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三井の、なんのたしにもならないお話 その四十五

(2017.08オリジナル作成)



 
なんにもない


 
 
 齢○○を数えるとなれば、もう人生の残りが十分にあるとは申せなくなります。「確率的に見ても」、残りがどのくらいかは計算可能な範囲でしょう。

 
 そうなると、「決算」も射程に入ってきます。近ごろ妻も、「残りの始末」を盛んに口にするところです。とんでもない「負の遺産」を残されてもかなわん、逆に後生大事に「末代までとっておく」ものも何にもならない、さっさと使ってしまうことだと。

 
 実際、大きな声では言えませんが、まちがいなく「お荷物」になるものはまだ山のようにあるのです。その最たるものが本です。昔はこれも「資産」だったのかも知れませんし、そうした時代の末裔たる私には、未だ相当数があります。想像するに空恐ろしいので、数える気にもなりません。まちがいないことは、5年余前に大学を移った際、運んだ本などの箱は、まさに部屋にあふれかえりました。それがなんとか書棚に大部分収まっているのは奇跡に近いことです。しかし、こんどはどうする?どうにもなりませんな。

 
 書籍といったものが「資産」と考えられたのはまさに前世紀のことで、デジタルメディア時代のいま、ただ重い、場所をとるだけの、まさしくマイナスの存在です。まちがってもバランスシートの「資産の部」に置いてはいけません(だいぶ前のことですが、前前任校において、組合の立場から、退職教員の校費購入書籍の払い下げの仕組みを入れてはどうかと提起したら、「当局者」は顔を真っ赤にして、「これは補助金も相当している学校法人資産だ、永久に保存する義務があるんだ!」とのたまいました。なるほど地球滅亡の日まで、図書館や資料室を占領し続けるんだなと納得しましたが、さすがにその後置き場にも困り、こっそり焼却などしていたようです。「要る」という人間に意地でも渡さない、その代わりに焼き捨てる、もうこうなると人類文化の敵ですな。もっともほかの大学等の様子を見る、あるいは経験すると、相当簡単に払い下げなり、除却処分なりしているようで、なんともはやです。こんな連中が学校を「経営」していたんですよ)。

 

 しかしひとごとでなく、文字通りいまそこにある危機です。ホントにどうしよう、どうせもう私が生きているうちに読む、活用する可能性は限りなくゼロですから、焼くのも手間なので、ともかく引き取ってくださる篤志家はいないでしょうか。これまた古典的なセンセイ方は、貴重な文献も多数あるので、どっかの図書館に寄付したいとか、最低限古書店で買って貰うとか、いまだにお考えの方もいるらしいのですが、いまどき悪いジョーダンです。いや、もちろんタダとは申しませんよ、運び賃くらい私が負担をしますよ。

 
 
 この最大最悪の「隠れた負債」を別として(企業会計上では、特別償却損失の対象でしょう)、なにか手元に残るものはあるのかと考えてみました。結論は、何にもありません、です。

 
 「資産」項目に該当するものがまるでないわけでもありません。いまの住まいの土地と建物はあります。しかし、世間の感覚で言えば、まさに鼠小屋程度のものです。大学の先生が立派な邸宅を構えている、さらに夏を過ごし、晴耕雨読の日々をおくる別荘など持っている、ぜんぜん違います。住まいももう築30年以上なので、かなりの老朽化、あちこち次々に壊れてくれます。決して便のいいところではないうえに、山の上なので、眺めや日当たりはいい代わり、嵐の時の風当たりは凄いもの、そして歳とったら、のぼってくるのも容易ではなくなってしまいます。

 この小さな住まいでは仕事する場所も資料置き場もないので、近くのマンションを借りています。それで月々かなりの金額の家賃支出が出て行っているので、それを思うにも「リタイア後」の展望がゼロです。高コストが固定されたままのP/Lというか、およそまちがったライフスタイルですね。でも、それを引き払う見通しがありません。今夏も頑張って、本来とっくに捨てるべき紙くずの山たる「資料類」の処分を試みたのですが、かなりめげました。このお天気じゃあね、と自分に言い訳して。

 
 

 さて、それ以外に「資産」などあるか、ホントにありません。みごとなくらいです。老後のための預貯金くらいはあるものの、株だの債券だの一切持ってないし、不動産投資もしてないし、そして上記のように「別荘」だの「リゾートマンション」などにも無縁です。猛暑も、酷寒も、この小屋のような住まいで耐えて生きております。ジョーダンではなく、この住まいにはエアコンは一間にしかなく、寝室にはありません。ために今夏の猛暑の夜には、そのエアコンのある居間で寝ました。別にエアコン設置をけちっているわけもないですが、風当たり等を考えると、寝室にもエアコンをつけて壁に穴をあけるのがためらわれるのです。

 
 まあ、それこそ鼠の額のような「庭」に、妻が野菜を作っています。幸い日当たりがよいので、僅かな空間ながらかなりとれます。もっとも私は農業に一切タッチしておりません。私「撮るひと、食べるひと」です。

 
 

 有形の資産はこんなものですが、「無形の」資産が何かありましょうか。これもまたまた、みごとなくらいに何にもないのです。なんせ、私の近ごろの「売り」は、資格・免許といったものは一切持ってない、学位もない、自動車の運転免許もない、それでも大学の教師にはなれるんだ、という「居直りの文句」ですから。別にもすでに書いていますが、大学で教職課程はおさめたものの、教員免許申請もしたことがありません。だから私の手元には、「免許証」だ、「資格証明書」だというたぐいはぜんぜんないのです。大学の教員は雇用保険加入の義務がないらしいので、これで失業すれば、シューカツどころか食うに困ることになりますね。

 もちろんそれはなかばウソで、私はすでに年金受給者です。しかしその額、これだけで食べていかねばならんとなったらどうするんだろ?といった金額です。しかもそこから「介護保険料」というのがどどっと引かれます。当然ながら、私はいまだ給料生活者でもありますから、それあっての話しであるし、また年金支給額も割り引かれています。それでも、相当に目眩のする金額の支給です、あまりに少ないので。

 これには、私が「就職して」、まっとうに給料をもらえる、またそれだけ年金拠出をするようになったのがずいぶん歳いってしまってからだった、世間の相場からは10年遅かったせいもあります。いまどきなら、年金掛金だけでも払い続けるべきところですが、当時はそういう考えもありませんでした。

 
 まあですから、職をすべて離れたら、相当に悲惨なことになるのは目に見えています。自業自得で仕方ありません。ひたすら耐えて、寂しい老後を送りましょう。

 
 ちなみに、いまこれを書いているところへ、柔軟土手とかいう企業から宅配便が来ました。先に不在時の通知が来ていたので、配達日時を指定して待っていたわけですが、なんと「運転免許証ありますか」というのです。そんなのないと申せば、「じゃあパスポートとか」と配達員氏がのたまう。あきれたものです。「免許ないと、宅配荷物も受け取れない」時代になりました。要するに、情報機器なので、本人手渡し条件なんだというようですが、それもこれも、柔軟土手(もとは別の企業がやっていたが、買収を繰り返していまは柔軟土手グループ)の勝手な事業変更、従来のサービス終了にともなう代替措置なのでして、それにこの高飛車な姿勢は何なのか、だいたい代替機を送るから、パスポート用意して待っとれなどという通知もなかったんですよ。まったくもってふざけるなと言いたい。そんなもの受け取るのに、なんで個人情報を提供しなくちゃならないんだ!!!!

 

 「無形の資産」としての「ブランド」なんかどう、というところ。まあ、職を離れてしまえば、ブランドもへったくれもないわけですが、リタイアしたのちに気になるのは、なんの利益も生まないが、名刺に何と書くか、です。氏名のみ、というのはよほどの有名人、えらいさんの逆ステータスシンボルでしょうが、さすがにそこまで行くひとは希です。でも大学の教師って、そういうのにこだわるのですね。ひとによっては、なにかの組織を起こす、あるいはどっかにおいて貰うことで、その名を肩書きにしている名刺もあります。諸事情からそうなるのでしょうが、幸か不幸か、私にはそこまでの必要はありません。

 11年しかいなかった、横浜国立大学から「名誉教授」の肩書きを頂いているからです。それだけでなく、メイルアドレスも終身使用可になっています(ただ、サーバの設定やサービス内容などいろいろ以後変更され、実際にはメイル受信しかできていないのですが)。誠にもって有り難いことです。20年いた駒澤大学からはなにも貰っていませんが、ここでの在任期間も、横浜国大の規程に加算されたようで、ともかく感謝の限りです。

 
 けれども、大学名が限りなくブランド化している、そこで一定「ステータスある」大学での職を務められた方々には、ダイガクの名前の価値は絶大なものがあったと、正直に述懐されていました。私などには裏山椎限りです。もちろんご本人の研究等というより、学生の活動等において、主にブランド性は発揮されたようで。その意味では、私は「ダイガクの名で通る」ところで学生指導担当した経験がないので、きっと世の中はそうなんでしょう。「○○大学の学生さんたちですか、大歓迎、どうぞどうぞ」とね。その逆は少なからず経験しましたけどね。

 
 

 さらに、愚痴というより僻みになってしまいますが、ここまで書くかというのが、私が生きているうちに経験したことでした。あるとき、某中小企業団体の地域幹部の方が、喜々として私におっしゃいました、「こんどですね、R大学がうちと連携協力してくれることになったんですよ、あのR大学がですよ!!」とね。R大学には及びもつかない、だいたいそうした社会連携活動に当時きわめて不熱心だった、名もない大学の教員たる私には、「そうですか、よかったですね」とお答えするのみでした。

 まあこういうのには所属大学の名のブランド価値だけじゃなく、おのが未熟さを恥じるのみです。また別の機会に、ほかの中小企業団体や上記のなどに参加している経営者のひとが、「センセイはあちこちの団体にも関係されているそうですが、どんなことをやっておられたんですか?」と問われ、これはちょっと絶句しました。私はそこの団体とつるんで、政府の研究会で「○○○○◇◇」づくりに動いたつもりでいたんですけど、まあその「知名度」などこんなものでしょう。

 
 大学の名のブランド性などを今さらどうこう申す前に、自分の「仕事」が世の中にどれほど知られ、貢献してきたのか、それを自ら顧みなければなりません。

 
 
 てなわけで、私の老後に向けての「バランスシート」は、完全債務超過の悲惨なものになりそうです。ひとさまにいっちょまえの顔をして、「こうすれば稼げる」とか言って、本人は稼ぎ、蓄財とはいちばん真逆で。え、「遺産」として、近年趣味で集めたカメラなんかあるだろって?古いフィルムカメラはいまや出番を失い、限りなくガラクタとなり、新しいデジカメは日進月歩のおかげで、どんどん旧式化し、誰も引き取り手もないものになりました。それでも私は「遺言」で、これらはフォトグラファーたる甥に譲る旨記してあります。以前に了解を貰いました。もっとも彼も、そろそろ現実に気がつき、こんなのあったって自分の仕事には使い物にならない、迷惑だと言い出すかも。




 「なんにもない」と記したら、「でも、出した本からの印税収入もあるんでは」という意見を頂きました。


 誠に残念なことに、私が出した本から「印税」を頂けたことは、生涯で数回あるかどうかという実態です。いまどき、「印税で稼げる」のは、よほどの人気作家、コミック作家、そして「タレント」の方々のみです。稼げるくらいの部数を出せる、ユーメイ「評論家」とかもいると思いますが、まあこれだけ出版物が日々出され、しかも全体の売上額は下がるのみとなれば、なかなか稼ぎにまでは行きません。


 ましてや、「研究書」のたぐいで、出版の売上から印税を払えるなどというのは、100%ないと思います。じゃあどうするのかと言えば、要するに書く側、出す側が費用を負担するのです。そういう「ビジネスモデル」も不可思議ではないどころか、そうでなければ出版社は絶対に引き受けてはくれません。売上金額で総費用をまかなえないとわかりきっているのに、誰がそんなものやりますか。

 従って、結局のところ自費出版のようなもの、あるいはせいぜいに、どこかから「補助金」のたぐいを貰って、それでまかなう、これしかないのです。数えてみると、これまでの「商業(市販)出版書籍」で、私の名で出されたものは7冊ありますが、ほぼこれです。補助金をあてにできなくても、共著者たちの「買い取り」で事実上まかなっているものになります。そろそろ、「印税」の語も死語になりましょうか。それよりよっぽど、「アフィリエイト」と称して、blogの記載や画像アップロードへのアクセスで、スポンサーから頂戴する方が稼ぎになります。ウソ八百でも、にせものでも、関心を呼べれば勝ち、しかも第三者のスポンサーからいただく、いい時代になりました。本なんか売れるわけないでしょう。


 ですから、これもぜんぜん収入源、隠れ資産などにはなりません。たまに、「原稿料」などいただける、有り難い執筆依頼などもありますが、とてもとても、あてにできる収入源などではありません。




 いやあ、いちばん邪魔をしてくれている「不良資産」の山を書き落としていました。書籍や紙くず的「資料」以上に、大いに場所をとってくれているのは、IT機器とAV機器の山です。前者はそれこそ、「仕事の道具」という言い訳も立ちますが、それもほとんど時代遅れで、二度と日の目を見ることもないものばかりです。その一端は、「わがモーバイルコンピューティング史」でバラしてしまいました。すでに廃棄した、どっかに置いてきたものもかなりあるものの、まだ相当数が残っています。二度と使わないはずのデスクトップ機(WinXp)もあります。さらに、それらにかかわるディスプレイだ、ドライブだ、キーボードだといったものもごろごろしているのですから、困ったものです。情報がらみは始末処分も面倒なたぐいで。


 AV機器に至っては完全趣味ですね。それでも捨てずに置いておいたレコードプレーヤーなんか、最近日の目を浴びているので、まあまんざらでもないのですが、20年近くたった代物のせいか、図体はでかいのに自慢のDDが回転数低下したりするんですな。音がへたへたとして聞いておられません。アンプも片方出力低下したりするしと、さんざんです。今さら買い換える気にもならず、またそうしたら前のをどうやって捨てるかの新たな課題に直面せざるを得ず、いやはや状態です。

 もちろんもう動作しない、カセットデッキだのもあります。これはまちがいなくゴミです。バラしていじってみましたが、どうしても正常動作になりません。腹立ちますけどね。



 いまも必死に抱えているのは、LD(これご存じないひともいると思うので、「レーザーディスク」と称した、アナログ記録の光ビデオディスク)プレーヤーです。実はそのLDはほとんど処分してしまいました。残したいのはDVDにコピーをして。このLPレコード並みのサイズだけど3倍も重いディスクは処分したくて、かなり悩みました。以前、よく知られた中古ソフト店で聞いたら、「買ってもいいですよ」と言っていたのに、のちになったら、「引き取れません」と宣告されてしまいました。もう買う人間もいない、再生プレーヤーも市販されてないどころか、現存機種をメーカーが修理しなくなっているので、どうにもならないというお答えです。ところが、別の店でたまたまLDを段ボール箱のままで処分販売しているのを見つけ、「私も処分したいんだけど、引き取ってもらえないかな、もちろんタダ、送料当方負担で」とおそるおそる申したところが、「いいですよ」という気軽な返事、内心驚喜しました。

 以来、逐次処分に入り、段ボール箱4箱ぐらい、のべで送ったと思います。「始末に困るから、もう送ってこないでくれ」とは言われなかったので、まあ助かりました。送料はかかりましたが、ともかく世の中に残せる、誰かの利用に期せるだけでも心は安らぎます。そうでなけりゃ、始末に困る粗大ゴミですから。なかには、かなり珍しいものもあったはずです。他にソフト販売されてないとかね。


 それで、LDは一掃したかというと、まだ残っています。シリーズもので、取っとくのも譲渡するにもためらうもの、あるいはどうしても「貴重品」的アンティーク的に残しておきたいものもあります。そして正直、まだぜんぶDVDにコピーを済ませていないのです(「やっちゃあいけない行為」かも知れませんが、そもそも再生機器も提供してない、誰も見ることもできなくなったものに「権利」ばかり主張されたくない気持ちです。それに、あくまで「個人視聴用」ですからね)。画質はどうしたって、デジタルディスクには大幅に劣るのですが。


 そんなこともあって、LDプレーヤーも実は仕事部屋(シュミ部屋?)にまだ2台あります。以前のメイン機がおかしくなり、もうダメか、しかしいまではプレーヤーは市販どころか製造もされない、さらにメーカーの製造物責任修理保証期間も終わろうとしているというので、焦って、中古AV機器店で再生品を見つけ、買ってしまいました。だいぶ昔の発売時点ではかなりの高級機でした。それで、コピー作業などにも使っていたのですが、最近になって、もうあきらめ、ゴミ化しようとしていた奴を段ボール箱の山から「発掘」したので、試しにいじっていたら、なんかのはずみでそれが再生を始めたのです。何度も再生モードにしてボタンを押し続け、動作を繰り返していると、なぜか気まぐれのようにディスク認識、再生に入るのです。「NO DISC」表示の繰り返しのあとにですよ。

 このへん相当怪しくて、本来点検修理をすべきなのでしょうが、前記のようにもうメーカーは修理を受け付けません。文字通り「だましだまし」使っています。だから、いっこうに捨てられないんですな。



 ビデオデッキになると、掃いて捨てるくらいあります。実際捨てたいのですが、こちらももう製造販売されてないとなると、そうもいきません。デッキがなくなれば、テープはみな再生できなくなってしまうので。悪いことに、私は在英時代の録画や購入品など、日本のNTSC方式ではないテープもかなり持っており、そのためのPAL方式やマルチ対応のビデオデッキもあります。コンバーターもあります。どれも含めて、これらのビデオテープもかなりDVDにコピーし、相当捨てました。ゴミとしてこっそり出しました。しかしまだ残っています。デッキは処分できません。もっともビデオデッキも、メーカー修理対応終了がそう遠くない観です。


 ちなみに、ビデオテープの経年変化はかなりひどいものです。テープ自体がダメになると言うより、いちばんあるのが、巻き戻しをすると、末端のハブ軸にとめてある部分が切れてしまうのです。磁気録画テープは無事でも、この接着テープの材質に問題があったのでしょう。そうなると、いちどビデオカセットをばらし、なんとか再接着を試みるしかありません。それが比較的うまくいきやすいものと、そもそもカセットの構造がややこしくて、ばらすと二度と元に戻せないようなものもあるのがわかりました。いい勉強です。

 それからもう一つのトラブルが、磁気テープが黴びてしまうという事態です。特別ひどい扱いをしたつもりはないし、また無事なのと黴びたのとが隣り合わせになっていたことも通常なのですが、黴びたテープは、切れたのより始末はよくても、見た目にもかなりひどい状態で、当然正常に再生できない、それどころかビデオデッキの回転ヘッドを目詰まりさせてしまいます。やれやれです。ぜんぶあきらめ、ぶん投げたい気持ちにもなります。


 あ、あと自分で撮影をしたビデオテープもありますな。私はビデオ撮影がそんなに趣味でもないので、数がめちゃ多いとも言えないものの、懐かしのVHS-Cテープ、さらにmini-DVテープで、ひと箱分あります(VHS-Cのビデオカメラは2台ありましたが、さすがにどちらもぶっ壊れました)。調査の際に現場を写したもの、またなにかのイベントの記録用なども少なくないので、なかなか捨てがたいものです。これらもDVDなどにコピーすれば、はるかに場所を取らなくなるのですが、それも一手間で。今は亡いひとの姿の映っているのなど、それこそ捨てられません。

 逆に言えば、いまの動画はビデオカメラだろうがデジカメだろうが、まさしくスマホでだろうが、SDカードに記録できてしまう、大変な進歩で、保存に場所とるなんていう発想自体がなくなりつつあります。もっともあまりにコンパクトすぎ、そのまま保存するのも困難なので、デジタルデータとしてHDに入れる、あるいはBDなりDVDに保存する、そうなりますけどね。そしてまた、VHS-Cカセットはアダプタをつけて、VHSビデオデッキがあれば再生できますが、miniDVビデオカメラは消滅状況で、再生困難が近づいています。あっちもこっちも四面楚歌となり、ゴミと化した記録媒体のみが残ります。


 これじゃあ、ゴミの山に埋もれて一生終わりますな。不良資産どころか、処分費用を差し引いて負の遺産ばっかしです。




続き

(2018.03)


 え、さて、いよいよ退職の日の近づくなか、大学の部屋も、そして自分の「仕事場」も、懸命に片付けにかかっていると言いたいのですが、いっこうにすすみません。歳のせいにしていますが、容易に展望の開けないせいもあります。


 そうしたおりに、できすぎのジョークを経験しました。いろいろ「辞めるにあたっての手続き」を大学事務から指示されるなか、「離職票を出しましょうか」というのもありました。どうやら嘉悦学園では、大学教員も雇用保険に入っているらしいのです。「離職票もって、ハローワークに行けば、手当も出ますよ」って。

 実はその連絡を貰った前日と前々日、私は厚労省神奈川労働局と、高齢障害求職者雇用支援機構(JEED)神奈川支部それぞれの会議に出ていて、まさに離職者対応と、そうしたひとたちの職業訓練(いまは「ハロートレーニング」の愛称)どうする、という議論をしていたのです。できすぎの偶然。さっそくに、それぞれの担当者への連絡に、「私も離職票もってハローワークに行き、手続きをして、職探しとともにポリテク関東での職業訓練を受けようかな、実体験にもなるし」と書き送りました。もちろん否定的反応というか、悪い冗談はよして下さい、でしたが。


 ほとんどフリーターみたいだった、院生生活の九年間、その後は幸いに「失業期間」もなく、今日に至ったわけですが、いよいよ離職者になる次第です。でも、それで離職票もってホントに職安(ハローワーク)に行ったら、職員唖然というか、もっと困っているひとに再就職の機会を譲って下さいと説教されるか、あんたに紹介できる仕事などあるわけないでしょう、なんの資格も免許もないくせにと呆れられるか、でしょうがね。そのために、ポリテク関東(JEEDの横浜訓練校・関東職業能力開発促進センター)で、一から仕事を習い、資格を取りたいんですが。

 まあ、労働行政の職務上、関係職員の方々もそんな無碍な対応もできず、困るかと思います。それより、私がこのかかわりで兼ねている、「神奈川県地域ジョブ・カード運営本部議長」として、ジョブカード普及推進のためにも、自分のジョブカードを作ってみようかとも考えますが、いざとなったら書くことがなくて、白紙「論文」になっちゃったりして。




(2018.04)

 さて、「隠れ不良資産」の処理は避けられないものとなり、結局院生諸君らに大半を押しつけてしまいました。相当の迷惑となったのはまちがいないところです。
 それによって、身軽になったというか、いかにもの蔵書と資料の山は消え失せました。それと一緒に膨大な紙屑、ゴミ処理もしたのですが。

 ということで、これでジエンドです。「学者先生」らしい勿体も、書斎書庫も消えて。寂しいなどと申すより、わが人生も文字通りになかば終わったの観。

 唯一始末したのは、WinXP機などです。実際にもう動かなくなっているのもあるのですから、「思い切って」3台処分しました。家電販売店で新品買えば、代わりに引き取ってくれるのかと思えば、それは動くものの下取り、しかも持ってきてくれなくてはというので、ジョーダンじゃないで終わり。「本来のリサイクル対応義務ある」メーカーもすでに消滅しているゆえ、やむなく、「PC処分」専業のところにwebで申し込みをしました。その前に、かなりの手間でHDのクリーンアップなどして。いろいろわからない、不慣れなところなどありましたが、ともかく有償で引き取り処分をしてくれたから、一安心です。その進行状況までメイルでフォローしてくれたのでまちがいないでしょう。

 え、大学のって?これらは校費購入でもありますから、レーザプリンタとともに事務方がしっかり引き取っていきました。デスクトップ機はもちろんですが、痛い目に遭わされたソーテック製モーバイル機も、まさしく機械的に引き取られました。結構結構です。ついでに私物ながら、余ってしまったFAXプリンタも引き取っていただきました。私的「仕事場」には以前から、同じようなマシンが鎮座してますから。





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