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01.05.31

頭中将にあだ名をつけよう

 源氏物語に出てくる主要な登場人物には、たいていあだ名が付いています。
 たとえば主人公は、源のなんとかというきちんとした名前があるのですが、文中では「光る源氏」「光る君」「源氏の光る君」などと言われています。高麗の占い師(相人)が、少年の源氏の美しい容貌をたたえて奉ったということです。

 登場人物の呼ばれ方を分類してみると、だいたい次のようになるでしょう。

1 作品中に実名を記述(例少なし)
・貴人に付き従う立場の者の名
 例、惟光(源氏の乳母の子) 時方(匂宮の従者)など
・童の名
 例、あてき いぬき こもき など

2 住む場所、部屋の名、長幼の序列などで特定
 例、桐壷更衣 弘徽殿女御 藤壷中宮 六条御息所 明石君 女三宮 大君中君(宇治の姉妹)など

3 作者自らがあだ名をつける
 例、光源氏 空蝉(「かの空蝉のあさましくつれなきを」) 夕顔(「飽かざりし夕顔をつゆ忘れたまはず」) 紫上(「紫のゆかり」) 末摘花(「かの末摘花の言ふかひなかりし」) 花散里(「花散里の心細げに思して」) 真木柱(「かの真木柱の姫君を得て」) 匂宮(「匂ふ兵部卿 薫る中将」)など

4 後世の人があだ名をつける
(4-a)巻の名、和歌にちなむ
 例、桐壷帝 朧月夜 葵上 夕霧 雲居雁 玉鬘 柏木 落葉宮 浮舟など
(4-b)エピソードにちなむ
 例、秋好中宮(春よりも秋を好んだ) 蛍宮(暗闇で蛍を飛ばして女性の顔を見た) 髭黒大将(「色黒くひげがちに見えて」と書かれていることから)など

 このようなあだ名が必要なのには、理由があります。
 出ずっぱりの登場人物たちは、地位や官職がどんどん変わって行きます。たとえば光源氏の場合、「中将の君・宰相の君・大将の君・大臣の君・大殿」などと呼び名が変わりますから、「光源氏」というあだ名がなければ、人物を同定することができなくなってしまいます。
 「ほらあの、昔中将で、それから宰相になって、大将になって、しまいに准太上天皇になった人」
 などと言っていたのでは、源氏物語について話すことはできません。

 ところがここに、主要登場人物で、しかも光源氏の親友でありながら、特定の呼び名で呼ぶことが難しい人がいます。
 だれあろう、左大臣家の長男で、初めに「蔵人少将」として登場し、夕顔巻では「頭中将(とうのちゅうじょう)」として出てくるあの人物です。
 頭中将、ご存じですね。高校の古文の時間に習うと思います。教科書では「頭中将」なのですが、この人は、いつまでもその地位にとどまっているわけではありません。加階にしたがって、「宰相中将・権中納言・中納言・右大将・内大臣・太政大臣」などと呼び名が変わり、引退して「致仕の大臣」と呼ばれます。
 かりに、課長だった人が部長になり、社長になったのに、その人をまだ「課長」と呼ぶとすれば、失礼でしょう。それと同じで、いつまでも「頭中将」では、彼も不愉快に決まっています。
 こういうとき、他の登場人物ならば、上の(4)に挙げたように後世の人があだ名をつけるところですが、彼に限ってはあだ名がないのです。

 その理由のひとつは、彼が、作品中で語られる恋愛話の当事者になっていないからだろうと思います。たしかに、彼自身の思い出話として恋愛譚が語られるといったようなことはありますが(愛人夕顔に玉鬘という娘を生ませている)、むしろ、夕霧と雲居雁の恋愛を邪魔したりして、どちらかといえば不粋な登場人物です。源氏物語の読者は、そういう人にはあだ名を付けたがらなかった。

 とはいえ、作品中にずっと顔を出しているのですから、一貫した名前がなければ、やはり不便ですね。何かひとつ、いいあだ名を彼につけてあげましょう。
 僕が考えているのは、「和琴(わごん)」というあだ名です。和琴とは、日本風の六絃の琴。彼はこの楽器を演奏するのが得意でした。つまり、彼のエピソードにちなんだ呼び名で、上の分類では(4-b)にあたります。
 「少女」の巻では、彼が和琴を弾く場面があり、「乱れてかい弾きたまへる、いとおもしろし」と書かれています。
 また、「常夏」の巻では、光源氏が、「ただ今はこの内大臣になずらふ人なしかし」(今では内大臣にかなう人はいないよね)と彼の演奏を評しています。ここで「内大臣」とは、僕のいう「和琴」氏のことです。
 「若菜上」の巻では、彼の秘蔵の和琴を息子の柏木が弾く場面があり、

父大臣は、琴の緒もいとゆるに張りて、いたう下して調べ、響き多く合はせてぞかき鳴らしたまふ。これは、いとわららかに上る音(ね)の、なつかしく愛敬づきたるを、いとかうしもは聞こえざりしを、と親王たちも驚きたまふ。

(父は、琴の糸もゆるく張って、かなり低い音で弾き、余韻を長く響き合わせる奏法を用いた。息子の琴は、陽気な高い音で親しみやすく、「これほどの腕前とは聞いていなかったが」と親王たちは驚いた。)

と、父子の琴の奏法が対比的に記されています。和琴のうまいのは家系ということになりますが、息子のほうは「柏木」というあだ名がもうあるので、「和琴」はお父さんにつけてあげてもいいのではないでしょうか。

(2002.09.13 改稿)



追記 沼倉さんという方から、「蹴鞠」というあだ名ではどうかというご提案をいただきました。「和琴」は、ちょっと彼にはみやびすぎるのでは、ということです。たしかに、そうかもしれません。
 「若菜上」の巻で、源氏が
 「太政大臣の、よろづのことにたち並びて勝負の定めしたまひし中に、鞠なんえ及ばずなりにし」(いろんなことで競争し、勝負をしかけられた中で、鞠だけは彼に勝てなかった)
 と発言するところがあります。「彼」は、蹴鞠も上手だったのですね。
 なお、沼倉さんは
 「蹴鞠の場合、実際に彼がプレイしているシーンがないのは弱いところではありますが……」
 とおっしゃっており、この点をどう評価するかが問題となりそうです。(2002.04.23)

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