大伴連糠手
おおとものむらじぬかて
- 生没年 未詳
- 系譜など 名はあらてと訓む説もある。糠手子にも作る。『古屋家家譜』によれば金村の子で、崇峻天皇の妃小手古(小手子)・頬垂(丸子連の祖)・加爾古(仲丸子連の祖)の父。但し『系図纂要』は糠手を狭手彦の子とする。
- 略伝 敏達天皇12年(583年)、百済から招喚された日羅を吉備の児嶋屯倉で慰労、さらに阿斗の桑市の館(大阪府八尾市。一説に奈良県磯城郡田原本町)に滞在した日羅のもとに出向き、国政を問う。日羅が暗殺されると、難波小郡の西(大阪市北区同心町)に葬る。また日羅の遺族の世話をし、暗殺犯の徳爾らを捕えたという。
大伴氏の歴史へ|系図へ