後朱雀天皇 ごすざくてんのう 寛弘六〜寛徳二(1009-1045) 諱:敦良(あつなが)

一条天皇の第三皇子。母は上東門院彰子。親仁親王(後冷泉天皇)・尊仁親王(後三条天皇)・祐子内親王の父。皇后は禎子内親王(三条天皇皇女)。
寛仁元年(1017)、九歳で立太子。長久九年(1036)四月受禅、七月即位。この時二十八歳。長暦元年(1037)、関白藤原頼通の養女嫄子(もとこ)を中宮とする。禎子内親王はこれを恨んで里第に退下した。長暦三年、嫄子が産褥死。寛徳二年(1045)、病のため親仁親王に譲位し、崩御。三十七歳。
後拾遺集初出。勅撰入集九首。『新撰朗詠集』に漢詩句も残す。『後朱雀院御記』がある。荘園整理令を発布するなど、政治の刷新につとめた。

東宮と申しけるとき、故内侍のかみのもとにはじめてつかはしける

ほのかにもしらせてしがな春霞かすみのうちにおもふ心を(後拾遺604)

【通釈】春霞のようにほのかにでも知らせたいものだ。折しも霞のたちこめる中、あなたを思い遣っている心を。

【語釈】◇東宮 後朱雀天皇は寛仁元年(1017)に立太子し、東宮となった。◇故内侍のかみ 藤原道長女、嬉子。親仁親王(後冷泉天皇)の母。

【補記】後拾遺集の恋一巻頭。嬉子は寛仁五年(1021)春に入内。後朱雀天皇十三歳以前の作となる。

陽明門院、皇后宮と申しける時、久しく内に参らせ給はざりければ、五月五日、内よりたてまつらせ給ひける

あやめ草かけし袂のねをたえてさらにこひぢにまどふ頃かな (後拾遺715)

【通釈】袂にかけた菖蒲草の根が切れたので、改めて草を求めて泥の中を踏み迷うこの頃であるよ――あなたとの共寝が絶えてしまったので、一層恋路に迷うこの頃であるよ。

【語釈】◇陽明門院 三条院の皇女、禎子内親王。万寿四年(1027)、東宮妃となり、長元元年(1028)、皇后となる。◇ねをたえて ネは菖蒲の縁語「根」と「寝」を掛ける。すなわち「根が切れて」「共寝が途絶えて」の両義。◇こひぢ 「恋路」に菖蒲の縁語「泥(こひぢ)」を掛ける。◇こひぢにまどふ 恋路に迷う・泥の中を踏み迷う。

【補記】後拾遺集、恋三の巻頭歌。

故中宮うせ給ひての又の年の七月七日、宇治前太政大臣のもとにつかはしける

こぞのけふ別れし星も逢ひぬめりなどたぐひなきわが身なるらん(後拾遺897)

【通釈】去年の今日別れた牽牛織女の星も、今宵は再び逢ったようだ。それなのに、どうして連れ合いが無くて、比類ないほど悲しい我が身なのであろうか。

【語釈】◇故中宮 敦康親王女、嫄子(もとこ)。藤原頼通の養女。長暦三年(1039)八月没。◇宇治前太政大臣 頼通。◇こぞのけふ 去年の七夕の今日。◇星 牽牛織女の二星。◇逢ひぬめり 今夜は逢っている様子だ。◇たぐひなき 掛詞。連れ合いがいない・比類がない(ほど悲しい)。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成18年07月19日