大伴連小手古
おおとものむらじおてこ
生没年
未詳
系譜など
糠手
の子(崇峻紀)。『伴氏系図』は
狭手彦
の子とする。崇峻天皇の妃となり、蜂子皇子・錦代皇女を産む。名は
小手子
・
古氐
古郎女
にも作る。
略伝
崇峻天皇元年(588年)、妃となる。592年、天皇は馬子の配下に暗殺されるが、日本書紀所引の「或本」によれば、これは天皇の寵が衰えたことを怨んだ小手子が馬子のもとに遣った密告に端を発するという。
大伴氏の歴史へ
|
系図へ