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98.08.23

大江健三郎のことば

 印をつけておいた用例の整理をしています。
 以前に「安部公房のことば」というのをやりました。その伝で、今回は大江健三郎氏の小説から、いくつか「気になることば」を抜き出してみましょう。

(1)すわぶる
「男の子にとってはね」と激しく女子学生はいった。「それ〔胎児〕が殺されたり、育ちつづけたりするのは、私の下腹部の中でなのよ。私は今も、それにしつこく吸わぶられているのよ。傷みたいにそれの痕{あと}が残るのは私によ」(「死者の奢り」1957.08・『死者の奢り・飼育』新潮文庫 p.31)

 このことばはほかにも「ねずみがそれをすわぶりに来たかどうかは判らなかった」(「鳩」)などと出ています。しかし、辞書は取り上げていないものが多い。
 『全国方言辞典』を見ると「なめる。しゃぶる」の意味で、九州や中国地方西部などで使われています。大江氏の故郷・愛媛にもあるようです。どうも、大江氏は愛媛方言と意識せずに、このことばを使ったんじゃないかと思います。
 この「すわぶる」は、「しゃぶる」の元になったことばでしょう。なんだか感じが出ています。

(2)あじあう
男がそれにかまわずかれをつきとばす勢で病院の裏口らしい場所へどんどん連れこんでいったから、痛みをたっぷりあじあうひまさえないのだ。(「鳥」1958.03・『見るまえに跳べ』新潮文庫 p.193)

 ふつうは「味わう」なのですが、一般的には、たまに「味わわない」などの場合、「わわ」という重複をきらってか「味あわない」の形が出ることがあります。それが終止形にも拡張されると「味あう」になる。
 大江氏はほかでは「酸っぱくねばねばした胃液のようなものをあじあわせ」(「洪水はわが魂に及び」)のようにも使っていますが、終止形でどれぐらい出てくるかはちょっと分かりません。
 「味わう」も使っていて、「むずがゆい感覚を、暫く味わっていた」(「他人の足」)などと出てきます。

(3)つむぐ
しかし、このきわめて鄭重{ていちょう}な修辞家が口をつむぐと、犀吉は好ましい率直さで、こういい、結局は、鷹子との心理的なゲームの趨勢{すうせい}を逆転して自分らしい試合運びにしてしまった。(『日常生活の冒険』1964.04・新潮文庫 p.315)

 これは「つぐむ(噤)」をうっかり間違ったんだろうという気がしました。「つむぐ」は「糸を紡ぐ」というときに使うのじゃないか。
 でも、念のために調べてみると、江戸時代の浄瑠璃などで「歯を食いしばって口つむぎ」などと出ていて、歴史的には存在することばのようです。
 「茶釜」を「ちゃまが」、「体」を「かだら」というような、音韻転倒の一例でしょう。

(4)もよおわせる
スーパー・マーケットの前を通りすぎる時、僕は漠然とした異和感をもよおわせる気懸りな光景を見た。今やスーパー・マーケットは、戦車みたいに黄と青灰色の迷彩をほどこした大扉で閉ざされていたが、その軒端に「在」から出かけてきた数人の農婦たちが、それぞれ申しあわせたようにひとりずつ幼児をつれてじっと佇{たたず}んでいるのである。(『万延元年のフットボール』1967.09・講談社文芸文庫 p.271)

 ここは「催(もよお)させる」でいいと思います。「もよおう」ということばはないでしょう。どういう心理からこの語形が生まれたんでしょうか。「ただよわせる」などからの類推でしょうか。

(5)ねやさびしい
そこで僕が、女流詩人のふるまいこそ人助けそのものであって、あなたがそのように軽蔑をこめて非難することではあるまいと応答することを予期してであろうが、老女は、なぜあの色情狂女が毒薬をぬすんで逃げ廻ったのかといえば、それはただ閨寂{ネヤサビ}シクナルからだ、あのアメリカ人に死なれてしまっては! と古風な言葉を持ちだした。(「月の男」『みずから我が涙をぬぐいたまう日』講談社学芸文庫 p.150)

 「古風な」とありますが、「ねやさびしい」は知らなかった(追記参照)。『日本国語大辞典』にも立項されていません。しかし、「ねや」の例文として、歌舞伎の「傾城浜真砂」から「閨(ネヤ)淋しう暮してゐるが」の例があります。
 いわゆる「孤閨をかこつ」ということで、一人で寝て寂しい思いをするということですね。上記の大江氏の例では女性、歌舞伎の例では、男性について言っています。
 まだ、いろいろ面白い例を拾っていますが、残りは後のために取っておくことにします。


追記 OG3氏より、海音寺潮五郎の文章「源頼義」(講談社文庫『史談と史論(下)』p.291)にある「ねやさびしい」の用例をご教示いただきました(文庫も古本屋で入手)。そこでは「古事談」の伝える話として、

 頼義の生母がある宮仕えをしていた女房であったことはすでに書いたが、頼義を生んだあと、頼信はその女房に秋風を立てて通わなくなった。女房は閨{ねや}さびしく思っていたところ、自分の召しつかっている端下女{はしため}のところに通って来る男がいるのを知って、端下女に、
「われが夫をまろに借せよ」
 と言って、その男をおのれのへやに引き入れて枕をかわし、やがて子供を生んだ。

と記してあります。「古事談」にも「ねやさびしい」が使われているのかどうかは未見です。(2000.08.14)

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