天神之森

概説 明治2年4月、大鳥圭介の命令で木古内から撤退した旧幕府軍は、矢不来を中心に茂辺地から富川にかけて布陣し、矢不来台場には砲4門、山中に二十数ヶ所の胸壁を巡らして伝習歩兵隊、遊撃隊、砲兵隊、天神之森に衝鋒隊などを配した。新政府軍は4月28日に海陸から攻撃を命じ、翌日深夜から未明にかけて行動を開始。天神之森に布陣していた衝鋒隊は、改役の永井蠖進斎と天野新太郎を失い敗走した。[『箱館戦争写真集』を参考にした]
 注意:『箱館戦争写真集』p123の「矢不来台場略図」を見ると「天神之森」には大砲が置かれていたことが分かる。一方、p124「矢不来天満宮古写真」の説明文はこの写真の場所が「天神之森」であるかのように書いているがそれは間違いで、この写真は天神之森ではなく観音沢へ移ったときのもの。天満宮はその後国鉄の線路工事のために茂別館の中へ移されて今日に至っている。[上磯町のOさんのご教示による]
天神之森の現況
その他の写真
  1. 観音沢の矢不来天満宮跡地
  2. 現在の矢不来天満宮は茂別館内に置かれている
訪問記[2005/08/27]上磯町のOさんにお聞きして、箱館戦争当時の天神之森旧地、そして移転先の観音沢へも行ってみた。
所在地北海道上磯郡上磯町矢不来。矢不来から旧道へ入り矢不来台場の解説板を過ぎ300mほど行くと左手に松の木と倉庫がある。その少し手前から海側へ向かって南西方向へ進む道がある。その先端部が天神之森の旧地。なお、観音沢の矢不来天満宮跡地は茂辺地駅の西側踏切北側。
参考書『箱館戦争写真集』、『五稜郭・箱館戦争』(市立函館博物館五稜郭分館常設展示図録)