関係のところに挨拶に行く前に思いつく人にはすべて挨拶メールを出そうとしていたら、まず**・**ペアが来た。引きも切らずというと大げさだが、適当に間をおいて何人もの人が来る。ついに午前中には挨拶メールを発信できなかった。

 昼過ぎ、いつもなら眠くなる時間になってやっと挨拶メールを出してから、******の**さんのところに挨拶に行った。あしたからは*****に移るのだという。懐かしい話をずいぶんして席に戻ると何通かのレスメールが来ていた。そのうちメールを読んできょうと知ったというのが何人か。これほど先様の方から来るとは思っていなかったので、瞬時、請われて「残ってくれ」ということになりはせぬかと心配した。

 応対に時間をとられてPCのデータ処置は、花を渡され、定時の鐘が鳴ってからの作業になってしまった。最後の最後に最近はとんとしたことのない「残業」。「怠け者の節句働き」という言葉があるが、最終日も時間外までウロウロすることになるとはいかにも要領の悪いオレらしいと自嘲しながら作業。

 メールとデータドライブのみ完全削除して、着替えたところに**さんが来た。「さっき、席に戻ってメールを読んだんだよ。もう帰ったろうとは思ったけど、来てみたらやっぱりこれだ」と笑う。きょうは正門から出るつもりだったので一緒に正門に向かった。

 正門を出たところで、荷物を置き、向き直って一礼。この工場に配属され、この工場で最後の日を迎えた。挨拶メールに書いたことにウソ偽りはない、「一貫して仕事を楽しみながら、今日を迎えることができました。本当に仕合わせな会社生活でした」。

 絶対に避けたいと思っていたことがある。最終日の花束を持って電車に乗ること。「いらない」と宣言して、置いて帰るつもりが、品保センター分とメンバーをあかさずに**さんが届けてくれた分の二束になった。紙袋にあふれんばかりの二束の花。それが妙に誇らしく思えて、わざとカバーをかけずに電車に乗った。(3/31/2009)

 よる、八王子で出産退職をする**さんと合同の送別会。ほどよく酔って帰宅。**(家内)も送別会があるとかで不在。

 スタッカーの書類はすべて整理した。机の袖の引き出しに入れてあったファイル、業務目標の経過資料、賞与査定のためにとっておいた記録などはシュレッダーにかけ、その他はすべて捨てた。引き出しの7割を占めていたのは情報システム本部時代の資料。知的財産権でもめるなど、問合せがあるのではと思って捨てる決心がつかなかったのだが、品保に移籍してからは、結局、ほとんど引っ張り出すこともなかった。退職というのはいい。もうなんのためらいもなく片っ端から捨てられる。

 それでも、ビジネス特許の明細書、水道協会との共同研究報告書、電気学会の公共部会調査報告書、農業土木機械化協会の水管理技術指針原稿・・・などは躊躇した。たいていのものはいろいろな形で公開されているからその気になれば見られるのだが、手元の資料にはいろいろな経緯で削除せざるを得なかった部分が入っている。その時々、それなりに+αを出そうと手間をかけた、その思い出が懐かしい。

 思えば、ずいぶん仕合わせな会社生活だった。こうして思い出してみると、いつでも楽しみながら仕事をしてきたという気持ちが強い。マイクロコントローラの開発はハードもソフトもそれなりに楽しかったし、生田の超音波流量計・君津のテレメータなどのクレーム処理でさえ楽しみながら片付けた。まあ、できるならそういう陰の部分についても社史で取り上げてくれるような度量の大きい会社であったら、もっとよかったと思わないでもないが。(3/30/2009)

 千葉県知事選に森田健作が当選。いまにこの国の知事はすべてお笑いタレント、議員は世襲議員で占められることになるのかもしれぬ。当選会見で久しぶりに顔を見たが、浪人生活が長かったためか、かなりやつれて人相が悪くなった感じ。その干からびたゾンビが異常なハイテンションでまくし立てるさまは面白うてやがて悲しき何とやら、こんな奴に投票した県民が100万以上もいたとは、さすがにいつまでも垢抜けない千葉だけのことはあると密かに嗤った。

 どうもこの国に暮らす人々は、最近、総体的に「劣化」の一途をたどっているような気がしてならない。「世間相場」というものが著しく「低い」ものになったということだろう。

 退職の挨拶メールの文案を三種類用意した。本当にお世話になった方に宛てたもの、同輩ないしはそれに準ずる人たち向け、そして本当に心を伝え後事を託したい期待の人へ送るもの、この三種類だ。それぞれのグループ毎に宛先リストを作り始めてつくづく思ったことがある。

 入社したころには「見上げるばかりの人」がかなりいたのに対して、だんだんにそういう「人物」が少なくなり、いまや相当に悩まないと「これ」という人がほとんどいなくなったということだ。それは何も知らないぽっと出の学生には、誰も彼もがみんな偉い人にみえたなどということではない。自分がどれほどのものであるかを別にすれば、人物の真贋についての「眼」は社会人になる頃には身につけていた。それはちょうどどんなに勉強しない学生でも教師の真贋は正確に見極めるのと同じだ。

 別にこの会社に限定しない。社外の学会、協会、研究会、すべての場面で、30年前に比べれば、確実にこの国の「人材」は劣化している。お笑いタレントをバカにしているわけではない。しかし、東国原にしろ、橋下(彼は弁護士ではないかという勿れ。感情にまかせて弁護士の職を貶めるような輩はもはや弁護士ではない)にしろ、森田にしろ、芸人としてはよくて「中の下」、シビアに見積もれば「埋め草」だった。ということは、そのていどのお笑いタレントを評価するような選挙民もまた「中の下」であり、使い捨ての「埋め草」だということだ。人間は同類と思える相手にのみ親近感を抱くものだ。(3/29/2009)

 **さんの一周忌。もう一年が経ったわけか。行き帰りの総武線、居眠りをしながら、「いまは長い日曜日の午後と思っているんだろうが、日が沈むのは早いものよ」と語る**(母)さんの夢を見た。ずいぶんリアルな夢で思わず苦笑い。

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 朝刊に面白い記事が載っている。キューバ西岸のメキシコ湾深海部には100億バレルていどの原油があり、その採掘が今年第二四半期には始まる見通しだというもの。キューバが採掘権を与えたのはスペイン・ベネズエラの7企業。経済制裁をしているためにアメリカの石油メジャーはいまのところ指をくわえてみているだけ。ジリジリし始めたらしい。制裁解除派のアメリカのキューバ通商商会の会長は「キューバが石油を手にすれば、アメリカとの政治的な力関係も変わる。アメリカが必要とするものを史上初めてキューバが手に入れる意味は大きい」と語った由。一方、制裁維持派の中心であるマイアミあたりの亡命キューバ人社会も世代交代が進み、制裁など無意味という空気になりつつあるとか。

 記事は「オバマ政権の誕生と制裁支持派の先細り。探鉱が進み、『石油大国キューバ』が現実化したあかつきには、経済制裁の意味を問う論議が米国で加速する可能性が高い」と結んでいる。アメリカのキューバに対する経済制裁はどこか日本の北朝鮮に対する経済制裁に似ているところがある。いずれも自己満足には役立っているが、底が抜けているためにほとんど無意味なものになっているということ。

 斜陽の帝国としてはまたぞろお得意の石油の「簒奪」戦争を仕掛けたいところだろうが、あいにくキューバには「大量破壊兵器」はない。今度はどんなでっち上げをするか。斜陽の帝国のお手並みを世界は注視することだろう。(3/28/2009)

 きょうも休暇。健康保険は任意加入に切り替えてもらうのだが、来週火曜日に保険証を返納して任意加入の保険証が来るまで2週間くらい見かけ上は「無保険」になる。岩田皮膚科と秋津診療所の受診時期が迫っているので、きょう受けておくことにした。予約外だと極端に待ち時間が長くなる。きのう社会保険事務所で鍛えられているので、なんということもない。それでも午前・午後に分けて、ほぼ一日仕事。

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 北朝鮮が人工衛星の打ち上げを国際海事機関と国際民間航空機関に通告しているという話が徐々に徐々に大きくなっている。政府は、きょう、安全保障会議を開いてミサイルが領土・領海に落果した場合には自衛隊法に基づく「弾道ミサイル破壊措置命令」を発令することを決定した由。

 北朝鮮に人工衛星を打ち上げるための技術が確立しているかどうかということになるとはなはだ疑わしいことは事実(最終段がそのまま周回軌道に乗るくらいならできるだろうが、最終段から独立した専用衛星を射出する技術はかなり高度)だが、だからといって人工衛星打ち上げを名目にした長距離ミサイルの実験だと決めつける確たる証拠はないらしい。麻生総理は「人工衛星であっても安保理決議違反だ」としているようだが、このあたりにきちんとしたデータをもたない限り制裁決議を提出したところで、来月の当番議長国のメキシコ、その他の非常任理事国(さいわい我が国は現在非常任理事国だが)のすべてを納得させ、中国とロシアの拒否権発動にプレッシャーをかけることはできないだろう。

 それにしても、と思う。彼の国の技術レベルが正確に把握できていない以上、万一に備えてしかるべき配備を自衛隊に命ずることには意味があるが、原則、非公表で運用してきたこの種の命令をものものしい言葉を使ってマスコミ発表して騒ぎ回るのは愚の骨頂ではないか。この手のことについて「公表」する意味があるのは、万一予測される事態が発生した際には、我々国民がこのようにすれば被害を回避あるいは最小化することができるということをあわせて示すことができる場合であろう。

 北朝鮮のミサイルが誤って国民が働きあるいは住む場所に落ちてきた時に「迎撃」するというが、「迎撃」に失敗した時にはどうしたらよいのか、そういう情報があわせて提示できなければ無用の混乱を生むだけのことだ。とすれば、むしろ秘密裏に粛々と配備をする方がよいのだ。現在のミサイル防衛技術は高いようにいわれているが、それは「はい、標的を何時何分何秒に打ち上げました。さあ、どうぞ」という実験での話、今回の場合は打ち上げ時間帯がアナウンスされているから、あるていど、これに近いとはいえ、お膳立てのできた実験との違いは覚悟しなければならない。「迎撃」に成功する確率は低いだろう。できれば「迎撃」などしたくないのが自衛隊のホンネではないか。某政府高官(鴻池某といわれている)の「当たらない」というコメントは失敗した時のショックを緩和するための発言のようにも思える。大げさに騒げば騒ぐほど、様々の意味で、この国の愚かしい実態を晒すことになる。これは軍事的には拙劣の一語に尽きるのではないか。

 万一、北朝鮮が一段目、二段目の燃えがらも予告どおりの海域に落下し、最終段から射出された「人工衛星」を打ち上げてしまった(確率は我がPAC3の命中度とどっこいどっこいだと思うが)ならば、それこそ大山鳴動・ネズミはゼロ匹。そんなときには大恥をかくことになりかねない。

 もう一言、書き加えよう。いままでいくたびか、原子力電池を搭載した軍事衛星が落下してきたことがあったが、その「予告」に際して我が国はどのように対処してきたか、思い出してみるがいい。政府は熱中しただろうか、マスコミはバカ騒ぎをしただろうか。(3/27/2009)

 年金の受給申請(裁定請求というらしい)手続き。総務の**さんの話では最近は必ずしも会社を管轄する社会保険事務所でなくてもよいとの話だったが、受付の事務所から管轄まで転送されたりなどするとより時間がかかるのではと思い、五反田まで出かけた。

 きのうの夜、雇用保険番号が必要と分かり、朝一で**さんと連絡を取るなどして、家を出たのは10時半過ぎ。社会保険事務所に着いたのはお昼頃になってしまった。番号札は74番。待合室の表示器は「現在39番」。壁に貼られた案内には30分で5人が目安とのこと。窓口は5つ、一人30分程度を見込んでいるらしい。3時間半ということは早くても3時半、遅ければ4時になる。

 最初からその覚悟、iPodも本も持参しているのだからどうということはない。待ち時間の目安のつもりでフルニエによる「無伴奏チェロ組曲」をスタートして、佐藤優と魚住昭の対談「ナショナリズムという迷宮」を読み始めた。あいまに30分ほど居眠りを挟んで、ひたすら表示器の数字が増えるのを待った。「チェロ組曲」はCDにして2枚、約2時間。番号はやっと60番台後半になった。つづけてルヴィエによるドビュッシー「前奏曲集」にした、これもCDにすれば2枚だから。

 「ナショナリズム・・・」は対談のせいもあって読みやすく、3時を過ぎたところで読み終わってしまった。つくづく「テロルとクーデターの予感」の方も持ってくるのだったと悔いたが仕方がない。「大変お待たせいたしました、74番の方、3番窓口までおいで下さい」のアナウンスがあったのは4時少し前だった。「前奏曲集」は第2巻「オンディーヌ」になっていた。謄本、住民票、**(家内)の源泉徴収票など、添付書類は完備している。15分くらいで申請書はクリアになった。だが「繰り上げ」に関することと**(家内)の「つながっていない年金」の確認などがあって40分くらいかかった。やはり一人30分ではなかなか終わらないのだ。3時半が4時までずれ込んだ事情は合点がいった。

 「こんなに一生懸命やってらっしゃるのにいろいろ見当違いのことをいわれて大変ですね」と言うと、窓口の女性は「ありがとうございます、年金はなかなかわかりにくいところがございますから・・・」と如才のない答え。「現場」は着実丁寧に仕事をしているのに「机上の空論」で仕組みをいじる連中に振り回される。どこの世界もそんなことなのかもしれない。(3/26/2009)

 きのう、退職金の「通知」があった。応接室で「面談」、それなりの形は整えているのだが、金額の説明は「ホールディングスの人事勤労部から送られてきましたのでお伝えします」と言うばかりで、何がどうしてこの金額になるのかについては「聞かれても困る」という表情。

 めざましい貢献をしたわけではないのだから総額に文句があるわけではない。しかし我々の世代に適用されるはずの「旧規程」の計算のどこがどのように「変更」されたのかくらいは誠実に説明して欲しいものだ。会社の現況がこうなのだからというなら理解をするにやぶさかではない。それを「幹部職」を名目に「基準支給額」の算出式すら説明せず、「功労加算金」とか「餞別金」などの名目金で飾り立てて格好をつけるというのはいささか失礼な話だ。

 そして最後の給料日がきょうだった。予告どおりしっかりと10%のカット。給与明細には「減額」とある。暮れのボーナスのカットのときは「緊急減額措置」となっていた。「緊急」と「措置」の字が削られている。これは相当の経済情勢の好転がない限り「減額」を恒常化するということかもしれぬ。もはや関わりのないことだから、どうでもよいが。

 定年後の延長措置についても条件を変えるという話が聞こえてきた。定年時の年俸7割コースで決定したメンバーのうちの何人かはワンランク下げられて年俸300万コース、しかも半年ごとの再契約になるらしい。さらに嗤えるのはその年俸に対して副理事レベルのカットをかけるということ。300万に対して10%カットされ、半年ごとの「評価」・「再延長」のストレス。確約したはずの年俸をいともあっさりと減額した(「年俸」とはいったいどういう意味なのか?!)のだから、この先さらに何%かの「再減額」が待ち受けている可能性もあろう。

 なにより「Bコース」で合意したはずがこの期に及んで「Cコース」などと言われたら、プライドも何もあったものではない。まあプライドを踏みにじって自主退職に追い込むというのは、世間の「慇懃無礼部」が用いる常套(上等?)手段ではあるけれど。

 コース面談があったのはおととしの11月だったから、別に「リーマンショック」を予見して「Dコース:60歳打止め」を選択したわけではない。だがこういう成り行きになってみると、「円満ニコニコ退職」を選択したのは会社を恨まずにすんだという点で「先見の明」があったようにさえ思えてくる。

 それにしても、最後のボーナスもカット、最後の給料もカット。**(家内)曰く、「最後の最後までカットされて、後味、悪いわね」。まったく同感。(3/25/2009)

 まさにきょうは「イチローの日」だった。

 まず、WBC。韓国との決勝戦は好試合だった。

 決勝戦のきょうに至るまでイチローはサムライ・ジャパンのバグであった。「しかし」ではなく、「だから」、延長10回表、韓国バッテリーはイチローと勝負に出た。試合後の話では韓国ベンチは敬遠を指示したとのことだが、この大会のイチローならば、次にいる中島と比較してあえてイチローをとったバッテリーの気持ちもよく分かる。

 結果として、延長10回5-3、日本は二連覇を果たした。日本中はちょっとした騒ぎだ。もしきょうこの国でサムライ・ジャパンの勝利を心から喜ばぬ者がいるとしたら、自らの名を冠したジャパンを率いて口ほどにもない惨敗を喫した某監督くらいのものだろう。

 閑話休題。

 もう一人のイチローは続投宣言をした。小沢一郎は好きではない。しかし嫌われるくらいのアクがなくては現下の難局を乗り切ることはできない。そういう意味で小沢には期待していただけにじつに残念だ。

 小沢の悔しい気持ちは分からないではない。もともと政治資金規正法はザル法として作られているのだから、そのザルでアクをすくい取ることはできない。ダミーの政治団体から政治献金を受け取っているのは小沢一人ではない。この国の裁判所がまっとうであるならば、起訴された大久保秘書は無罪になるだろう。そうでなれば自民党の大多数の議員はすべて逮捕されなければならぬ。仮に大久保が有罪になるとしたら、検察庁は「法の下の平等」を実現するために大忙しになることだろう。

 だが、そういう見通しがあったとしても小沢には深慮遠謀をもって欲しかった。マキャベリストであって欲しかった。つまり、個人的にどれほど悔しくてもニッコリ笑って代表心得くらいに降り、代表代行を立てるという知恵を発揮してもらいたかった。そうすれば、今回のシナリオを書いたカスミガセキの奥の院は震え上がったに違いない。

 小沢は麻生サイドが仕掛けたと思ったために「国策捜査」などと口走ってしまった。この策謀の黒幕は官僚グループだったのではないか。政府与党が仕掛けたものでなかったからこそ、浮き足立つ自民党議員をなだめるために、事務方トップの漆間官房副長官があえて「自民党は大丈夫」などと発言しなければならなかったのだ。

 小沢よ、官僚と戦うためには、もっともっと腰を据えなくてはダメだ。・・・と書きつつ、先ほどの小沢の会見を思い出してみた。あんなていたらくでは、小沢イチローには土壇場のヒットは期待できそうにない。がっかりだよ、イチロー。(3/24/2009)

 起き抜けのニュース映像。FedExの貨物便が成田で着陸に失敗して炎上しているものだった。ウィンドシアという現象が原因の由。風は息をする。それがたまたま魔の八分間にあたる。たいていはどうということはない。「ま」の問題だったのか、「ていど」の問題だったのか。

§

 WBCの方は9-4でアメリカを下し、あした二連覇をかけて韓国と対戦することになった。それにしても韓国とはじつに五度目の対戦になる。いまや卑怯者の「大国」に成り下がったアメリカ合衆国が手前勝手な組み合わせにこだわった「歪み」が生んだ結果だ。

 どういうことか。アメリカは徹底的に強いところとあたることを避けるように予選の組み合わせを操作した。一次ラウンド、A組は日本・韓国・中国・台湾、B組はキューバ・メキシコ・オーストラリア・南アフリカ、C組はアメリカ・カナダ・ベネズエラ・イタリア、D組はプエルトリコ・ドミニカ・パナマ・オランダとなっている。地域での代表決定と考えるならば、A組は妥当なところだが、残りの構成はかなり恣意的だ。カナダ・アメリカときたら、メキシコ・パナマだろう。地域という組み合わせに乗らないオーストラリア・南アフリカ・イタリア・オランダで構成すれば、残りはカリブ沿岸地域、キューバ・プエルトリコ・ドミニカ・ベネズエラというのが一番自然だ。

 それでも二次ラウンドの組み合わせが一次ラウンドの自動的な持ち上げというアホらしい設定でなかったならば日韓が5試合というバカバカしい現象は起きなかった。この組み合わせは明らかに決勝トーナメントまでは絶対に日本・韓国・キューバという一線級とは戦いたくないというカワード・アメリカのたくらみだった。しかしアメリカの仕掛けも結果的には空しかった。決勝は真の勇者同士の対決になったのだから。斜陽の帝国の凋落はまず精神の腐敗から始まっているといってよい。(3/23/2009)

 韓国か、ベネズエラか、どちらが決勝戦にコマを進めるのかとテレビの前に座ったが、一回の表にして興味は急速にしぼんでしまった。試合開始時点というのは球審のストライクゾーンは狭いものだ。これが先攻めの韓国に利した。そしてベネズエラのお粗末なダブルエラーと決定的なスリーラン。早々と5点のハンディを背負ったベネズエラはラテン系らしい「潔さ」(かつてはサクラを引き合いにひたすら我が民族の美風と持ち上げられたものだ)でじつに「淡泊」。終わってみれば10-2で韓国の楽勝。

 さて、あしたの対アメリカ戦。遺恨の試合に決まりをつけられるかどうか。しかし日曜日が韓国対ベネズエラで、日本対アメリカが月曜日とはね。仕事があればよいのだが、仕事もなしに会社にいると、どうしても新聞サイトの更新を繰り返すことになってしまうとは分かっている。**(上の息子)は「オレは半休とるよ」と宣言し、**(家内)は「休めばいいのに」というが、三連休あけの朝に電話で「きょう休みます」と連絡するのはどうも引っかかる。仮に決勝に進んでもあさっては退職金面談の予定になっているし・・・と、脈絡のない理屈とは承知しつつ、出勤の予定。(3/22/2009)

 一橋から春期公開講座の案内が来た。秋の講座は引っ越しもあって申し込みをしなかった。案内は前回の受講者だけかと思っていたが、一度リストに載ると自動的に来るものらしい。今回のテーマは「雇用と生活のセーフティネット」と「日本のカカク」。すぐに頭がオーバーヒートしてしまう現状では二つを受講するのは無理。「価格」をあえて「カカク」と書いてあるところが面白そうなので、今回も15時からのコースを選択するつもり。最終回が6月13日となっているから北海道旅行には影響がないが同期会の方は引っかかる。格別会いたい人がいるわけではない、同期会は欠席でいい。

 きょうの朝刊別紙赤beの「うたの旅人」は「なごり雪」。ずいぶん昔に書いた「歌情」のトップは「なごり雪」だった。どうもうまくまとめることができなくて「想い出ジュークボックス」にアップするには至っていない。それは**と**がそれぞれの思いをどのように引きずっているのか、確かめたいと思いながら果たしていないからでもあった。

 そんな風にしているうちに**の方は去年亡くなってしまった。ついに彼の「それから」については聞き損ねたままになった。今週火曜日、**の細君に供物を送ったとき、添えた手紙に「・・・『青春』と呼ばれるときのいくつもの想い出と**くんはかたく結びついています。スキーにも行きましたし、音楽会などもつきあいました。なかなか、すべては書けませんが、ほんとうに、いろいろありました」と書いた。「なごり雪」のことを書こうと思ってやめた。夫を亡くした妻にとって、そんなことは「つまらないこと」に違いなかろう。

 しかしこの歌を聴くと、まったく境遇の違う二人の男がじつに似通った思いから、津山と新見まで行き、街をさまよった上で、何一つできず空しく帰ってきた、それぞれのうちあけ話が、まるで自分の経験でもあったかのように浮かんでくる。あの名リフレイン「・・・春が来てきみはきれいになった、去年よりずっときれいになった」とともに。(3/21/2009)

 WBC・サンディエゴ・ラウンド、グループ1優勝決定の対韓国戦。このラウンドはじめてテレビ観戦した。結果は6-2で勝利。

 勝つには勝ったが、きょうの韓国はこの試合を必ずしも「This game」とは思っていなかったようだ。試合後、韓国の金寅植監督は「きょうの勝敗には重要な意味はない」と語ったそうだ。それは負け惜しみとばかりは思えない。きょうの敗戦で韓国の日程は日曜(現地では土曜)のベネズエラ戦、それに勝てば火曜(同:月曜)の決勝戦ということになった。こちらはあした、あさってを休んで、月曜(同:日曜)のアメリカ戦、そして勝ち上がればその翌日に決勝戦を迎える。どちらが有利ということは簡単には言えないが、ホームタウン・デシジョンの前科をもつアメリカと準決勝を戦うのは「紛れ」の多い「運命」の選択だったかもしれない。(いまのアメリカにはフェアプレイの精神は期待できない。いや、むしろアンフェアはいまやアメリカという国の専売特許になりつつさえある)

 それはそれとして、この試合、イチローは最終打席に右中間にツーベースを打ったが、それまではレフトフライ、ファーストゴロ、ライトフライ、センターライナー。二回、四回、七回はいずれもランナーをおきながらの凡打。もうほとんどイチローは並みの選手だ。

 問題はそのイチローを「特別の選手」としてしか扱えないことにある。月曜の朝刊、「週刊現代」と「週刊ポスト」の広告には、それぞれ、「イチローの異変」、「イチローに忍び寄る老いの兆候」という見出しがおどっていた。立ち読みした「現代」では向井万起男がイチローの長打率が昨年はじめて4割を切ったことと出塁率も低下しつつあることを指摘していたし、「ポスト」では豊田泰光が「今のイチローは、老いを迎えた時の典型的な兆候」と言い、野村克也は東京・ラウンドの順位決定戦で韓国に負けたのち、「衰えが始まる年齢だが自分はそれに気づかない。休養をとらせてやるのもいいんだが」と言っていた。

 次はもうトーナメント戦になる。メンテナンスをしながら戦えたのはきょうまでだ。サムライ・ジャパンの投手陣は一級品だが、打撃陣ははっきりいって見劣りがする。その原因のひとつは打線の中にバグがあることだ。バグがあると知りながら残しておくSEは失格だ。マーフィーの法則、「If it can happen , it will happen .」は正しい。とはいえ原監督にはイチローを外すだけの勇気は持てないだろう。サンディエゴ・ラウンドを勝ち上がれるかどうかはイチロー景気次第だと書いた。準決勝ではその予測が当たりそうな気がしてならない。うざいイチローは大嫌いだが、ここは堪えて、「頑張れ、イチロー!!」。(3/20/2009)

 田岡俊二の「『軍略』探照灯」、今月は小沢一郎の「日本におけるアメリカ軍は第七艦隊の存在で十分」発言を取り上げている。田岡も「在日米軍の実態と米軍再編の方向、米国の財政事情を考えれば、将来は小沢説のような状況になる可能性が高いように思われる」と書き出し、いくつかの「データ」を紹介した上で「小沢氏の迂回献金についての認識には疑問を感じるが、軍事情勢の認識は正確と思わざるをえない」と結んでいる。

 紹介された「データ」をメモしておく。

 在日米空軍は嘉手納にF15を54機、三沢にF16を40機、配備していることになっているが、中東に派遣されているものが多く、「ミリタリー・バランス」は嘉手納が15機、三沢が18機としている。全世界的な米軍再編計画に従い第五空軍を廃止したいとのアメリカの意向に対して、日本側が形だけでも司令部機能を残して欲しいと回答した経緯がある。

 在日米陸軍は2,500人ほどだが、実戦部隊はトリイ・ステーション(沖縄)に特殊部隊約300人、嘉手納に対空砲兵(パトリオットPAC3)約600人で、残りは情報および補給要員に過ぎない。

 在日米海兵隊は沖縄に12,000人いる。主力の第三海兵師団は連隊編成で砲18門、戦車はゼロというプアなもの。その他、2,000人が岩国などに分散している由。

 こうしてみると、海兵隊の駐留は群を抜いているが、おそらくは米軍としては既存の基地(85箇所にのぼる)の確保と日本が気前よく払ってくれる「思いやり予算」(2008年度は2,083億円、最盛時は2,700億円を超えた)をもらうための実績づくりなのだろう。

 この沖縄駐屯の海兵隊もアメリカの世界戦略の変更から進められる再編成の中で、約8,000人がグァムに移転することになっている。日本に残る6,000人は「みかじめ料」をとるための「虚勢」で、彼らには日本本土を「防衛」する能力もなければ、気持ちもありはしない。そんなものに二千億、彼らの立ち退き料に一兆円弱を支払おうというのがいまの政府の考え方だ。

 麻生は「防衛に詳しい人ならば、そんなことは言わない」と言い、町村は「暴論以外のなにものでもない」と言い、天下のウケウリ新聞は「日米同盟を危うくする発言」と社説に書いた。彼らはほんとうに何も知らないバカなのか。それとも、「安全保障」とさえ言っておけば、このバカバカしい金遣いの実態を隠せると考えてのことなのか。いったいどちらなのだろう。

 後者だとすれば、誰からか隠そうとしたのか。件の新聞は現在この国で一番売れている新聞だ。つまりその新聞の読者様、大勢の羊のようにおとなしく、手もなく騙されてニコニコしている過半数の愚民たち、その愚かな人々の判断力を眠らせるのが「安全保障」という言葉だということか。

 そうそう、その新聞の社説にはこうも書いてあった、「防衛費を三倍、五倍にする暴論」と。

 田岡はこう書いている。「日本の防空は1959年以降、既に50年間、航空自衛隊(戦闘機はF15、200機余りを主力に計360余機、対空ミサイル『パトリオット』4連装発射機135輌)が一手に担当してきた。在日米軍は日本の防空にはあたっておらず、日本の迎撃管制システム『バッジ』とのデータリンク機能も持っていない」。「日本の陸上防衛を担っているのは人員14万8千人、戦車900輌、ヘリコプター300機をもつ陸上自衛隊なのだ」と。

 田岡がウソを書いているかどうかは公刊されている「防衛白書」を見れば容易に確かめられる(田岡の提示データは平成18年度版にほぼ合致)。どう計算すると、日本の防衛にタッチしていない米軍の有無がさらに「三倍、五倍も防衛費」につながることになるというのか、ウケウリ新聞社説子には説明してもらいたいものだ。それともこれもまた無知な自民党議員の言葉をそのままウケウリしたものなのだろうか。バカがバカと共鳴しあってバカな人々をたらし込む、最悪の構図。

§

 WBC・サンディエゴ・ラウンド、敗者復活の対キューバ戦。5-0で勝ち、どうにかベスト4入り。このラウンドに入ってからとんとあたりのでないイチローにもやっと2安打。ただしニュース映像に見る限り13打席ぶりのヒットはラッキーバウンドヒットだし、その次のセンターオーバーはイージーボールだった。復調と言えるかどうかはビミョー。(3/19/2009)

 俗に「闇サイト殺人」と呼ばれる事件の一審判決があった。おととしの8月、携帯電話の「闇サイト」で知り合った男三人が、帰宅途中の女性会社員を襲い現金6万数千円とキャッシュカードを奪った上、ハンマーで殴打、ロープで絞殺し、遺体を山中に埋めるという事件が名古屋であった。三人は知り合ってから一週間足らずで犯行を計画、実行に移した。

 死刑宣告にはいわゆる「永山基準」が参考にされる。その基準は全部で9項目、

① 犯罪の性質
② 犯行の動機
③ 犯行態様、特に殺害方法の執拗性、残虐性
④ 結果の重大性、特に殺害された被害者の数
⑤ 遺族の被害感情
⑥ 社会的影響
⑦ 犯人の年齢
⑧ 前科
⑨ 犯行後の情状

と、なっている。

 今回の裁判では永山基準に照らしてどのような判断がなされるかが注目されていたが、判決は二人を死刑、一人を無期懲役とした。判決は三被告の役割と刑事責任には差がないとしつつ、川口被告の自首がなければ、捜査は難航しただけでなく、次の犯行がなされた可能性も十分に予想されたことを認め、無期に「減刑」した。

 今回の犯行は定められている極刑をもって臨むのが当然だろう。死刑制度そのものには反対だが、制度が廃止されていない以上、死刑判決に異論はない。問題は役割と責任に差異がないにも関わらず、自首した一人を「減刑」することの是非だ。

 被害者の母親・磯谷富美子さんは「人を殺して『ごめんなさい』と自首すれば自分の命は守れるなんて、日本の司法はおかしい」と判決を批判した。早くに連れあいを亡くした母の期待通りに育った娘、婚約者も決まりそれなりの青写真を描いていた矢先に降りかかった災難のことを思うと、同情というより胸の痛みを覚える。彼女の怒りは十二分に理解できる。

 しかし問題は「遺族の復仇感情を優先すべきか」、「社会的な効果を優先すべきか」というところに収斂する。知らぬ同士がネットによって結びつく時代、三人寄って出す知恵が文殊の知恵ならぬ悪魔の知恵だとするなら、「抜け駆け」によって罪一等減ずるという「悪魔の取引」も認めなくては、安全の実現はあまりにも心許ない。できるなら彼女には帰らぬ娘の犠牲を社会的に活かす気持ちになってはもらえないものかと、そう思う。

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 WBC・サンディエゴ・ラウンド、対韓国戦。1-4で負け。投手陣はそこそこなるも、打撃陣はイチローなみと書けば足りる。イチローはきょうもノーヒット。(3/18/2009)

 日経BPのサイト、「ニュースを斬る」に郷原信郎が「『ガダルカナル』化する特捜捜査」と題して、小沢の公設秘書による政治資金収支報告書虚偽記載容疑について書いている。郷原は「国策捜査」という小沢の主張を退け、「むしろ、検察側の政治的影響の『過小評価』が現在の混乱を招いているように思える」としている。その根拠として彼は「今回の強制捜査着手後に、東京地検の特捜部以外の他の部のみならず、全国の地検から検事の応援派遣を受けて行われている事実」を上げている。例年であればこの時期は年度末に行われる定期異動(全検事の三分の一が異動する由)に備えて捜査・公判などの業務引継準備を行う時で応援の依頼などは歓迎されない時期であるという。それに加えて今年は5月の裁判員制度の実施を順調に滑り出させなければならない例年にはない特別な優先事項があるではないかとも。

 郷原は「そういう事情がありながら、あえて応援検事派遣も含む捜査体制の増強を行ったのであれば、よほどの事情があるからであろう。それは、強制捜査に着手したところ、民主党サイドの猛反発、強烈な検察批判などによって、予想外に大きな政治的・社会的影響が生じてしまったことに驚愕し、批判をかわすため、泥縄式に捜査の戦線を拡大しているということではないか。当初から、他地検への応援要請が必要と考えていたのであれば、強制捜査着手を別の時期に設定していたはずだ」と書いている。

 素人ですら「虚偽記載?」と思った件について、元検事の郷原は「献金の名義とされた西松建設のOBが代表を務める政治団体の実体が全くないということでなければ、大久保容疑者が西松建設の資金による献金だと認識していても収支報告書の虚偽記載罪は成立しない」と書いている。さらに「政治団体には実体が存在するかどうか疑わしいものが無数に存在するのであり、新聞では報じられていないが、この政治団体には事務所も存在し、代表者のOBが常駐し、一応活動の実態もあったという情報もある。団体としての実体が全くなかったことの立証は容易ではなさそうだ」と経験者らしい指摘もしている。

 夜のニュースではその小沢一郎が「そう遠くないうちに当局の判断が示される。その結論が出た時に進退について判断する」と言ったことが報ぜられた。大久保容疑者の勾留期限は来週24日、ちょうど一週間後だ。郷原は「検察は『特捜不敗神話』へのこだわりを捨てて事件を早期に決着させ、今回の捜査の目的と経過について国民に説明責任を果たすべきだ」と結論していたが、おそらく特捜は死にものぐるいで「別件」を作り上げ拘置の引き延ばしを図るか、メンツにかけて無理筋の「起訴」に持ち込むだろう。いったいどんな「ウルトラC」をみせてくれるのか楽しみに待つことにしよう。(3/17/2009)

 朝刊2面に、こんな記事が載っている。見出しは「漢字誤読は『原稿見ないから』」。きのうのNHKの番組で、漢字の誤読の原因をテリー伊藤に問われた我が宰相、こう答えた由。「原稿をあまり見てしゃべることをしないということが大きいと思います」。

 「小人の過つや必ず文る」はきのうあげたからやめておこう。そうだ、ユダヤ人が伝えた話がいい。禁じられた木の実を食べたアダムは「神様、あなたが添わせて下さったイブがその実をくれたので食べたのです」といいわけし、イブは「蛇さんが、すすめるので食べたのです」といいわけした。知恵の木の実を食べて人間が最初に身につけた「知恵」は「いいわけ」だったらしい。

 我が宰相もさすがに「漢字を読めないのは学習院では教えてくれなかったから」ではあまりに心細いいいわけだと思ったのだろう、頭をひねってこしらえたわけだ。しかしこのいいわけのできは最低だ。原稿を見ても見なくても、ソラでしゃべるから「未曾有」が「ミゾユウ」になることはないし、暗記をすると「踏襲」が「フシュウ」に変化することもない。また「頻繁」はどのように言葉をいじっても「煩雑」という言葉と等値ではあり得ない。これはもうほとんど洒落にすらなっていない。

 麻生くん、いいわけにならないような愚かないいわけをひねり出すくらいなら、正直に答えた方がいいよ。「漢字を読み間違うのは、私に教養がないからです」と。古希近くになって教養とも言えぬレベルの教養すらないと白状するのは辛いことかもしれないが、ないものをあるようにみせても、より惨めな恥を晒すだけのことだ。白状してみな、どうだい、すっきりしたろう、カツ丼、とってやろうか、呵々。

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 WBC・サンディエゴ・ラウンド、対キューバ戦。6-0で完勝。イチローはノーヒット。(3/16/2009)

 久しぶりの好天。気持ちのよい日射し。**(家内)も**(上の息子)も出かけた。静かだ。

 年金手続き用の謄本の送付依頼を打ち出してポストイン。いつも戸籍をこちらに移そうかと思っては、結局、そのまま。面倒というのではない。一度も住んだことのない街ながら、墓のある街、仙台に繋がっていたいという気持ちが抜けないからだ。**(父)さんもきっとそんな気持ちだったのだろう。

 ちょっと時間がある。ホームページに久しぶりに注釈をつけようと思った。つけようと思っているのはまず「未亡人」、そして「混沌」、「小人の過つや必ず文る」、この三つ。

 まず広辞苑で「未亡人」を引く。引くといっても最近はほとんどペーパー版ではなくCD版。「左伝荘公二十八年」とある。荘公は「左伝」のはじめごろ、岩波文庫では上巻。「二十八年」とまで教えられているのだから、たどり着くのは造作もない。それを書き写して「荘子」と「論語」に取りかかればよかったのだが、余裕意識からパラパラと他のページをめくってしまった。

 「左伝」はずいぶん前に本棚に並んだのだが「面白そう」とは思わなかった。「散漫」という印象が強かった。ところがきょうはそんな感じではなかった。レコードと同じで、ものすごくその本と波長があう日というのがある。「僖公」に引き込まれ、いろいろ考えながら読み進むうちに、あっという間に一日が終わってしまった。(3/15/2009)

 二、三日前に毎日と読売のサイトに我が宰相の外遊費に関する記事が載っていた。麻生の外遊は去年9月の国連総会から今年1月の韓国まで計5回、約6億5,800万円かかったということだった。けさの朝日の朝刊には、その内訳がもう少し詳しく載っている。(括弧内は随行員の人数)

 ①国連総会:ニューヨーク:1億4,400万円(47人)、②アジア欧州会議:北京8,000万円(94人)、③金融サミット(ワシントン)1億7,600万円(88人)、④APEC首脳会議:2億2,200万(95人)、⑤日韓首脳会談(ソウル)3,600万円(46人)。

 毎日と読売のサイトで読んだ時にはレイムダックのくせに遊び回るのだけは一丁前かいと腹が立ったが、こうしてみると日韓会談以外は仕方がないかと思わせぬでもない。

 しかし記事には続きがある。「ダボス会議(スイス)、日ロ首脳会談(サハリン)、日米首脳会談(ワシントン)は未精算」。なるほど無理に作った外遊については隠したということか。それにしても半年足らずで8回の外遊。半人前のサブ・プライム・ミニスターがまるで思い出作りのように外遊を繰り返しているさまは異様。

 麻生は4月にはロンドンで行われる金融サミットとタイで開催の東アジアサミット、5月にはプーチンの訪日を迎え、太平洋・島サミットをホストし、7月のマッダレーナ・サミットまで粘るために、空白の6月に日韓首脳会談(日本)と日中首脳会談(中国)のセッティングを調整させている由。唯一、あまり批判されることのない外交で首相の椅子にしがみつこうという作戦らしい。

 見苦しさもここに極まる。相手国の首脳は支持率一桁の無力な首相相手に腹では笑いながら、何かむしり取るものはないかと算段する。我々国民の税金は空費され、このウィークポイントから国益のみならず尊敬までも失っている。いい加減にしろ、バイコク・タロー。(3/14/2009)

 「兵を去らん」、そう答えた。子貢に政治の基本を問われ、孔子は「食と兵と信」と答えた。さらに続けて「やむを得ず三つのどれかを犠牲にするとしたら、何が先でしょうか」と子貢が問うと、「兵を去らん」、孔子はそう答えたと「論語」にはある。

 さきほど朝日のサイトにこんな記事を見つけた。

見出し:財政難のアイスランド、防衛庁廃止も検討
 【ロンドン=土佐茂生】経済危機に陥っているアイスランド政府は財政難のため、防衛庁を廃止する検討を始めた。スカルフェディンソン外相が先月下旬、「1クローナさえ無駄にしないため、省庁の再編や廃止の可能性がある」と述べ、外務省のもとにある防衛庁の廃止を示唆した。
 防衛庁は、51年から駐留していた米軍が06年に撤退したのを受け、昨年、設置されたばかり。米軍が使用していた基地やレーダー施設の管理が主な業務で、09年予算案では12億クローナ(約10億円)が計上されている。しかし、閣僚の中からは「過去の遺物」などと不要論も根強い。
 同国は北大西洋条約機構(NATO)に加盟しているが、軍隊はなく、180人の沿岸警備隊を持つのみ。

 土壇場のアイスランドの選択は孔子の言葉どおり。

 ところで孔子は政治にとって最後まで守るべきものを何と答えたか。答は「兵」でも「食」でもなく「信」であった。「信なくば立たず」、と。この国では、最近、一番最初に捨てられているものだ。(3/13/2009)

 ポマードの瓶の底が見えてきた。ライオンのスコアがなくなってから(おととし1月に販売終了の由)しばらくいろいろな整髪料を試した。匂いがきつかったり、ベタベタしたり、ゴワゴワしたり、スコアに相当するものはなかなか見つからなかった。

 最近は商品の回転が早い。新製品のラッシュの陰で満足して使っていたものがどんどん消えてゆく。大から小までほとんどの商品が値上がりし、そのくせ、もともと持っていた基本的な良さを失ってしまう場合が少なくない。日用品などというものは入れ代わり立ち代わり新製品を必要とするものではない。ロングランするように開発し、同じものを長く作り続けて欲しいと思うが、そういうものがどんどん少なくなっているように感ずるのは老人のひがみだろうか。

 最初はギラギラのイメージから候補にしていなかったポマードだが、少量を伸ばすようにすれば存外使い勝手がいいし、匂いも気にならないと分かった。買ったのは小遣い帳によるとおととしの12月19日。まさか退職の日まで保つとは思わなかった。

 柳家のポマード、その垢抜けないパッケージを見ていると、せっかく見つけたこいつもなくなってしまうような気がしてきた。品薄感が出てきた数年前、スコアを半ダースほどまとめて買ったっけ、空しい抵抗だったが。こいつも少しまとめ買いをしておこうか。一瓶で15カ月だから、一ダースも買っておけば死ぬまで足りるだろう。そこまで考えて気がついた、整髪料が不要になるのは必ずしも死ぬ時ではないことに。生きていたって、髪の毛がなくなれば、整髪料は要らなくなるのだ。思わず、独り笑い。(3/12/2009)

 未亡人という言葉がある。「未だ亡くならざる人」、そのままに意味をとれば、亡くなって然るべきなのにまだ死なない人ということになる。夫を亡くした妻に対して使うとすれば失礼な話ということで、マスコミでは「不快用語」としている。だがおおもとの「春秋左伝」では夫を亡くした妻が自らをへりくだって使っており、発想法はどうあれ、これは謙譲の言葉であった。他人のことをさして、本人以外が使う言葉ではなかったわけだ。それでもどうだろう、「金賢姫」に対してならば、あえてこの言葉を使いたいと思う人はいるかもしれない。

 金賢姫。大韓航空機爆破事件の犯人として死刑判決を受けた女性。その金賢姫が拉致被害者田口八重子の叔父・飯塚繁雄と息子・飯塚耕一郎(彼は叔父の子供として育てられた由)と釜山で面会した。夜のニュースはトップ扱いになっている。

 ずっと不思議に思っていることがある。北朝鮮当局はなぜ金賢姫と金勝一を日本人に偽装させたのかということだ。金勝一が自殺し、生き残った金賢姫が自供することによって、犯行は北朝鮮によるものだということになった。北朝鮮は直ちに「事件は南韓の自作自演によるもの」と主張した。疑問はそこだ。計画に齟齬をきたした時には「南の自作自演」と主張するつもりだったなら、最初から「彼」と「彼女」を韓国人にしておかなかったのはなぜかということだ。

 金賢姫の日本語ははっきりいって下手だ。たしかにバーレーンの係官にとって彼女の日本語の巧拙は分からない。だが日本語はメジャーな言語ではない。したがって日本語に堪能な係官がいないとなれば、すぐに現地の日本の大使館ないしは領事館に通訳を依頼することになるはず。彼女の日本語のレベルでは日本人でないことはすぐにばれてしまう。「南の自作自演」と主張するなら、わざわざ日本語を習得する必要はない。最初から「韓国人」で通す方がはるかにシンプルで破綻の可能性は低くなる。なぜ「日本人が大韓航空機を爆破した」という偽装が必要だったのだろう。(金賢姫はじつは中国人にも偽装すべく、マカオから拉致した中国人女性が中国語を教えていた由)

 面会は明らかに韓国(金賢姫)ペースで進められたようだ。夜のニュースでは、飯塚繁雄と耕一郎が先に会場で待ち、金賢姫が入ってくるという映像がオンエアされていた。飯塚がなにごとか挨拶すると、金賢姫は「私の方から先にご挨拶をすべきなのに・・・」と応じた。ああ南北を問わず、半島にはまだ儒教の色が濃いのだなと思ったが、その言葉はまた別のことを連想させた。

 今回の面会について韓国メディアは日本ほど騒いでいないという。爆破された機の乗客の遺族は「我々に会おうとしない金賢姫が、なぜ事件の被害者でもない日本人に先に会うのだ」と抗議した由。シャバで暮らしながら十数年以上にわたって遺族側に挨拶もしていない、会見も拒否している(あるいは拒否することができる)というのは普通の話ではなく、金賢姫という「元死刑囚」が「特別な犯罪者」であることを意味している。遺族からすれば「未亡人・金賢姫」の行動の後ろ側には、まだまだ明らかにされていない「闇」のようなものが意識されているのかもしれない。

 日本人に偽装したこと以外にも、大韓航空機爆破事件にはあまり問題とされていない不自然な点がいくつかある。ひとことで言えば、爆破の完璧さ(完璧だったのだろう、なにしろ、機体は一部しか発見されず、乗客の遺体も最終的には収容されなかったのだから)に比べ、金勝一・金賢姫の行動レベルの稚拙さが際立っているということ。このギャップがあまりにも大きい。

 「飯塚繁雄」の名前から「飯塚盈延」を連想した。飯塚盈延、スパイMとして戦前の日本共産党を自滅に導いた男。そういう想像をしてみると、「私の方からご挨拶をすべきなのに・・・」という言葉は、彼女が意識している以上に様々な意味にとることができる言葉に思えてくる。(3/11/2009)

 午後、東大武田先端知ホールで原子力ワークショップ。きょうのテーマは「原子力の安全管理と社会環境」。第一部が「原子力施設における安全性の確保」で、第二部が「原子力施設に対する信頼の獲得」。

 原子力分野の人気は低下の一途をたどっている。「原子力工学」はもはや天才・秀才にとって魅力のある分野ではなく、第n志望分野になってしまったらしい。つまり才能でいえば二流半か三流といった階層が穴場狙いで入ってくる分野。技術分野の広い裾野に支えられて、かろうじて動かすことができる原子力施設が広い眼を持った人材が確保できなくなるとしたら恐ろしい話だ。

 例によって品質管理学会系の先生たちが来ていて、いつもながらの話をしていた。話そのものは正しいし、それなりに役に立つ話なのだが、原子力プラントをその他のプラントの要求品質より一段高いものとする程度の理解は致命的に間違っている。製鉄所で高炉がぶっ飛んでも、石油精製所で蒸留装置が爆発しても、その日その時刻に、その施設に近いところにいた人が死に、あるいは廃人になるだけのことだ。しかし原子炉が「爆発」した場合は、その日、その時刻、近隣にいた(ただしそれは一般プラントの数倍以上もの影響範囲になる)すべての人とその子孫にまで「死」と「畸形」が及ぶのだ。未来まで含めて博打を打つ権利は誰にもない。凡百のプラントと原子力プラントの要求品質は連続ではない。

 事故ゼロも、未来への影響ゼロも、誰にも保証などできない。しかし現在の理屈はこうだ。自分がその施設の近くにいなければいい。原発の近くに住んでいる奴は電源三法による恩恵を受けている。札束と引き替えにリスクを引き受けたのだ。そういう連中が犠牲になっても自分が死ぬわけでも苦しむわけでもなければいいじゃないか。有り体に言えばそれが原子力関係者の「理屈」なのだ。そういう身も蓋もない事実の上で、品質屋さんは教訓を垂れ、広告屋さんは有効なPRをチャラチャラとおしゃべりしている。まさに知的退廃の極にいるくせにさっぱりした顔をしている。いつものことだが、そういう違和感は増すばかりだった。(3/10/2009)

 報道各社の世論調査がいっせいに報ぜられている。予想したとおり、55~65%が小沢の代表辞任を求めている。小沢が辞任すべきだという人々に訊いてみたいものだ。いま報ぜられているだけの事実と秘書の逮捕理由を政治資金規正法に照らし合わせた時、どんな条文のどこに違反しているのか説明できますかと。おそらく99%は言葉を濁すに違いない。つまり「違法なこと」が問題なのではなく、「検察に逮捕されたこと」が問題なのだというだけのこと。少なくとも先週の大久保逮捕からきょうまでのマスコミ報道ではどんな「虚偽事実」が「記載」されたかということは明確ではない。もともと政治資金規正法はザル法であるように作ってあるのだから、そのザルに引っかけるのはひどく難しいのだということにすら気づかない。なるほど民主政治とはいまの日本にあっては衆愚政治そのものだ。

 民主党にも自民党から流れてきた連中がいるのだから、選挙民は基本的に烏合の衆であるという認識くらいは持っているだろう。所詮その程度の選挙民ならば、そのレベルにあわせるのが上策だ。小沢を代表のまま「監理ポスト」におき代表代理を立てる。その上で「是非とも、公正、かつ厳正な捜査を強く望む」と検察とおそらくは陰で仕掛けたであろう政府・自民党に圧力をかければよい。そのように民主党が「攻める」ならば自民党内は大いに混乱するだろう。なぜなら今回の「仕掛け」には党内抗争すら仕込まれていた形跡がある(二階俊博の名前が上がっているのはじつに象徴的)からだ。そのような「反転攻勢」があれば、最終的に大久保秘書の起訴は見合わされ、検察内部もまた大がかりな体制の組み直しがなされるに違いない。今回の特捜の捜査には釈然としないものが多すぎる。

 きょうの嗤い話、三題。

 ひとつめ。小沢辞任が過半数を超えても、麻生の支持率は横ばいないしはわずかに下落し、首相にふさわしいのはという質問ではすべて小沢に負けていた。敵失があってもまだビハインド、逆転もできないとは笑止。

 ふたつめ。オフレコでの不用意発言について、参院予算委員会で質問された元警察庁長官にして現内閣官房副長官漆間巌の答弁。「私と3人の秘書官の記憶を突き合わせた結果、そういう発言はしたことはないという記憶になった」。法律的に瑕疵はない言葉だ。ただ、それだけにかえって「そういう発言をしたとはとても言うことができません。惻隠の情でお察し下さい」と言っていることが目立ってしまうという可笑しさよ。

 みっつめ。漆間発言関係の報道について、我が宰相は、午前中、「誤った報道」とふんぞり返ったが、夕方になって「長官の記憶と記者の受け止めにずれがあった」と前言を撤回した。麻生がツッパッてはヒヨり、ヒヨッてはゴマかすチンピラだということは周知の事実だが、その「ブレまくり発言帳」にまたまた嘲笑すべき1ページが加わった。

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 WBC、東京・ラウンドの首位決定戦の結果を書いておく。0-1で韓国に完封負け。ヒット数では4本対6本と勝りながら、肝心の所で押さえられた。コールド勝ちも完封負けもいまのこのチームならやらかしそうなことだけにサンディエゴ・ラウンドが心配。(3/9/2009)

 ある「政府高官」が「自民党側は立件できない」という見解を語ったとするニュースが小さく報ぜられたのは6日の朝だった。そして朝日はきのうの朝刊にじつに面白い書き方をして、件の「政府高官」が漆間巌官房副長官であると伝えた。こんな書き方だ。

 西松建設の違法献金事件で「自民党側は立件できない」と発言した政府高官は6日夜、改めて記者団の取材に応じ、「一般論として、違法性の認識の立証がいかに難しいかという話をした。『自民党側に捜査が及ばない』とは言っていない」と発言を否定した。一方、民主党はこの政府高官を元警察庁長官で官僚トップの漆間巌官房副長官とみて、週明けの国会で追及する。
 政府高官は記者団に「記者の皆さんのとらえ方で、私の本意ではない」と釈明。「捜査は検察が決めることで、私は情報が入る立場ではない」と捜査情報を踏まえた発言でないことも強調した。朝日新聞はこの高官に身分を公表するよう求めたが拒まれた。
 この問題で民主党は、9日の参院予算委員会に政府参考人として漆間氏の出席を要求し、発言の主であるかどうかを直接ただす構え。だが、政府は応じない方針だ。
 また新党大地の鈴木宗男代表は6日夜のBS放送の番組で、「漆間氏が『自民党に発展しない』と言うことがおかしい。権力側が裏でつるんでやってるという話になる」と実名を挙げて批判した。漆間氏は警察庁長官を経て、麻生内閣発足の08年9月に中央省庁を束ねる事務担当の官房副長官に就任した。
 政府高官の発言が出たのは定期的に開かれる記者団との懇談。メモをとらないオフレコ扱いで、政策などの真意や背景を聞く場だ。記者はニュース性があると判断した発言は、「政府高官」を主語にして報じる。

 当初、「国策捜査ということは現にあり得ないし、あり得べきことでもない。そのようなことを類推させるようなことが政府側から出ることはあり得ない」と言っていた川村官房長官、きょうになって一転して件の「政府高官」が漆間であることを認めた。調べてびっくりだったのか、シラを切るつもりが言い逃れできないと観念したのかは分からないが、この内閣、半日もすれば言うことがコロコロ変わるマンガのような内閣らしい。

 面白いと言えば、朝日の暴露に日経、毎日、東京と続く中で、やっと読売のサイトにこの記事が出たのは、なんとつい先ほど21時8分のことだった。その記事の末尾には「河村官房長官が『政府筋』が漆間副長官であることを公表したことを受けて、読売新聞は今後、実名で報道します」という一文が添えられている。御用新聞というのもなかなか辛いもののようで、同情申し上げねばなるまい。(アル中大臣のローマ同行取材の時も「密着取材」しながら「本紙記者」の存在を隠し、それがばれてから「電話連絡のため席を外していたので飲酒したかどうかは不明」と噴飯ものの釈明を書いていたっけ)

 それにしても、警察庁長官まで務めた切れ者が、うっかりでこんな発言をするものだろうか。どうもいまひとつ隠された裏がありそうな話だ。(3/8/2009)

 WBC東京ラウンドの突破がかかった対韓国戦。結果はじつに意外なものだった。14-2。7回終了で日本のコールド勝ち。この組み合わせでコールドゲームを予測した者はいなかっただろう。

 1回表、先頭バッターのイチローが2球目をライト前にヒットした。続く中島が二遊間をゴロで抜くヒット。青木がピッチャーの金広鉉(キム・グァンヒョン)の股間を抜くヒットを打って、イチローが二塁から生還した。この間、たった6球。北京で星野ジャパンに煮え湯を飲ませた金広鉉にしてみれば、目が覚めないうちの得点に思えたことだろう。二死のあと、左投手対策としてはじめてスタメンに入った内川が三塁線へ鋭いツーベースを放って2点を追加した。

 松坂の立ち上がりはいつものようにもたついた。トップをショートゴロに打ち取ったものの、二番にセンター前のヒット、三番には右中間に運ばれた。イチローから三塁への投球は平凡なもので一塁走者は楽々三塁に達したが、サードの村田の判断がよく打者走者を二塁直近で刺した。このプレイは大きかった。なぜなら続く四番の金泰均(キム・テギュン)に特大のホームランを打たれたのだから。

 この後の試合経過は徐々に徐々に一方的なものになって、結局、「サムライ・ジャパン」はコールド勝ちをした。

 おとといの試合の後はそれなりにインタビューに応じたイチローだったが、きのう、練習を終えた時は記者からの問いかけには無愛想を通した。その映像を見て、ひょっとしたら、この試合で調子を戻すかもしれないと思った。それはあたった。イチローよ、無理はしない方がいい。それとできたらCM出演をもう少し減らすことだ。その気はなくとも気づかぬうちに気を遣って媚びることが一番の敵なのだから。(3/7/2009)

 ニューヨーク市場がすごいことになっている。週明けに7,000ドルの大台をあっさりと割り、終値で6,763ドル29セントと一気に299ドル64セント下げ(先週水曜日から4日連続の下げ)、4日(こちらでいうと5日の朝)に149ドル82セント戻したものの、けさは起きてみると281ドル40セント下げて6,594ドル44セントだった。

 もうあまり大きな声で「ブラック**」というような語られ方はしなくなった。音もなく静かに株式市場全体が降下してゆく。そんな感じだ。ガルブレイスの「大暴落1929」に書かれた市況の変化を思い出させる地盤沈下のような光景。

 理由は信用収縮にあるといわれている。今週になってAIGに対する追加支援が発表された。なんと4度目だ。今週の分を加えると政府支援の総額は約1,800億ドルになるとのこと。それでもAIGが無数の核弾頭(CDS)を抱えている以上、アメリカ政府はAIGへの支援を打ち切ることはできない。

 だがいずれそのアメリカ政府にも政府自体の破綻の懸念が持ち上がってくるだろう。ふくらみきったアメリカ国債という風船(本当はバブルと呼んでもいいのだろう)がはじける可能性について誰もが心配をし始めるだろうから。(3/6/2009)

 スーダンのバシル大統領に国際刑事裁判所(ICC)の予審裁判部が逮捕状を発行した。現職の国家元首に対してICCが逮捕状を出すのは初めての由。容疑はバシルがダルフール紛争に際し、軍と民兵組織に命じて組織的に殺人、強姦などを行わせたというもの。朝刊1面と9面に記事がある。以下、9面の記事から。

 ICCは現在、アフリカの民族紛争など四つの事件を扱い、予審裁判部はバシル氏以前に、12人の逮捕状を発行した。しかし、逮捕されてハーグに移送されたのは4人にとどまる。ICC自体は逮捕状を執行する権限がないため、加盟国当局や国際機関の協力がすべてだ。身柄を拘束できるかが第一のハードルになる。
 ICCによる訴追の動きに強く反発してきたバシル氏の場合、捜査に協力する可能性はほとんどない。しかし逮捕状が出たことで、拘束される可能性があるICC加盟国(108カ国)の訪問は事実上不可能になるうえ、スーダンへの投資を控える動きが出るなど、各国との関係にも影響が出る可能性が高まる。ICC検察局は、バシル氏の責任追及に向け、逮捕状がもたらす直接・間接の国際圧力も狙っているとみられる。
 バシル氏は昨年7月の逮捕状請求以降、自国民や関係の良いアラブ諸国に自身への支持・協力を呼びかけた。一方で「ダルフール紛争の刑事責任は国内で追及する」と一部の民兵リーダーを逮捕するなどしたが、ICCは「訴追をかわすためのポーズ」として認めず、逮捕状発行を決断した。
 ICCによる人道犯罪の責任追及には、同様の問題を抱える国も少なくなく、国際社会は一枚岩ではない。さらにスーダンの場合、南北内戦の和平監視など、計約2万5千人にのぼる国連の活動が展開中。バシル氏がこうした活動を「人質」にとる形で妨害する可能性もある。そうなれば、スーダン南部の復興やダルフール紛争の国内避難民保護が遅れるおそれも出てくる。

 国連の安保理事会がこれをどう受けるか。ICCを敵視してきたアメリカがオバマ政権になってどう反応するか。いや、それ以上に国際的非難を浴びながらバシル政権を支持してきた中国がどう対応するかの方が興味深い。

 閑話休題。長くアメリカの鼻息をうかがって加盟しなかった日本は、2007年10月、福田内閣の時にICCの加盟国となった。この記事との関係で書けば、バシル大統領が来日すれば、その身柄を拘束することになるということ。

 しかし非加盟国であっても容疑を明確にした上で逮捕状が発行でき、それが一定以上の効果を持つということに注目すべきだ。「返せ、返せ」、「皆さんのお力添えを」と叫ぶだけで、それ以上の試みについては消極的にさえ見える拉致被害者家族会や救う会などは、こういうこともひとつの手段として講ずることをアピールすべきだ。政府のお膳立てだけをありがたがっていたのでは、もうそろそろ「本気」の度合いが疑われても仕方がなかろう。

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 WBC、初戦、日本対中国は4-0で勝利。中国相手にこれくらいかというのが大方の印象だろう。「イチロー景気」次第だと思ってきたが、なんときょうも5打席でノーヒット。4回裏などは1アウト2・3塁、内野手は前進守備という好条件でもセカンドゴロ。土曜日の対韓国戦が心配。(3/5/2009)

 休暇。**(家内)と野火止公民館でNPO主催の「資産管理のための活用術」なるセミナーを受講。内容的には格別のことはなかったが、資産に限らずリタイア生活に備えて、考えておくべきことと考え方のポイントが的確にまとめられていてよかった。「尊厳死宣言書」と「公正証書遺言」についてはなるべく早いうちに作っておこう。「委任契約」と「任意後見契約」については、**(下の息子)にも声をかけた上で、原則**(上の息子)にする方向で話をつけておくべきかもしれない。懸念がないうちに手を打っておくことが必要。

 ついに60歳。2009年3月4日、20時28分現在、仕合わせです。恵まれているとも思っています。もちろん自分一人の力でここに立っているとは思っていません。

 **(父)さん、**(母)さん、ありがとうございます。この家を使えるということが残された時間の生活にかなり余裕を持たせてくれました。気持ちとしてはギボンがローマ帝国衰亡史についての研究をまとめることができた理由としてあげたものに近いと思います。蕩尽するほどはなく、方便のために志をまげなくともよいていどはある・・・。

 **(家内)、ありがとう。よく支えてくれました。**(上の息子)、**(下の息子)、ありがとう。ほとんど心配することなく、それぞれにりっぱに自立してくれたことは、いまは子供自慢のみっともなさについて自覚がありますからしませんが、触れて回りたいくらいです。できれば、早く、お嫁さんを見つけてください。そして、できれば、すぐに、孫を抱かせてください。まだほどよい自制心があるうちがいいです。

 友人にも、先輩にも、同僚にも、・・・そして会社にも、それぞれに異なった感謝の気持ちがありますが、歯が浮きそうなので書きません。(3/4/2009)

 小沢一郎の公設第一秘書・大久保隆規が東京地検特捜部に逮捕された。容疑は03年から06年までの4年間に総額2000万円の寄付を西松建設から受けていたにも関わらず政治資金収支報告書に記載していなかったというもの。最初はそういう報道だった。小沢一郎ともあろうものがずいぶん間の抜けたことをしていたものだと思った。

 小沢側は「すべて適切にやっている」と主張している。小沢側の主張は「寄付は(西松建設OBが代表を務める)新政治問題研究会と(同様の)未来産業研究会から(小沢の資金管理団体である)陸山会にわたったもので合法であり、収支報告書記載もそのようになっている」というわけだ。それにしても、小沢の資金管理団体名が「陸山会」というのは嗤わせる。師匠すじの田中角栄の「越山会」そっくりのネーミングではないか。

 報道によると西松建設OBが代表となっているふたつの「研究会」は西松建設の社員、家族が加入しており、会社からはその会費相当額がボーナスに上乗せして支給されているとのこと。検察の容疑はそのような仕組みによって西松建設が支払っているカネだということを小沢サイドは十分に承知した上で受け取っていたに違いないというところにある。

 小沢一郎本人を含めてカネが西松建設から来たものであることを認識していなかったなどということはあり得ないから検察の主張は理解できるが、たとえダミー団体であったとしても「新政治問題研究会」と「未来産業研究会」という名称の団体からカネがわたったことは間違いない「事実」なのだから、逮捕容疑が「虚偽記載」だけということは考えられない。両研究会から陸山会への支払いがあったことを「虚偽」と決めつけることはできない以上、おそらくもっと別の罪名の容疑があるはずだ。しかしそれは報道されていない。少し不思議。

 鳩山民主党幹事長などは「国策捜査」だと言っているようだが、こういうことがらは四の五の言い訳を並べ立てなければいけないようでは「負け」だ。「国策捜査」だとすればなおのこと、民主党は小沢にこだわるべきではない。党代表のクビをすげ替えることが難しいのならば、とりあえず大久保秘書が起訴されるかどうかを見極めるまでの間、小沢を「待命」扱いにして代表代理を立てるべきだろう。

 岡田克也がいい。小沢対麻生という組み合わせよりは岡田対麻生の方がはるかに有利なはずだ。自民党が「奇貨」を得たのか、「策」に溺れたのか、どちらでもかまわないではないか、ドブに落ちることが確実ならば。(3/3/2009)

 いよいよ最後の一月。あさっての休暇を差し引けば、残り出勤日数は20日。有給休暇を使えば、最終日まで出勤しないことも可能だ。積立休暇はついに手つかずになってしまった。(労働協約によれば、通常は入院などの健康上の問題以外には取得できない積立休暇だが、退職準備の名目ならば取得可能の由)。

 けさ、朝礼当番の**さんがスピーチの後、2月のカレンダーを破りとっていた。「そうだった・・・」と切れ切れに二つのことが頭に浮かんで消えた。

 ひとつ。子供の頃、月が変わり、カレンダーを破るのが楽しみだった。破りとった前月のカレンダーの裏、何も書かれていない紙を使えることがちょっとした「ぜいたく」だった。粗悪な折り込み広告の紙とは格段に違う上質のアート紙。真っ白で絵描き帳よりも大きな紙。「設計図」のようなものを書くのが好きだった。はじめの頃は「暮らしの手帖」に載っていた台所のレイアウト図をまねた。「設計」の対象はいろいろ。AからZまでの都市を点在させ、道路網(鉄道網だったかもしれない)で各都市間を結ぶという「設計」もあった。とにかく白く大きく自由なスペースに頭の中にあるものを写し取る快感。そんなことになんともいいようのない「ぜいたく」感を持っていた時代だった。

 もうひとつ。会社に入ったばかりの頃、月に一度(ないしは二月に一度)のカレンダー更新は、各職場に一人ずつ配属されている「庶務担当」の女性の仕事だった。毎朝職場メンバー全員の机を拭き、部課長の職制デート印の日付をその日に合わせ、いくつか置かれているくずかごを空け、花瓶にちょっとした季節の花を生け、・・・始業前のかなり前に出勤し、執務環境を整えておくことは職務基準にどこにもそんなことは書かれていないけれど、彼女たちの仕事の一部だった。最近の女性に格別の文句があるわけではない。ただそういうことが時代の空気だったということ。(3/2/2009)

 昨夜は**(上の息子)が入手してくれた券でWBC日本対ライオンズの強化試合を**(家内)と三人で観戦。

 試合結果は「空気の読めない」ライオンズが二桁安打で「サムライ・ジャパン」を圧倒してしまい、7対2で勝利。

 まず3回に大崎(ライオンズにこんな選手がいると知らなかった)がツーラン。5回には原(これも同じく知らない選手)のスクイズで1点。8回にはオリックスの小松に4連打を浴びせるなどして4点。先制、中押し、だめ押しと理想的な得点。対する「ダメ・ジャパン」は4回と最終回にかろうじて1点ずつを入れるにとどまった。

 勝負事には巡り合わせでどうにもこうにもならない場合がある。いやしくも「オールスター・ジャパン」だ、きのうはそれだったのだろうと思おうとした。だがテレビ観戦したきょうの対ジャイアンツ戦もひどいものだった。初回、ジャイアンツのアルフォンゾにソロホームランを喫する。5回にどうにか城島のヒットで同点に追いついたものの、じりじりする展開のまま延長戦。10回にサヨナラ暴投をもらってどうにか「勝った」。

 もちろん強化試合なのだから、必ずしも勝敗にこだわる必要はない。しかし負け方も勝ち方もひどいものだ。きのうの小松を論外とすれば、投手陣はさほど心配することはないとも言える。だが打撃陣は心配だ。イチローの不調は明らかでそれが走塁にまで影響している。きのうの盗塁死など、焦りさえ見える。チームの看板意識(本人にも周囲にもそれがありあり)が災いして、彼自身をダメにしているだけではなくそのままチームの空気を悪くしている。

 英語をしゃべろうとすると、板につかない大げさなジェスチャーを交え、一オクターブぐらい甲高い大声になり、妙に暑苦しい英語を使う人がいる。たいていは同じ日本人を前にしてスタンドプレイをする場合なのだが、いまのイチローにもそういうところがある。「ジャパン」というだけで、クールなイチローは消え、ちょっと異常なくらい熱くなる。ふだんのイチローではなくなっているのが可笑しい。いっそのこと控えに下げて代打にでもする方がみんなのため、いや本人自身のためかもしれない。

 まあ初戦は中国だ。ピッチャーのレベルは格段に低い。したがって、東京ラウンドはどうにかなるだろう。サンディエゴラウンドを勝ち上がれるかどうかは「イチロー景気」の善し悪しにかかっている。(3/1/2009)

 **(上の息子)は毎朝、朝風呂に入ってゆく。ウィークデー、週末を問わない。朝飯を食わなくとも風呂だけは入ってゆくのだそうだ。ソーラーがないせいもあって、ガス代は所沢時代の倍近いと**(家内)が言っていた。せっかく沸かし返したのならと、こちらも朝風呂。

 きのうの「グループサウンズ特集」を反芻しながら・・・、取り上げられなかった曲をいくつか口ずさむ。GSが全盛だった頃は受験時代に重なるし、なにより当時、あれは女の子のブームだった。だから彼らの曲を入れ込んで聴くことはなかった。それでもいくつかの曲は記憶の海の底に堆積している。

 文化祭や遠足などの行事ごとにガリ版刷りの歌集が発行された。謄写版・・・。パラフィン紙に鉄筆、こればかりは運筆がしっかりしていないと絶対にダメ。きれいな字を書ける女の子が引き受けることになるからだろう、集められる曲は彼女たちの趣味に任された。

 忘れないのはザ・サベージの「いつまでもいつまでも」。「**ちゃん、この曲、好きなんだねぇ~」と誰かが言った言葉が耳に残っている。「そうか、あいつはこの歌が好きなのか」と思った。憧れの彼女というわけではない。ただ、「いらなくなったから、これ、あげる」と数Ⅲの虎の巻をくれた子。それはなにかの気まぐれ、たぶん間違って買ってしまったのに気づいた瞬間、からかい半分に思いついたいたずらだったんだろう。

 それでも、いま同様、頭の固いオレは「なにか、おかえしをしなきゃ」と思い込んでしまった。富貴堂でちょっと気の利いた白鳥をかたどった小物入れを買った。そこまではいい。だが、さてそれを渡そうとする段になって困った。どんなタイミングで渡せばいいのか、「エッ、なに?」ということになったらどう言うか。悩みに悩むうちに一年が経ち、卒業の日が近づいてきてしまった。・・・ここからはいくら記憶を呼び起こそうとしても思い出せない。渡したことは事実なのだが、どんなやりとりをしたのかなど、なにひとつ憶えていない。消されたように記憶がないのは、よほど思い出したくないことでもあったからかと思うが、その割にそこに至るまでの記憶は甘酸っぱく思い出される。

 同窓名簿によると、原宿あたりに住み、「バローギャング」という名のブティックかなにかに勤めているということだったが、関東地区の同期会が始まる前には亡くなっていた。

 去年くらいだったろうか、テレビからこの曲が流れてきた。千葉銀行のコマーシャルだった。「あいつ、この歌が好きだった・・・いつまでもいつまでも後ろ姿をいつまでも・・・」。(2/28/2009)

 麻生太郎の面目躍如という話がきのうの夕刊に載っていた。

見出し:なぜ今? 首相、米前政権に苦言
 【ワシントン=小村田義之】麻生首相は25日付で掲載された米紙ワシントン・ポストのインタビューで、ブッシュ前政権の北朝鮮政策について「核計画の検証問題があいまいなまま対話しようとする傾向があった」と述べ、前政権の対応に不満を示した。
 首相はオバマ大統領との首脳会談のため訪米し、24日の会談後にインタビューに応じた。前政権の話とはいえ、首相が米国の北朝鮮政策を批判的に「評論」した形で、手のひらを返したような発言が波紋を呼びそうだ。
 同紙によると、インタビューは大半が通訳を通して行われた。首相は北朝鮮の核問題をめぐる6者協議について、もともと緊密に連携してきた日米両国に加え、李明博(イ・ミョンバク)政権になってから韓国も日米側に寄ってきたと解説。「4カ国対2カ国」の構図から「少なくとも3カ国対3カ国の構図になり、大きく変わった」との認識を示した。
 さらに首相は、クリントン国務長官が核検証の重要性を強調している、と評価。「ブッシュ政権の後期には、検証可能な査察の問題をあいまいな言い回しにしたまま、対話を行おうとする傾向があった」と語り、前大統領やライス前国務長官らが取り組んだ北朝鮮政策の妥当性を疑問視する見方を示した。

 いまになって、「郵政改革には反対だった」、「わたしは郵政改革担当ではなかった」。そして、「アメリカの対北朝鮮政策には瑕疵があった」というのだが、まさか「その時期、外務担当ではなかった」とは言わないだろうね。

 まあ、郵政改革担当についても、去年の9月頃には「わたしはその時総務大臣だった、郵政改革の主管大臣だったことを忘れないで下さいね」などと小池百合子に反論していた麻生くんのことだから、別の場所では「2005年から7年までわたしは外務大臣だった、外交の主管大臣だったことを忘れないで下さいね」と言うのかもしれない、平然と。こいつ、頭が悪いのか、恥知らずなのか、いったいどちらだ。(2/27/2009)

 きのう、民主党の小沢一郎は「日本におけるアメリカ軍は第7艦隊の存在で十分だ」という趣旨の発言をした。ごく当然の話でさしたるニュースとは思わなかったが、酔っぱらい会見や低支持率にくさっている自民党にはこれが「失言」に聞こえたらしい。だからであろう、漫画宰相は「防衛に詳しい人ならば、そんなことは言わない」と言い、無知が売り物だった前官房長官は「暴論以外のなにものでもない」とうれしそうにしゃべった。

 小沢の発言の真意はおそらくこの国の防衛は自らで担わなくてはならないというところにある。しからばどのようにこの国を防衛するかという議論について、たぶん彼が述べるであろうことには同意しないが、少なくともアメリカ軍の機能に関する彼の見解はまったく正しい。

 漫画宰相の粗雑な頭にある防衛知識からすれば、陸軍・空軍・海兵隊(かつて麻生は海兵隊を海軍の陸戦部隊のことと思っていたふしがある、大嗤いの誤解)が日本に駐留していることは「常識」なのだろう。だがちょっとばかり「防衛に詳しい人」であれば、それは「常識」でも何でもなく、それはただの「歴史的惰性」に過ぎない。だからこそアメリカ軍の再編成構想のもと、沖縄海兵隊のグアム移駐がプログラムされているし、さらには、陸軍は当然のこと空軍の減員までが計画されているのだ。

 つまり漫画脳しか持たない麻生、床屋談義レベルの町村、ご両人がいかに勉強不足で、現実感覚に乏しいかが露わになったということ。(2/26/2009)

 ・・・(前段略)・・・

 まあ、辞めてゆく身だ。こんなことに腹を立てても始まらない。朝刊には我が漫画宰相の訪米と首脳会談(昼食会も共同記者会見もないみすぼらしいところが際立つ)のことが報ぜられ、夕刊にはオバマ新大統領による議会での施政方針演説のことが載っている。

 日米首脳会談についてはなにひとつ記録すべきものはない。低支持率のアホウソウリに何ができるはずもないのだから当然の話。もう一方のオバマの議会演説は彼の国の状況がいかに容易ならざるものであるかを明らかにし、どのような姿勢で臨もうとしているかを宣言しただけのもの。それ以上でもそれ以下でもなかった。(2/25/2009)

 アカデミー賞の二部門を日本映画が受賞。さっそく、けさの日経にはこんな記事が載った。

見出し:「世界の邦画」高まる期待、海外開拓へ商機 アカデミー賞受賞
 22日開かれた米アカデミー賞の発表・授賞式で「おくりびと」(滝田洋二郎監督=53)が外国語映画賞を、「つみきのいえ」(加藤久仁生監督=31)が短編アニメ賞をそれぞれ受賞した。ここ数年、日本国内で着実に売り上げを増やしてきた邦画が「内向き」を脱して世界に市場を広げることができるか。今回の受賞は国内映画産業のグローバル化の行方を占う試金石ともなりそうだ。
 23日の東京株式市場では国内配給元である松竹の株価が急騰。終値は前週末比98円(15.2%)高の744円とこの日の高値で取引を終えた。「おくりびと」はTBSが主幹事となり松竹、電通、小学館などが出資する製作委員会が製作費を拠出、著作権などの権利を保有する。今回の受賞で松竹だけでなく、他の参加企業にも収益拡大のチャンスが広がることになる。

 なんといってもアカデミー賞。それも外国映画部門と短編アニメ部門の二部門。気分的に重苦しい当節だから、マスコミが飛びつくのは当然。はしゃいでしまうのも分かる。昨日来の報道では「おくりびと」が「マゲもの」ジャンルではなく「現代劇」ジャンルであることを特別に評価し、「日本人の独特な死生観」がよくあらわされた作品とする論調が目立った。

 しかし・・・、映画の舞台になったような地方はともかくとしてそれなりの都会の場合、いま自宅で弔いをする家はどれくらいあるのだろう。そもそも自宅で死を迎えられる人はどれくらいいるのだろう。日本的死生観として言立てて語れるほどのものはいまどれくらい残されているのだろう。受賞するやいなやグローバルな商品展開に思いが飛んでしまうような、そんな国だというのに。

 あえていうなら日本らしさが現れたのは加藤久仁生の言葉だった。「・・・Thank you, my pencil」、いささか興奮の体で、感謝の対象を列挙した彼はその中に「僕の鉛筆」を加えた。むしろそれが一番「日本的な感性」が現れた言葉だった。(2/24/2009)

 「百年に一度」という言葉が流行している。この表現は1930年頃の大恐慌以来の経済的混乱だという意味なのだろうが、現在起きていることはそれ以上のことになる可能性を有している。と、書くのは、アメリカ経済は地雷原を歩いているから。悪運が強ければ、地雷を踏むことなく、現在の苦境を脱するかもしれない。その時は「循環する不景気の時期だった」ですむかもしれないが、それを期待するのはよほどのオプティミストだ。やはり対人地雷程度は踏むと考えた方が良さそうだ。その時はさほど大きな被害ではなくともアメリカ経済は停滞を免れないだろう。もしも対戦車地雷級の大型CDSデフォルトが起きれば大混乱に陥るだろう。考えたくはない話だが、そういう混乱をリセットできるものがあるとすれば、「戦争」以外には思いつかない。

 たぶんいくつかの地雷には行き当たるだろう。オバマとそれに続く政権は金融セクターの総崩れという事態の回避のために腐心するに違いない。財政状況は綱渡りを余儀なくされる。なぜならドルの信認が崩れることがCDSデフォルト同様の対戦車地雷に相当するから。

 アメリカにとって最良の策は、まずアフガニスタンから手を引き、日本、ドイツ、・・・、世界各地に駐留している軍隊を総引き上げして軍事費を削減することなのだが、人間という動物はそういう賢明さを発揮できないように作られている。振り返ってみてはじめて、どれほど自分が愚かであったか、骨身に沁みて分かる、そういう愚かさが人間の属性なのだ。たとえば、石橋湛山が「小国主義」を「証明付」で主張しても当時の大日本帝国は正気に返ることはなかった。いまでさえ「愛国者」を名乗るバカ者どもは当時の愚かな中国侵略という誤りを認めようとしない。これを見れば「そもそも人間という動物は愚かであるように作られている」ということがよく分かるというものだ。

 話を元に戻す。いずれにしても、アメリカ経済は最良の条件でも沈滞し、常にドルと米国債の暴落の危険は続く。アメリカに依存した輸出にこだわる限り、それはとりもなおさず、対米輸出と日本同様に対米輸出に依存した中国への生産機材の輸出に寄りかかって「戦後最長の好景気」を演出してみせた小泉「構造改革」の延長線を夢見続ける限り、日本経済はアメリカ経済よりも悪い状況に甘んずることになる。「構造改革」とは、なんのことはない、アメリカに貢ぎ続ける「属国の構造」への転換を意味していたのだから。

 アメリカ依存の日本しか思い描けない自民党を中心とする既成政治屋や竹中平蔵のような曲学阿世の学匪(タケナカを学者と呼べばの話だが)たちに真の未来を構想する力はない。(2/23/2009)

 島根県が定めた「竹島の日」。韓国からの抗議団のメンバー4人が松江市の竹島資料室を訪れ、展示資料について「領有権の根拠が認められない」とクレームを付けた由。その後、県が主催する「竹島の日」記念式典が行われている県民会館に向かったところで警察に阻止され、再び資料室に戻って抗議文を県職員に手渡したという。

 竹島の帰属に関する問題について、どのような研究がなされているか詳らかにしないのでいまのところは白紙。ただ、一般論でいえば、文化的後進国であった我が国の方が歴史記録などの点では歩が悪いのではないかと懸念する。

 それはそれとして、わざわざ「敵中」に乗り込み、その主張を堂々と述べに来たというその心意気は天晴れという他はない。我が方の竹島狂いの士で彼の国に乗り込んで抗議活動をした者がいるかと問われればその例を知らない。

 身内同士で、やたらに勇ましいことを言いあい、己の激烈な言葉に自家中毒してますますのぼせ上がるという内弁慶ばかりでは、いささか情けない。それほどに竹島が大事ということならば、竹島狂いの士よ、さあ、血書を携えて訪韓し、彼の国の路上で信ずるところを吐露したらいかがか。このままでは韓国の士に後れをとることになる。勇気、有りや無しや、如何ぞ。(2/22/2009)

 エマニュエル・トッドの「帝国以後」を読んでいる。この本を買ったのは5年前の今ごろ。イラク戦争は形式的に終結し、ついにブッシュもいくら探しても発見されない「大量破壊兵器」について「わたしも事実を知りたい」などととぼけた返事をするようになった頃だった。

 この本は2002年9月にフランスで出され、イラク戦争に対するフランス・ドイツ両国政府の不参加という政治決定の背景にもなった由。和訳が出版されたのは翌年の春、航空母艦「エイブラハム・リンカーン」上でブッシュが「勝利演説」をした頃のことだった。

 トッドはwikipediaによると、あのポール・ニザンの孫なのだそうだ。二十代半ばの1976年に「最後の転落」という本で、識字率の向上、出産率の低下という原理的傾向は社会主義諸国にも例外なく当てはまるとした上で、1970年から乳児死亡率が上昇していることからソ連の崩壊を「予言」し、一躍世界に知られるようになったとか。

 「帝国以後」は同様の分析からアメリカもまた既に衰退に向かっていることを論じたもので、なかなか説得力がある。先ほど読み終えた第4章の終末部にはこんな記事があった。

 摩詞不思議なやり口によって、周縁部の特権者たちが資本投資と考えた金の動きは、アメリカ人にとっては、世界中から購入される財の日常的消費のために用いられる通貨記号物へと変貌してしまう。資本投資はしたがって、何らかの仕方で蒸発してしまうということになる。本来なら経済学は思弁し、分析し、予見しなければならないところだ。株価指数の下落、エンロンの消滅、アンダーセン会計事務所の内部崩壊は、探究の道筋と仮説とを提供してくれているのである。アメリカで倒産がある度に、それはヨーロッパや日本の銀行にとっては、資産の蒸発となって現れる。それにわれわれはフランスでの経験から、クレディ・リヨネ〔フランス有数の銀行〕のスキャンダルから、ジャン=マリ・メシエ〔経済財政省の高級官僚出身で「ヌーベル・エコノミー」の代表とされるフランスの複合企業ヴィヴァンデイ社会長、著書『ニュー・エコノミーなんか怖くない』〕のアメリカ贔屓の誇大な野望に至るまで、アメリカ合衆国への大量の投資は、あたかも切迫した破滅の予告のごときものであるということを知っている。どのようにして、どの程度の速さで、ヨーロッパ、日本、その他の国の投資家たちが身ぐるみ剥がれるかは、まだ分からないが、早晩身ぐるみ剥がれることは間違いない。最も考えられるのは、前代未聞の規模の証券パニックに続いてドルの崩壊が起るという連鎖反応で、その結果はアメリカ合衆国の「帝国」としての経済的地位に終止符を打つことになろう。二〇〇二年四月初旬に、エンロン・アンダーセン事件の結果として始まったドルの下落は、システムの偶然的不具合にすぎないのか、システムの終わりの始まりなのか、まだ分からない。そうしたことについて、何かが期待されたり予想されたりしたというためしはない。メカニズムの内部崩壊は、その出現がそうだったように、ある日突然、意外な形で起るだろう。

 買い込むばかりでほとんど読まなかった本が本棚に目白押している。時間の制約なしに興味の赴くままに片っ端から読める日は近い。ゾクゾクしてきた。(2/21/2009)

 月曜日、財務大臣中川昭一の醜態がテレビの画面を賑わせた日、内閣府は昨年第4四半期の実質GDPが前期比でマイナス3.3%、年率換算でマイナス12.7%と発表した。マスコミは「年率換算で2桁のマイナスは第一次オイルショックのあった74年第一四半期以来、戦後二度目」と伝えた。

 新入社員の入社が2カ月延期された年、それが74年だった。当時はまだ入社して三年目のことで目前の仕事しか眼中になかった。そしてそれと並ぶ激変の時に退職する。つまり会社生活の入り口と出口で二桁のマイナス成長に出くわしたわけだ。若くして知らず、そして今度は消えゆくために知らず。なんとまあ幸運な会社人生だったことか。めざましく出世していたら、最後の仕事がとんでもない困難な難題になっていたかもしれない。人生、すべて塞翁が馬とはよくいったものだ。(2/20/2009)

 日本という国のメンツに泥を塗った中川昭一に対して、「愛国的な人々」は腹を立て、お得意の「国辱大臣」だとか、「反日政治家」などのレッテル張りをして興奮しまくっているのではないかと思ったが、ネットを一覧した感じではどうもそうではないらしい。

 中川は「愛国的な人々」と「信仰」を同じくしている関係上、身内に「国辱」「反日」レッテルは貼りたくないという心理がはたらくらしい。ならば無視を決め込み、「そんな事件は知りません」という顔をすればいいのだが、そこはネット雀の悲しい性でチュンチュンと騒ぎ立てずにはいられない。そこで思いついたのが謀略説、つまり「中川ははめられたのだ」という主張。

 同行した日銀の白川総裁、財務省の玉木国際局長が記者会見出席をなぜ止めなかったのか、消費税増税派で財務省の主張とぴったりの与謝野があっさり後任になったのはどうしてか、それは財務省が仕組んだ中川追い落としのシナリオだったからだというわけ。

 高級官僚を極悪非道の人非人に仕立て上げて右往左往(右往右往というのが正しいか、呵々)するのは最近のポピュリストの常套手段だが、いくら彼らが悪辣だとしても無理矢理中川に酒を飲ませたり、酩酊状態に陥るほど大量の風邪薬を飲ませたりすることは不可能だろう。たしかに鼻先に酒の瓶をぶら下げるなどして誘導するくらいならできないことはないが、中川がマタタビを嗅いだネコ並みの反応をすると決まったものではなかろう。それとも「愛国的な人々」は「中川先生はネコ以上のアル中である」と信じて疑わないのだろうか。

 きょうはイージス艦あたごが漁船「清徳丸」を沈めた日からちょうど一年になる。あのときも「愛国的な人々」は「清徳丸」に乗っていた親子を北朝鮮のスパイだと決めつけ、イージス艦の探知能力を探るための活動で事故を起こし、姿をくらませたのだと書き立てていた。

 「愛国」マークの遮眼帯を付けると、ありとあらゆることは「反日」勢力の謀略に見えてしまうらしい。ほとんどビョーキの世界に住む方々には同情しつつ、密かに彼らの無知蒙昧につけ込んで一稼ぎしたい誘惑に駆られる。(2/19/2009)

 会社生活も出勤日は残り30日を切った。なるべくスムーズにと思って品質保証部会委員の交代を手始めに休暇・経費処理の承認までほとんどすべて引き継いだ。少し早くやり過ぎたのかもしれない、メールはほとんどCCで来るようになり、その数も減った。電話はもともとあまりない方だから長話をしたくともできない。

 会社にいて時間がたっぷりあるというのは辛いことだ。きょうは仕事への関連は薄いのを承知で、国際通貨研究所が主催するシンポジウムにでかけた。理事長行天豊雄の基調講演の後、アジア開発銀行総裁黒田東彦、香港中文大学学長劉遵義、インド準備銀行総裁ドゥヴリ・スバラオ、トヨタ自動車専務取締役岡部聰が順に中国、インドの経済状況とトヨタのアジア展開などを語る。

 行天は今回の経済危機がなぜこれほど深刻なものになったのか、グローバリゼーションの広がりから金融市場におけるリスクの監督・管理の欠如まで5つほど上げた後、中長期的な取り組み課題を4点(アメリカの過剰消費体質とアジアの過剰貯蓄体質の改善、金融改革、国際通貨体制、世界におけるアジアの役割)ほど上げた。聞き慣れた話以上のものはなく、ひょっとすると一介のサラリーマンでも語れるのではないかという印象。黒田、劉、スバラオの報告も同時通訳(黒田は英語で行った)のせいか、切れ切れのトピックスの羅列に聞こえ、岡崎の話は内容はともかく全体を通して現在の状況を俯瞰する議論に役立つようなベースノートにはなっていなかった。たぶんアジア経済圏を牛耳るようになるのは日本ではないのかもしれない。(2/18/2009)

 きのうの夜、麻生は「強行日程だと睡眠薬も飲むし体調も崩す」と理解(「睡眠薬」というのは「酒」の異名か)を示し、中川は「総理からは体調を管理し職務に精励して欲しいと言われた。職責を全うする」と言明した。

 きょうの昼になって、中川は「予算と関連法案が衆議院を通過したら、わたし自身のけじめとして辞表を提出する」と前言を翻した。そのニュースを聞いて、「やってる、やってる」と嗤った。(戦力の逐次投入は最悪の下策ということを知らない奴はバカ)

 帰宅してTBSの「イブニング・ニュース」を見ていると、芸能ニュースコーナーのさなかに「中川辞任」のテロップが流れ、ほどなく画面は辞任会見の映像に切り替わった。オンエアされた中川の言葉を記録する意味はない。与党内の空気が詰め腹を切らせたことは誰にでも分かることだから。

 中川の後任は与謝野が務めることになった。中川は財務相と金融担当相を兼務していた(要は大蔵大臣ということではないかと今更ながらに驚いた)から与謝野はじつに経済財政担当相・財務相・金融担当相を兼務することになる。与謝野は近しいメンバーに「冗談じゃないよ」と漏らした由。どのような表情で出た言葉かは分からないが同情に堪えない。

 今回の騒動が明らかにしたのは、アルコール依存症でも大臣になれる自民党という政党の惨状であり、麻生太郎のリーダーとしての判断力の欠如だ。その後ろに見えるのは、酔っぱらい運転の対象が車であればヒステリックに断罪するくせに、ことが政治となると遠巻きに嗤うだけというなんとも倒錯したこの国の風潮だ。発端が酩酊ならば辞任劇も酔歩そのもの。麻生内閣は安倍内閣の末期にそっくりの様相を呈してきた。(2/17/2009)

 「国辱」という言葉がある。ウヨクマインドの方たちが好んでお使いになる言葉だが、週末、ローマで開催されたG7会合直後の記者会見での中川昭一大臣の受け答えなどはまさに「国辱」そのものだったようだ。「受け答え」と書いたが、正確ではない。なにしろこの大臣、酔っぱらって質問の最中にも意識がもうろうとし、ろれつが回らない状況で「受け」ることも「答え」ることもできなかったのだから。

 きょう中川は釈明会見で「酒はワインをなめただけ、風邪薬を倍量飲んで、体調がすぐれなかった」と陳弁した。酔っぱらっていたというのではさすがに恥ずかしいから、薬のせいということにしたかったのだろうが、原因が何であれ外国メディアもいる国際会議後の記者会見の場にキチンとした受け答えができない状況で臨むという判断そのものが既にもう「国辱」なのだ。

 おそらくふだん国内ではナアナア・マアマアの政治記者ばかりで緊張感を欠いたユルいやりとりで済んでいるからこその「油断」だったのだろう。

 海外のメディアはもう「批判」などしていない。「トヨタやニッサンが大量の人員整理をしていることでも思い出せば目が醒めたろうに」とか、「この経済状況の中で酔っぱらいが財務大臣をしていて大丈夫とはさすがに経済大国」とか、・・・、あきれ果てて、あざ笑っている。そういえば、「経済は一流、政治は三流」というのが、この国のトレードマークだったっけ。

 ところで「国辱」大臣が釈明するところの「効きすぎた風邪薬」が本領を発揮したのは記者会見の時からだったのだろうか。それほどよく効く「お薬」ならばG7本会議の最中から「威力」を発揮したのではないか。そういう心配はしないでいいのかな。(2/16/2009)

 週末、平日を問わず、午後になると猛烈な眠気が襲ってくる。横になろうものなら2~3時間ぐらいは寝てしまう。すると夜の寝付きが遅くなる。あしたは月曜。なんとか我慢して乗り切った。

 いつもならこれで夜を迎えて風呂に入ればおさまってしまうのだが、きょうはどうしたことか猛烈に眠い。かろうじてきのうまでのところで区切ってホームページの更新を終えたところ。金曜日の「混沌」に注ノートでもと思っていたが、もうダメ。(2/15/2009)

 おととい以来、小泉発言が話題になっている。週末の「週間ニュース」はこれで持ちきりの体。

 マスコミが騒いでいるのは定額給付金の再可決に自民党内の造反があるのかないのかというあたり。たしかに小泉は安倍や麻生のようにバカではない。言いたいことをそのまま言ったり、単なるウケを狙ってしゃべるようなタマではないから、なにがしかの意図があっての発言に違いないという見込みだ。

 素直に考えれば、郵政民営化路線の見直しを口にしている麻生への直言ということになるが、麻生は「民営化の形の見直し」を言っているのであって、「民営化そのものを元に戻す」ということを言っているわけではない。四分社化について国民が理解していたとかいなかったとかいう話は、麻生らしい粗雑な言い方をするから誤解を招いているだけで、そもそもが、がさつな「郵政民営化案」など穴だらけであることを大半の国民は知らなかったということは紛れもない事実。(マスコミは「国民をバカにしている」と息巻いているが、あの単一イシューの選挙で自民党を勝たせたのだから、「国民」の少なくとも半分はバカだということは間違いのないところだ)

 カチンとくるとすれば、一括払い下げで甘い汁をすすろうとしていたオリックスの宮内義彦の目論見が外れたことくらいのもので、それは宮内なり日本郵政の西川善文が拙劣だっただけのこと、小泉なり竹中には痛くも痒くもないはず。

 もっとも「かんぽの宿」の売却に際して、日本郵政はメリルリンチ日本証券と何の業務だか判然としない「アドバイザリー契約」を結び、6億円もの成功報酬を支払うことになっていたという。もし、そのうちのいくらかが小泉や竹中にキックバックされることにでもなっていたとすれば、麻生・鳩山がこの話を壊したことに立腹したのではないかという憶測が生まれるが、いくら日本の財産をアメリカに献上することにやけに熱心だった小泉・竹中でも、まさかそんなことまでしているとは思えない。

 とすると、この場面での麻生批判は郵政などについてではなく、単純に「中川秀直擁護」だったのかもしれない。

 先日、旧森派は「森裁定」で町村を会長にした。中川は代表世話人という肩書だけは残したものの事実上の「降格」になった。

 おとといの小泉発言はその中川を右隣において行われた。つまり中川を降格した森裁定に対する「反旗」である。ならば、その夜の森喜朗の荒れぶりは腑に落ちないでもない。

 中川は2000年秋の致命的なスキャンダルで「将」となる資格を完全に失ったといわれるが、お坊ちゃん育ちの二世族ばかりが並ぶ自民党の中ではそれなりの実力者だ。最近急速に旗色の悪くなった「構造改革派」を担いうる存在だから、小泉としては「活かしたい人材」なのかもしれない。付け加えれば、支持率数%で総理の椅子から降りざるを得なかった森がいつまでも「キングメーカー」のような振る舞うのに対し、小泉にしてみれば「オレは支持率三十数%、惜しまれつつ辞めた総理だ」という気持ちがあってもおかしくはない。つまり「次のキングメーカーはオレ様だ」ということ。

 森喜朗が詰めかけた記者に「うるさい」といい、直接手で払いのけたあの常軌を逸した醜態は権力闘争の微妙さの現れだったと見ると、なかなか面白い光景だったことになる。

 猿山のサルを観察するのはなかなか面白い作業だ。とっくり楽しませてもらおう。(2/14/2009)

 強い風。春一番の由。おとといあたりから、眼が痒くなり、片方の鼻の通りが悪くなり、喉が少しヒリつくようになった。花粉症の季節が訪れたらしい。2日からエバステルを飲み始めているが、比較的暖かい日が多いせいか花粉の飛散が早めなのかもしれない。この憂鬱は2カ月近く続く。毎年、ああ、減感作療法を受けておくのだったと後悔するものの、シーズンが過ぎると忙しさに忘れてしまうということを繰り返してきた。

 ことしからは365日、全部自分の時間になるはずなのだから、絶対にやろう。11月からの治療で爪水虫も収束方向に向かっているし、快適な老後のためには多少の病院通いは我慢して根気よくやることにしよう。こうして気になっている「宿痾」をひとつずつ片づけて懸案がなくなった時、ころりと死んだりして。ちょうどあの「混沌」のように。呵々。(2/13/2009)

 「最近の首相の発言、怒るというよりも嗤っちゃうくらい、ただただあきれてる」・・・、「郵政民営化を堅持し推進する集い」の役員会で小泉元首相がこんなスピーチを始めた。そしてあとを続けてこう言ったという。

 定額給付金についても、首相が「さもしい」と、また「自分はもらわない」と、「いやそんなことは言ってない」とか、いろいろ言っているが、この問題についても、わたしは本当に、三分の二を使ってでも成立させなきゃならない法案だとは思ってないんです。
 もうわたしは引退表明してますけどね、あんまり多くのことは言いませんけども、「あの時賛成したが、実はそうではなかったんだ」とは言いたくないから、定額給付金についてはもっと参院の意見を聞いて調整して、妥当な結論を出してほしいなと思っている。

 公の職責を辞したり、権力・影響力を失うと、よほどすっきりした理の通ることを言うという現象はよく見られるものだが、小泉はまだそれほど油が抜けたわけではあるまい。

 とすると、「ただただあきれてる」ということよりは、この定額給付金に言及した部分は麻生に対する宣戦布告ととれないこともない。これに対して麻生は、「聞いていないから」と逃げた由。こいつは本物のバカ、本物の腑抜けだ。

 思い出すのは、野中広務が「最後の情熱と志を反小泉の戦いに出し尽くす」と言って引退表明をした時、これに対して小泉は「辞める人の言うことを聞く人はいない」と言ってのけたこと。麻生よ、このくらいの「凄み」がないような凡々人は宰相の座にふさわしくないのだよ。(2/12/2009)

 いわゆる「建国記念の日」。・・・雲にそびゆる高千穂の~・・・、こんな歌詞ていどのもの。

 この国の右翼思想がいまひとつシャキッとしないのは、ひとつは左翼思想に対する抜きがたいコンプレックスを抱いているからであり、もうひとつは立ち位置がほとんど大日本帝国末期の「昭和維新」あたりにあるから。

 前者についていえば、もともと右翼は左翼への反発によってはじめて生まれるものである(左翼思想が太陽とすれば右翼思想は月)から、別にこの国の右翼だけがプアなわけではない。しかし、後者についていえば、この国の右翼が立脚するのがせいぜい明治以降の「近代」日本であるために、この国の「保守主義」は極端に貧しいものになっている。

 だから、やたらに「反日」のスタンプを押してまわり、いっぱし「保守」を気取っている連中が、もうほとんど使い古しの「左翼」みたいに見えてしまって、ほとんど代わり映えがしないのは道理。

 「建国記念の日」の発想が明治の開明的国家思想の「場」に止まってしまい、そこより遠くに行かないことこそが、何よりこの国の右翼屋さんと自称「保守主義者」さんたちの悲劇。もっとも、そのていどの「教養」が日本国臣民のアベレージなのだとすれば、是非もないことだが。(2/11/2009)

 きょうも休暇をとっている。通帳レスの口座とはいいながら、新生銀行は住信SBIとは違って、午後2時半以降は同行内振り込みでも翌日朝まで反映されない。**(家内)の口座での定期預金の手続きはきょうになってしまった。

 新生銀行のキャンペーン定期の利率はぬきんでていて既に1兆円を達成した由。5年もので、1.7%というのはありがたいのだが、なにかあるのではないかと思わせないでもない。なんといってもあの長銀が前進の銀行だ。信頼感はそこそこに止まる。

 というわけでペイオフの限度額に留めておくことにした。**(家内)の分とあわせて2,000万。オーバー分の37万は住信SBIで定期を組むことにした。これで最初の十年分の年金補填費用はクリア。最悪、新生銀行が破綻してもなんとかなるだろう。預金保険機構が機能しないようなことがあった時は、世の中がひっくり返ったということだから、何をしていてもムダ。あきらめる他はない。

 今年の分を取り分ければ、残りは投資に回してもよいが、既に*****近く入れているわけだから、「洗い替え」用としてMax.500万、残額は時間による危険分散のつもりで取り置いておく方がいいだろう。何しろもう4月から先は年金のみで、これというまとまった収入は皆無になるのだから。(2/10/2009)

 所沢の家の引き渡し。11月28日の契約からきょうまでの長かったこと。

 なにぶんにもこのご時世だ。*****の先生だから、リストラだとか、ローンがおりないなどという心配はないにしても、引き渡しを待つあいだに何があるか分からない。先月の中頃に30日の引き渡しを延期して欲しいという話があった時はドキドキした。

 年金を受け取り始めてから住所を変更するとなるとなにかと面倒だから、退職前に引っ越そうと思ったのは去年の8月。**(家内)のネットワークから最初に相談をしたスミリンは「市況が下り坂なので、買い取りをおすすめします」ということで*****くらいの提示だった。現金化が早くて確実なのだが、土地値にもならないというのはショックだった。いくつか当たってみたらという**(上の息子)の薦めに従って、三井リハウス、住友不動産などに見積をしてもらい、リハウスに依頼することにしたのが8月末。

 最初のうちこそ見に来る人がいたが、そこにリーマンショック。景況感はまさに「つるべ落とし」で、嵐に向けて船出した心地。もうこれは覚悟を決める他はない。手許金と退職金などを試算して、売れなくとも、どうにかとりあえずの十年はなんとかなると確認したが、家は傷むし、固定資産税も堪える・・・、もう気分は真っ暗だった。それでも引っ越しをして、ハウスクリーニングをかけた。しかし、皮肉なことに、見に来る人はどんどん少なくなる。インターネットのアクセス数も同様。

 経済情勢は時々刻々悪くなる。その気持ちは契約が決まっても引き摺られた。だから、最終的に引き渡しがすんで入金する、きょうまで、愁眉が開くことはなかった。とにかくいまは「ありがとうございます」のひとこと。本当によく売れたものだ。(2/9/2009)

 教育テレビのETV特集「キューバ革命50年の現実」を見る。フリー・ジャーナリストとして活躍してきたジョン・アルパートのキューバにおける長年の取材を通覧したもの。

 アメリカ政府、アメリカ企業、そしてフロリダのマフィアの傀儡として私利私欲の実現以外に興味を持たなかったバティスタが政権を放り出してドミニカに逃亡した日が59年1月1日のこと。つまり今年はキューバ革命50周年にあたる。

 アルパートがはじめてキューバを訪れたのは72年、彼は48年生まれ(たぶん同じ学年)だから24歳の時。制限の多い取材の中で彼は幾人かのキューバの人々と知り合い、以後きょうまでの間、彼はその知り合いを「定点観測」することによりキューバ社会の変化をカメラに収め続けてきた。

 アメリカという国は、米西戦争で得たカリブ海における植民地的権益に固執し、徹底してキューバの本当の意味での自立を妨害してきた。常に「自由」と「民主主義」を口にするアメリカだが、自国の権益のためにはシャー・パーレビ、ピノチェト、トルヒーヨ、・・・、そしてバティスタといった札付きの独裁者を押し立て強力にサポートし続けた。それはヒトラーがフランコを支援したのに似ている。

 アメリカは「民主的な手続き」でアジェンデ政権ができてしまったことに、あるいは自らの裏庭と思っていたキューバに政治的腐敗の可能性のないカストロ政権ができたことにメンツをつぶされ、何よりも自国の圧倒的貧民たちに、ごくまっとうなそれらの成功例が伝わることを恐れた。その愚かなこだわりと恐れが必ずしも共産主義者ではなかったカストロ(彼は最初の選挙では保守系の政党から立候補をしている)をソ連の方に追いやることになってしまった。結局アメリカ政府はカストロが死ぬまでキューバに対する幼稚な「嫌がらせ」を止めることはできないだろう。

 アルパートがカメラに収めた人々は、ソ連による援助で潤っていた時代、ソ連が崩壊しアメリカによる経済封鎖の影響が深刻だった時代、外資の導入により
当初の国家的理想を失ったいま、それぞれにいろいろな表情を見せていた。

 アルパートが一番親近感を持っていた農民・ボレゴ三兄弟は既に亡くなった。みんな90歳を超える天寿を全うして。三人が待ち望んでいた水道と電気は引かれた、彼らが亡くなってから。彼らの妹の言葉がいい。「いろいろなことがあったけれど、兄さんたちは働くことが好きだった。この土地を耕し、その実りを食べてきた。それ以上のことはない。だから幸せな一生だったと思うわ」。

 初めての取材のとき出会った少女・カリダットは結婚する頃には革命のもたらした中流の生活に満足していたが、いまはフロリダに渡ってキューバに残る子供たちに仕送りをしている。その息子を取材したアルパートが漏らした言葉が印象に残った。「彼には自分のことしかない。国に、社会に役立とうという気持ちは彼にはまったくないようだ」。

 観光開発を中心とした外資導入は深刻な格差を生んだ。カリダットの息子に代表される人々は増えているのだろう。ボレゴ三兄弟とカリダット、そしてその息子、経済的な豊かさが必ずしも人生の豊かさにつながらないということがしみた。見応えのある番組だった。(2/8/2009)

 「半径2メートルの男」というのが麻生太郎に対する人物評だそうだが、この男は三次元的な範囲が狭いだけではなく時間的範囲も極端に狭いらしい。おととい、我が宰相は「郵政民営化は、小泉首相の下にいたので、賛成じゃなかったが、内閣の一員だったので、最終的には賛成した」、「勘違いされているようだが、私は郵政民営化担当大臣ではなかった、民営化担当大臣は竹中さんで、私は反対だと分かっていたので、外されてましたから」などと口走った。

 日記を繰ってみると、たしかに8月8日の項にはこう書いてある。

 参議院は郵政関連六法案を否決した。賛成108、反対125というから、予想以上の大差がついたわけだ。小泉首相は臨時閣議を招集、衆議院解散を諮った。麻生太郎総務相、島村宜伸農水相、中川昭一経産相、村上誠一郎行政改革担当相が反対、あらかじめ辞表を準備して閣議に臨んだ島村だけが署名を拒否したため、小泉はこれを罷免、自ら農水相を兼務して全閣僚の署名をとりまとめた由。

 いまになって、「もともとオレは反対だった」などと自慢げに弁解するくらいなら、島村のように辞表を懐にして閣議に臨むくらいの覚悟と行動があるべきだろう。それとも半径2メートル以内に小泉は座っていたが、島村はその外だったとでもいうのだろうか。「小人の過つや必ず文る」とはこのこと。

 百年に一度といわれている経済環境の下で、どのように今後の国家社会をデザインし直すかが課題となっている時に、「オレはその時の状勢に流される男だ」などと宣言する奴が宰相を務めさせていることの怖さよ。(2/7/2009)

 午後、日経ホールで開催された、シンポジウム「どうする雇用」へ。もともとたいした期待をしていたわけではないが、あらかじめ決められた時間割に常套的な話を流し込んだ、まさにステレオタイプな「製品」で、これが現下の日本社会そのものだと妙に納得させられた。

 パネリストはパンフ記載順に大阪大学教授・大竹文雄、日本商工会議所会頭・岡村正、連合事務局長・古賀伸明。司会は日経主幹・岡部直明。数字を上げて主張の肉付けをしようとしていたのが日商の岡村、教条的な主張を教条的に語っていたのが阪大の大竹という、じつに皮肉な印象だった。

 最近の学者さまは、こんな結論ならスポンサーにウケてカネになるということに最大の関心があり、事実がこうであるという数字だとか、真実はこうではないかという論理的な思考には、ほとんど興味がないのではないか、大竹の話を聞きながらそう思った。

 大竹はしきりに「・・・ということになってしまう」という言い方をする。社会における純粋に人間的な現象をただ運命として眺めることが大竹の「学問」らしい。ずいぶんお気楽な話で、これで大学教授の俸給をもらっているとしたら、こんな無能でやる気のない奴をクビにできない大阪大学というのは大学としてのキンタマを抜かれているということだが、そんな「反省」もないところなのかもしれぬ。(2/6/2009)

 免許の更新と確定申告のために休暇を取った。

 免許の方だけでも午前中に片付けるつもりだったが車のエンジンがかからない。JAFを呼んで起動したが、ハイブリッドシステム異常が点灯して消えない。「いつも利用されるトヨタのお店はどちらですか、そこまで牽引しましょうか」というので、お願いすることにした。

 補機バッテリーだけではなく駆動用バッテリーもまいっているらしい。駆動用バッテリーは保証距離内なので無償交換してくれるとのことだが、交換品の手配に数週間かかるとのこと。とりあえず補機バッテリーのみ交換。そんなこんなで家に戻ったのはお昼過ぎ。

 確定申告の方はあきらめて、免許更新のみに出かけた。優良なので講習は30分。住所の書き換えだけの**(家内)はその間に市役所で印鑑登録を済ませた。新しいICチップ内蔵の免許証は厚さが少し厚い。

 帰り、久しぶりに「ルポ」に寄る。**(母)さん、**(上の息子)の3人で来たことがあった。ちょうど今ごろの季節だったから、一彦さんの病院から帰る途中のことだったのだろう。わずか4年前。**(母)さんはとにかくいろいろなものを注文して**(上の息子)に食べさせた。なるべく独りになる時間を短くしたかったのだろうと、いまになって思い当たる。寂しいということには割合強かった人だが、心細さは耐え難かったのかもしれない。もう少し時間をとってあげればよかったと思うが、その時は年寄りの甘えがうっとうしくて仕方がなかった。なんとまあ、親不孝な息子だったことか。(2/5/2009)

 やっと「アメリカ経済破壊計画」読了。小説としての出来は「ふつう」だが、随所に「ふつう」のアメリカ人が「金儲け」に狂ってゆくさまが見て取れ、サブプライムローンを引き金とする現在の状況が必然であったと思わせる。

「天災とことなり、人災は、通常、偶然か愚行か悪意がもたらした結果である」
 偶然、愚行、悪意。事件の原因を考えるとき、この順で因果関係がよりはっきりしてくる。
 銀行制度が危機にさらされていることを既定の事実とすると、それは偶然によるものだろうか。そんなことはない。愚行の結果だろうか。そうかもしれない。強欲ほど思慮分別を失わせるものはないのだ。だがこれまでの事実をたどってみると、そこには強欲以上のものが働いていることがはっきりしている。すぐれた知性、新機軸、臨機応変の才気などだ。発明の才にめぐまれたマロリとウォルドの見事なチームが、革命的金融制度を作りだし、それに対抗するために、ライバルは必死になってそれを真似してきた。

 細菌は組織の奥ふかく入りこんで活動している。エイズと同じだ。長い時間をかけてすべての組織をおかし、崩壊にみちびく。銀行システムを見るがいい。銀行は教会のようでなければならないのに、バンク・オブ・ボストンはマフィアの金を洗濯していた。セキュリティー・パシフィックは長年の顧客であるUNCOL石油の背中にナイフを突きつけたではないか。買収攻勢をかけたピケンズの後ろだてになったのだ。ベンディックスの会長ビル・エージーがマーチン・マリエッタを乗っ取ろうとしたとき、シティバンクは、マーチン・マリエッタからあずかっていた年金株をエージーに提供した。ジアニーニーはバンク・オブ・アメリカの基礎をしっかりと築いたのに、現在のバンク・オブ・アメリカのざまはどうだ。自業自得の見本のようなものだが、あれもこれもみんな、ロープスピナーのそそのかしに乗った結果なのだ。

 文中の「UNCOL石油」は「UNOCAL」の間違いと思われるが、いずれにしても大恐慌後にさまざまの枠をはめられた銀行が、悲惨な記憶が薄れるにしたがってだんだんに「お行儀」が悪くなり、多種多様な金融商品を開発し、特定目的会社(SIV:Structured Investment Vechicle)を作るなどの「新機軸」により自分たちもコントロールできないほどの災厄に向かって進み始めたことは間違いない。

 それがこの小説の描くような「ソ連の陰謀」だったのか、まさに「自分が儲けるために作った縄で、自分を絞首刑にする」という言葉どおりのものだったのか。去年の秋、リーマンが破綻した頃、神谷秀樹がこんなことを書いていた。「最後に欲が過ぎて自爆した。ここには何の不思議もない。『起こるべくして起きた』ことである。ウォール街は、何かの外部要因によって破綻したのでは決してない。自らの強欲を、自分でコントロールできなくなり『自爆』したのである」と。

 どうやら、陰謀などなくとも自制心を失った資本主義は自殺する運命にあるというのが、我々がこれから思い知る真理のようだ。(2/4/2009)

 日経ネットPlusに「労働行政、原点に勘違い」というタイトルで政策大教授の福井秀夫へのインタビュー記事が載っている。

 福井の論法はこうだ。まず「私のしごと館」が「労働行政の勘違い」から発した税金の無駄遣いであると指摘し、はやりの役人叩きをやる。そして「働き方が多様化した時代に、正規労働者が正しいというテーゼも勘違い」、「企業にとって終身雇用は困るけれど非正規労働なら長く働いて欲しい労働者はいる」、「派遣のままで働きたい労働者もいる」、「正規労働者だけがすべてという勘違いは迷惑だ」と主張する。そして「解雇を自由にしないと学歴主義がはびこる」し、「外国の研究では、解雇権を自由に使えないほど労働者は失業しやすい」のだという「お話し」をかなりトリッキーな論理で語り、「実証モデルによる検証が必要だ」と結んでいる。

 役人叩きによりあまり深く物事を考えない連中を味方に付け、素人は知らないだろうが(どこの国かは明かさないのがご愛敬)外国の研究では解雇自由が労働者を失業から守るという結果が出ていると自説を補強する、小泉-竹中の作戦にあまりにぴったりなので、こちらが恥ずかしくなるくらいだ。

 そこでこんなコメントを用意して書き込んだ。(300字という制限があるので三分割)

§

【その1】一聴、「正論」に聞こえる。しかし「クビを切りやすくすれば、経済活動は活発になる」というのは本当だろうか。「派遣」を雇った企業は「いつでもクビにできる」から雇ったのではない。「安い労働力だから雇った」というのが本当だろう。景気が自由落下モードに入るずっと前、既に、二重派遣やら偽装請負が問題になっていた。規制緩和された法律の許容する範囲を超えて違法行為を行っていたのはけっして新興の人材派遣会社だけではなかった。キヤノン、パナソニックといったれっきとした一流企業も平然と違法行為を繰り返していた。そこにあったのは「いつでもクビにできる利便」より「安く人を使える利便」だったと思う。

§

【その2】百歩譲って自由な雇用形態を大幅に認め経済活動を活発にすることが「世のため人のため」だとしよう。しかしクビになった人の生活をどうするかという問題は残る。さすがに「自己責任だから飢えて死ぬのも自業自得」とは言うまい。そこで出てくるのが社会的なセーフティネットをクニが用意しておくという「建設的な意見」だ。しかし多くの人がセーフティネットを必要とする時はおおむね不景気でクニのフトコロも苦しい。用意できるセーフティネットは限られる。では好況期に「派遣」を雇おうという企業には不景気になった時の備えとしてセーフティネットの拡充と準備のために、派遣雇用量に比例した税金を負担させる。そういう議論はいかがか。

§

【その3】「クビを切りやすくすれば、経済活動は活発になる」と主張する方はそういう新たな「負担」には反対するだろう。「安く買い叩けるものは安く買って当たり前、どこが悪い?」、つまりホンネは「困窮者につけ込むビジネスも立派なビジネスです、貧困ビジネスというんですよ」というところにある。わたしは「恒産恒心」を信ずる。「衣食足りて礼節を知る」と信ずる。だから経済活動を優先させることよりは安定かつ公正な雇用形態の実現が社会の根本原則であるべきだと思う。ワトソン一世は大恐慌にあって雇用を守りIBMの基礎を築いた。松下幸之助にも豊田喜一郎にも似たような逸話がある。世の中は変わるというが人間は変わらない。

§

 派遣雇用量に比例した税負担というのは、国家が面倒を見るセーフティネット経費を「派遣」を経営の安全弁とする企業にただ食いさせないという考え方だから、「フリーランチ」あるいは「フリーライド」を目の敵にする新自由主義者さまのご主張に適ったもののはずだが・・・。

 たぶんボツだろう。振り込め詐欺が横行し、無知につけ込んだ貧困ビジネスが万能の世の中だ。曲学阿世(最近は「曲学阿強」ないしは「曲学阿金」というべきかもしれぬ)の学者様が「知のアクロバット」を披露して恬然としている。まっとうな話などは「曲がない」と片付けるのが「いま」らしい。(2/3/2009)

【後日談】「その1」のみが、コメントとして採用されました。やはりセーフティネットのただ乗りではないかという指摘は「都合」が悪いらしい。

 先月28日から開催されていたダボス会議(世界経済フォーラム)が終わった。朝刊に「この10年のダボス会議のテーマ」が表にまとめられている。2000年から順に、「新たな始まり」、「持続的な成長と格差の橋渡し」、「脆弱な時代の指導力」、「信頼の構築」、「安全と反映に向けての連携」、「タフな選択に責任を持つ」、「創造的な規範」、「変わる力の均衡点」、「協調する変革の力」、「危機後の世界の形成」。

 記事の書き出しは「それは、『反省会』のような討議だった。・・・」となっている。昨年、広がりつつあったサブプライムローンをトリガーとする金融危機に鈍感であったこと自体が、既にこの会議の賞味期限が切れたことを意味している。この会議が参加地域に偏りがあると批判されつつも、注目を集めてきたのは「実力のある賢人会議」というイメージを持っていたからだ。しかし一昨年に始まる経済情勢の悪化について、少なくとも昨年の時点では、この会議はほとんど警鐘らしい警鐘を鳴らすことはなかった。

 論理的にふたつの可能性しかない。会議に集まる「賢人」が相応の情報を手にしながら、そのような豊富なインサイダー情報に触れることのない我々のような一般大衆と変わらぬ認識しか持てない「凡人」であったか、あるいは事態の深刻さの前に立ちすくんで語る言葉をなくすような「賢人もどき」であったということ。

 ブレア・イギリス前首相が「最良の企業というのは、短期利益だけでなく、信頼や透明性など長期的な価値を大事にする企業だ」というと、イギリス・HSBCホールディングスのグリーン会長は「金融業界はいつの頃からか、そこに市場があり違法でなければ、正しいか、適切かを全く考えないようになっていた、大切なものを失っていたのだ」と応じた由。今回の金融危機に一番効果的な対応をしたといわれているHSBCはこの認識をもっと早くに、この会議のテーブルにのせていなければならなかった。たしかに欲に目の眩んだアメリカの金融関係者たちがこういうごくまっとうな意見を聞く耳を持っていたかどうかには疑問があるが。(2/2/2009)

 「サンデー・モーニング」が終わってから自転車で東京病院経由所沢の家へ。この道を、2年間、毎週週末には行き来した。なぜかきょうのような天気のよい日の記憶ばかりが残っている。

 **(母)さんが緩和ケア棟に移ったのは日記によると2年前の1月29日。あの日もこんないい天気だった。

 緩和ケア病棟前の駐車場には車が2台止まっていた。見覚えのある車ではない。病棟の住民も既にみんな入れ替わっているに違いない。お世話になった**さんの顔でも見られたらと思ったが、病棟の外を回るだけでは顔を合わせるはずもない。きょうのような天気で、いまどきの時間なら、**(母)さんの部屋にはさんさんと日の光が差し込んでいたっけ。気持ちのいい部屋だったが、長居をしていろいろ話をしたのは数えるほど。本当に親不孝な息子だった。

 信愛病院の脇を通って、所沢の家に向かう。坂道からは真っ白な富士が見えた。通勤の行き帰り、この坂を上り下りしながら、あれこれと思い悩んだことが思い出される。よくもまあ、これだけ人嫌いの男が持ちこたえられたものだ。どうかすると、向こうの方から暗く険しい顔をした自分が降りてくるのに行き会いそうな気がする。・・・と、まあこれはO・ヘンリーの有名な小説のマネ。

 ポストには相変わらず投げ込み公告やメール便が何通か入ってあふれそうになっていた。ちょっと雨戸でも開けて空気を入れ換えようかと思ったが、やはり億劫で外回りの点検だけで駅に向かう。おかしのまちおかで飴やらポッキーを買い込んで、**(家内)に頼まれたクリーニング屋に寄ってから帰ってきた。

 風が強いけれど日差しは暖かい。きょうみたいな日には縁側に布団を敷き直して外を見ているのかななどと想像してみる。ぼくたちはこうしてゆっくりゆっくり最期の日に向かってゆくわけだ。

 「生きるって何だろうね?」、誰に語りかけるわけでもない、独り言。(2/1/2009)

 きのう、尾車部屋の十両力士・若麒麟が大麻所持容疑で現行犯逮捕された。去年の夏、ロシア人力士が逮捕されて以来、日本人力士の中にも大麻常用者がいるのではないかという噂が絶えなかったが、疑いはそのまま現実となった。

 それにしても、と思う。初場所の朝青龍の優勝を快く思わなかった横綱審議委員会の面々は、優勝を評価する言葉をちょっとばかりお義理に並べた後、まだぞろ「品格」を取り上げた。優勝決定戦後の土俵上で朝青龍が顔面を直撃する座布団を振り払った後、両手を挙げたことをガッツポーズと認め、横綱の品格を欠くものとして厳重注意するよう協会に求めた。

 法律を守るという最低限の「基本」が確立していない状況で、道徳のレベルを云々することは常識的にいって無意味だ。土台が腐っているのに社殿の見端について語るのはバカな神主あたりがやりそうなことだが、そんな意識で世の中を語るのは愚の骨頂。

 もっとも相撲協会やら相撲通を気取る連中にとっては「相撲は格闘技ではなく神への奉納物」らしい。だからガッツポーズは論外という理屈。ならば、奉納相撲にして入場料など取らぬのが本当であろうが、「土俵の神様」はあくまで稼ぎのためのダシに過ぎないというのがホンネ。そのダシを使っておゼゼを稼ごうという連中に、そもそも他人様の「品格」を語る資格の有りや無しや。(1/31/2009)

 よる7時半からのNHK、特報首都圏は「どうなる東京五輪」だった。2016年のオリンピック開催都市候補は、既に、東京、マドリッド、シカゴ、リオデジャネイロに絞られており、10月に予定されているIOC総会で決定される。

 番組によると、東京は治安状況、施設基盤などの客観的条件で4候補の中で一番評価が高いのだが、IOC委員の投票において重視される市民の期待度が最低なのだという。IOCが去年行った調査ではマドリッド90%、シカゴもリオも70%以上という中で、東京は最低で60%を少し切っていたとか。つい最近都民の70%以上が期待というニュースがあったはずだが、どうもあれは招致委員会のお手盛りの数字だったようだ。(嗤えるのは、お手盛りにも関わらず、シカゴの数字にも、リオの数字にも達していないということ)

 番組は4月頃に予定されるIOCの再調査までにどれだけ支持率を上げられるかにかかっているというストーリーのもとに責任者を務める東京都職員の活動を追うという筋立てで作られていた。最初は気を入れてみていたのだが、途中で見るのがバカバカしくなった。見え見えの「やらせ」番組なのだ。

 番組の冒頭で、都庁におかれた招致委員会が映像で紹介される。人数を聞き漏らしたが相当数の東京都職員と大手広告代理店からもスタッフが来ているという。

 その後、カメラは、ひたすら、水道局から志願してきた責任者を務める職員を追う。彼は悩む。招致活動を盛り上げるためにどうするか。水泳の北島や北京五輪のメダリストたちによるPRをどのように進めるか。北島にはどのようにしゃべってもらうか。それだけではない、盛り場でメダリストたちが宣伝カーの上からしゃべる時、聴衆がどんな反応か、どんな世代が聞いてくれているかなどを調べたりもする。(彼のメモが映し出された。「20台」とある。思わず、吹き出した。もしも「聞いてくれているのは20歳ぐらいの年齢層」というつもりなら、「20代」だよ、呵々。東京都のエリート職員で、このていどの国語力かい、情けない)

 いっぺんにしらけたのは、どのようにPRするかを悩んだ彼が会議を開くところ。集めたのはたった4人の女性職員、それにナレーションには紹介されない小太りの男が書記役で意見をボードに書き込んでいる。この小太りの男は、招致委員会事務局が移された時の「大手広告代理店からも・・・」というナレーションにかぶって映し出されていたから、電通か博報堂のメンバーなのだろう。一番、重要なプロモーションに関する会議が、こんな「職場TQC」のようなチンケな「集まり」であるはずはない。要は「やらせ」なのだ。

 このあたりで「何だ、ただの宣伝番組か」と思ってしまった。広告代理店の姿は極力見せないようにして一介の職員の活躍をアピールする。つまりこういう狙いと思われる、「水道局から『志願』してきた若手の有望な職員がこれほど必死になって頑張っているのです。東京オリンピックの実現に皆さんの熱い応援をお願いします」。ご丁寧にも番組はさらに彼の奥さんと二人の子供まで駆り出し、「帰宅してからも実現に向かって頑張る悲壮な東京都職員」というイメージを強調。こんなみっともない見え見えの「やらせ応援番組」を作ってまでアピールするほどのものか、「2016東京五輪」なんて。

 公式発表によれば招致運動に150億を使う由。壮大な無駄遣いだ。もっとも東京都は石原銀行に1300億のカネを突っ込んでいる。大枚をドブに捨てるのが石原都政の要諦らしい、豪儀なことだ。(1/30/2009)

 読み始めたマイケル・M・トーマスの「アメリカ経済破壊計画」、もうずいぶん昔に読んだせいもあって物語の細部はほとんど記憶に残っていないから楽しめる。その頃、マスターネットの「本」のボードに書き込んだノートにはこんな風に書いている。

―――――<'88/06/19 14:15>―――――――――――――――――――――
 M・トーマス「アメリカ経済破壊計画(上・下)」講談社(文庫)

 あらすじをカバーのコピーから・・・。

 ロープスピナー=首吊り用の縄をなう人。それは西側資本主義を破壊して永久に葬り去る一大陰謀のコードネームだった。本計画の首謀者であるロシア人天才経済学者メンシコフが実行に際して下した手は四つ。資本家に「選択の自由」を要求させ、銀行を「活性化」し、財テクをはやらせ、経済面を「面白く」し、・・・。

 メンシコフはあのケインズグループに近づき、アメリカの若き経済学者ウォルド・チェンバレンを協力者に仕立てて計画を進める。1935年に始まるこの大陰謀は50年にわたって進められる。

 彼らが進めた陰謀は次のようなものです。1929年の大恐慌の際にその反省から生まれたいくつかの規制措置を「時代に合わない」あるいは「意味のない」ものとして撤廃させ、金融の自由化を極端に押し進める。その結果、自制心を欠いた銀行は各種の金融商品を開発し、簿外取引といわれる手数料目当ての危険度の高い取引に精を出す。こうして貸付資産と証券、銀行による信用中心の市場と証券会社による資本市場の区別の曖昧化が進む結果、銀行制度がきわどいバランスの上に立つようにする。

 作者は大手投資銀行に勤めた経験を持つ人で、この小説は現在のアメリカの金融界の動きに対する警告であるようです。素人の私にはここに書かれていることの深刻さがどの程度のものかは、正直な話、よく分かりません。しかし、NTT株の値動きに象徴されるように、経済の実力に見合わない財テクブーム先行の現実を見る限り、一読一考の価値があるのではないかと思います。
 この小説の原題は「ロープスピナー・コンスピラシー」、つまりは<ロープを紡ぐ人の陰謀>・・・・・・この<ロープ>は、「資本家が共産主義者に売ったロープで、資本主義の首を絞める」と言ったというレーニンの有名な言葉によっている・・・・・・ところで、この小説ではそれをもうひと捻りして、「なあにわざわざこちらから絞めなくても、資本主義は自分で自分の首を絞めるさ」という発想がもとになっている。---訳者あとがき
 なお、上巻の巻頭には用語解説が少し載っていますので、「手ぶら」で読み始めることができます。
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 当時よりは少しばかり投資についても知識が増えたこと、なにより昨今の経済情勢を目の当たりにしている分、面白さが増したことはたしか。もしソ連が破綻することなくいまも存続していたら、「SAPIO」だの「諸君」だのに真顔で取り上げられたかもしれない、「陰謀好き」だから。呵々。

 夕刊、「あすは何の日」には「1987年、東京証券取引所の平均株価が初めて2万円を突破し、・・・(中略)・・・その10日後に上場したNTT株は3カ月後に終値で312万円の最高値を記録」とある。「まわる・まわるよ・じだいはまわる・・・」。(1/29/2009)

 引っ越し荷物の開梱順に棚に収めた関係でこれと思って探す本が見つからない。きょうはトッドの「帝国以後」を探して(なぜこの本を探していたかについてはここには書かない)いて、まったく無関係の「世界企業時代」を見つけた。奥付を見ると昭和43年3月30日。大学に入ったばかり、おそらく中野の学生寮にいた時に買ったものだ。

 朝日ジャーナル編。上下巻、それぞれに30社ずつ、計60社が取り上げられている。当時は「資本自由化に向けて日本企業はこれからどうなる」ということが語られ始めた頃だったと思う。男は理科系という意識で入学した学生でも、4年後に社会に出るまでにはあるていど経済環境についても知らなくてはというつもりだったのか、それともいまと同様、ただの本の虫の気まぐれだったのか、どちらかは自分でも分からない。

 パラパラとめくったところに、いま話題のビッグ・スリーがフォード・GM・クライスラーの順に並んでいた。以下はGMの章の冒頭。

 1967年4月25日――この日は、世界一の自動車メーカー、いや世界最大の企業であるアメリカのゼネラル・モーターズ・コーポレーションにとって、創業以来59年の社史に特筆される記念の日であった。同社の工場でつぎつぎに量産される新型車の中で、一台のシボレーがシャンパンをふりかけられて祝福された。これがGMが世に送り出したちょうど一億台目の車だった。
 自動車産業の歴史の古いアメリカとはいえ、わが国のトヨタ、日産は1967年にやっと300万台目の自動車が出たというのだから、GMの生産規模の大きさがうかがわれよう。しかも、その一億台目がシボレーだったことも、シボレーがこれまでのGMの発展の屋台骨を背負ってきただけに、興味深い。
 GMの1966年の総売上高は、海外子会社を含めて202億900万ドル(7兆2750億円)で、1967年度のわが国の国家予算(一般会計)5兆円弱をはるかに上回る。世界の大企業の番付でも二位のフォード自動車の1966年の売上げ122億4000万ドル(4兆4064億円)を引離して首位を独走している。
 また、純益だけでも、1966年は17億9300万ドル(6454億円)という巨額で、フォードの6億2100万ドルの三倍近く、わが国最大の企業とされる三菱重工の年間総売上高の五千億円足らずを上回る超大規模である。

 時はこのようにして過ぎて行くものなのか。げに恐ろしく、凄まじきものよ。(1/28/2009)

 サンケイプラザで情報処理学会主催の「ITパラダイムシフト」を聴講。サブタイトルは「クラウドで何が変わるか?」。

 クラウド、最近よく耳にするにも関わらず、「ASP」、「シンクライアント」などの話とごちゃごちゃになって、よく分からなかったが、キーノートセッションのトップを務めた野村総研の城田真琴の話ではじめて分かったような気分になれた。

 情報の世界も「中央集権」と「地方分権」のふたつの考えの間を振り子のように揺れている。その流れで見ると「クラウド・コンピューティング」は「Webコンピューティング」の延長上にあるようだ。だが、「これ」とめざして作られたものではなく、google、はたまた、Amazonの「業務」の派生として生まれたというところが、かえって有望なような気がする。

 利用者の手元システムは、「ダム端」から始まって、「NC」、「シンクライアント」といろいろなものが現れては消えていった。中央集権型のシステムは必ずしも絵に描いたようにはならなかった。理由はいろいろあるが、「線の細さ(ネットワーク性能)」に足をすくわれたことも一因だった。クラウドにもその懸念はある。城田も、RTT(Round Trip Time)はアメリカ域内では47~48 msecであるのに対し、日本-アメリカでは189.3 msecというデータを紹介していた。

 この部分にクラウドがマシンの仮想化技術に比例するような解を用意できるかどうか。そこにNCのようなあだ花に終わるかどうかがかかっているような気がする。(1/27/2009)

 築地市場の移転先とされている豊洲の東京ガス跡地は土壌汚染地としてかねてから有名な場所だが、移転にあたって調査した際の実データが公表値とはかなり違っていることが明らかになった由。朝刊にはこのように報ぜられている。

 高濃度で検出された化学物質はベンゾ(a)ピレン。都は07年5月、土壌汚染への対応のための有識者による専門家会議を開始。ここで同年11月、土壌1キログラムあたり最大5.1ミリグラムのベンゾピレンが検出されたと報告した。ベンゾピレンについての環境基準や指針は国内にはないが、会議の座長は「米国やドイツなどでは2ミリや3ミリがリスク評価のための基準」と発言している。
 都は、08年3月から改めて土壌汚染調査を実施し、同年6月末までにその結果を把握。同年7月の専門家会議で、それまでに測定されていた最大値を下回るか、増えても数倍程度のベンゼンやシアン化合物などの結果は公表したが、ベンゾピレンの結果には触れなかった。
 ところが、調査を請け負った業者が同年9月末に都に提出した報告書を朝日新聞が情報開示請求で入手したところ、ベンゾピレンの最大値は590ミリで、07年の最大値の115倍に達していた。検出個所は151地点あり、そのうち50ミリ以上が15地点、5ミリ以上も58地点あった。
 都は会議終了後4カ月近くたった08年11月、ベンゾピレンの新濃度について専門家会議の元委員らにメールで報告し、見解を求めた。元委員らは「水に溶けにくく、地下水が気化して起こる大気汚染の心配はない」としながらも、「環境基準がないので土壌の掘削・搬出の際には自主的な基準を設けて適切に処理し、再汚染に注意すべきだ」と助言したという。
 専門家会議は都民らと情報を共有しつつ移転に向けた合意形成を図るために都が設置。公開で08年7月まで9回開かれたこの会議でベンゾピレンの新濃度を明かさなかったことについて、都側は「法で定められた汚染対策の対象物質でも正式な調査項目でもなく、委員からも汚染対策のためにデータを持っておく方がよいと言われた程度だったので、この時点では報告を考えていなかった。後でメールで報告したのは、それまでの最大値を超えたため、汚染対策の留意点が聞きたかったからだ」としている。

 バカないいわけをするものだ。そもそも専門家会議はなにがしかの政策を推進する際の留意点を聞くものであろう。ならば正式の会議の前に包み隠さずに本当のデータを提出すればそれでよいではないか。はじめは隠しておいて、あとから提出することにどんな正当な理由があるというのだ。

 コールタールに発がん性のあることは少しばかり知識のある人なら誰でも知っていることだが、ベンゾピレンはコールタールの発がん性の主犯物質として専門家の中では常識化しているものとのこと。専門家会議に調査データを提出したこの東京都の係官は、いいわけを聞く限り、あまり知恵のない与太郎くんのようだから、このような知識を持ち合わせていたかどうかこの記事からは分からない。しかしデータを隠さずに提出すると厄介なことになりそうだという認識があったことは間違いのないところだろう。

 もっとも東京都がこの豊洲の現地調査データを微妙に誤魔化して、専門家会議をミスリードしているのはこれだけではないらしい。TBSのニュースでは、地層データについても「粘土層があり、汚染が拡散しない」という都の主張に影響を与える「粘土層の存在が確認できなかった地点」が存在するにも関わらずこれを隠していたことが報ぜられていた。

 あわせて、そのニュースではこれについてコメントを求められた石原都知事が、顔を歪めて、「うるせえな、おまえ、こんなところで」と応じた場面もオンエアされていた。都合の悪いことになると、とたんに横柄になるのが、この男の特徴だ。

 ところで、石原慎太郎は、なぜ、およそ食品取引を扱う場所には似つかわしくない東京ガスの跡地にこれほどこだわるのか。まず、この汚染のメッカが築地の移転先として最善にして最良の場所であるという説明を都知事にしてもらいたいと、都民のみならず、隣接する3県のすべての住民は思っている。(1/26/2009)

 初場所、優勝は朝青龍。朝青龍14戦全勝、白鵬13勝1敗(10日目に日馬富士に負けた)での横綱対決。本割りは白鵬が一気の寄りで朝青龍を破った。朝青龍はなすところなく土俵を割り、いまの時点ではやはり直接対決は白鵬と思わせた。

 決定戦に向けた支度部屋にテレビカメラは入る。観ているこちらはいいが、ライトまで持ち込まれて注視される方はたまらないだろう。白鵬がどっしり座り床山に髷を任せているのに対し、朝青龍は付き人に軽く受けさせたり、鉄砲柱を相手にしたりと落ち着かない。本割りもそうだったが、白鵬に比べると、朝青龍は所作が一呼吸早い。朝青龍は既に負けているように見えた。

 そして優勝決定戦。朝青龍の飛び込みは早かった。あっという間に下手を取っていい体勢に持ち込むと白鵬を寄り切った。髪の乱れがすごく夜叉を思わせた。

 今場所、密かに思っていたのは、両横綱が全勝で激突。朝青龍が白鵬を下して全勝優勝を決め、翌日、引退を発表するというシナリオだった。横綱の品格だの、相撲の伝統だの、単に自分の趣味に合わないというだけの理由にも関わらず、したり顔でありとあらゆる難癖を付け、場所が始まる前に「連敗で引退」を大声で語るような「相撲通」を気取った連中に、まず全勝優勝で痛棒を喰らわせ、しかる後に千代の山級の衝撃をプレゼントしてやる・・・。これほど痛快な話はなかろうと夢想していた。

 しかし朝青龍は優勝インタビューで「朝青龍、帰ってまいりました」と語った由。品格屋さんたちが、これからどのように朝青龍をいびるつもりか、当分、楽しめそうな雲行きだ。

§

 ついに日経の調査でも麻生内閣支持率は20%を切り、19%。不支持率は76%。確定的不支持が4人中3人に及ぶというのはかなり珍しいことで、もはや麻生太郎などは目障り以外の何ものでもないということに等しい。複数回答を許容した不支持理由も「指導力がない」が51%で、「政策が悪い」が49%、おまけに「安定感がない」が42%とくれば、もう麻生太郎という政治家はゴミだということになる。

 少し前には「爺さんはバカヤローで解散、その孫はバカで解散」といわれた麻生だが、総理の座にしがみついているうちに「政治家としてはゴミだから掃き捨てろ」というところまで来てしまったようだ。(1/25/2009)

 ガイトナー次期財務長官が上院財政委員会への書簡の中で「大統領は中国が自国通貨を操作していると信じている」、「中国の為替慣行を変えさせるようあらゆる外交手段を講じる」などと表明したことがちょっとしたニュースになっているが、議会の信任を取り付けたいためのリップサービスとしては、少しばかり度が過ぎたような気がしないでもない。

 既に中国国内には米国債の売却論が出ている。たとえば、きのうの日経にはこんな記事があった。

見出し:中国で米国債売却論 値下がりリスクを嫌気
 中国で「外貨準備で保有する米国債の残高を減らすべきだ」との議論が活発になっている。米国が金融危機対応で国債を大量に増発し、今後の価格下落が見込まれるためだ。米国債売却論の背景には「金融危機の責任の一端は中国にある」という米国内の世論への反発もあり、オバマ政権下の米中関係に微妙な影を落とす可能性もある。
 中国社会科学院世界経済政治研究所の余永定所長は今月初めに中国紙上で、米国債が供給過剰になるリスクに触れ「米国債をある程度売り、ユーロや円の資産を増やすべきだ」と指摘した。関係者によると、政府内で「外貨準備の運用を巡る議論」が再燃するきっかけになったという。(北京=高橋哲史)

 もうずいぶん昔のことになるが、橋本龍太郎が首相として訪米中に本人としては軽いジョークのつもりで「米国債を売りたいという誘惑にかられることがある」と発言して騒ぎになったことがあった。アメリカ政府にとって、これは「悪い冗談」として受け取るには程度を越えていたのだろう。

 いまや日本以上に米国債を貯め込んだ中国が「ジョークの研究」ではなく、「取りうる手段の研究」として「米国債をある程度売り、ユーロや円の資産を増やす」という研究を始めているとすれば、凋落するアメリカとしては安閑とはしていられないだろう。中国は日本のようなアメリカ合衆国の準州ではない。現実主義者として振る舞いうる国だ。

 もちろん、中国もアメリカがある意味で「Too big , to fail」な国であることは百も承知しているはずだが、一方でこれが同等の報復という「恐怖の均衡」という概念をもたない「核兵器」であることも十分に知っている。(1/23/2009)

 もめていた税制改正法案付則への消費税増税に関する記述、政府と自民党との話し合いがようやく決着した由。問題の付則を当初の「消費税を含む税制抜本改革を11年度より実施する」という表現から、「遅滞なく、かつ、段階的に消費税を含む税制の抜本的な改革を行うため、11年度までに必要な法政上の措置を講ずるものとする」と変え、税率引き上げ時期は別途の法律に先送りするという「二段階方式」をとることにしたらしい。

 定額給付金のバタバタ劇以来、もう、「ぶれた」かどうかだけしか気にしていないチンピラに成り下がった我が宰相は「私の当初申し上げていた案が了承された」と胸を張り、おべんちゃら党幹部は「言動は一度もぶれずにしっかりしていた」と言った。もっともこの幇間野郎、気が差したのか「珍しくと言ってはいけないが」と枕詞を添えたというから大嗤い。

 一連の匹夫の論議を望見していて肝心の話が少しも出てこないのが不思議。明記積極派も消極派も経済状況が好転すれば、消費税の税率を上げるということでは大きな意見の違いはないらしい。とすれば、明記するかしないかでつまらない議論を延々とすることはあるまい。まず経済状況を一刻も早く好転させるための議論を最優先で行う方が遙かに時間を有効に使えるだろう。

 それとも庶民から税金を巻き上げる話は簡単にできるが、世の中の景気をいかに持ち直すかという話はあまりにも難しく実現する自信が持てないから公の面前ではしたくないのかな。穀潰しの自民党議員と政府関係者諸君、いかがか。(1/22/2009)

 オバマが第44代のアメリカ合衆国大統領に就任。朝から晩までのニュースで流され続けた就任式の映像、というよりは、それを見ようと集まった200万人もの人々が連邦議会議事堂からワシントン記念塔までのナショナル・モールを埋め尽くす映像の方に驚く。それは壮観であると同時にどこかにいたたまれない不安を感じさせるものだった。

 「壮観」と思ったのは1963年のワシントン大行進(オバマ関連のニュースで最近いくども紹介されたマルチン・ルーサー・キングの有名な演説「I have a dream」はその時のもの)を想起させたからであり、名状しがたい不安を覚えたのはあれだけの大群衆が一人の男の言葉に注意力を集中するさまがどこかリーフェンシュタールが記録した1935年のナチス党大会のシーンを連想させたからであった。

 経済不安の中で行き詰まった社会のブレークスルーを何百万もの人が一人の人物に期待することの危うさが、この名状しがたく、いたたまれない、不安をかき立てている。

 それを意識させるように、きょう、ニューヨーク株式市場は急反落した。一気に332ドル13セント下げて、終値は7949ドル9セント。バンク・オブ・アメリカが29%、JPモルガン・チェースが21%、シティグループが20%のダウン。

 うちにとって心配なのはステート・ストリートに230億ドルを超える不明瞭な海外資産問題が表面化して59%も下げたこと。ここでMSCI KOKUSAIインデックス投信をしているから。国内株のポートフォリオ改善がすんだら、信託財産留保について調べた上で「洗い替え」をしてみようと思っていたが、そのプロセスの途中で足をすくわれることになるかもしれない。

 いまなら浅いキズですむ。あきらめて、STAMグローバル株式インデックス・オープンにするというのも選択肢のひとつ。運用実績期間が短いことと資産規模が小さいことが気になるけれど。(1/21/2009)

 届いたばかりの「FACTA」2月号の田岡俊次「『軍略』探照灯」にエリック・ケン・シンセキのことが書かれている。「シンセキ」という名前には憶えがある。イラクでの戦いの泥沼化が意識され始めた頃田中宇のメーリングリスト配信の記事にその名前を見た。イラク開戦時のアメリカ陸軍参謀総長。名前から分かるように日系三世。開戦時の参謀総長と言ってもイラク戦争を主導したわけではない。

 シンセキ大将はイラク攻撃開始の約3週間前、2003年2月25日の米上院軍事委員会に呼ばれた際「イラクを攻撃すれば宗派、民族紛争が予想され、数十万人の兵力を数年間駐留させる必要があると考えます」と答弁した。

 国防長官だったラムズフェルドや副長官だったウォルフォウィッツがあわてたのは書くまでもない。ラムズフェルドは議場で「それは個人的見解に過ぎない」と発言し、ウォルフォウィッツは2日後の記者会見で「あの発言はまったく見当外れで、5から6万程度の兵力で十分だ」という見解を述べた。

 3月20日に始まった米、英軍のイラク攻撃は当初順調に進み、4月9日にバグダッドを占領、5月1日には太平洋上の空母リンカーン艦上でブッシュ大統領が勝利宣言を行ったため、戦争をよく知らない人々はすでに終わったと思い、シンセキ大将は見通しを誤ったように言われ、6月に退役となった。4年の任期を勤めたから一応は円満退職の形だが、退任式に国防長官も副長官も出席しないという異例の非礼をあえてした。

 朝日だったか日経だったかは忘れたが、シンセキの退任式を「氷のような退任式」と書いていた。

 その後のことを知らぬ者はいない。ラムズフェルドの発言もウォルフォウィッツの発言もいまでは笑いものになっている。彼らの言葉は、愚か者が身の程知らずの「ゴーマンをかます」時、どれほどの「たわごと」を口走るものかという好例として、これからも語られるに違いない。恥をかかせたつもりの「長官」と「副長官」が、歴史の続く限り、恥を晒し続けるとはじつに皮肉な話だ。

 そのシンセキが、オバマ政権では退役軍人省長官(「省」で「長官」というのは少し変な感じ)に就任する。田岡はこんなことを書いている。

 (イラク戦争の泥沼化が明らかになると)米国の記者連はハワイに隠退したシンセキ大将を訪れ、さかんに水を向けたのだが、同大将は穏当な答えに終始し、非難めいたことは決して言わない。最初から彼に全く同意していた私としては「何か言えばいいのに」と感じたが、考えてみれば後輩達が悪戦苦闘しているさなか「だから私はそう言ったでしょう」などと先見の明を誇るのは立派な軍人のすることではない。正しい判断ができ、問われれば一身の利害を顧みずに率直に答え、冷遇されても平然とし、部下の心情を思いやる。これぞ軍人の鑑、「最後のサムライ」ではないかと感動した。
 彼が長官となった退役軍人省は2500万人の退役軍人の年金や傷病兵の治療、障害者給付金などを担当する。職員約28万人、病院・診療所153カ所を持ち、年間予算960億ドル、規模では国防総省に次ぐ。イラクから帰った負傷兵が入る軍の病院が古く患者が惨めな環境に置かれたり、障害の認定が遅く支給開始まで何年もかかる、などの不満が噴出する今日、部下思いで知られたシンセキ大将は退役軍人省の改革に摘任の人物だろう。イラク戦争前の答弁が示すように、彼は情勢の客観的判断と先読みの能力があるから、イラクの大量破壊兵器の存在に関して失敗したCIAの長官にも適していようが、退役軍人省長官は他省庁の長官にくらべ政治的な動きをする必要が少ないだけに誠実な軍人に向いた職務だろう。

 あるべき制度は「シビリアン・コントロール」ではなく「リアリスト・コントロール」なのかもしれない。(1/20/2009)

 薬指の長いトレーダーは稼ぎがいいのだそうだ。B型人間はマイペースで協調性がないとか、唇にホクロがあると食うに困らないとか、そういう話の延長のように聞こえるが、「サイエンスポータル」の科学ニュース欄に紹介された記事。しかも「ケンブリッジ大学の調査」とある。エイプリル・フールにはまだ少し早いと思いつつ・・・。

 証券の売買をするトレーダーは、薬指が長い人の方が向いているらしいことが、英ケンブリッジ大の調査でわかった。ロンドンの金融街シティーで短期取引を専門とする男性トレーダー44人を調べた。今週の米科学アカデミー紀要(電子版)に掲載される。
 胎児期に男性ホルモン(アンドロゲン)が多く作用すると、生殖器や手足の成長を促す遺伝子に影響し、薬指が長くなる傾向がある。
 研究チームは、人さし指と薬指の長さの比率と、トレーダーの収益や経験年数などとの関係を調べた。すると、薬指が相対的に長いグループ(人さし指が薬指の93%の長さ)と短いグループ(同99%)の収益の差は1人当たり年60万ポンド(約7800万円)以上になったという。
 男性ホルモンは、自信やリスク指向性、ねばり強さに関係するとされ、競技スポーツの能力との関係がわかっている。研究チームは、短期売買に必要な集中力や反応速度に影響するとみている。

 早速、測ってみた。右手が70ミリに対して65ミリで93%、左手が70ミリに対して66ミリで94%。おお、結構いける方ではないか。・・・その割に稼ぎはよくないのは、トレーダーにならなかったせいか。よし、4月からはホーム・トレーダーになるぞ、と。(1/19/2009)

 昼頃、スイッチを入れたテレビで黒鉄ヒロシが「・・・7連勝なんていったって、きょうから負ければ8敗、負け越しだってあるんだから」と言っているのを見た。黒鉄にとっては残念なことに、朝青龍はきょうも勝って8連勝、勝ち越しを決めてしまった。

 場所前、「3敗したら、即、引退」、「横綱なんだから、せめて最後は潔く」などと楽しそうに話していた連中がいた。驚くべきはそういう発言をするのが相撲協会関係者だったり、力士OBだったりしたこと。漢字が読めない無教養な麻生でさえ、「総理のご決断」だの、「総理がご判断されること」だの、それなりの敬語を使ってもらっている。それは、どれほど愚かで思慮が足りなくとも、内閣総理大臣の職にあるからのことだろう。

 それに引き替え、よほど麻生より実績を残している朝青龍に対して、横綱を支えるはずの相撲協会関係者や横綱にもなれなかった力士OBが「人事担当者」のようなしゃべり方をするのだから可笑しい。そればかりか、「引退したらモンゴルに帰るんでしょう、帰化していないことが、出稼ぎ意識で来ている証拠」などと語る。ガード下の赤提灯で気に入らない上司を肴にしてする人物批評なら分からないでもないが電波に乗せて放送する類の話ではなかろう。

 こうなると朝青龍が後半戦の上位陣との戦いを全勝してくれることを祈りたくなる。朝青龍のファンではないし白鵬が嫌いなわけでもないが、横綱同士の全勝対決を朝青龍が制したらどんなに気持ちが清々するだろう。帰化しない横綱をまつろわぬ者として憎み抜く度量の狭さが大嫌いだ。(1/18/2009)

 株価の低迷の中で次の成長産業はなにか。経済紙、自称・他称のエコノミストがいろいろな主張をしている。そういうメジャーな情報の中には出てこないが「刑務所関係産業」などはどうだろう。とくに「死刑」の執行に関わる産業などはこれから大いに繁盛するかもしれぬ。

 去年の4月、江東区で同じマンションに住む女性を殺害し、犯行を隠すために遺体を切り刻んで処理した星島貴徳の裁判が、今週、始まった。おとといの朝刊にはこんな記事が載った。

 検察側の被告人質問で、遺体がバラバラにされる様子を再現した画像が法廷で映し出され、傍聴中の遺族が号泣して退廷する一幕があった。・・・(中略)・・・マネキンの右足の赤黒い切断面がディスプレーに映し出された瞬間、傍聴していた遺族の女性が悲鳴を上げて泣き出し、裁判所職員に抱きかかえられるように退廷した。検察側は、被告が描いた絵も使い、遺体を切り離していった方法や順序、感触などを約3時間半かけて被告に質問。星島被告も動揺した様子で「絶対に死刑だと思います」と突然叫ぶなど、法廷は一時、騒然となった。

 記事には「5月に始まる裁判員制度を控え、検察側が意識する『目で見て分かりやすい審理』の一環」だとある。さらに「検察側は法廷で死体損壊罪を立証する責任がある。たとえ正視できない証拠でも裁判所は取り調べなければならず、市民も避けて通れない」というベテラン刑事裁判官の言葉も紹介されている。

 一般市民に裁判になじんでもらうためとか、裁判に市民感覚を持ち込むためとかの理由のいずれからも、あえてこのような凶悪犯罪の裁判を対象としなければならない必然性は認められない。市民感覚というならば、むしろ住民が行政を訴えるようなものを対象とする方がはるかに目的に適っていそうなものだ。いろいろ能書きをたれるくせに、それを避けるのは「そんな裁判の裁判員を国民に担当させたらとんでもないことになる」と考えているからだろう。つまり素人による感情的な「縛り首裁判」の増加をめざすのがこの制度の本旨、つまり凶悪犯罪をみんなで楽しむためのビクトリア朝的な新しい「娯楽」が裁判官制度なのではないか。

 星島被告が自ら「絶対に死刑だ」と叫んだのは「空気」至上の国に育ったごく普通の日本人として当然のことだったろう。彼は自分がしたことを忘れて思わず叫んだわけだ、「こんな奴は死刑にしろ」と。

 現下の経済環境の悪さは数年、悪くすればそれ以上、続くだろう。犯罪の増加は大いに期待できるし、犯行の隠蔽に一番有望なのは被害者を殺すことであるから、殺人は確実に増えるに違いない。刑務所は繁盛し、死刑候補生も増加するだろう。関係業界は隆盛を極めるのではないか。まず刑務所への給食、ユニフォームから絞首用の縄にいたる備品類の需要増が期待できるし、少し面白いところでは臓器移植斡旋業なども有望だ。

 現在、我が国では死刑は絞首によって執行されている。絞首というのは脳死させることであるそうだ。つまり健康で新鮮な臓器が確実に入手できる絶好の機会でもある。裁判員の皆さんは検察官があの手この手で作成する酸鼻を極める証拠映像に誘導され、社会的正義に目覚め、復仇感情を高め、どんどん死刑判決を下してもらいたい。皆さんの正義への渇望は表面的には社会の安寧秩序に役立ち、一方で「生き肝」を渇望する人々の需要を満たす。「脳死」が人の「死」であるかどうかというあの腹立たしいインテリ的な議論は無意味になる。死刑囚は合法的に殺されるのだから、「脳死」がほんとうの「死」であろうがなかろうがどちらでも同じことだ。死刑関係産業の株価上昇は必然的である。まことにもって慶賀に堪えない。(1/17/2009)

 日曜日の朝から中央線下りは西国分寺-立川間が高架になった。ここ数日はこだわって進行左側、富士が見える位置に乗っている。

 きのうは思いついてあえて国立で下車してみた。南側の壁はガラス張り部分が多い、意識的な設計に違いない。その大きな窓から谷保に向かう大学通りの桜並木が見通せる。桜の季節には絶好のお花見ポジションになる。ことしの桜の開花はいつだろう。退職の日までに見ることができるかな。

 けさは、あの踏切近くの中層マンションを確認した。国立はいくつかの思い出につながる町だ。大学に入ったばかり、世論調査のアルバイトをしていた頃、受け持ち地域は国立だった。駅を原点とすると第三象限にあたる一帯が「縄張り」。40年ほど前のあのあたりの何件かの家族構成はいまでも思い出すことができる。かけそばをおごってくれたそば屋のご隠居がいた。熱中症にかかりかけていたのを助けてくれたやさしい奥さんもいた。養子というコンプレックスを抱く夫と、そのことにものすごく気を遣っている若妻がいた。競輪にうつつを抜かしさえしなければとこぼす畳職人のおかみさんもいた。新聞記者をしているお父さんを誇りにしている口ぶりが微笑ましい家庭もあった。西日の強烈に差し込むあのアパートもあそこにあったっけ。アルバイトの学生に暖かく接してくれる人の多い町で「文教都市」というのはこういうところのことかと思ったものだった。

 もうずいぶん変わってしまった家並みを高架から眺めつつ見覚えのブロックを探す。ちあきなおみの歌に「・・・はるか雲の下に広がる街あかり、あそこで愛されて、あそこで別れた・・・」という歌詞があったが、それに近い感じ。(1/16/2009)

 席についてシステムのスイッチを入れてメーラー、ブラウザの順に起動する。ブラウザは最初のものが社内イントラ関係、次が外部関係団体・学会、三番目が新聞各紙(朝・毎・読・日経・東京・googleニュース・サイエンスポータルまでをタブ起動、以前はサンケイも入れてあったのだが、スキャンダル/犯罪記事をサイト・トップに掲載するので会社では不適)。始業直前まで新聞各紙の見出しを手がかりにニュースチェックをする。

 8時少し過ぎの段階では朝日にだけ、ロサンゼルス市警が79年変死体で発見された白石千鶴子の事件を三浦和義の単独犯行とする捜査結果を発表したという記事が載っていた。こういう「事件」には異常にレスポンスのよいサンケイのサイトをみると、朝日よりも遙かに詳しくこんな記事。

見出し:ロス市警、三浦元社長の白石さん殺害容疑を公式発表 弁護側反発
 【ロサンゼルス=松尾理也】ロサンゼルス市警は14日、「ロス銃撃事件」で逮捕したものの、昨年10月に留置場で死亡した三浦和義元会社社長=当時(61)=が、交際相手だった白石千鶴子さん=当時(34)=を殺害した容疑者だったと結論づける捜査結果を公式に発表した。
 白石さんはロス郊外で変死体で発見された。捜査報告では、死因や殺害の状況の詳細は依然、不明としながらも、事件後に元社長が白石さんの銀行口座から多額の現金を引き出すなど、以前から明らかになっていた状況証拠から判断したとしている。
 三浦元社長の弁護にあたっていたゲラゴス弁護士はロサンゼルス・タイムズ紙に、「落ち目の人間をたたくというのはよくある話だが、死んだ人間にむち打つとはめったにないひどい話だ」とコメント。元社長の死で本人からの反論が不可能になった時点で容疑を発表するのは不公平だと訴えた。一連の捜査はすでに終結している。

 ロサンゼルス市警というところはずいぶん面白いことをするところだ。まず、既に死亡して裁判にかけられない人間に対して「彼の単独犯行」という発表にどんな意味があるのか分からない。さらに、その「単独犯行」について「死因や殺害の状況の詳細は不明」だが、「状況証拠から」殺害は彼の犯行に間違いないというのだからあきれる。中世の魔女裁判並みではないか。こんな無意味な「推定」を発表するヒマがあるなら、留置した人間が「自殺」してしまったことに対する管理責任を明らかにする方が先だろう。恥を知れ。まあ「犯罪者」というものは隠しきれない後ろめたさに直面すると、いたたまれずに「不合理な行動」をとるものだ。ロス市警による三浦謀殺の疑いはむしろ濃くなったと言える。

 別件で本件の「怪しさ」を補強しようという心理的な手口が最近はやり始めたらしい。そういう想像をさせる記事がけさの東京新聞のサイトにあった。

見出し:起訴状に余罪、公訴棄却 「予断与え違法」と横浜地裁
 元交際相手の女性から600万円を脅し取ったとして、恐喝罪に問われた男性会社員(37)の初公判で、横浜地裁(大島隆明裁判官)は14日、起訴状に、刑事訴訟法で禁じられている裁判所に予断を与えかねない違法な「余事記載」があるとして、公訴棄却の判決を言い渡した。
 地検の起訴手続きの不備を理由に公訴が棄却されるのは極めて異例。
起訴状では、男性会社員は2007年7-8月、元交際相手の女性に「(会社員が)過去に起こした傷害致死事件について暴力団組員がおまえにも責任があると怒っている。毎月50万円支払わないと、殺されるぞ」と脅迫、同年9月から約1年間で計600万円を自分の口座に振り込ませたとしている。
 起訴状には、起訴した恐喝事件とは別に「(男性会社員がこの)女性から数千万円を脅し取っていた」との記載が加わっていた。
 大島裁判官は「起訴事実より大きな余罪を含めた処罰を求めるもので違法」と指摘。「裁判所の公平性が疑われることは否定できない」と批判した。
 検察側は「(被害者の)女性が数千万円を支払うほど恐れていたことを示すため」と釈明したが、大島裁判官は「金額まで明らかにする必要性はない」と退け、会社員の罪状認否を行わずに公訴を棄却、余事記載を削除して起訴し直すことを求めた。起訴状朗読後、弁護側は意見陳述し、600万円の恐喝事件については認めた。(共同)

 現在の刑訴法は戦後英米法の流れを受けてできたものだそうだ。本国のアメリカで「余事発表」による「自己弁護」が為されるくらいだから、我が検察官殿が600万円の恐喝の訴追に際して、数千万円の恐喝容疑を書き加えて、優位に裁判を進めようと考えても特段珍しいことではなかったのかもしれない。(1/15/2009)

 製品安全規程の書面審議。いつもは「てにをは」と誤字・脱字程度しかコメントしない。だが少し時間をもてあまし気味なせいもあって、かなり踏み込んでコメントをつけた。なにゆえ製品安全に焦点を絞って規程を定めるのかということが、ほとんど読み取れないような書き方だったからだ。

 フェールセーフだとか、フールプルーフだとか、安全に関する注意表示などは、とっくの昔に開発なり設計の規程・基準に書いてある。事故、障害、クレームの処理規程もある。比較的対象品目に乏しい業種であるにも関わらずコンシューマ品のリコールに準ずるようなリコール規程も昨年整備した。にも関わらずあえて「製品安全」について新しく規程を構えるのは、顧客に引き渡すまでに止まらず、顧客が廃棄するまでを含めた製品の「ライフサイクル」のすべてのフェーズで残留リスクをゼロにするための努力を、メーカーはどのような行うかという視点が必要になったからだ。ところがそのあたりがバカでも分かるように書いていない。あってもなくてもよいような規程ならない方がましというもの。

 すると、予想どおり「それなら指摘事項をフォローした条文例を書いてくれ」と言って寄こした。「文句があるなら自分で書いてみろ」というわけだ。書面審議にかける段階まで「練り上げた」のなら、最後まで担当メンバーで推敲を重ねる矜持はないのかと内心嗤ったが、ヒマなのは事実だから書いてみた。4分の1ぐらいの条文は全文書き直すことになった。

 書くだけムダな「業務マニュアル」は作るが、インフラになる「哲学」を書いたものは作れない。ISO屋とTQC屋は似たり寄ったり。どうも我々はすべてにおいて浅はかな皮膚感覚思考へとドリフトしてしまっているような気がする。・・・こんな感慨こそ、老人の浅はかな反発かしら。(1/14/2009)

 夕刊に「シェルブールの雨傘」と「ロシュフォールの恋人たち」の広告が出ている。デジタルリマスター版で再上映される由。「シェルブール」は高校の時、「ロシュフォール」は大学に入ってから観た。それぞれを誰と観たかは忘れてしまった。女の子と映画を観るというのは一大イベントだったはずで、記憶にないのは心躍るような相手でなかったからに相違ない。

 より鮮烈に焼き付いているのは「シェルブール」の方だ。全編、セリフはすべて歌。「フランス語は恋を語る言葉」という意味が分かったように思ってぜったい第二外国語はフランス語にしようと決めた・・・はずだったのに、現実に選択したのは「犬を叱る言葉」だった。どこで間違ってしまったのだろう。

 それはそれとして、「シェルブール」のドヌーヴはほんとうにきれいだった。

 それに比べると「ロシュフォール」はなぜか印象が薄い。映画だけではなくドヌーブについても同様。たぶん前後して観た「昼顔」の圧倒的な「美しさ」が頭の中に充満してしまったからかもしれない。

 広告欄で池田理代子は「シェルブール」を観た記憶を、「真剣に愛し合ったふたりが別々の人生を歩んでいくという物語に、胸が張り裂けそうになったのを覚えています。こんなに切ないお話しがあっていいものかと。大人になって年月もたつと、人生にはもっとひどいこともあると分かるわけですけれど・・・」と笑っている。まことにその通り。あの頃は「彼」と「彼女」の結婚はなんなのだと思ったものだ。

 「元気?」という問いに「ああ、とっても、ね」と応えるあのラストは、いまになってみるとじつによく「分かる」。「分かる」ということがいいことか、悪いことか、それは・・・、狂うほどに夢中になることを自分に許さなかった身としては、なんともいいようがないけれど。(1/13/2009)

 6時のTBSニュースはイスラエル軍がガザへの攻撃に際して「白リン弾」を使用していると報じていた。白リン弾は人体に触れると固着し皮膚を溶かして骨に達するまで高熱で燃焼し続けるという点で残虐な兵器とされる一方で、煙幕弾、照明弾としての用途があるため使用を禁止する国際法はないというものだとか。ニュースの中で、イスラエル軍報道官は「世界中で使われており国際法に違反する新兵器などではない」とコメントしていた。つまり対人攻撃兵器としているわけではなく、たまたま照明弾が人のいる方向に飛んでしまっただけという釈明だ。

 おとといあたりの報道にはこんなものがあった。4日、数十人の武装イスラエル兵がガザのザイトゥン地区の一角に固まって住む市民100人以上に銃を突きつけ1軒の建設中の平屋建て住宅に集め、「動くな。何もするな」と命じて立ち去った。そして、翌朝、戦車が住宅を砲撃した。この砲撃で子供を含む32人が死亡したという。記録映画にこんなシーンがあった。「収容されたユダヤ人たちはシャワーを使わせてやるからと着物を脱ぎ別部屋に入るよう命ぜられた・・・」。彼らに頭上から浴びせられたのは毒ガスだった。じつによく似たシチュエーションだ。

 ユダヤ人たちがイスラエルという国でこの半世紀以上やってきたことは、かつて彼らがヨーロッパの各国でやられてきたことに非常によく似ている。機会があれば難癖を付けてパレスチナ人の土地と財産を「合法的」に奪い取り、その人数にはとても似合わない狭い場所(ヨーロッパでは「ゲットー」と呼んだようだ)に押し込め、反抗する者を「合法的」に殺す(「反逆者」という呼び名は「改良」されて「テロリスト」という名称に変わっている)。まるでそのままパレスチナでイスラエルがやっていることではないか。

 歴史は繰り返す。もしまたヒトラーのような人物が現れてイスラエルのユダヤ人を抹殺するような企てを起こしたならば、オレはそれに手を貸すことはしないが、積極的に反対することもしないだろう。きっと「黙殺」をもって眺めるに違いない。(1/12/2009)

 野村證券が6日に発表した月例の「ノムラ個人投資家サーベイ」によると、2009年の日本株式市場にとってマイナス要因になると予想されるトップは「麻生政権」。1,000人のアンケート回答のうち531人が「麻生政権」と答えたとある。2位は「国内景気」、3位は「米国金融機関の問題」となっているが、それぞれ269人と238人というから、麻生の「支持率」はダントツ、ぶっちぎりの高い評価を受けたということが分かる。

 ことしの株価がさえないであろうことは株式投資とまるで縁のない素人でも予想していることだから、何もかも麻生が悪いというのはいささか気の毒な話には違いない。しかし経済の半分以上は心理で決まってしまうものだとすれば、「政局より政策」と言い、「百年に一度のミゾユウの状況に対応しなければならない」と主張して居直った宰相が、口を開くたびに言うことがコロコロコミックするのを見れば、こいつが株式市場の足を引っ張っているんだと名指しするのは必然かもしれない。そうでなくとも、あの貧乏神のような「さもしい」相貌と、およそ知性というものの感じられないしゃべり方は人々の気持ちを暗くするための必要十分条件を満たしている。

 その麻生はきょう韓国を訪問している。李明博とは先月福岡で会談したばかり。さほど急いで会わねばならない課題があるとは思えぬ。李明博も麻生よりさらに低い支持率に苦しんでいる。経済的な暴風雨を前にしてどのような舵取りをすればいいのか分からずにおろおろしている無能な総理と大統領、互いの身の不幸を嘆きあってでもいるのだろうか。(1/11/2009)

 大泉のTジョイで「レッドクリフ」を観る。**(家内)、**(上の息子)と三人。こちらとしてはきょうから公開の「チェ・28歳の革命」の方が観たかったのだが、**(上の息子)が「レッドクリフ」をというのであわせた。

 圧倒的な戦闘シーン、あるときは劇画感覚、あるときは京劇感覚による中国版殺陣、人物造形はそのまま「三国志演義」という印象。**(家内)は北京オリンピックの開会式を思い出したと言っていた。

 当然の成り行きとして曹操は徹底した悪役。周瑜の妻・小喬に懸想し、戦を仕掛けるような人物にされている。ついでに書けば、小喬を演ずる女優さんは工藤静香似。絶世の美女(姉の大喬とセットで「江東の二喬」と称せられた由)というイメージにはいまひとつで、主観的には残念。

 メインイベント・赤壁の戦いはパートⅡに譲って、4月末までのお預け。・・・そういうこととは無関係に、三十に到達した息子が両親と、野球ならばともかく映画を観るというのは少し異常で心配。(1/10/2009)

 夜半からは雪という予報だったので起きた時には銀世界かと思いきや、わずかに混じって「みぞれ」。それでも寒い。暖かい部屋の中から冷たい雨を見ている。半月ぶりくらいになるだろうか、この雨。

 べつにこの天気を予想したわけではないが、さしたる用事もないのに休暇を取った。月曜は成人の日だから4連休。その初日。**(家内)は手術したばかりの同僚の代わりで出勤。

 ジュリアードSQのハイドンセットをかけながら、さっきからずいぶん探しているのだが、「ガリア戦記」が見つからない。講談社学術文庫だから青い背表紙のはずだが・・・。皮肉なことに見つからなかった本がずいぶん見つかった。やはり部屋の改修前でも、本の並べ替えはした方がいいかもしれない。(1/9/2009)

 最近、よくテレビを見るようになった。きょうはザッピングでカルロス・ゴーンへのインタビューに行き当たった。BSジャパン、地上波ならばテレビ東京。テレビ東京の時事ものというと、大仰に語る割には内容が希薄でがっかりさせられるばかりの日高義樹の「ワシントン・リポート」がまず頭に浮かんでしまって見る気がしなかったが、食わず嫌いだったのかもしれない。まあ司会の村上龍の紋切り型の質問には吹き出してしまうけれど。(「カンブリア宮殿」などという気取っているくせに田舎くさいネーミング・センスは「ギルガメ」・「ガイア」など、この局、固有のものなのかもしれない)

 ゴーンへの批判は少なくないが、彼が単純なコストカッターではないことは聴く耳を持っている者には容易に理解できる。「クールヘッド」だが「ウォームハート」。前者はほとんどの人が認めるところだろうが、後者を認めるかどうかには異論があるかもしれない。しかし、守るべきと信じるものを守り、十分に伸ばすのだという堅い思い、それが彼のハートなのだと思った。つまりプライオリティに忠実というのが彼の本質のような気がする。

 彼は車が好きなようだった。それは見せかけではなかった。少なくとも一時間を超えるインタビューのなかにお芝居はなかった。見せかけの情熱、あるいは作り物であるがためのほころびも見えなかった。

 現在の経済状況の手強さを語りながら、「人間が作り出した危機である以上、人間に解決できないことはないのです」という言葉が素直にこちらに伝わるのは、リーダーが絶対に持っていなければならないものを彼が持っているが故のことだと思った。それは「希望」を語り、信じさせることができる能力だ。(1/8/2009)

 麻生は自分自身が定額給付金を受け取るか受け取らないかは「その時になったら考える」のだそうだ。高額所得者でありながら給付金を受け取る人は「さもしい人だ」と断じた手前、もうどのように言い逃れればよいのか、彼の「さもしい」頭では判断がつかなくなってしまったのだろう、呵々。いい加減、そもそもカネで人気をとろうなどと考えることそのものが「さもしい」のだというあたりまえのことに、気づいたらよいのにと思うが、頭が悪いということは本当に気の毒なことだ。

 巷には「爺さんはバカヤローで解散、その孫はバカで解散」という笑い話がある由。考えた、安倍晋三と麻生太郎、どちらの方がよりバカなのだろうと。「KukiがYoめない」バカと「KanjiがYoめない」バカ、目くそ・鼻くそのたぐいだが、麻生の方が「自分は利口だ」とより強く信じているらしい(それは当然だ、麻生は安倍に一服盛って寝首をかいたつもりなのだから)こと、そしてなにより、もはやゾンビになったバカよりは取れたて新鮮なバカということで、麻生太郎くんに軍配。(1/7/2009)

 ザッピング中にBS朝日で「ガリア戦記を巡る旅」(BBC制作)に行き当たった。

 ローマに対するガリアの最後の抵抗戦争であるアレシアの戦いに至るカエサル(BBCの制作でカエサルと呼ぶのはNHKが付した翻訳によるものか)とウェルキンゲトリクスの知略がテーマ。二人の歴史学者がそれぞれにカエサルとウェルキンゲトリクスになって二人の「知恵比べ」を語る。アレシア古戦場現地の映像を含めて視覚的に作られており想像力が刺激される。急に「ガリア戦記」が読みたくなるような出来だった。

 かつては「オンナ・コドモの・・・」とくれば「フジテレビ」というのがオチだったが、いまやNHKの番組欄にさえ「!」と「?」が踊りまくるような時代になってしまった。「悪貨は良貨を駆逐する」とはよくいったものだ。お笑い芸人のしゃべりとそのしゃべりを字幕で垂れ流す「バラエティ」やら、美男と美女が適当に泳ぎ回る熱帯魚水族館のごとき「トレンディ・ドラマ」、・・・よくもまあこれほど、わざと、つまらないものを作ってみせるものだとチラ見するごとに感心してきた。できるならばこのレベルの刺激にあふれた番組こそ地上波でオンエアして欲しい。(1/6/2009)

 初出勤。これが最後の「仕事始め」。入社以来のこの日の情景を思い起こしながら門をくぐる。

 本社地区は社長スピーチがある。有楽町時代は7階北東の人勤部あたりに集まって直接聴くのが恒例だったが、いつのまにか放送を自席で聴くスタイルになった。あの頃は一日、二日遅く始まる工場地区の幹部も本社まで来ていた。工場も、初出の日には事業所・地区なりに工場長と組合幹部のスピーチがあったものだが、工場長が本部長の配下になった現在はなくなってしまった。

 十年ほど前までは、この日は半日、仕事らしい仕事はしない日だったが、いまは初日からフル稼働、身が入っているかどうかは別にして他の出勤日と同じになった。なんら特別ではなくとも特別らしくするから気分が引き締まるという効用はあるものだが、そういうものの価値を認めないのが最近の流行。たしかに年末年始を一週間弱も休みにするのは欧米にはない習俗だから、「グローバル化」の昨今では、これが当たり前なのだろう。そのうちに元日のみの休みになる・・・などということがあるのかしらん?

 ステップ応答は理想には違いないが、精神的な「締まり」とともに失われるものもある。「見える化」を励行すればすべてはうまく行くという「信仰」が主流で、「見えないことの効用」を織り込む「知恵」が忘れられている・・・などとぼやくのは老人のつけるイチャモン。(1/5/2009)

 イスラエルがガザに対して侵攻を始めた。このルビコンを渡ったに等しい軍事行動がイスラエルにとって吉と出るか凶と出るかは予断を許さない。アメリカが従来と同じ姿勢をとり続けるかどうか、それは以前に比べればかなり不透明になったのではないか。

 戦争をするごとに地盤を固めてきたイスラエルだが、今回の侵攻が曲がり角になるだろう。ブッシュ同様、表舞台の戦争に勝ったはずが実質的には敗北に等しい現実の前に立ち尽くし、あげくに国家存立の基盤が崩れることになるだろう。

 逆にアメリカがこんどもまたイスラエルの望みどおりに行動したとすれば、一部に待望の声すらある中東戦争に進展する可能性が大きくなる。しかし戦争特需を期待して中東戦争を待ち望んでいる連中には気の毒だが、それはアメリカの崩壊につながり経済はよりいっそう混乱し、状況は好転しないだろう。

§

 麻生が新年の記者会見を行ったらしい。書き初めをしてみたり、それらしくフリップを使っていたようだ。猿回しのサルかい?

 「急ぐべきは景気対策」だとさ。リーマンショックから何ヶ月経ったと思っているのだ。3カ月以上、何もしないで「急ぐべき」とはどういうことか。この男、漢字が読めないのではなく、そもそも日本語が話せないんじゃないか?(1/4/2009)

 朝刊、少し異常な感じ。広告のこと。全40面のうち、全面広告が21面。異常というのはそのことではない。全面広告21面のうちパック旅行の広告が10面を占めること。さらにそのうち正味8面は海外旅行。車の広告はマツダとダイハツの各1面に過ぎない。もちろん元日の紙面広告と三日の紙面広告には微妙な差はある(トヨタもホンダも元日だった。ニッサンがないのはどうしてなのか?)としても、パック旅行の広告の異様な多さは、最近のテレビCMにおけるパチンコ広告に通ずるところがあるように思える。

 箱根駅伝の結果を記録しておく。往路優勝は部員の不祥事で出場を危ぶまれた東洋大学。以下、早稲田、日本体育、中央学院、山梨学院、国士舘、明治、日本、大東文化、帝京。きょうの復路は、東洋、早稲田、学連選抜、日本体育、大東文化、中央、駒沢、日本、明治、東京農業。総合順位は、東洋、早稲田、日本体育、大東文化、中央学院、山梨学院、日本、明治、学連選抜、中央の順位。昨年優勝の駒沢、一昨年優勝の順天堂が10位にも入れず、シード落ちしたのが意外といえば意外。

 沿道の応援風景で気になったことがふたつ。ひとつは「骨髄バンク」ののぼり。何カ所かでかなりまとまって立てられていた。あれは骨髄バンク関係者のアイデアで、日本テレビにも読売新聞にも一銭も払っていないのだろうか。PR効果は抜群だったと思うが。もうひとつは読売の旗にまじってほぼ同数黄と緑の旗がふられていたこと。色目としては大東文化のユニフォームなのだが、まさか特定校のチームカラーを読売と同数ていど配布することあるまい。いったいどこの旗かと何度か目をこらしてみたがついに分からなかった。(1/3/2009)

 片付いて居心地のよい書斎に座ってまわりを見回す。クロスは一度も貼り替えていないので黄ばんでいるし、床は貼り合わせの部分が割れているところがある。春までの間に壁紙と床板を張り替えて、もう少しイメージアップする。工事が済むまでは本の並べ替えはあきらめよう。引っ越しのために、シリーズものや上下巻セットが崩れているものがかなりあるから、最悪、丸二日くらいかかるかもしれない。

 こうして見回すと少しばかり広め。あのロッキングチェアがあればなぁと思う。**(上の息子)が勝手に処分したあのロッキングチェア。あれに揺られて最期を迎えることをずっと夢想していた。選んであれを棄てる、**(上の息子)にそんな意識があったわけはないだろうに、あれだけを確認もしないで棄てたとはね。

 K466の第二楽章にさしかかった。この緩徐楽章は夕暮れ、力のない西日がいっぱいに差し込む部屋に似合っている。とたんに涙が出てきた。あの椅子はなくなってしまったが、この曲だけはなんとでもなるだろう。人生のおしまいにはこの曲を聴くことにしよう。(1/2/2009) 

 5時過ぎに目が覚めた。出勤日ならばなんとかもう一度眠ろうとする時間だが、眠くなったら寝ればいいと思うと気が楽になって起きることにした。書斎の雨戸を開けた。まだ暗いけれど、きょうもいい天気らしい。年末年始の休みになってからはずっと「快晴」の日が続いている。もう半月以上雨は降っていない。

 所沢では居間で使っていたテレビのスイッチを入れる。初日の出中継。富士山、犬吠埼、そして東京タワー、名古屋のポートビル、室蘭の地球岬。犬吠埼からみる海の彼方が明るくなるころ、窓から見えるマンションも徐々に赤みを増してきた。犬吠埼が一番最初に日の出を迎えた。2009年元旦。

 一家4人で雑煮を祝うまではよかったのだが、昼前に**(下の息子)が岐阜へ帰ると言い出した。**(上の息子)と喧嘩したらしい。喧嘩っ早いのは別として、機嫌を損ねてむくれるところはオレに似たのかもしれない。帰るというのだから止めてもムダ。「仕事を丁寧に、人間関係も丁寧に」ということだけを頼んで見送った。せっかく作った実印は忘れて帰ってしまった。

 昼過ぎに3人で水天宮に初詣。水天宮というのが神社だとは知らなかった。「水天宮」・「日枝神社」とあるから勝手に水天宮をお寺と思い込んでいた。不覚。三十分ほど並んだあとのことで、そのまま列から外れるのも業腹だったので、お参りだけはした。神社風情に、賽銭を入れて、頭を垂れたのは生まれてはじめてのこと。「神道は祭天の古俗」、それ以上でも以下でもない。残念ながら生きている神道関係者にはいささかの敬意を払う気にもならないから一礼したのみ。

 おみくじ。**(家内)は今年も「大吉」、**(上の息子)は「小吉」、オレは「中吉」。去年が「小吉」だったから、ステップアップしたことになる。それにしても、じつに工夫のないおみくじで、「商売(あきない):物価(もののね)ひくくなる」、「相場:下がる 今思い切れ」などと書いてある。おみくじに書いてもらわなくとも、よほどのバカでもこれくらいのことは分かるさ。いかにも小賢しい感じ。最近の神社関係者は「漢意」に毒されておりますなぁ、宣長殿。(1/1/2009)

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