木原館

概説 別名、楯縫館、郷中館。木原館跡は、廣徳寺城砦と指呼の間の南方向にあって、廣徳寺城砦を取り巻く谷頭を挟んだ位置に構築されている。この城館の縄張りは、方形館址的な部分を残しており発生は早い時期と考えられる。その後、戦国時代に入り防御構造を強固に改造した跡を残している。[『御茶園遺跡』より]
 南北朝時代、北畠親房南朝方は佐竹・小野崎・烟田に攻められ、神宮寺城・阿波崎城が落城、小田氏の案内で親房は小田城に入るべく、海路と陸路に別れ小田城へ向かった。陸兵は阿波崎より古渡へ渡り、佐倉城・信太城・高津城の兵に援護され、小田城へと向かった。『吉野記』ではその時、数ヶ所で激しい戦闘があり、その中でも楯縫の戦いが最も大きかったと伝えている。この戦いで、高師冬・屋代信経のために楯縫神社は社領無禄となると云う社伝がある。[『美浦村誌』より]
北側の堀。正面の林が木原館
    その他の写真
  1. 館内部最内の土塁(手前と奥に平行しているが写真ではわからないか)。
  2. 館の中心部
  3. 堀と土塁。土塁上を国道125号線が走る
  4. 国道125号線をはさんで東側に残る堀跡
  5. 北側土塁が削られて櫓台の断面が出ているではないか!
訪問記[2000/01/01]長らく荒れ果てていて内部に入ることはおろか、見ることもできなかたのですが、昨年、本年と冬場に村内の遺跡調査が行われたようで草刈りがなされて今は入ろうと思えば入れます。館内部の北側に4重の土塁があるらしいのですが、薮に阻まれてそこまでは行けませんでした。
[2002/09/02]久しぶりに横を通りかかったら側溝か歩道かの工事のために北側土塁が延々と削られていて、古墳を利用したと思われる櫓台も断面になってしまっていた。
所在地稲敷郡美浦村木原。国道125号をはさんで廣徳寺城の反対側になる。阿見町方向から125号バイパスで来る場合には、木原台交差点の次のコンビニHOTSPARの信号を左折、600メートル行った右手の林。
参考書『美浦村誌』、『木原城記』(『美浦村史研究創刊号』に掲載)。特に『木原城記』は一時代前の研究ですが、おもしろいです。