩年は頓阿と不和で、冷泉為秀と親しくした。家集『慶運法印集』があり、また『慶運法師百首』が伝わる。勅撰集には風雅集以下に十八首入集。

「慶運はたけを好み、物さびて、ちと古体にかゝりてすがた心はたらきて、みゝにたつ様に侍りし也。為定大納言は殊の外に慶運をほめられき」(二条良基『近来風体抄』)

立春

けふといへば雪げの雲も打ちなびき春くる空に霞みぬるかな(慶運法印集)

【通釈】さすがに今日となれば、雪の降り出しそうだった雲も風にうち靡き、春の来た空にほのぼのと霞んでいることだなあ。

【参考歌】俊恵「新古今集」
春といへばかすみにけりなきのふまで浪まに見えし淡路島山

【主な派生歌】
けふしはや春来る空に出づる日も光のどかに霞たなびく(為村)

春雪

雲こほる空にはしばし消えやらで風のうへなる春のあは雪(慶運法印集)

【通釈】雲も凍る空にあってはしばらくの間消えないで、風の上を吹かれてゆく春の淡雪よ。

【補記】地上に降ればたちまち消えるはかない淡雪。しかし寒空では消えずに風に漂っている。

【参考歌】藤原定家「続後撰集」
うつりあへぬ花の千草にみだれつつ風のうへなる宮城野の露

里梅を

あれはてし難波の里の春風にいまはたおなじ梅が香ぞする(新続古今85)

【通釈】かつては宮都があったというのに、荒れ果ててしまった難波の里――そこを吹く春風には、今も昔と同じ梅の香がすることよ。

【補記】難波はかつて宮都として、また朝廷の湊として栄えた。難波と梅の取り合せは王仁の歌に由来。「いまはたおなじ」は仁徳天皇の聖代と今とで、梅の香に変わりはない、ということであるが、下記元良親王詠の本歌取りでもあり、懐旧の情に恋の風趣も香る。

【本歌】王仁「古今集序」
難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花
  元良親王「後撰集」「百人一首」
わびぬれば今はた同じ難波なる身をつくしても逢はむとぞ思ふ

秋歌の中に

あしがらの山たちかくす霧の上にひとりはれたる富士の白雪(新続古今547)

【通釈】足柄の山々を隠して立ちこめる霧の上に、ひとつだけ抜きん出て、晴れ晴れとそびえる富士の白雪よ。

【補記】「丈を好み」と二条良基に評された慶運の歌人としての資質・風格がよくあらわれた作。

【参考歌】藤原家隆「続後撰集」
朝日さすたかねのみ雪そらはれてたちもおよばぬふじの河霧

初冬

(ははそ)ちる石田(いはた)の小野の朝あらしに山路しぐれて冬は来にけり(慶運百首)

【通釈】柞の葉が散る石田の小野の朝嵐とともに、山道に時雨が降って、冬がやって来たのだ。

【語釈】◇柞 楢・櫟の類。薄紅葉が美しい。◇石田の小野 万葉集由来の山城国の歌枕。京都市伏見区石田(いしだ)から日野にかけての野という。紅葉の名所とされた。

【補記】『慶運法印集』では第三句「朝風に」。

【参考歌】藤原宇合「万葉集」巻九
山科の石田の小野のははそ原見つつか君が山路越ゆらむ

雪朝望

草も木もうづもれはつる雪にこそ中々山はあらはなりけれ(慶運法印集)

【通釈】草も木もすっかり埋め尽した雪によってこそ、山はかえって隠すものがなくなり、あらわな姿を見せるものだなあ。

切恋の心を

夢にだにあひみぬ中を後の世の闇のうつつにまたやしたはん(新続古今1380)

【通釈】夢でさえ逢えない仲だというのに、来世でも暗闇に迷ってまた恋い慕うのだろうか。

【補記】題は「切なる恋」。「闇のうつつ」は古今集の本歌により暗闇の中でのはかない情事を暗示するのが通例であるが、ここでは恋の迷いを闇に喩えて言うか。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
むば玉の闇のうつつはさだかなる夢にいくらもまさらざりけり

野寺帰僧

鐘の(おと)にかへる袂も墨染の夕さびしき野べの(をち)かた(慶運法印集)

【通釈】晩鐘が響き、あたりが墨色に染まる寂しい夕方、野辺の遠方を見れば、帰って行く人の衣も墨染である。

【補記】「墨染の袂」で法衣を指している。

【参考歌】藤原良経「秋篠月清集」
波にたぐふ鐘のおとこそ哀なれ夕さびしき志賀の山でら

寄風空諦

吹く風のめにみぬ色となりにけり花も紅葉もつひにとまらで(慶運法印集)

【通釈】吹く風のように、目に見えない色となってしまったことだ。花も紅葉も美しさをいつまでも留めることなく、遂には風に吹き飛ばされて。

【補記】題は「風に寄する空諦」。「空諦」は、三諦の一つ。全ての存在の根元は空であるとする。

【参考歌】藤原定家「新古今集」
見わたせば花も紅葉もなかりけり浦のとま屋の秋の夕暮
  藤原秀能「新古今集」
ふく風の色こそ見えねたかさごの尾上の松に秋は来にけり

暮春の心を

年々にあかでわかれし名残までかこちそへつる老の春かな(新続古今1659)

【通釈】毎年毎年、満喫しないうちに別れた名残惜しさまで加わり、ひとしお嘆きを深くする、老いの春の暮であるなあ。

【補記】老年における春との別れの悲しみ。余生が残り少ないことは敢えて言表せず、余情を醸し出した。


公開日:平成15年04月06日
最終更新日:平成18年09月18日