廣徳寺城

概説 廣徳寺の裏には、台地を掘り切った大きな堀と土塁が、丘陵の中心より西側に形良く顕在している。この城砦は遺構からみて戦国時代様式であるが、城の歴史については現在のところ文書記録など皆無であり詳細は不明である。しかし、寺の創期は天正11年であり、「木原館には、近藤氏の2代目あたりの殿様が入居していた」と寺に代々語り継がれていた。廣徳寺の開山は次の如しである。
  天正11年 永厳寺第15代
  棟庵全梁  開山   『茨城県曹洞宗寺院誌』
[以上、『御茶園遺跡』より]
 なお、廣徳寺周辺は「木原門前遺跡」という名称で最近登録された。
廣徳寺の入り口
    その他の写真
  1. 本堂と墓地の間にある土塁
  2. 土塁と堀
  3. 木漏れ日を浴びて土塁の間を行く
  4. 東側の民家側に張り出す合横矢
訪問記[1998/04/20]無住の小さな寺の本堂裏に、墓地へ行く道をはさんで左右3本づつの土塁と2本づつの堀があるが、かなり埋まっている。喰い違いに構築され、かつては複雑極める折り虎口だったと報告されている。
所在地稲敷郡美浦村木原字門前2662外。JA美浦の西隣。廣徳寺の境内。廣徳寺は木原館の北300メートルほどのところにある。
参考書『御茶園遺跡』