「なに…」
私とちゃぶ台を挟んで座っているしわくちゃのお爺ちゃん、もといこの町の町長さんは、話を聞き終えて目を剥いた。
「どうしても、と言って聞かないのです…」
すまなさそうに、私を町長の家に案内した男が言った。
「一番可愛い娘を用意しなきゃなんないんでしょ?その点から見ても私の方がいいに決まってるわ」
にこにこにこ。私はとびっきりの笑顔で言った。
「町長、いかがいたしましょう」
男の方は、私の申し出を本気にしてくれている。さっき町の案内図を目の前で真っ二つにして見せたのが、効いてるみたい。
「な、なんでまた…そんな」
「え?ま、ミノタウロスだったらなんとかなると思うのよね。私のお師匠さま、素手でゴーレムを打ち砕いたことあるって言ってたし」
ゴーレムとは、タヌキの焼き物型をしたモンスターのこと。異常に固くて、私の腕前だと『ばたんきゅ〜』状態に追い込むのがやっとなんだけど…。
「ゴ、ゴーレムを?!信じられん…」
町長は金魚みたいに口をぱくぱくさせている。私は男の方を見て、
「んっとー、この町の名物は何かしら?食べ物のね」
「山で取れる山菜の料理ですが…」
「あ、じゃ今晩のお食事それでお願い。あとお風呂は…」
「待て、娘!」
町長が怒鳴った。何よ、なんか文句あるの?
「ミノタウロスの恐ろしさを知らんから、そのような無謀なことを…」
「まぁ、無謀だってことは認めるけど」
「昔、村一番の勇士が、許嫁をイケニエに選ばれ、救わんとミノタウロスの…」
「はいはい、でも勇士はずたずたに引き裂かれて殺されちゃいました、めでたしめでたし、…ってワケでしょ?バカねぇ、今度はイケニエと思わせておいて不意撃ちにかけるのよ、私一人だけじゃなくて、貴方たちにもちょっと協力してもらえば出来るわ」
「…と言って聞かないのです町長」
実を言うと、その勇者と許嫁の話は、この男からさっきも聞いたのだ。
「絶対にダメじゃ!」
「頑固ねぇ、なに?私の腕が信用ならないって言うんなら…」
「違うわい!」
町長は、ちゃぶ台を両手の拳で叩いた。台に乗っていたお茶が、ひっくり返った…。
「あのクソジジィ…」
パキパキと私は指を鳴らした。
「『ワシの孫娘よりブスな女を、囮とはいえイケニエに選びたくない』ですってぇ〜!?この私をつかまえて、こんなチンケな町長ごときがナマほざいてんじゃないわよぉっ!」
バキィッ!
「お客さん!…ルルーさん!」
「あら、…ごめんなさい」
宿屋の主人―――先刻からお世話になりっぱなしの男―――が真っ青な顔して入ってきた時には、既に遅い。
私は怒りに任せて、ベットサイドの小テーブルを叩き割ってしまっていた。
「私ってちょーっと怒りっぽいから…ほら、ね?」
「分かりましたから、宿の備品を壊さないで下さい」
結局、日が暮れてしまい、知り合った縁で、宿屋の主人は自分の宿を私に貸してくれた。私の他に客はなく、私はこの宿で一番いい部屋を借りられた。
「例のお祭り、明日なんでしょ?ったく、いいわよ…その時に無理矢理すげ替わってやるんだから!」
孫娘に会わせろ、と言ったら、『今生の別れにいい思いをさせてやっている最中だ、お前なんぞに会わせてやらん』ですって…。
いい思いって、おいしいもの食べさせたり、欲しかったものを一気に買ってあげたり、ジジィの思いつく“いい思い”ってこんなモンよね。
そんなことぐらい、普段からさせてやりゃいいじゃない、貧乏人!
「まぁまぁ…私に考えがあるんです」
「考え?貴方に?」
私をなだめていた主人が、ふっと深刻な表情を作った。
「ただの旅人である貴女を頼るのは、卑怯かもしれない…ただ、私も妻をミノタウロスに盗られているのです」
「えぇえっ?!貴方の奥さんって、そんな美人だったの…」
主人がギロリと私を睨んだ。あら?なんか悪いこと言ったかしら。
「ルルーさん、貴女は根が素直なのだろう…しかし、正直すぎるのも考えものだ」
「師匠にも同じこと言われたわ、昔」
「貴女の武術の腕は確かだ…私の妻の仇を、貴女の腕に託してもいいでしょうか」
主人は私の右手を取った。
立て看板割って見せただけなのに、こんなに頼りに思ってもらえるとはね…。
「夕食の用意が出来ていますので、よろしければ食堂に」
「はいはい」
私は主人に促されて、部屋を出て食堂に向かった。
「どうしてこの村に残って宿屋なんかやってるの?嫌じゃないの?」
「さぁ…どうしてだろうな。悪い思い出に満ちていることは確かだが、いい思い出もこの村にしかない。息子には、村を出ていかせたがな…」
私も主人も、この町のことを“村”と呼ぶことに慣れていた。
「ふぅん…この村から出ようとか思ったことがないってこと?この村を出れば、もっといろんな思い出が出来るかもしれないじゃない」
「お嬢さんほど、私は若くないからね。…さ、ここだ」
主人が扉の前にきて、ノブを回し開けると―――
「あら…」
期待してなかった分、喜びも大きかった。
「貴方一人なんでしょ、この宿…」
「今日はお嬢さん一人だからね」
私の心の中から興奮が過ぎ去ると、不安が訪れた。
いっくらなんでも、待遇が良すぎるわ。
妻をミノタウロスに食べられちゃったんでしょ…ま、まさか、この清純な乙女である私に、口に出すのもおぞましいような下心を…。
「どうしたんだい、食べないのかい?」
「え?あ、はいはい…」
…無用の心配だったわね。だってこの主人、私の腕を信用しているわけでしょう?だったら、変な気を起こそうものなら返り討ちにされることぐらい、想像つくわよね。
「いっただきまーす!」
久々のテーブルで食べる食事に、私はすっかり上機嫌になっていた。