idle talk41

三井の、なんのたしにもならないお話 その四十一

(2015.03オリジナル作成)



 
 
 スマホを買わんの記 −わがモーバイルPC格闘史20年


1.はじめに −なんで「スマホ」は持たないのか

 
 どうやら、スマホというものを持っていないのはいまどき異常な人間らしいのですが、全然持ちたくありませんし、必要ともしていません。なにかそんな法律でもあって、国民の義務になったんですかと尋ねたくなります。

 
 
 私は、デジタル化、インタネ化、モーバイル化は相当早くからやっているつもりではありまして、別に新しいものが嫌いとか、そういった意図はありません(思い出します、いまから30年も前の学界の会合の席で、当時普及しだしていた日本語ワープロの及ぼす影響という話しをして、そのうち誰もが原稿はワープロ入力となるから、手書き原稿を出せば「解読料」をとられるようになるだろうとしたら、大先生方の失笑を買ったことを)。要するに、必要ない必要ない、それだけなんでして、もちろん加えて、電話やさんに余計なカネを貢ごうという意図もないからです。

 
 このあいだ、ケータイ(softbank)を買い換えました。前のが相当ボロになって、カメラもつかえないとか(別にケータイで画像を撮りもしませんが)、ひどくなった以上買い換えの時期かと考えた次第です。

 そしたら、店員が「ガラケーですか、スマホに変える気はありませんか」とのたまいました。「まったく考えとりません」と即答しましたが、それにしてもすごいですね。自分が売っている商品を「ガラパゴスだ」「取り残されてる」とバカにしている、言ってみれば、そば屋に入って盛りそばを頼んだら、「盛りですか、安いだけですよ、せめてザルにでもしませんか、天ぷらくらいつけないと、うちでは料理と呼ばないんですが」、と薄笑いを浮かべてこたえるようなものですね。自分の店の商品を小馬鹿にしている、それだけで物売り商売完全失格と思われます。「ガラケー」とは蔑称でしょう、せめては「フィーチャーフォンと呼ぶ」としているんでしょう!?

 
 フィーチャーフォンなんて言うのも、なんのことやらさっぱりわかりませんが、こうしたあきれかえった店員の態度も、理由はわかりすぎるくらいわかります。「スマホはゼニになる」からです。スマホ端末自体は、一部を除いて値崩れ激しく、ケータイ端末同様に、実質ただで入手はできるくらいのようですが、その後が桁違いにふんだくれるからですね。聞けば、スマホを日常使いしている方々は、月の料金がウン万円というのがざらなんだそうです。私にとっては気の遠くなるような額で、なんでたかが電話にそんなに貢がなくちゃならないんだ?ジョーダンもいい加減にしてくれよと言いたくなります。そんなに毎月払い続けりゃあ、ほかのものにかけるゼニはなくなる、あったりまえでしょうというところ。

 
 もちろん、それは電話代じゃないんでしょ、いまどきのスマホは、スマホと言うくらいで諸機能てんこ盛り、何でもできます、つかえます、まあすごいんだそうですね、いじったことないけど(なんでも、電話もかけられるそうな)。いろんなアプリのダウンロードだ、使用料金だ、動画や音楽ダウンロードだ、なんだかんだ、そしてネット接続の通信料金と来た日には、それは何万円もあっという間にいくでしょう。いろいろ料金体系を「工夫」節約しようが、現にこんだけ皆さん払っているんですから。

 



 そのほとんどが、私には必要ないのです。いや、動画見ないとか、ネット上のニュースや情報、買い物等いっさいしないとか、そうではありません。私はもうウン十年来、PCをフルに使ってきています。私の仕事と暮らしにインターネットが完全に入り込んだのは、もう20年も前のことです。ですからいまも当然、「なしには日々を送れない」身の上です。正直には、買い物関係は好きではないのですが(ゼニを払って、そのうえになんで私の個人情報をただでくれてやらなくちゃならないんだ、と考えるので)、たとえば宿泊、航空券や列車指定券予約、こうしたものはもう、ネット上でないと事実上できなくなってしまいました。

 航空会社の販売営業所があっという間になくなり、それでも残っていた都心のたった一店に、予約券の受領に行ったら、「航空券の発券手数料ウン千円払え」と言われ、私は激怒しました。わざわざ買い物に店に来た客に、「売ってやるから手数料よこせ」なんて言うふざけた商売がどこの世界にあるのですか。つまり、「店に来てくれるな」という考えなのですね。航空券は店で買うものじゃなく、自分で作れということなのですね。

 それじゃあ、パソコンない、ネットやらない、プリンタないひとはどうしたらいいんだ、飛行機に乗っちゃいけないのか、そう問いただしても、まあ独占にあぐらをかいている日本の「民間会社」は鼻も引っかけないでしょう。そうです、そういうひとには乗って頂かなくて結構、とこたえるかも。

 
 飛行機に乗らないと仕事できない立場であれば、やむなくいまでは私も、ネット上で予約した航空券を自分でしこしこプリントし、それを空港に持参しております。ほかに方法がないんですから、どうにもなりません。しかもいっそう腹の立つことに、この日本の航空会社から買った航空券(単なる控え?)を持っていき、チェックイン機のリーダーに読ませても、受け付けない、そのうち、「対応できませんので、係員にお尋ねください」表示で、ハングアップしてくれる、飛んできた係員にこりゃなんだと質せば、いろいろひっくり返したあげく、「これはコードシェア便のご搭乗になりますので、この機械では受け付けられません」だと。ふざけるなの3乗ぐらいですね。これがウン万円ウン十万円もする航空機の切符の「売り方」「受付方」なんでしょうか。

 
 
 だいぶ脱線しました。ともかくそういうくらいなもので、私はデジタルデバイド(これももう死語でしょうか)の遥か彼方に取り残されているわけではない、なかば自分で、なかばこのように強制されて、そのまっただ中に生きているのです。でも、スマホなんか要らないのです。否、デジタル情報とインターネットの最大限活用には、スマホなんか使い物にならないからなのです。

 
 


2.「スマホ」よりもモーバイルPC

 
 じゃあどうするか、要するに常にPCを使っているのです。大学で、自宅で、そして移動中や出先で、常にPCを動かしています。これでも一応、「ものを書く」のが商売でもありますし。
 これも今に始まったことではまったくありません。私が最初のPCを買ったのは1987年のことでした(最初の在外研究にはワープロを持って行っていたが、その一年半のあいだに急速にPCが普及しだしたので、浦島太郎化した帰国後を「デジタル化・PC化元年」と定めました)。それから数年後には、「パソコン通信」での原始的ネットワーク利用もはじめましたが、TCP/IPの時代到来とともに、インターネット対応に入ったのです。当時は「モデム」接続でしたけどね。

 
 Windows3.1で、TCP/IPを動かせる設定をして、などとしているうちに、かのWIN95が到来、インターネット接続は、誰でもどこでもできる通信手段になりました。ブラウザなるものも動き出しました。

 そしてそのころから、私はスタンドアローンのPCをインターネット接続にするだけじゃなく、「いつでもどこでも」つなげられる設定を追求実践してきました。1998年に行った二度目の在外研究では、滞在先の大学で使わせてくれたPCが当然学内のイントラネット経由でインターネットにつながっていたのですが(これを日本語化してしまったのですが)、寄寓先などでもつなげられるよう、当時はまだ貴重だったモーバイルPCを日本から持参し、現地のプロバイダに加入、モデム経由で使っていました。

 
 もちろん当時のことですから、モデム経由での通信速度なんて現在のウン万分の一以下、しかもどんどん電話料金が加算されるので、ほんとに限られた場合でしかつかえませんでした。まあ、大学ででならタダですし。

 ちなみにこのころ、英国でもケータイが広まりだしていましたが、私はそっちの方もすでに手をつけていました。先に買ったのがPHS(ですから、私はもう20年以上の利用者です)、その後にNTTDoCoMoのケータイも加入しましたが、どっちも一年間の外国滞在の間は解約しました。まあ、ケータイは手放せない、ないと不安になるほどではなかったですね、当時は。どだい、日本のキャリアで「海外ローミング」を提供しているところはまだなかったのです。第二世代では日本の方式と海外とでは原則違っていましたし(そういう壁があるから、のちに私は、ローミングサービスを提供した当時のvodafoneに乗り換えたのです。しかし同社は日本での事業をさっさと見限り、softbankに売ってしまいました。ですから私のはいまもsoftbankです)。

 



 こういうデジタル環境下にもあったので、私の工夫は早くから、モーバイルPCとケータイ端末とで、(国内での)モーバイルデータ通信を可能にしようというものでした。はじめは大変だったですよ、まさかケータイのモデム使用(当時はアナログだったのです!)では、天文学的な請求書が来るでしょうから。

 その点PHSははじめから、デジタル通信を射程においた全体のシステム構築であったので、いま一歩でPCの通信利用ができるはずだったのですが、肝心のインターフェースがいっこうに提供されません。そこで、わたくしは手動で呼び出し、接続ネゴに入ったら、間髪を入れずにPCからのケーブルをつなぐという離れ業で、PHSによるインターネット接続をやっていたのです。もちろんアナログでのモデムを介してですが。この技、日本中小企業学会全国大会の壇上でカッコだけ披露した記憶があります。

 
 
 その後、急速にモーバイルでのインターネット接続環境が整っていきました。一般の家庭でも、ADSLという瓢箪から駒のようなテクノロジーのおかげで、既存の電話回線を使いながら、デジタル通信が可能になったのですが、私はISDNの方に期待しました。まあ、いまではADSLもISDNもすっかり時代遅れで、家庭の固定電話も完全デジタル化光通信化しておりますけど。

 
 モーバイルでのデジタル通信に関しては、PHSが完全に先を行き、相当高速(当時にして)の接続サービスを提供するようになり、ついにはインターネット接続専用の通信端末も提供するようになりました。もちろん固定料金制です。私にとって、モーバイルでのインターネット接続環境は以来基本的に、このスタイルです。あとで書くように、PHS自体は近年諦めましたが。

 
 他方ではモーバイルのPCも続々と販売され、激しい新製品競争が世界的に展開されるようになりました。ですから、それから私はいったい何台のモーバイルPCを買ってきたでしょうか。日進月歩で性能が向上するので、どうしても買い換えたくなるわけです。もちろん、途中で成仏するものもありましたが。

 そういう時代で、短い間刊行されていた『モーバイルPC』なんていう雑誌も読んでいましたですよ。別に雑誌に刺激されたわけではないですが、いろいろ買いました。試しました。

 
 



その二へ