ネパールヒマラヤ・エベレスト街道トレッキング
1999年11月 4日〜11月25日

タンボチェ(3870m)にて、エベレスト(8850m)をバックに

はじめに
 私がエベレストを見たいと思ったのが、’95年、今から4年前でした。 そのきっかけは、初めての海外旅行でスイスを旅したことが伏線となっているのです。  初めて見たスイスの荒々しくそびえ立つ山塊、何かを秘めた青い氷河の流れ、そして美しいアルム。すっかり山の虜にされてしまいました。

 では、死ぬまでに一度でいいから世界一高い山を見たい。これが第二の願いとなりました。 それから、’95年エベレストをみようと初めてネパールへの旅を決意しました。 ところが、長男は「エベレストは後の楽しみに取っておいて、アンナプルナへのトレッキングをはじめにしたら」と、すすめてくれました。

 私がアンナプルナへトレッキングした同じ日、エベレスト街道は雪崩で多数の犠牲者を出したのでした。何となく命拾いしたような気持ちになりました。

 それから再び、もう年齢も高くなるし、今年くらいが最後のチャンスかなと考えるようになりました。 そして、今年お正月にNHKBS2でネパールのトレッキングを紹介していました。 勿論、私が’95年に苦労して歩いた懐かしいアンナプルナ展望のトレッキングをみました。 三夜連続でエベレスト街道・カラパタールトレッキングもありました。 もう、見ていて「今年こそ、行こう!」と、すっかりその気になりました。

 早速、寒い正月からウォーキングを始めました。 ところが、急激な始め方で体力を落としたのでしょうか5年振りにインフルエンザにかかってしまいました。 それから、風邪は長期に治らず、何かをしようと試みると、バテてしまうのでした。

 やっぱり、年齢には勝てないとあきらめにかかりました。 さらに、身近な人の死をみて「このまま、エベレストをみないで一生を終えていいのか」と。  そんなとき、相次いで、ふたりの友人から山に登ってきたという便りが届きました。 「そうだ、行こう」と8月になって心に決めました。

 まだまだ、不安は沢山あります。日頃鍛錬していない体です。 トレッキングについていけるのだろうか、病気になったらどうしようなどと、今まで考えたこともなかった健康への不安が今回つきまとうのです。 しかし、行こうと決意してから元気が復活してきたように思います。 それこそ、頑張ってみましょう。


'99ネパール写真館

ねえ、ちょっと聞いてえや、、、
  ・・・旅の途中で思ったこと、帰ってきて思い出したことなど、ざっくばらんに書いてみました。

旅の日程・行程
月日 発着地 スケジュール
11/4
(木)
福岡     発
バンコク(経由)着
福岡発経由地バンコクへ。
(機)  バンコク泊 [エアポートホテル]
11/5
(金)
バンコク(経由)発
カトマンズ  着
バンコク発、カトマンズ着。
(朝・機・一) カトマンズ [シェルパホテル]
11/6
(土)
カトマンズ  発
ルクラ    着
空路、ルクラ(2800m)へ。着後、パグディンまでトレッキング。
(朝・昼・夕)  パクディン泊[L]
11/7
(日)
パグディン  発
モンジョ   着
シェルパ、ポーターたちとトレッキング開始。ドゥードゥコシ谷沿いの道をモンジョ(2835m)へ。(徒歩約4時間)
(朝・昼・夕) モンジョ泊[L]
11/8
(月)
モンジョ    発
ナムチェ   着
ジョサレでエベレスト(サガルマータ)国立公園の入園手続き後、高度差600mの坂をゆっくり登ってナムチェ(3440m)へ。(徒歩約4時間)
(朝・昼・夕) ナムチェ泊 [L]
11/9
(火)
ナムチェ  滞在 ナムチェ滞在、高所順応日。ホテル・エベレストビューへ。
(朝・昼・夕) ナムチェ泊 [L]
11/10
(水)
ナムチェ   発
タンボチェ  着
水平道から谷のプンキへ下り、高度差600mの坂をゆっくり登って、山群有数のパノラマを誇るタンボチェ(3870m)へ。(徒歩約5時間) (朝・昼・夕) タンボチェ泊 [L]
11/11
(木)
タンボチェ 滞在 タンボチェ滞在。最奥の定住村パンボチェ(3980m)往復(徒歩約3時間)
(朝・昼・夕) タンボチェ泊 [L]
11/12
(金)
タンボチェ  発
クムジュン  着
往路をサーナサまで戻り、シェルパ族の村クムジュン(3790m)へ。
(朝・昼・夕) クムジュン泊 [L]
10 11/13
(土)
クムジュン  発
モンジョ   着
クムジュンからナムチェ・バザールを見学の後、モンジョへ。(徒歩約5時間)
(朝・昼・夕) モンジョ泊 [L]
11 11/14
(日)
モンジョ   発
ルクラ    着
ドゥードゥコシ谷沿いの道をルクラへ。(徒歩約5時間)
(朝・昼・夕) ルクラ泊 [L]
12 11/15
(月)
ルクラ    発
カトマンズ  着
国内線にてカトマンズへ。着後、ホテルへ。
(朝・ー・ー) カトマンズ泊[シェルパホテル]
13 11/16
(火)
カトマンズ 滞在 カトマンズ滞在、
(朝・−・−) カトマンズ泊[シェルパホテル]
14 11/17
(水)
カトマンズ 滞在 アルパインツアーと別れてカトマンズ散策、フジゲストハウスへ。
カトマンズ泊 [ホテル・ダイナスティ]
15 11/18
(木)
カトマンズ  発
ポカラ    着
カトマンズからバスにてポカラへ。(8.5時間移動)
ポカラ泊 [ホテル・モナリザ]
16 11/19
(金)
ポカラ   滞在 ポカラ 散策。 タクシーでパタレ・チャンゴ→タシリン・チベット村→ビンドゥバシニ寺院→マヘンドラ・グッファ→ポカラ博物館→シティー・リバー観光
ポカラ泊 [ホテル・モナリザ]
17 11/20
(土)
ポカラ   滞在 ポカラ オールドバザール散策。
ポカラ泊 [ホテル・モナリザ]
18 11/21
(日)
ポカラ    発
カトマンズ  着
ポカラからバスにてカトマンズへ。(6.5時間移動)
カトマンズ泊 [フジゲストハウス]
19 11/22
(月)
カトマンズ 滞在 カトマンズ観光 パタン観光
カトマンズ泊 [フジゲストハウス]
20 11/23
(火)
カトマンズ 滞在 カトマンズ観光
カトマンズ泊 [フジゲストハウス]
21 11/24
(水)
カトマンズ   発
バンコク(経由)着
バンコク(経由)発
カトマンズ発、経由地バンコクへ。夜、バンコク発、帰国の途へ。
機中泊。
(朝・ー・機) 機中泊
22 11/25
(木)
福岡     着 福岡着→自宅へ
(機・機)

出発前の準備記録

旅のおわりに
 1999年11月25日無事帰国しました。  折角、ネパールに行くのだからトレッキングのあと、ゆっくりしてくることを目的に1週間残ることにしました。 前回、アンナプルナ内院トレッキングの時は、「ネパールは3〜4回目」と言う人に連れられて、カトマンズのバザールの雑踏を歩いただけでした。 なんとなく、私の心の中では物足りなく感じられましたが、「あの雑踏へひとりでいけるかしら?」と、いう不安がありました。

 私は、ヨーロッパひとり旅でトルコのバザールを体験したので、ちょっと自信がつきました。 今回も、トレッキングが終わって自由行動の時間があり、ツアーのみなさんと歩いてみて更に自信を持ちました。

 カトマンズの雑踏の流れに身をまかせ、あちらこちらへと歩いてみました。 知っている人が誰もいない街で思うまま、気が向くままに方向を変えて歩いていくのは、とても心が安まる思いでした。 しかも、カトマンズからポカラへはバスで、延々と8時間あまりをかけての移動、飛行機では30分のフライトですが、バスを選びました。 これは、ネパールに何度も足を運ぶHさんのアドバイスでした。

 ネパールでは、イネの刈り入れが盛んでした。広い田圃から刈り取られたイネをトラクターに積んで運ぶもの、牛にひかせて運んでいるもの様々。 山ほど積んだイネの束、その上に必ず人が乗っているのです。落ちはしないかしらと思うのですが、彼らは巧みに乗りこなしているようでした。 バスの窓外から、そんな田園風景、決して豊かではない人々の暮らし振りを見ていると遠い日本の昔を思い出しました。

 とにかく、ネパールの人たちの人の優しさと、時がゆったり流れていて癒されました。 また、何時の日か、ネパールに足を運びたいものです。


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