本院侍従 ほんいんのじじゅう 生没年未詳

出自等は不詳(『勅撰作者部類』などは左兵衛佐棟梁女とする)。
「本院」に仕えた女房。「本院」は藤原仁善子(時平の娘で、保明親王の妃)を指すかという(岩波新古典大系『後撰集』)。天慶八年(945)に仁善子が没した後、村上天皇の中宮藤原安子、同じく承香殿女御徽子女王などに仕え、この間、藤原伊尹同兼通同朝忠などと恋愛関係にあったらしい。従四位下美作守藤原為昭の妻となり、一子則友を生む(尊卑分脈)。天徳四年(960)内裏歌合に歌を召され、中務と番えられた。歌物語風の家集『本院侍従集』がある。勅撰集入集歌は、後撰集・拾遺集に各一首、新古今集・玉葉集に各二首、新勅撰集に四首など、計十七首。また『一条摂政集』『朝忠集』などにも歌が見える。

堀河関白、文などつかはして、「里はいづくぞ」と問ひ侍りければ

わが宿はそこともなにか(をし)ふべき言はでこそ見め尋ねけりやと(新古1006)

【通釈】私の住む家は何処と、どうしてあなたにお教えしなくてはいけないのでしょう。申し上げなくても、尋ねて来られるかと、うかがっておりましょう。

【語釈】◇堀河関白 忠義公藤原兼通。◇言はでこそ見め… 教えずに、尋ねて来られるか窺いましょう。それによって貴方の誠意が判る、という心。

【補記】兼通の返しは、
わが思ひ空のけぶりとなりぬれば雲ゐながらもなほ尋ねてむ

天徳四年内裏歌合によめる

人しれず逢ふを待つまに恋ひ死なばなににかへつる命とか言はむ(金葉三奏本383)

【通釈】人に知られず、逢える時を待つうちに恋い死にしてしまったら、一体何と引き換えに失った命と言おうか。

【補記】この歌は後拾遺集に平兼盛の作として入集。しかし『天徳四年内裏歌合』では作者を本院侍従とし、金葉集三奏本もこれに従っている。

題しらず

世の中を思ふもくるし思はじと思ふも身には思ひなりけり(玉葉2545)

【通釈】人との仲を思うのも苦しい。かと言って、思うまいと思うことも、自分にとっては苦しい物思いなのだ。

【補記】『本院侍従集』の詞書は「かくてすみ給ふほどに、この女又ひとのぬすみていにければ、をとこいみじうなげき給ひて、女あはれと思ひかくなむいひやりける」とあり、恋人を思いやった歌。しかし玉葉集では雑歌に入れ、世間に関する感慨の歌として読めるようになっている。

【主な派生歌】
思はじと思ふばかりはかなはねば心のそこよ思はれずなれ(*遊義門院[玉葉])


最終更新日:平成16年06月29日