戸切地陣屋(へきりちじんや)

概説 この陣屋は、安政2(1855)年幕府に命じられ松前藩が築いた。構造は、四稜郭で亀が首を出した形をしており6つの砲座がある(写真1.)。郭内には17棟の建物があり、約120人で守備してしたが、完成から13年後の明治元(1868)年箱館戦争の時、相手方に陣屋が使われないよう建物に火をつけ焼き払った。[正面説明板より抜粋]
 清川陣屋、濁川陣屋、穴平陣屋とも。
陣屋の表門
残存土塁位置(図中にで示す)
松前陣屋址図『北海道史蹟名勝天然紀年物調査報告書(大正13年3月20日)』を参考にした(クリックで拡大)
その他の写真
  1. 概略図
  2. 土塁、犬走り、空堀、土橋
  3. 土塁を削った砲門
  4. 陣屋内部
  5. 陣屋遺構から200mほど奥にある火薬庫の土塁跡
  6. 火薬庫からさらに300mほど奥にあるハリストス聖教会墓地の周囲にも土塁がめぐり陣屋関連施設の可能性がある
  7. 屋敷跡の土塁か
  8. 畑地北側に残る土塁
訪問記[2001/06/11]最近草刈りが行われたようで、土塁も堀も見やすかった。
[2001/07/02]前回見なかった火薬庫跡を見てきた。[註]後日、上磯町のOさんから、「現地解説板その他で「入口」とされている2ヶ所の土塁の切れ目は後で開けられたものだと思う。こんな所に切れ目があって外と行け行けになっていたら火薬庫を土塁で囲む意味がないでしょう。」とのご教示をいただいた。確かに現地を見たときに同じような感想を持ったように記憶している。
[2002/08/19]ハリストス聖教会墓地のある場所も陣屋関連の施設ではないだろうかということで周辺の土塁を見に行った。
[2003/08/25]今日は訪問記ではないのだが、旧弁天台場のトイレにまつわるこんな話を聞いた。函館の弁天台場で使われていたと伝えられるトイレが上磯町追分の個人宅へ移築されつい最近まで現存していたのだが、残念ながら2002年に取り壊されたそうだ。かつて見たことのある人に聞いたのだが、総桧造りで大便所の扉などは一枚板の立派なものでノブは西洋の陶器製だったそうだ。以前、戸切地陣屋大手門近くにこれのレプリカのトイレが置かれていたとのこと。そういえば1998年頃に行ったときトイレがきれいになっていたという記憶がある。あれがレプリカのトイレだったらしい。その数年後、駐車場の入口近くに大きなトイレが設置され、レプリカのトイレは無くなってしまった。レプリカ作るくらいなら本物を保存すればよかったのに。
[2005/08/29]大正13年発行『北海道史蹟名勝天然紀念物調査報告書』の松前陣屋址図(戸切地陣屋)によると陣屋の南東方向へ延びる直線道路(桜並木)両脇には土塁に囲まれた屋敷跡があり、またその両脇に拡がる空間(現在は畑地)を取り囲む土塁が描かれている。現況はどうなっているのかを見に行った。現地を歩いてみると、現在の直線道路両脇にこんもりと土塁が残っているのが屋敷周辺を取り囲む土塁の残存かも知れないと想像。それとは別に、畑地を取り囲む土塁は北側に一部残存(おおよその位置を上記の「残存土塁位置図」にで示した)。小さなトレンチを入れてみれば結構しっかりした土塁が姿を現すのかも知れない。この土塁について紹介しているページは今のところ他には無いのではないだろうか。
所在地北海道渡島支庁上磯町
参考書『北海道史蹟名勝天然紀年物調査報告書(大正13年3月20日)』