美浦村の馬頭さん


 馬頭観音菩薩をご存じでしょうか?私のまわりの人々は愛着を込めて『馬頭さん』と呼びます。

 このページへ辿り着いた方の中には競馬ファンも大勢いることでしょう。それは現在の美浦村の知名度に『日本中央競馬会美浦トレーニングセンター』(以下、美浦トレセン)の存在が大きく貢献しているからだと思います。そして今、国内で目にする馬の多くは競走馬や乗馬で使われるサラブレッド種やアングロアラブ種ですからそれも当然のことと思います。
 しかし、これら外来種とは別の馬たちが、永い歴史の中をつい数十年ほど前まで私たちと共に暮らしてきました。暮らしの中で馬たちは大切な財産であり家族でもありました。そういう大切な馬たちの安全と成長を祈りまた死んでいった馬たちへの供養のために多くの馬頭観音が全国に建立されてきたのです。ここ美浦村も例外ではありません。美浦トレセンが建設されるよりずっとずっと昔から、村内の路傍には行き交う人々や牛馬を見守るようにして「馬頭さん」は立ち続けているのです。

 『美浦村石造物資料集』によれば村内には35基の馬頭さんがあるそうです。中には個人宅でお守りされているものもあるのでその全てを見ることはできないかもしれませんが、美浦村の四季を背景に馬頭さんを少しずつ回ってみようと思います。

      冬



(16)大字下舟子古屋台(2445)。海源寺境内。文久3(1863)年。文久三癸亥年村講中。植木の裏側に置かれているため正面からの写真が撮れません。

(17)大字下舟子古屋台(2445)。海源寺境内。天保7(1836)年甲。元は、大字下舟子塚原349-1、に置かれていたが宅地開発のため現在地に移されたようだ。

(18)大字信太2164普賢院。昭和7(1932)年旧正月18日建之。高さ143cmの大きな馬頭さん。

(19)大字信太2164普賢院。刻識なし。「馬頭観音」の文字でなく馬頭像が刻まれているのは珍しいが、年号は無い。

(20)大字大家1056西福寺裏。右:大正元(1912)年9月。左:明治33(1900)年5月5日。

(21)大字大家1056西福寺裏。新しい馬頭さんと水子地蔵。現在の美浦村のお寺の2大セールスポイントはこれでしょう。

(22)大字茂呂字茂呂前1266ノ乙。明治39(1906)年、旧11月18日。お守りをされている家の方のお話しでは、下の田んぼで死んだ馬の供養にその場に立てられていたものを後に現在の場所へ移したということだ。昭和30年代までは馬や牛が農耕に使われていたそうだ。

(23)大字茂呂1316共同墓地。明治13(1880)年辰3月吉日。

[参考文献]
(1)美浦村石造物資料集 美浦村史編さん委員会 1986。
(2)日本の神様読み解き事典 川口謙二 柏書房 1999。


      冬