矢不来台場

概説 箱館戦争時、この山中に新政府軍の伝習歩兵隊、遊撃隊、杜稜隊が布陣した。
 矢不来台場(第1台場、第2台場)はすでに町文化財指定されているが、今まで考えられていた以上に縄張りは広大で、旧福山街道を中に取り込み、関所の役割を果たしていたらしい。重要な施設の付近を通るところでは街道を深く掘込み両側が見えないようにしていたと思われる場所もある。
 第3の台場?:かつて矢不来天満宮のご神木の松ノ木(JR江差線工事で伐採された)があった辺り、国道228号線沿いのパーキング向いの張り出し部分が「新政府軍の攻撃を受けて土塁もひっくり返る程の被害を受けた」と記録に残る箱館戦争激戦地の矢不来台場ではないか。標柱と説明板のある山の上の矢不来台場は土塁がひっくり返るどころか、整然と残っていてそんな激戦が行われた場所とは思えない、と地元郷土史研究家のOさんは言う。
 Oさんのお話では、文化財指定されていない北側の山中には星形土塁をはじめ散兵壕が点在していたが、開墾によって隠滅し地目境にわずかに残っているだけになっている、とのこと。
旧国道沿いに立つ標柱と説明板
見取り図(「御國七浦御備立」より)
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その他の写真
  1. 第1台場の枡形虎口
  2. 第2台場の砲座(奥)とそれを取り巻く土塁
  3. 第1台場北側の弾薬庫の土塁
  4. 新政府軍の激しい攻撃を受けた矢不来第3台場(低台場)はこのあたりだったらしい
  5. JR海峡線線路脇に残る第3台場(低台場)跡の盛り上がり地形
  6. 北側の森林内に残る散兵壕
訪問記[2001/06/25]標柱の右脇に雑草に覆われた斜の上り道があった。
[2001/07/02]土塁といえばそれらしいものはあるがあまりはっきりしない。
[2001/07/30]地元の郷土史研究家のOさんに土塁、枡形虎口、砲座、弾薬庫などを案内していただき、素晴らしい遺構が残っていることに感動!函館江差道路が通るとかなりの部分が湮滅してしまうことになるとのこと。上磯町は公園整備をした戸切地陣屋だけでなく、矢不来館、茂別館、矢不来台場などほとんど手付かずではあるがものすごい財産を持っているのだと感じた。行政がそれに早く気付いてもらいたいと願うだけだ。
[2001/08/06]国道228号線沿いの第3台場の名残りの写真を写しに行く。土塁の断面は草の無い時期であればJR江差線の車窓から見ることができるらしい。
[2002/08/19]地元の郷土史研究家のOさんに散兵壕を案内してもらった。
[2003/07/21]2年ぶりに訪問。遺構は林の中にひっそりと眠っている。
[2005/08/27]『箱館戦争写真集』p123の「矢不来台場略図」を見ると「天神之森」にも大砲を置いたことが記されている。一方、p124「矢不来天満宮古写真」の説明文はこの写真の場所が「天神之森」であるかのように書いているが、それは間違い。天神之森巡りをしてきたので、これについては「天神之森」のページをご覧ください.
[2007/09/03]8月31日、函館へ向かうJR海峡線の車窓から地形の盛り上がりが見えた。2001年に見に来たときよりも雑草が少なく感じたので今日来てみたがそれほど見やすいわけではなかった。
所在地北海道渡島支庁上磯町矢不来
参考書『箱館戦争写真集』、「御國七浦御備立」(上磯町落合治彦氏所蔵)