町…村全体が、朝から緊張している。
元からいる住人は、無口無表情を徹して準備にかかり、そんな町の雰囲気に、金鉱目当ての新住人は戸惑いを隠せない。
「新しい村人にはイケニエの話をしていない。薄々、感づかれてはいるけどな」
主人は、自嘲の笑みを浮かべた。
「祭りの準備に関する一切の事情も、古参の村人たちだけで話がつけてある」
行こう、と主人は私を促した。主人も“古参の”村人の内に入るらしく、祭りの準備に取りかからねばならない。
「私も、その準備を手伝うわけ?」
「現場を予め知らないと、貴女の立てた強引な作戦は実行出来そうにない」
昨日、夕食の食卓で立てた私の計画は、主人に言わせると『無謀』で『運頼み』すぎると言うのだ。
よく言うわよね。私だってそりゃ、ちょっと乱暴かな、とは思うけど…他にやり方がないんだからっ!
主人は、私にえらく地味な服を着せて、おまけにほおっかむりまでさせて、町の一番北にある広場に連れて行った。
(すごい…!)
心の中で私は歓声をあげた。喋るな、と主人にきつく言われていたから。
一言でいうなら、一種の祭壇なんでしょうけど…、この大きさ!
白い木で、巧妙に組み立てられた巨大な祭壇は、縦横高さ五メートル、って世界だわ。
「お嬢さん、いいか…祭りの段取りを説明するよ」
主人が、つんつんと私の肩をつついた。
「あ、ごめんなさい…、ちょっと、ぼーっとしちゃって…」
「まぁ、確かに見とれるものではあるが…。用途を考えるとな。
この祭壇だが、一番上…天井に向かって、正面から梯子が掛けられる。あれだ」
同じ白い木で作られた長い梯子が、十人前後の人手で運ばれてきた。
「祭壇の天井はやぐらでもあるんだ。あそこでイケニエの娘はミノタウロスが来るのを待つ。
下の祭壇じゃ、我々が定められた祭事を行う。音楽やら舞やらを連中の為にやらねばならん。
祭りは夕方、日が沈むと同時に開始だ。それまでに、イケニエはあのやぐらの上にいなければならない。いないと、ミノタウロスどもはイケニエを差し出すのを『拒否』したとして、報復にかかる」
「報復?」
「町は滅ぼされるだろうな」
「極端な奴らね」
「その通りだ。奴らを欺こうとしても無駄だ。必ず女が、日没までにそこにいなければならん」
「その後、イケニエはそこから動くの?」
「動かない。ミノタウロスが来てさらうまでな。だから無謀だと言っている…」
「必ず隙があるわよ」
「イケニエの娘の護衛は固い。傷一つ付こうものなら大変だからな。連中が何を言い出すか…」
「ま、いいわよ。先続けて」
「月が中天にのぼると同時に、連中が現れる。そして、人々は全員その場から立ち去らねばならない。その後はミノタウロスだけの祭りとなる」
「ふーん…前座だけ人間で盛り上げておけってわけね」
「そういうことだろうな。そして、女は食われる」
「…え?」
「女の悲鳴が聞こえた試しはない。朝になるとこの祭壇は血で真っ赤だ。死体はない」
「じゃ、この祭壇使い捨て…?」
「そうだ」
やぐらに真っ白い布を敷いている村人たちを見て、それが真紅に染まる様子を、私は想像した…。
「特に、ミノタウロスだけになった後どうするか、だな」
「私の作戦じゃ、ダメなの?一旦引いたと見せかけて…」
村人に一旦引いたと見せかけて、祭りのやぐらの周りに油を引いてもらって、火攻めにしてもらう、ってのが私の作戦なんだけどね。私が何とかミノタウロスをじらすなり、或いは戦うなりして時間を稼ぐワケ。もちろん、この広場は村の外れにあるから、火事の心配はないわよ。
「奴らは嗅覚が鋭い。果たしてうまくいくか。それに、君がいくら優秀な格闘家とはいえ、ヤツらの人数は十や二十ではきかない」
「出来るわよっ!」
「しっ!…声が高いぞ。だから、もっと、ミノタウロスの気が完璧にそれるような何かが必要だと言っただろう…」
私はじっと純白の祭壇を見つめた。
「ねぇ、やぐらって随分広くない?…関係ないけど」
「昔は、イケニエの女自らがそこで舞を踊ったらしい。祭壇の設計図だけしか残されていない今では、イケニエはじっと座って待つようになった」
「…踊っちゃダメかしら?」
「何?」
「だから、私が踊ってミノタウロスの気をそらすのよ…そういう踊りが出来るんだけど、ダメかしらね」
主人は私に何か言ったが、他の村人から「ぼーっと立っとらんで手伝わんか!」と怒鳴られたのにかき消された。
「え?何か言ったの?」
「後でいい、ともかく手伝わないと」
主人は私の手を引いて、そちらに向かった。
…のだけれど、私はすぐに追い返されてしまった。
女の人は、祭壇に飾る縄を、ごちゃごちゃと結ぶ作業をしていた。
私は、その縄の結び方を、五回教えてもらっても出来なかったので、追い返されてしまったのだ。
どーせ使い捨てのクセにっ…ぞっとする使い捨てだけどね。
気配を殺して、私は祭壇周辺の様子を嗅ぎ回った。複雑というほどの仕組みではないけれど、いざという時に役に立つように。
(イケニエの娘って、どこにいるのかしら?)
「ちょっと!」
「きゃあっ!」
突然背中を叩かれて、私は飛び上がった。
「何やってんの、暇なの?」
「は、はい…」
振り返ってみれば…ただのオバハンじゃないの!驚かせないでよね、もう!
「じゃ、娘さんの支度の方に回って」
「娘さんの…」
娘さんのって…イケニエ?
「村長さんの家にお行き!早く!」
「わ、わかっ…りました」
『わかったわよ、オバハン』…なんて言ったら台無しよね。