インド東部



(タイ5編から)

番外編1.飛行機というよりも・・(バンコク→ダッカ、1月16日)

 バングラデシュは回教徒の国というイメージがあったが、搭乗すると意外にも女性乗務員が多かった。 ヒンドゥーなど他の宗教の人なのだろうか?
 機内には既に前の出発地からの乗客がいた。 指定の座席にたどり着くとバングラらしい人が座っていた。 他の席も似たような感じで適当に座っていたらしい。 座席の事でもめると近くにいる人達が立ちあがってああだこうだと言い合っていた。 なんだかバスか鉄道みたいだ。

 2時間後にダッカの空港に着陸すると飛行機が止まる前にバングラの乗客は荷物を持って降りる支度をしていた。 そんな所も飛行機らしくない。
 蚊が飛び回っていた空港のトランジットルームも荷物を持った家族連れがソファーに横になっていて空港というより鉄道駅かバスターミナルみたいだ。 私から見ると飛行機は仕事かたまに旅行で使うので「特別な乗り物」というイメージがあるので日常的なバスとは違った感じがする。 バングラの人達にとって飛行機もバスも一緒なのだろうか?

 さて、乗り換えのための手続きは航空券を係員に見せてパスポートを預けて引き換えにトランジットのためのホテル名が書いてあるプラスチックの札をもらうというものだった。 翌日の搭乗便によって宿を振り分けているらしい。
 トランジットルームでテレビを見て待っていると声が掛かった。 イミグレーションを手続き無しで通って空港の外に出てマイクロバスに乗ってホテルへ向かった。 トランジットホテルというと空港の敷地内にあってイミグレーションで入国手続きをせずに空港で滞在するのだと思っていたが実際は入国手続きをしたのと同じになってしまった。
 ホテルは中級で、テレビ・ホットシャワー付きのツインを日本人旅行者と一緒に使った。 宿泊費、朝昼の食事代は航空会社持ちだったが、従業員がチップを要求したのにはまいった。 こちらはバングラに入国する意志はないので現地通貨は一切持ってないのだ。
 テレビを見ると、地元の放送とインドの衛星放送が入っていた。 今はどこも衛星を使った国際的なマルチチャンネル時代らしい。

番外編2.埃まみれの高級住宅地(ダッカ、1月17日)

 ダッカからの便は夜発だったので、この日は夕方までホテルにいなければならなかった。 深夜のチェックインだったので午前中は部屋でのんびりして、昼食時に他のトランジットの人から外の様子を聞いて午後に同じ部屋の旅行者と外出する事にした。

 外は時期的に乾燥していることと、幹線道路に沿っている事からホコリが立ち込めていた。 見た所、車は日本の中古ばかりらしい。 日本なら車検で部品交換するところだが、そんな金がかかる事はしそうにないので排気ガスが出やすいのだろう。
 夜に移動したので外の様子がわからなかったが、どうやらダッカ郊外の外国人も住んでいる高級住宅地らしく小奇麗な住宅やスーパーマーケット、ATMがある香港上海銀行など外資系銀行まであった。 それでも路上で生活している人や貧しそうな人達も大勢いた。

 観光資源が少ない国なので外国人旅行者が少なく土地の人に珍しがられるらしい。 外国人を見ると行動の一つ一つを観察してその度に大騒ぎするという噂があったが、外国人もいる地域なので珍しそうにじーっと見ているだけにとどまっていた。

 夜に空港で手続きをして昨日と同じトランジットルームで蚊をたたきながら待っていた。 昨日はエアバスだったが今度はフォッカーF28というなじみの無い機材で、ひょっとしたらプロペラかと思ったが100人くらいは搭乗できそうな中型ジェット機だった。

 機内に入ると、空港でも飛び回っていた蚊まで「搭乗」していた。 これはインド側の検疫で問題にならないのだろうか?

1.ここでも辛い部屋捜し(カルカッタ、1月17〜22日)

 カルカッタの空港で入国手続き後に同じ便に搭乗していた日本人旅行者3人と割り勘でタクシーに乗って外国人向け宿が多いサダルストリートへ向かった。 乗用車は例の「アンバサダー」ばかりだった。 カルカッタは人口1,200万と人口ではインド第二の都市だがそれほど豊かな町ではないのだろうか? 市街地に入るととにかく人と車が多かった。 また、大気汚染がかなり深刻らしく所によっては排気ガスで霞んでいた。 後日、外出してから宿に戻って鼻をかむと紙が真っ黒になっていた。

 サダルストリートは意外と狭く、西洋かぶれしているバンコクのカオサンと比べると地味で暗かった。 外国人向けで価格の安い所はサルベーションアーミー、マリア、パラゴンなどと限られていて既に9時をまわっていたのでどこも満室だった。 客引きが控えていたので彼らを無視して探し回ったが200Rs以下の部屋は見つからなかった。(実は75Rsのドミトリーで空きがあるところがあったが・・・。 修行不足だった。)
 仕方なく、客引きの案内で300Rsの個室にチェックインした。(Biman Lodge) ホットシャワー、テレビ付きだが受け付けに近いので騒々しく、窓の無い薄汚い部屋だった。
 テレビを見るとインドだけでなくバングラ、ドイツ、フランスになぜか中国中央電視台CCTVの4チャンネルまで入っていた。 中国人の利用が多いのだろうか? ところが、利用の多いはずの日本人向けNHKの衛星放送は入ってなかった。 インド洋に中継所がないのだろうか?

 客引きによると、バングラデシュの人達と旅行者が集中するので年がら年中部屋不足らしい。 翌日、受付で預かっていたパスポートの束はバングラのものばかりだった。

 翌朝にホテルパラゴンへ向かうと受け付けで「空きが出るから待っていろ。」と言われた。 受付のそばに衝立てをはさんで椅子とテーブルがあって宿泊者がくつろげるスペースになっていた。 そこで待っていると意外な邪魔が入った。 宿泊している暇な日本人が暇な奴と思い込んで長々と話し掛けるのだ。 その日はチェックアウトする人が多かったが、おかげで60Rsのドミトリーが取れずに条件の悪い道路のそばの狭い個室(140Rs)になってしまった。
 その翌日、翌々日もドミトリーに空きがでない日が続いた。 その代わりに受付の隣りだが料金は同じで広めの個室があいたのでそちらへ移動した。

 人の出入りが多い大都市の宿探しはどこも大変だ。

2.まさか!の人達(カルカッタ、1月20日)

 宿の近くに「インドで一番古い博物館」とガイドブック「地球の歩き方・インド編」で紹介されているインド博物館があるので行ってみた。 ガイドブックの一昨年のデータで外国人50Rsともともと入場料が高かったが、150Rsとなっていた。 学生料金の設定がないのでバンコクで作った偽学生証は役に立たなかった。

 中に入って1階を時計周りで進むと地学関係の展示だった。 入場料はインド人料金でも庶民にとっては高いらしく、中流以上の身なりのいい人達が多かった。 土曜日だったので家族連れが多く、お父さんが子供に展示の解説をしている微笑ましい姿を見かけた。
 展示は他に遺跡からの出土品、動植物に象牙細工、布地など工芸品と盛りだくさんだった。 デリーの国立博物館でもインド北東部の少数民族関係のみの展示があったが、ここではインド各地域や少数民族の伝統的な衣装、生活用品の展示が多く、面白かった。

 民俗関係のフロアに入って左の一番手前にはインドネシアのスマトラ島の北西部に浮かぶニコバル諸島のNicobareseの展示があった。 衣装や人形の顔つきがインドネシアの人々を思い出させる。 右の一番手前には驚くべき展示があった。
 なんと、腰に蓑をまとっただけの黒人の裸族の人形が展示されていた。 彼らはニコバル諸島の北、ミャンマーの南に浮かぶアンダマン諸島の一部にいるOngeというグループだ。 昔、アフリカからインド洋を越えてアンダマンまで流れ着いたのだろうか? インドは肌の色、顔つきなど地域によって異なり、ガンジス沿いのヨーロッパ系、北部、東北部のモンゴロイド、色黒で鼻が低いドラビタなど様々な人達がいることは知っていたがまさかアフリカ系の人達までいるとは思わなかった。

 他に面白かったのは産業のフロアで農産物の原材料や加工の様子が展示してあった。 写真でのキノコ栽培の展示が意外だった。 インドの人もキノコを食べるということだろう。 どうやって食べるか気になった。
 後日、何気なく入った高級ベーカリーでキノコと鶏肉のパイを見つけた。 食べてみるとマサラ(カレー)風味だった。 なんでもマサラ風味にしないと気が済まないのだろうか?

3.近くで見よう!カルカッタの休日(カルカッタ、1月21日)

 インド人は動物園で何をするか?が気になっていた。 デリーでは体調が悪くて寝込んでいたので果たせなかったが、丁度カルカッタにいるうちに日曜日になったので動物園へと行ってみた。

 入場料が国籍問わず5Rsという料金のせいか?園内はとても混み合っていた。 とはいえ芝生では家族連れが、乾燥している時期でほこりっぽいにもかかわらず敷物を敷いて昼食を食べていた。
 インド人は家族の数が多いらしく、一つのグループが10人以上というのは珍しくなかった。 中流家庭らしいこざっぱりした服装の人達は3〜4人くらいでおとなしく花の前で記念撮影をしていたが、庶民は大勢で楽しそうにかつ賑やかに記念撮影をしていた。 見ている方も楽しくなってしまう。
 インディラ・ガンジーが首相の時代に産児制限を行ったが結局政府に強行するだけの力が無く、国民の理解が得られなかったので出産が無制限状態になっているようだ。 一方、中流以上の家庭は30年前の日本同様一家庭に子供は2人くらいでその分養育費にお金をかけているそうだ。

 園内は広くて動物の種類が多かった。 インドの動物の他にも南アフリカなど旧英連邦の国の動物も展示されていた。 お客のマナーは良くて、動物にエサを与える人は少なかった。 サル山の「動物にエサを与えないで下さい」という看板の前に40cmくらいの竹の棒を持った警備員がいた。 「規則を破った奴はお仕置きだ!」ということらしい。
 シンガポールや中国では「規則を破ると罰金」という罰金刑が多いがインドでは体罰が待っているらしい。 そういえばインド系の人もいるシンガポールでは鞭打ちの刑というのもある。

 この動物園で一番の見物は白いベンガルタイガーである。 大抵、暑い地域の動物園では暑い昼間に動物は人間同様昼寝をしているが、ここのトラは動き回っていて観客サービスが良かった。 中国ほどではないが、自分が吠えてトラを威嚇している中年のお客がいた。 これには体罰が適用されていないらしい。

 ここで気が付いた事があった。 大抵の動物のオリにはお客が動物に触れない様にオリと間隔を空けて別に柵がある。 インド人はその柵にしがみついて見ている人が多かった。 なるべく近くで見たいからだろうか? 柵にしがみつくというと囚人、捕虜に空港の客引きというイメージがあるが、庶民だけでなく、小奇麗な格好をした中産階級風のおじさんもやっていたのでインド人にとって普通の事みたいだ。
 インド人は興味があるものをじーっと見るくせがあるらしく、私自身彼らの視線を浴びることもあった。 「檻の中の動物より珍しいものがいる。」ということなのだろうか?

(インド南部編へ)

ユーラシア横断旅行記へ戻る

アジアを行くへ戻る



トップページに戻る