タイ5



(ネパール編から)

1.ここはもうタイ(カトマンズ→バンコク、12月19日)

 話しは前後してしまうが、搭乗すると乗務員達の顔を見てなつかしく感じた。 東南アジアを旅行した時は感じなかったが西から戻ると彼らの顔が日本人にとても似ているように感じた。

 搭乗してから念のために毛布を借りに乗務員の詰所に行った。 スチュワーデスに毛布のことを話すと彼女は「暖かいのに」と思ったのか笑いながら探した。 この辺はタイ人。 日本人なら「人の不幸を笑いやがって!」となるが彼女は私の気を悪くさせるつもりは全くない。 ただ単に自分がおかしいと思ったから笑ったのだ。 彼女は私の所にすぐ毛布を持ってきて「寒いの?気を付けてね!」と言って持ち場に戻った。 彼女は気取った所が無いいい人らしい。

 私の近所を担当した若いスチュワーデスは一部のタイ人にいがちなやる気が無い人だった。 大抵の乗務員は自分の持ち場の通路を通る時は急いでない限り客席の様子を見ながら通るが彼女はそれさっさと通過した。 私の毛布を見た近所の台湾人のおばさんたちが自分達も借りようと「小姐!」と呼び止めた。 通じなかったこともあったのかもしれないが彼女は何事も無かった様にさっさと通過した。
 一番傑作だったのは食事の配膳の時だった。 彼女は自分の持ち場の端まで行かないで途中から配膳を始めようとしたが、後ろにいた先輩スチュワーデスからさんざん「ダメ!」と言われて服を引っ張られてやっと端まで行った。

 乗客にタイ人は見なかったがそんな乗務員たちを見てもうここはタイと思った。

 結局1時間くらい遅れて午後6時ころ、暗くなったドンムアン空港にTG320は着陸した。
 イミグレーションで並んでいると日本からの直行便か?社員旅行らしい団体がいた。 彼らは私のことをどう思っているのだろうか?
 所定の審査を終えてカードでキャッシングしてからエアポートバス乗り場へ向かった。 バンコクの保険会社と提携していた病院は病室が中級ホテル並みに快適でなおかつ日本の衛星放送、三度の食事は上げ膳据膳でしかも費用のほとんどは保険会社持ちと入院すると快適な生活が送れる。 機内にいた時まではそのまま病院へ直行などと考えていたが、暖房が効いて暖かい機内ではその必要は無さそうに感じた。 むしろ変な時間に病院を出されて宿探しに苦労するデメリットを思い付いた。

 エアポートバスから見た車窓は先進国の大都市だった。 高速道路に超高層ビルとカトマンズではお目にかかれない近代的なものが見えた。 高速道路から降りて町中を走ると至る所に屋台が出ていて活況を呈していた。 中国では「精神文明建設」以降屋台は一掃され、他の国でもなくなりつつある。 世界で一番屋台が楽しめるのはバンコクかもしれない。

 外国人向け宿街カオサンに着いてから宿探しに移った。 なんだか分らない病気だったのでバンコクではなじみにしていた相部屋の「出会いの広場」は止めにして去年は日本人で賑わっていたGreen House(S150B、潜水艦の船室みたいに狭かったので2泊して騒々しいがトイレ/シャワー付きの250Bの部屋へ移る)に荷物を置いた。

2.今度の病気は?(バンコク、12月20日)

 バンコク到着の翌日、朝食の後に病院へ向かった。 1階の玄関でキョロキョロしていると笑顔の若い女性が近づいてきて「日本の方ですか? でしたら2階へお越しください。」と丁寧に案内してくれた。
 2階には日本人用の窓口があってそこで受付。 ネパールでは鼻の病気と言われたのでまず耳鼻科で診察してもらってから問題なければ内科あたりで診察してもらうことを考えた。

 耳鼻科の診察室には私と同じ歳くらいの若い医師と通訳の人がいた。 ネパールの医師が書いた診断書を見せて症状を説明するとDr.は鼻、耳、喉を見て「お酒と水泳はダメです。」と言った。 それから薬の説明をして終わった。 最後に病気のことを聞くと「蓄膿症」だそうだ。 ネパールでの震えは症状の一つだそうだ。 まだ程度が悪くなかったので投薬のみの治療で済むとのこと。

 薬の受け取り、会計で待っていると中国語の新聞を読んでいた人がいた。 華人が診察に来ているらしい。 他にも西洋人、タイ在住のインド人も見かけた。

 宿の部屋が騒々しかったのと夜は暑くて寝苦しかったのもあるが最初のうちは頭痛や体のだるさが残った。 薬が効いてきたのか3日くらいでかなり症状が良くなった。

3.新たなる味を求めて(バンコク、12月20日〜1月16日)

 前回バンコクにいたときの食事は宿の同じ部屋の旅行者と似たような外国人向け食堂や屋台ばかり行っていた。 今回は一人だったので気が向いた所に入って食事をした。 カオサンは次第に西洋人むけの現地の物価とくらべて値段が高いカフェやインド人ならともかくファッションでやっている感じがする西洋人菜食主義者むけの「Vegetarian」という看板が増えてきている。 それでもカオサンはもともとタイ人の下町。 意外といろんな食堂や屋台がある。

 タイで一般的な細い米粉、「センミー」には店によって具が違っていた。 南方の中華の流れをくむ魚肉のダンゴ、豚肉のダンゴ、チャーシューにワンタンと様々。 今回初めて食べたのは魚肉で作った皮に豚肉を包んだワンタンのようなものだった。 大陸同様凝っている。 イスラム教徒の店では魚の他に牛肉、鶏肉が具になる。

 マレーシアやシンガポールではおなじみの「海南鶏飯」チキンライスもここバンコクには意外と多いことがわかった。 小さいお椀に入ったスープと小皿に入った唐辛子の入ったタレもマレーシアのものと変りない。
 昼間賑わう通りの横の路地にある屋台では南アジアやミャンマーでおなじみの鶏肉を添えたちょっぴりスパイシーな炊き込み御飯「ブリヤーニ」を見つけた。 小皿に酢に漬かった青唐辛子のタレはタイらしい。 ちなみにこの屋台はイスラム教徒のものらしく、壁にアラビア文字で書かれたお盆のようなものが掛かっていた。

 カオサンからやや北に離れた下町には鶏の照焼きが載ったチキンライスがあった。 見かけ通りうまかった。 照焼きが具の麺もおいしそうだった。 店の若い女の店員はカオサンにあまりいない愛想のいい人だった。 近所の甘味屋台のおばさんに数少ない知っていたタイ語で値段を聞くと「あら、タイ語はなせるの?」らしいことを言ってうれしそうだった。 そんな素朴な所がまだバンコクにあるのだ。

 数年来の旅仲間コニちゃんがカンボジア旅行のためにバンコクに立ち寄った時、バンコクの中華街でごちそうになった。 ここには香港でおなじみの点心、大陸南方や台湾でおなじみ具沢山のちまき、暖めた甘辛い生姜タレをかけた豆腐のデザートとカオサンより豊富だった。 カオサンでも暖めた豆乳のデザートがあった。 冷たいものは体に良くないという中国人ならではの発想がデザートにも生きている。

 2回目の診察の時に辛いものは食べられるか?という質問をすると通訳の人は当たり前のことを聞くなという顔をして「大丈夫です。」と言われた。 以来、タイおなじみの辛いものにも挑戦している。 辛いものを食べてから額の汗を拭いてタイおなじみの3つ具を選べるかき氷のデザートを食べると涼しくなる。 タイ人の生活の知恵だ。

4.死んでもらいます(バンコク、1月7日)

 薬のお陰で具合がよくなり、部屋に慣れつつあった時再び眠れない問題が発生した。 部屋にやってくるアリがベットに上がり込んで人の体を噛むのだ。 虫刺されはダニかと思って寝袋を敷いてねたが効果が無い。 アリは最初は食べ物にたかるだけだったが次第に大胆に噛むようになってくるのがわかった。

 宿の人は併設のマッサージの営業で頭が一杯、宿はついでにやっているというのがわかっていたので当てにならない。 自分で解決するしかない。
 積極的にやりたいことではないが、睡眠を妨げられては仕方ない。 スーパーで日本製「アリの巣コロリ」を買って部屋に置いてみた。
 学生時代にいた部屋にも最初の頃はアリにたかられて困っていた。 そこでこの薬を買って部屋に置いてみるとアリが列を作って薬を持ち帰った。 エサだと思った薬を巣に持ち帰ると巣にいるアリが全滅するというのがセールスポイントで事実部屋に薬を置いてからアリは姿を見せなくなった。 使い方を誤ると生態系に係わる劇薬らしい。

 同じ効果を期待したが、部屋に薬を置いてから外出して戻ってみると全く薬に関心が無いアリがいることが分った。 ベットに相変わらずはびこっている所を見るとこのアリが噛む種類らしい。 製薬会社は日本のアリだけで試してみたのか?タイでは全てのアリに効くわけではないらしい。
 スーパーの同じコーナーでアリが体に触れただけで殺すことが出来るという薬があることを知っていたのでそれを買ってみた。 その薬は教室でおなじみのチョーク状に固めたもので、アリの通過する所に線を引くように書いて散布するものだ。 英語の説明通り使ってみるとアリが苦しみだして動かなくなった。 これは効くらしい。 ベットに残党がいたが、うろついている所に薬を散布するとアリはいなくなった。

 戦争は私の勝ち、とりあえずアリの害から身を守ることができた。

5.タイ人の穏やかな休日(バンコク、1月7日)

 中国の動物園で人民の態度を見て以来、動物園に行くことが楽しみの一つになった。

 バンコクの動物園はカオサンからバスですぐの所にあることが地図でわかっていたので、年明け最初の日曜日1月7日に行ってみた。
 入場料は大人30B、学生10Bでお金は惜いとういわけではなかったがカオサンで作った偽学生証を試しに使ってみた。 窓口の人は「タイの学校に通っている人だけですよ。」と言った。 さすがにバンコクでは使えないらしい。

 昼食後に行ったので昼寝が好きなタイ人がいるかどうか心配だったが中に入ると予想に反して賑わっていた。 中には小さな遊園地、足漕ぎボートが浮かんでいた大きな池もあって動物園というより総合的な公園といった感じだった。 木が多いので昼間でも楽しめるようになっていた。 木陰の芝生では家族連れがゴザを敷いてお弁当を食べたり、昼寝をしていた。 タイ人に「昼寝をするな」と言えないだろう。 なにせ昼間のデパートでさえ店員が堂々と昼寝をしているのだ。

 思ったより動物園は整備されていた。 象はお客が近づけられない様に堀があって電線が引いてあった。 それでも人気の象のおりには子供連れが多く、記念撮影もしていた。 ライオンやトラのおりは周囲に低い木が植えてあった。 猛獣達は暑いのでみんな横になって昼寝していた。 穏やかなタイ人は人民みたいに彼らに対して威嚇することはなかった。 ダチョウやカバには人民ほど騒々しくないがお客がエサをあげていた。 サルのオリでは禁止されていたがここでは黙認なのか?
 サル山のチンパンジーは子供は活発に動き回っていたが、大人は木陰で昼寝と人間みたいだった。

 面白かったのは屋内展示だった。 園内併設の博物館にはエコロジーを訴える環境破壊の展示があった。 「Norway Ratt」という大型のネズミの剥製があったが、欧州からの渡来動物だろうか? また、サイを保護するための募金箱には募金すると「こんにちは!・・・・・有り難うございました。」と協力を感謝するらしいテープが流れた。 他にタイの淡水魚のコーナーもあり、児童や学生の教育にはいいだろう。
 夜行動物の展示館も面白かった。 オーストラリアの動物に似たものが多く、一応照明を落としているのだがほとんどの動物は昼寝をしていた。 その中で山猫は活発だった。 3匹いたが、2匹はおっかけっこをしたりじゃれあったりしていた。
 タイは熱帯だけあってヘビ、ワニ、トカゲ、亀など爬虫類の展示が多かった。 なぜかタイ人はヘビと記念撮影をする人が多かった。
 御利益があるのだろうか?
 

6.男から女へ(バンコク、1月10日)

 この日で病院へは3度目の診察だった。 結局、ドクターから「大丈夫!もう来なくてもいい。」とのお言葉を頂きインドへ再び向かう事ができた。 このドクターは山が好きな人らしく、ネパールの事を2回目の診察の後に色々質問された。 社会人の時に北海道や九州での旅行で国籍を問わず良く「医学生」と会う事があった。 彼らは登山、自転車とアクティブなことをしていた。 当然、現役の方々も同じ事が好きなのだろう。

 帰りにパンフレットが置いてある所があったので何気なく見ていると性転換手術についてのものがあった。 私自身、その手術をするつもりはないがどういうことか知りたかったので一つ持ち帰った。 内容は誰が手術が必要なのか?手術の方法に手術後どうなるかを説明してあった。 専門的なことは知らないのでここで記述する事はできないが、タイらしい話しと思った。
 日本では考えられないことだが、タイには性転換手術をしたのか知らないが女装した男性がごく自然に生活しているところを見る事ができる。 その辺はタイのおおらかな国民性だろうか?女性が強すぎるからだろうか?

7.食への執念(バンコク、1月14日)

 コニちゃんと食事をした夜の中華街の雰囲気が面白かったので再び訪れる事にした。
 歩き回っているといろんなものを見る事ができた。 道の脇で坐っている化粧の濃い女性、アダルトビデオにVCD、タイ人らしい男女が絡み合っている写真集を売っている露店、仏像のペンダントを売る露店、街角カラオケ、タイ東北地方の料理の屋台、海鮮料理のレストランなどなどいろんなものが盛りだくさんだった。 もちろん、中華料理の屋台もたくさんあった。
 最近のバンコクは路上の屋台を排除しようとしているが、ここではそんなことはお構いなしだ。 役所から見れば屋台は管理が難しいので排除してイメージアップを計りたいところだが、シンガポールの集合住宅やビルの1階にあるホーカースの様に都市計画に組み込んで管理することも可能である。

 しかし、シンガポールがそこまでして屋台を残した理由として考えられることがある。 華人、漢人は上のクラスの人達でも屋台の存在を無視しないでおいしかったら利用しているらしいということだ。 事実、中国の西安では携帯電話を持った中産階級らしい人が屋台のおいしい鍋焼き米粉を食べていた。 バンコクの中華街でも甘味屋台で生姜の甘いタレに漬かったおいしい胡麻ダンゴを身なりがいいおじさんとおばさんがたくさん持ち帰りで買っていた。
 形式にこだわらずにただ「おいしいもの」を追求する華人、漢人の食に対する執念を感じる。

8.花が好き!(バンコク、1月14日)

 夜の中華街を楽しんだ後、バスで宿のあるカオサンへと向かった。 10時をまわっていたが、若い女性の車掌が業務をしていた。 彼女は日本人がイメージしている濃い顔のマレー系ではなく、浅黒いが我々の様に目が細いラオスやカンボジアに多そうな顔つきだった。 タイ東北地方の出身だろうか?
 バスは「メナム」とも呼ばれるバンコクの町を貫くチャオプラヤー川に沿って進んでいた。 途中、辺りが急に明るくなり花の市場の中をバスは通過する。 ここも非常に活気がある町だ。 タイ各地からだろうか? 様々な花が山積みになって売られていた。 駐車していたトラックが多いのでこの辺の道は少し渋滞していた。

 突然、車掌が駆け足で降りていった。 「無賃乗車を追いかけたのだろうか?大変な仕事だな」と思っていたら、しばらくたってから車掌は満面の笑みを浮かべ、大きな花束を持ってバスに戻った。
 ただ単に仕事中に買い物をしただけだった。 食べ物ならあきれたところだが、花というのは微笑ましい。 彼女が花を買った理由はわからないが、ただ好きなだけかもしれない。 そうだとしたら彼女は人生を楽しむタイ人なのだろう。

9.再びインドへ!(バンコク、1月16日)

 ネパールからバンコクへ飛んだ理由の蓄膿症は治ったし、ビザ切れが間近だったので再びインドの旅を始めるために3回目の診察の後に早速チケットの手配をした。
 日本人は空港で30日のビザなら簡単にもらえるがそれ以上になるとタイ入国前にタイ政府の在外公館でビザの申請をするか、マレーシアなど隣国に一旦出てから再入国しなければならない。 一応病み上がりなのでタイ南部のビーチ・リゾートかピマーイ、スコタイなど遺跡のある小さな町で数日間滞在しても良かったのだがタイから出られなくなる恐れがある。

 チケットの手配は今回は日本人旅行者の間で手堅い人気のカオサンにあるIBSでお願いした。 航空会社は安いビーマン・バングラデシュ航空にした。 なぜ安いかというともともとバングラの首都ダッカで1泊トランジットがある上、遅れることも多いからだそうだ。 私は2〜3日の違いは誤差のうちなので気にならないがビジネスマンではそうはいかないだろう。

 当日、空港のカウンターで手続きを待っていると荷物の多いインド人のような風貌の男達がいた。 バングラの人達らしい。 チェックインして搭乗待合室で待っていると今度はいかにも時間を気にしない旅行者らしい西洋人と日本人らしい東洋系の人がちらほら現れた。 皆、インドまでなのだろうか?
 出発時間の30分前ころにどこかからやってきたらしいダッカ行きの飛行機が到着したので噂通り遅れた。 でも1時間くらいなら国際線では珍しくない。 結局、どのくらいか忘れたが、気にならないくらいの遅れでとりあえず搭乗できた。

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