99.05.18
詠めりて
ふる年に春たちける日、詠める 在原元方
年の内に春は来にけり 一年をこぞとや言はん今年とや言はん
これが「古今和歌集」の最初の歌です。この「詠める」というのは、「詠んだ」という意味ですが、週刊誌を見ていたら変な使われ方がされていた。
万葉の昔より、政治家と歌人は紙一重であった。ちまたに立ち上るかまどの煙に民の暮らしぶりを思い、所信を詠{よ}めりて幾星霜。だから20世紀末も政治家と歌手が、ヒゲ、声、譜面から美空ひばり、都知事選まで語り合うのである。天下御免のかほり、いとおかし。(「サンデー毎日」1999.04.11 p.162)
「詠めりて」なんて言えるんだろうか。いや、言えない。「詠んで」というか、または古文なら「詠みて」というのが正しい。
「サンデー毎日」ともあろうものが、なんでこういう間違いを犯したんでしょうか。
たぶんこういうことだと思います。「詠めり」の「り」は、「〜た」という意味(完了)を表します。活用のしかたは、ちょうど「有り」と同じで、「ら・り・り・る・れ・れ」と変わる。「有り」に「て」を付けると、「有りて」(有って)だ。ということは、「詠めり」に「て」をつけても「詠めりて」だ、と。
ところが、たしかに接続のしかたはそれでいいけれども、完了の意味の「り」に、「て」が付くことはできないんですね。今のことばで言えば、ちょうど「詠んで」というところを「詠んだて」というぐらいおかしい。おおざっぱにいえば、「り」にも「て」にも完了の意味があるから、2つ続ける必要はないのです。
もっとも、この「り」という助動詞は、かなり古い時代から使われにくくなっていたようです。
先に挙げた活用のうち「ら」という形なんかは、「万葉集」に「玉の緒を沫緒(あわを)に搓(よ)りて結べらば」(巻四)などとちょっと出てくるぐらいで、後の時代にはほとんど使われません。「れ」も、「あかねさす日は照らせれど」(巻二)などとありますが、これも古い言い方だ。
後世になると、この「り」は「書けり。」とか、または特に「詠める時」のように限定された形(活用形)でしか使われなくなりました。いわば馴染みがなくなった。そこで、「サンデー毎日」の記者も、わけの分からない使い方をしたのだろうと思います。
追記 記事中の「かほり」も仮名遣いがおかしいのではないかという指摘をいただきました。実は、これは田中真紀子氏と布施明氏との対談記事なのです。だから「シクラメンのかほり」を踏まえているわけです。歴史的仮名遣いはもちろん「かをり」。
▼関連文章=「ナオミという名前」
●この文章は、大幅に加筆訂正して拙著『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波アクティブ新書 2003.06)に収録しました。そちらもどうぞご覧ください。
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