(明日か…)
オレはため息を吐いた。オレのため息は、シュー、と獰猛な獣が威嚇しているような音にしか聞こえない。
オレが見上げている月は、人の目からはほとんど満月に見えるだろう。しかし、まだ上半分が少しだけ欠けている。魔物にしか解らない、微妙な欠け。
(人を、喰わねばならない)
長老の孫でなければ、オレはとっくのとうに一族から追い出されていただろう。
オレは、この歳になるまで、女を喰うどころか、襲ったことすらない。
一族は、各地で迷宮を占拠し、暴飲と姦淫を欲しいままにし、人々に恐怖を与えている。
オレも、明日、百歳―――ミノタウロスの成人の歳になったら―――そいつらと同じように、それらの…『一族としての宿命』を、果たさねばならない。
オレ達の一族は、その昔、気が遠くなりそうなぐらい昔に、この世界で起きた大戦乱で、功を挙げたそうだ。
そして、魔王にその働きを認められ、この世界で何をやってもいいと言われたらしい。
ミノタウロスの本性は、凶暴で残忍、好色極まりなく、女を強姦して産ませる子孫も例外なく男だけ。
何をやってもいい、ということは、つまるところ、その本性を発揮して人々に恐怖を与えよ、の意だったのだ。
(オレはどうして、人間に産まれなかったんだろう…)
オレ達は人を喰わなくても、生きていけるのに。
食事は草食が主で、肉食は魚と鳥類に限られるが、それで健康上不自由はない。
(どうして、殺さなければならない…)
何の、罪もない少女を。
右目がずきりと痛んだ。
正確には、元・右目だ。
オレの右目は、とある事故で見えなくなってしまったのだ。
瞼に触れた。肉が裂けた痕をなぞる。
『痛かったでしょう、かわいそうに…』
まなうらに、柔らかい女の微笑みが浮かぶ。
が、優しい思い出は、同時に赤い血と、女の悲痛な表情も思い出させた。
パタ、と地に涙が落ちた。
(助けたかった…)
あの時、あのひとを助けていれば、全てが変わっていたかもしれない。
それが出来なかった自分は、やっぱり、ミノタウロスなのだ。どんなに、きれいごとを並べ立てても…。