実穀古屋敷(じっこくふるやしき)

概説 西方の低地からの登り口は、屈曲して城郭の入り口(虎口という)のようです。各屋敷と思われるものは、東側に土塁を構えて西側は崖になっており、さながら個別に曲輪の形をなしています。特に南端の屋敷は、東側の土塁は厚く、西側の崖は急角度であり、さらに東には二の郭らしきものさえあります。この部分は城郭に近い構えとなっています。しかし、その地名が古屋敷ということや全体の構造から見て、これは武装した集落、すなわち城砦集落といえます。南端の部分の住人はこの集落の有力者で、小領主への上昇過程にあった存在で、他の住人も戦場に出る土豪的な人たちであったのでしょう。なお、南端の部分の住人であったという野口本家は、現在でも「内出」と呼ばれています。これは、集落内で土塁などの構えをもつ中世の小規模な館的な地域の地名です。野口家の古屋敷集落内での地位がうかがえる名称です。寛永11(1634)年、領主伊達家の指導のもとに、古屋敷の人たちは現在の集落地に移動しました。[『身近な名所事典』より]
なお、「城砦集落」についてはこちらにまとめてあります。
林の中に残る土塁
    その他の写真
  1. 折のある土塁
訪問記[2002/4/29]林の中に土塁、堀、住居跡の削平地が残る。城の縄張とはまた違った佇まいだ。
所在地稲敷郡阿見町実穀
参考書「阿見町史」、「身近な名所事典」