沖ノ口台場

概説 安政元(1854)年12月、箱館奉行は幕府に対し箱館警衛に関する申請を行った。翌2年5月、幕府は一時に巨額の経費を支出できないから、重要箇所から着手するよう回答した。箱館奉行は、弁天岬台場、築島台場、亀田役所(五稜郭)および役宅を築造することを決定し、その総額金41万8,760両余を計上、20か年の継続事業とし、1か年金2万両ずつ下付を受けることとした。予算の内訳は以下である。
 一金二万五千両 役所、役宅普請入用
 一金九万八千両 役所構五稜郭惣堀入用
 一金二万両 亀田川堀割水門浚堰船入堀並外囲土塁苗木植付其外入用
 一金一万七百六十両余 備船伺済九艘の内二艘出来、一艘買上、残六艘分並スクーネル船二艘、会所入用諸色小買物其外共
 一金四万両 五稜郭備筒入用、但し二十四ポンド五十挺
 一金十万両 弁天岬台場
 一金四万両 右備筒。但し二十四ポンド五十挺
 一金四万五千両 築島台場
 一金一万六千両 右備筒。但し二十四ポンド二十挺
 一金二万両 沖ノロ台場
 一金四千両 右備筒。但し二十四ポンド五挺
計金四十一万八千七百六十両余
 その後、弁天岬台場・五稜郭の2大工事に引続き、築島台場および沖ノロ台場を築く予定であったが、幕府財政逼迫(ひっぱく)のため断念した。
[『函館市史 通説編第1巻』p585〜589より ]
沖ノ口は旧函館西警察署前の交差点付近にあった
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訪問記[2003/06/23]文政4(1821)年の古絵図には沖ノ口は小さな築島として描かれている。この台場も築島台場同様、弁天台場のような頑強なものは造られなかったわけだが、沖ノ口の築島に簡易施設ぐらいはあったのかもしれない。この沖ノ口番所のあった築島は今は使われていない旧函館西警察署建物前の交差点の中央付近にあった。概説に引用したように沖ノ口台場建造の計画があったことが『函館市史 通説編第1巻』に書かれている。しかし、引用文献が記載されていないのは残念だ。
所在地函館市大町。旧函館西警察署前の交差点あたり。
参考書『函館市史 通説編第1巻』、『箱館から函館へ』