逃げ出す勇気も、逆らう勇気もなかった。
 自分はミノタウロスでしかない。
 何度も自分に言い聞かせながら、黙って祖父の後ろを歩いた。
 月の明かり、白い祭壇。
 もう何度か見る“祭”、それが今日は自分のためにある。
 絶望的な気分になった。
「ほう…踊っているな」
 祖父が呟いた意味がわからず、うつむいていた顔をあげた。
「見ろ、イケニエが踊っている。踊りはもう人々の間では廃れたはずだが…」
 月の明かりに照らされて、冷たく光る紗のドレス、揺れる娘の長く青い髪。
「しかし…これほどまでに…美しい」
 その言葉は、娘のことか、舞のことか。
 祖父だけではない、成人式に訪れたミノタウロス全員が立ちすくみ、幻想的な娘と舞とに心を奪われ、呆然と立ちすくんでいた。
 娘が舞を止めたとき、ため息の音がシュウシュウとそこかしこから聞こえてきたぐらいだ。
 静止した娘の顔を見て、例に漏れず夢見心地だった自分は…我に帰った。
(あのひとだ…)
 深い谷底に突き落とされた。
 髪の色、髪型、瞳の色は全く違う。歳の頃もこの娘の方が若い。
 しかし―――似すぎている。
 自分を、村人の悪意から救ってくれた、あの女性に。
(これは、試練か…)
 誰が与え給う試練か?魔王?…違う、これは。
 プン、と異臭が空気を漂ってきた。
 自分たちの他にも群れた生き物の気配が、自分たちを取り囲んでいるのに気付いた。
(まさか)
 再び、娘の方を見た。

 バーニング・ダンス。それがこの舞の名前。
 私には、格闘技だけではなく、舞踊の素養もあった。  この二つの要素を強引に足した、格闘技に使う“気”を込めたダンス。
 私が開発したそのダンスの内幾つかは、魔導師にしか出来ないような魔法に似た効果を他者にもたらすことを発見した。
 バーニング・ダンス、というのはステップが激しいから私が勝手につけただけで、実際の効果は魔法の『ばよえ〜ん』と同じ。敵の戦意をそぎ、しばしの酩酊状態に誘うもの。
 ミノタウロスの連中の気をこの効果で引き付けている間に、村人に油をまき、火を放ってもらい、火攻めで一気に片をつける。
 単純な方法だけど、イケニエが私でなきゃ出来ないわよね。魔導師の『ばよえ〜ん』は範囲が狭いけど、私のダンスは見た者全員をその状態に追い込めるもの。村人には絶対見るなと言ってあるけど…油の臭いがしてきたわ。成功ね!
 とはいえ、万が一にもばよえ〜んの効果が消えているミノタウロスがいたらまずい。そいつを取り押さえなきゃ。私の退路に回られたらおしまいだわ。
 私は、祭壇を取り囲んでいるミノタウロス達を見回した…。

 ルルーと、ミノタウロスの、目があった。

 あ、と小さく私は呟いた。
(あのミノタウロスの術…切れてる…)

 まさか、と小さくオレは呟いた。
(他人の空似にしては…、どういう運命の巡り合わせだ。娘では有り得ない、あのひとには娘はいなかったはずだ…)

 私は梯子を降りるのももどかしく、ひらりと柵を越え、やぐらから飛び降りた。

 娘が祭壇から飛び降りるのを見て、オレは慌てて娘の着地点となる所まで駆け寄ろうとした。
 だが、娘が着地する方が早かった。

 私が着地するのを狙って、ミノタウロスが近寄ってきた。
 さすがは、人を喰ってまで強さを求める魔物だけはあるわね。

 娘は武人らしい身のこなしで、難なく地面に着地し、そしてオレを睨んで、戦いの構えを取った。

 はっきりと、私はそのミノタウロスの顔を、私は見ることが出来た。
 祭壇の陰に隠れて見えなかった、ミノタウロスの右半分の顔…。
 顔の右の上部に、肉の裂けた痕だけが生々しく、そこにあるべきものはなかった。
(こいつが…!)
 宿屋の主人の奥さんを見殺しにした、ミノタウロス。
 パチン、と背後で弾ける音がした。
 炎がつけられたのだ。

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