品川第三台場

概説 江戸幕府が黒船来襲に備えて品川沖に築いた砲台跡。設計者は伊豆韮山の代官・江川太郎左衛門英龍で、ペリーが浦賀に来航した翌月の嘉永6年(1853)8月に着工、1年3ヶ月の間に6基が完成した。現在は大正15年(1926)に国の史跡に指定された第三、第六台場だけが残されている。第三台場は、昭和三年東京市(都)によって整備され、台場公園として解放されている。周囲には、海面から5〜7mの石垣積みの土手が築かれ、黒松が植えられている。また、内部の平坦な窪地には、陣屋、弾薬庫跡などがある。29,963.40平米。大正15年12月20日に外周30間(約55m)の海面を含み史跡指定されている。[現地説明板より]
築造年:第一〜第三台場は嘉永6年(1853)に築造され、第四〜第七台場と御殿山下台場も嘉永7年(安政元年)(1854)築造開始されたが、第四台場は7分、第七台場は3分で中止された。
撤去年:昭和14年(1939)第四台場、昭和32年(1957)御殿山下台場に台場小学校開校、昭和36年第二台場、昭和37年第五台場、昭和38年第一台場、昭和40年第七台場。[『品川台場史考』年表を参考にした]
お台場海浜公園砂浜より臨む。右手はレインボーブリッジ
第三台場の内部[現地説明板より](クリックで拡大)
品川台場配置図[『品川台場史考』扉図に番号を附した](クリックで拡大)
その他の写真
  1. 台場の内部を土塁東角より臨む
  2. 第三台場から見た第六台場
訪問記[2007/01/15]幕末に作られた台場遺構の中で全国的にももっとも良好に残されているもののひとつだろう。また、台場の規模・堅牢さでは函館の弁天台場、広さでは大洗の祝町向洲台場などと同レベルと思われる。その意味でも一度見ておきたかった。胸墻の比高は『品川台場史考』の図表に5間4尺6寸とあるからざっと10m、天下普請とは言えこれをおよそ100日くらいで作ったらしいのだが埋め立てを考えるとすごいと感じる。
所在地東京都港区台場1丁目10番。東京臨海高速鉄道ゆりかもめお台場海浜公園駅から徒歩10分。レインボーブリッジの南東下。
参考書『幕末海防史の研究』『品川台場史考』『国別 城郭・陣屋・要害・台場事典』