日本の城リファレンス:page14(城攻めについて−包囲系作戦)
1.長囲攻め
城を完全に包囲し、外との連絡を完全閉鎖する方法。織田信長は石山本願寺(大坂城付近)に居座る一向宗狂信者を10年かけて包囲しようやく石山の地を得ることが出来た。この方法を発展させた後の3つの方がメジャーである。

2.兵糧攻め
長囲攻めの一種。相手の兵糧が尽きるのを待つ。篭城側にとっては悲惨この上ない。飢えた人を見ることが大好きだった豊臣秀吉がこの戦法を愛用した。三木城とか鳥取城とかは有名である。飢えた城内では馬肉、草の根などが食料として好まざるをえなくなる。鳥取城での戦に至っては記録に残る日本最後の集団共食いすら行われた。悲惨!

3.水攻め
大規模な土木工事が必要なのでお金がものすごくかかる。城が湿地帯にあることが第1条件である。堤防を築き、その中に水が溜まれば大成功。あとは水が城内に迫り慌てふためく人々と外との連絡が不可能になったため食料がつき始め慌てふためく人を見て楽しむ?だけである。豊臣秀吉はこういう人を見る人も好きだったらしく愛用している。備中高松城なんて有名すぎて困っちゃうほどですね。この備中高松城の勝利から8年後、この方法を忍城で真似ようとしたら堤防が決壊し攻撃側に水が流れてきた、という大阿呆な事件が起きた。水攻めの際はきちんと地勢調査を忘れずに! 分かりましたか、石田三成君。

4.乾渇攻め
水の手を立つ戦法。これも篭城側にとってたまらなくつらい。この戦法の歴史は古く千早・赤坂城の戦いでも使われていたことが「太平記」から分かる。この戦法にはなぜかエピソードが多く、城内では水が尽きたので、馬を米で洗っているのを見抜いた毛利元就とか、水の手が完全に尽き、残っている水を城兵に存分に与え、瓶を割って決死で突撃して勝利を収めた柴田勝家とか、ね。

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