還暦バックパッカー、ヨーロッパをいく

挨拶;ありがとう
 外国へ行ったら、その国の言葉で話してあげるのが一番いいと思います。
しかし、それが不可能なら、せめて「ありがとう!」だけでも言いたいと思って努力しました。

 トルコ:テシエクエリデム
 ギリシャ:エフハリスト
 イタリア:グラツィエ
 スイス:ダンケ、メルシー
 ドイツ:ダンケ
 ノルウエー、デンマーク、フィンランド:サンキュー(英語が話されていたので)
 イギリス:もちろんサンキュー
 フランス:メルシー
 スペイン:グラシアス
 ポルトガル:オブリガーダ(女性)

 その他では、イタリアで「いくらですか=クアント」「小さい=ピッコロ」
「さよなら=チャオ、これはみんなが使っていたので」「こんにちは=ボンジョルノ」
「1=ウノ」、「2=ドゥエ」、「3=トレ」、「おばさん=セニョリータ」
 フランスでは、「こんにちは=ボンジュール」
 スペインでは、「こんにちは=ブエナス・タルデス」「さようなら=アディオス」「はい=シー」
「・・がほしいのですが=キシエラ」「いくらですか=クァント・エス」
「ゼロ=セロ、1=ウノ、2=ドス」、「ヤー=オーラ」、「カフェオレ=カフェ・コン・レッチェ」
ポルトガルでは、「こんにちは=ボア・タルデ」「はい=スイン」「さようなら=アデウス」
「いくらですか=クワント」「1=ウマ、2=ドゥーアシュ」

 さて、こんな風に僅かばかりの言葉を駆使したわけですが、結構、現地の人に好感を持ってもらいました。
トルコなどでは、言い方が違うと言って何度も繰り返し練習させられました。
上手に言えたら、取り巻いていた人たちがみんなで「そうそう」と言ってほめてくれたりしました。
トルコは、人なつっこい 感じを受けました。
一方、ヨーロッパ側では、主にイタリアやスペイン、ポルトガルでは、私が言おうとして、
すぐ口をついて出てこないのですが、「もごもご」しているのを、じっと待ちかまえています。
そこでやっと言えると、にこっとして受け止めてくれるのです。
どちらにしても、地元の人は大変喜んでいるように思いました。
私自身も、満足感を持ちました。

親切;ふれあい
 毎回のように言っていますが、私は英会話が苦手です。
かえってその方が開き直るのか、至る所で行き先の道や交通機関等、いちいち人に尋ねることになりました。
6ヶ月の旅の間、いろんな国で、どれだけ多くの人たちに道を尋ねたことでしょうか?
例えば、1日10人としても1ヶ月300人です。6ヶ月なら1800人になります。
1日10人は下らないと思います。もっと、多くの人に親切を受けました。
1、2、のところでも少しそのことに触れていますが、本当にたくさんの人たちに親切にしてもらいました。
すべてをここに書き尽くすことは出来ませんけれど、ひとつ、ふたつ書いてみたいと思います。

 旅が始まったばかりのトルコです。
私は不安いっぱいでイスタンブール空港へ降り立ちました。
しかし、早々に失敗してしまったのです。
両替をしないで空港を出てしまい、イスタンブール市街地行きバスに乗る運賃が払えなくなりました。
ところが、バスのチケットを売っていた男性が事情を飲み込んで、
私を連れてもう一度空港内に連れて入って両替を手伝ってくれ、事なきを得ました。
バスに戻ると、車内にいた中年の女性が「バス賃は、これだけよ」と、自分のお金を見せて教えてくれました。
バスがタキシム広場に着くと、不安を隠しきれない私の手を取ってホテルのフロントまで案内をしてくれ、
ひとこと、ふたこと彼らに伝えてから「ここよ」と、言って去っていきました。
(予約していたホテル名を彼女に尋ねていました)
その後も、現地に在住していた日本人やトルコ人に大変お世話になりました。

 イタリア人は、明るくて、とても人なつっこいので、この国でもたくさんの人と触れあいました。
トルコへ貸し切りバスで観光していたイタリア人に道を尋ねたら、その場所までバスに便乗させてくれました。
また、オーストリアのインスブルックからヴェネツィアへ行く列車の中で、
11ヶ月の女の赤ちゃんを連れた若いお母さんと同じコンパートメントになりました。
彼女らは、ヴェローナ駅で見送りのお祖父さんに熱い別れをしてから乗り込んできました。
お互いに抱き合い、キッスしあって、見ていてもほほえましい情景でした。
「世界の車窓から」(テレビ朝日系列で放映)で、よく見かける風景です。
 
 乗車してからも、お母さんと赤ちゃんのお別れの儀式は続きました。
そのうち、列車が走り出すと、赤ちゃんが興味をもって私の方へ目を向けました。
いたずらをすると、「セニョーラのものよ」「セニョーラのところよ」と、その都度たしなめていました。
私は、イタリア語を全く解しないのですがその場の状況で理解しました。
しつけのよくできた、可愛い赤ちゃんでした。
お母さんは、退屈になった赤ちゃんに用意していた葡萄やオレンジの果物を出して与えてました。
そして、私にも「どうぞ」と葡萄を一房くれました。
お礼を言って遠慮なく頂きました。
何くれと、赤ちゃんと私に気配りをしてくれた若いお母さんです。
すっかり打ち解けて、3人は列車を下りるまで旅を楽しみました。
下車する私に、お母さんは握手を求めてきました。
私は「チャオ」と言って、お母さんと赤ちゃんに別れを惜しみながら下りました。
彼女たちは、トリエステまで行くのだと言っていました。

●「日本人ですか?」
 この言葉もよく使いました。
旅の注意事項に、「旅先で日本語で話しかけられたら危ない」と書いてあります。
その通りです。私も、そんな人に何人か出会いました。
詐欺師まがいの人、じゅうたん屋の誘いの言葉、いずれも要注意です。
私も、「日本人ですか」と、言って不審そうに見られたこともあります。
でも、ひとり旅をしている人は、案外話しかけに応じてくれました。
なぜ、このように話しかけたかと言いますと、次に訪れる国や場所の情報を得るためです。
彼らからはホットな情報が貰えます。
ガイドブックは、時々、古くなったり、間違った情報を記載していることもあります。
新しい確実な情報を得て、次の旅の計画を立てるの大変役立ちました。
その国や街の印象、泊まった宿の評判、知っておくと便利なことなどを聞いたり、
お互いの旅について話したりします。
いろんな人に出会いました。
若い人、中年の人、夫婦、家族連れ、友人と2人連れ、男女のカップル、
そして、旅の途中で知り合ってから、一緒に旅をしている人、学生、社会人など様々でした。
時期によっては、社会人、学生と出会う人の層も違います。
 
 英会話が心もとない私です。
困った時、若い人たちにどれほど助けて貰ったことでしょう。
そうした場面は数、数え切れないほどあります。
「ロマンチック街道」を観光バスで走っていた時も、私が、ひとりで途中下車すると、
バスの中から日本人の若者達が「とのさん、頑張って!」とエールを送ってくれたりしました。
そして、ドイツ人のバスの運転手さんまでも、クラクションを鳴らして応援してくれました。
ほのぼのとした交流を、あちらこちらで体験しました。
帰国後、旅で知り合った人たちと、電子メールや手紙で安否を確認したり、
その後の旅のことなどを書いたりして交流を続けています。
つい先日、7月16日ローテンブルクで同じ宿に泊まったNご夫妻から
「無事帰国されましたか?」と言う電子メールを頂いたのです。
このように心に掛けてもらってうれしいですね。

スペイン人の枕投げ
 これは、帰国時に乗ったマドリード発、シンガポール行きの機内のことです。
スペイン人老若男女20数名が、塔乗早々から席を立っておしゃべりを始めました。
13時間のフライトです。もう、みんなくたくたになりました。
ところが、彼らは機内で十分楽しんでいるようでした。
その内に、背あてのクッションを投げ始めたのです。
投げては、知らん顔をしているのが、結構退屈していた私たちには気を紛らわせるには十分なゲームでした。
時々、私の所に飛んでくるので私も投げ返し、仲間に加わりました。
よく、修学旅行で経験する「枕投げだな」と、スペイン人らしい行動でした。

オリーブの木
 オリーブの木はトルコやヨーロッパで、山から底地へと、もう、呆れるくらい植えてありました。
トルコとスペイン、ポルトガルが多かったように思います。
スペインだったと思いますが、バスで移動したので、その木の側を通ることが何度かありました。
なんだか、樹木の半分くらいから下の樹皮を剥がして、赤土のようなものを塗っているのです。
そんな、木を見ると樹勢が衰え、今にも枯れそうになっていました。
オリーブの栽培も苦労があるんだなと思いました。
それに、あれだけのオリーブの実は、どのようにして採集するのだろか、と人ごとながら考えました。
トルコやヨーロッパでは、たっぷりとオリーブ油のお陰を被りました。

各国の旗(ステッカー)
 私は、今回の旅で訪れた国の”国旗ステッカー”を収集しました。
我が家への、数少ないお土産です。
なにしろ、荷物が増えたらバックパッカーにとって、最大の負担です。
せめて、軽くて、それでいて記念に残るものを考えました。
ギリシャのタロス島のホテルで大変親切にして貰ったので、お礼に日本から持参した絵はがきをあげました。
お礼に、ギリシャの国旗のステッカーを頂きました。
そこで、思いついたのが国旗のステッカーです。
いろんな形の旗がありました。
その都市、都市にもそして町々にもありました。
買いそびれたのは、ハンガリーとドイツです。
ドイツでは、その街の旗で済ませてしまい、あとから「しまったな」と思っています。
荷物にならないのだから、それぞれの街の旗と国旗を買っておけばよかったと後悔しています。
帰国後、広島で探したのですがなかなか手に入りません。
トルコの国旗はオランダのアムステルダムで買いました。
ここでは世界の国旗を売っていました。
そんなところないでしょうか?

英会話
 私が海外に行って来たことを話すと、ほとんどの人が「言葉は?よく話せるんでしょうね」とか、
「だいぶ、うまく話せるようになったでしょう」と周囲の人は言います。
私は今回、「EC9カ国語」ベルリッツを持参しました。
しかし、話すときは、そんなものを見ている時間はありません。
したがって、勢い英単語の羅列か、ひどいときには英単語と日本語の助詞をくっつけて話します。
時には、ボディランゲージと日本語(広島弁)です。
「あそこですか?」と指さして言ったこともありました。
でも、現地の人たちは「そう、そう」とジェスチャーで反応するのですから、いいですよね。
私も、相手に分かって貰おうと必死です。
身振り手振り、単語を発しながら、時には絵を書いたり、地図を見せながら、
いろんな場面で、このようにしてしのいできました。
話せないことで、人間はいろいろ工夫をするものです。
時には、私流に簡単に表す言い方はないだろうかなどと、一晩まんじりともしないで考えたこともあります。
英語圏ばかりではありません、いろんな国ですから、英語の通じない所も多かったです。
万国共通語「ボディランゲージ」を駆使して旅をしました。

レストランのメニュー
 今までの海外旅行では、レストランを出来るだけ避けてきました。
メニューを見てもサッパリ分かりませんし、
何か頼んで、食べられないものが出てきたら、どうしょうなどと考えて遠ざけて来ました。
しかし、今回は半年以上と長い旅ですし、体力を落とさないように栄養などを考えると、
避けて通ることが出来なくなりました。
そこで、積極的にレストランを活用しました。

 主に、中華料理店です。
「メニュー プリーズ」と言いますと、大体英文のを持って来てくれます。
ある時、こんなことがありました。
出されたメニューを眺めていましたが、さっぱり分かりません。
「なんだろう?もう、分かんないやあ」と、「イングリッシュ プリーズ」と言うと、
「これが英語のですよ」と言われて大笑いしたこともありました。
英語で書かれていても、料理の内容をつかむのは大変なんです。

 ノルウエーのノールカップへ行ったとき、ホニングスヴォークの一流のホテルに泊まりました。
そこで、ホテル内のレストランに入りました。
気後れがするくらい立派なテーブルのセッティングの席に腰をおろしました。
ホールは時間が早くて、閑散として一組のグループの人しかいませんでした。
すぐ、ウエートレスが来て、やおら、メニューを差し出しました。
私は、しばらくメニューとにらめっこです、ちんぷんかんぷんでした。
「アイ、ドント・アンダースタンド、ディスメニュー」と、ようやくそれだけ言いました。
それから、延々と料理の説明が続きました。
彼女も英語をしゃべりながら、身振り手振りの大奮闘、
なんとなく理解出来たので、メインがサーモンの料理を頼みました。
運ばれてきた料理の美しいこと、サーモンのピンク色に野菜とグリーンのソースが素晴らしく、
思わず「ワアーきれい」と叫んでいました。
味ももちろん言うまでもありません。「ベリー・グッド」とお礼を言いました。

 ところで、中華料理レストランでは、漢字と英語との併用のものがありました。
時には、日本語のもありました。ベルギーのブリュッセルのグラン・パレスに面して
「日本語メニューあります」と書かれた中華料理レストランがありました。
その近くに、フランス料理のレストランにもそう書いたところがありました。
日本人の利用者が多いのでしょう。

料理の分量
 いつもため息が出るくらい、皿に山盛りの料理が運ばれて来ます。
精一杯頑張って食べるようにしていますが、限度があります。
仕方なく残すこともあるのですが、申し訳なくて、、、
よく見ると、結構外国の人も残していますけれど。
それにしても、世界の食料事情を考えますと、大量の食料を無駄にしたくないものです。
はっきり言って、アメリカ人やヨーロッパ人は食べ過ぎだと思いますね、
あんなにブクブクに太るまで食べなくてもいいのにと思います。 

落書きとゴミ
 トルコとヨーロッパ各地を歩いてきました。
どこへ行っても、都会ほど汚れて汚いです。
食べ物やタバコの吸い殻はもちろん、まあ、いろんな物が投げ捨てられていました。
特にヨーロッパではイタリア、ベルギー、イギリスなどの都市です。
北欧の国々やスイスやドイツ、ルクセンブルクでは、余りゴミの散乱しているのを見なかったです。
私のイメージでは、ヨーロッパは公衆道徳も先進国できれいだと考えていましたから、がっかりしました。
おまけに、落書きが多いことです。
日本では、公共物を破壊しているのをよく見かけますが、
あちらでは、破壊されたのは見かけなかった替わり、落書きが目立ちました。
スイス、ドイツでは、駅に設置されているゴミ箱には、
分かりやすく分別毎にゴミを入れるように工夫されていました。
文字の読めない外国人でもよく分かり、いいなあと思って私も実行しました。

教会
 トルコでは、モスク、ヨーロッパでは教会が、どんな田舎に行っても尖塔がそびえていました。
私は必ず、そんな所へ行ってみました。モスクや教会の中は美術品が一杯です。
そして、夏暑い時期でもありましたし、結構涼むためにも入りました。
時には、日曜日でミサが行われていました。じっと、そんな情景を見ていました。
美しいミサ曲の合唱、そしてお説教です。
なんとなく、その寺院の重々しい雰囲気でその気になってしまいます。
私は何度か、マリア様に
「旅が無事済んでいること、そして、これからも、無事でありますように」と、お祈りしました。
なにがしかのお金を箱に入れて、ローソクをともし、謙虚に祈りました。
どうやら、こうした謙虚さが幸いしていたのでしょう。
その間、旅は無事に済んでいましたから。

ひったくりに思う
 あと12日で旅が終わる時、スペインのセビーリャで、ひったくりに遭いました。
たまたま、スペインは友人と2人で旅をしていたのです。
私は、ひとりの時と違って油断していたように思います。
かなり、人通りの少ない、淋しい公園を歩いていました。
なんとなく予感はしていたのですが、2人だから大丈夫と考えたのが悪かったのです。
そんな時には、一緒にいる人もパニック状態に陥り、駄目でした。
それくらい、ひとりの時には気をつけて行動します。カンも冴えるのでしょう。

 その後、ヨーロッパで最悪の犯罪多発地・スペインのマドリードへ入りました。
神経をピンピンに張りつめて、お腹が痛くなりました。
街を歩いていてもみんな泥棒に見えて、ホテルに帰るとホッとしました。
そんなことで、マドリードはほとんど観光しないで終わりました。
後日、旅で知り合った日本人の若者から、遅く着いたマドリードで4人組強盗に襲われ、
着ていた衣服とガイドブック、日記を除いてみんな奪われたのだと手紙に書いて来ました。
私など、ポシェットに入れた僅かばかりのお金でしたから、不幸中の幸いだったと思いました。
彼は、どんな風にしてその難局を切り抜けたのでしょうか?
一度聞いてみたいと思います。

ヨーロッパの公園
 ヨーロッパには公園がたくさんありました。
どこに行っても素晴らしい公園がありました。
人びとは憩い、くつろぎ、老若男女、障害のある人もたくさん利用していました。
どこも、ベンチの多いことが印象に残っています。
公園は人びとが住んでいる近くに、すぐ、出掛けて行かれる所にあります。
そして、一番いい場所にあります。

 私たちの国は、もうすぐ高齢者社会になってしまいます。
元気で病院に頼らない生活を続けるには、老人はどんどん外に出て健康を維持しなくてはならないでしょう。
今のままでは、車の往来が激しく、危険なので家に閉じこもるしか方法がありません。
高齢者や障害のある人に優しい街づくりをしてもらいたいと思います。
どこかの国では、一番いい所は、企業が占領しているように思うのですが、言い過ぎでしょうか。

インフォーメイション=(i)
 インフォーメイションには2通りあります。
(私の体験の範囲で)ひとつは観光案内所です。
もうひとつは、駅構内やバスセンター内にあります。
前者は、その街の観光について詳しく教えてくれます。
もうひとつの機能は、宿を紹介してくれるものです。宿だけを紹介する所もありました。
覚えてているところでは、ハンガリー、チェコ、スペインのアトーチャ駅構内でした。
後者は、列車やバスについての相談や問い合わせに応じてくれます。
私が、毎日お世話になったところです。
そこで、喜んだり、感謝したり、怒ったり、悲しんだりしたことが、いろいろありました。
いい条件で宿がとれたり、非常に親切に対応してくれたり、つっけんどんに突き返されたり、
事務的にあしらわれたりと様々な人間模様をみてきました。
観光案内所の方は、おおむね愛想よく、親切丁寧に対応してくれています。
鉄道駅やバスセンターなどでは、事務的な応対が多いように感じました。
駅構内に観光案内所と列車、バスの案内所を置いているところもありました。
自分の乗りたい列車の時間の確認や、発車するホームナンバーを聞いたり、
プイと訪れた駅で、自分の行きたい街に、一番近い時間に発車する列車はどれか。
ここは、いつも何人か待っていて、いつも忙しそうでした。

 ドイツのメルヘン街道、フルダ駅でのことでした。
確か、この駅から「赤ずきんちゃん」の故郷・アルスフェルト行きの列車があるはずだと、
駅構内の(i)に聞いてみました。
小さな駅でしたが、(i)の説明が飲み込めなくて「???」状態でした。
ところがどうでしょう、身近かにいた職員に伝えてくれ、急いでそのホームまで案内してくれました。
お陰で、発車回数が少ない貴重な列車に間に合あったのです。
珍しいのは、フィンランドのヘルシンキで見かけた「歩くインフォーメイション」でした。
ボランティアだと思います。いずれも、若い学生さんのようでした。
ヘルシンキ駅に降り立つと、背中に(i)の印をた数人グループが、相談に乗ろうと待ち構えていました。
この「歩くインフォーメイション」は、その他の観光名所で見つけることが出来ました。
私も1〜2度お世話になりました。明るく優しく教えてくれました。

 先日、「生き物の地球紀行」NHK放映で、フィンランドの農民と自然との触れあいを見ました。
小鳥達に優しいフィンランドの人たちだから、我々人間にも優しく付き合ってくれるのだなと、
彼らの豊かな人間性に感動しました。
私は、フィンランドの街角で賢い人たち、優しい人たちと十分触れ合ってきました。
北欧は街もきれいでした。そして人びとも優しかったです。すべて満足のいく旅でした。
どうやら、街の美しさと国の豊かさは比例しているように感じました。

 悪口は言いたくないのですが、ベルギーでの(i)の経験はよくありませんでした。
ブリュッセル中央駅です。
こちらが、質問しているのに黙ったままその回答を指さすだけです。
とても、感じを悪くしました。
こうした扱いはスペインでもしました。素っ気なく応対されました。
言葉が話せないのもあるでしょうが、それでも一生懸命努力してくれれば分かります。
断っておきますが、これは、私が狭い範囲で体験した印象ですから、
すべてに当てはまる事柄ではないかも知れません。
また、私と異なった体験をしている方がいると思います。

 ポルトガルのリスボン・バスセンターでのことです。
(i)の女性にポルトへのバス便についてと、スペイン行きのチケットを購入出来る所などを聞きました。
ポルトガル語でそっけなく返答されました。
その日は分からないままにしておきました。
翌日、再びそこへ行くとその女性がいません。
あたりを見回すと彼女が、ちょっと、離れたところでデート中でした。
しっかり、公衆の面前で抱擁して、キスを交わしていました。
(ヨーロッパでは、こんな風景はどこでも見られる、当たり前のことです)
ほどなく持ち場に帰った彼女は、満面笑みを浮かべて、その余韻に酔っていました。
私は、「今がチャンスだ」と思って、昨日と同じ質問をしてみました。
彼女は、笑顔で私に向かい、その場所へ案内してくれました。
説明するより早いと、思ったのでしょう。
彼女は、その場所に立ち、床をドンドンと蹴りながら
「ここ!ここなのよ!!」「あなたは、分からない人ね」と言っているみたいでした。
リスボンを拠点に観光したので、何回も彼女と出合うチャンスがあり、
「ハロー」と、笑顔で言い合うようになりました。
忘れられない想い出となりました。

宿の予約や切符はどのようにして買ったの?
 多くの人からこんな質問を受けます。
宿を予約したり、列車やバスの切符を購入する場合、不正確な発音や間違いを防ぐためにも
その国の言葉が話せる人でも、メモ紙に書いて相手に渡した方がよいようです。
私は人のを参考にして、自分流のやり方で実行してきました。
相手も、あやふやな言葉を聞いているより、早く条件や行き先が分かり素早く応対してくれました。

 列車バスの切符の購入      │   宿の予約
 1,乗りたい日            │ 1,泊まる日
 2,発車駅と発車時刻      │ 2,日数
 3,下車駅と到着時刻      │ 3,人数
 4,1,2等車の区別      │ 4,ホテルの値段
 5,枚数、1person.       │ 5,条件、トイレ、シャワー付きかシャワー、トイレは
 6,禁煙(室)車          │  フロアーでよいか、部屋の向き(眺めがよいか)
                               6,ホテルのある場所(駅に近いか、観光名所に近い)

以上の形式です。

 これを、列車で移動している時に前もって、切り離し出来るメモ用紙に記入しておきます。
私は、上記のやり方で切符などの乗車券を購入してきました。
簡単に、買え時もあれば、半日近くかかって、ようやく買える時もありました。
 
 私は、日本を発つ時航空券を購入する際、
3ヶ月のユーレイルパスと、東欧1ヶ月内で7回使用できるフレキシーパスとを購入しておきました。
したがって、その3ヶ月間と、東欧を回る時は切符は買わなくても済みました。
しかし、夜行列車や寝台車、クシェットあるいは特殊な列車に乗る場合やイタリアなどでは、
予約が必要なので駅の窓口に並びました。
こんな場合はかなり時間がかかり、いらいらしました。
本当にゆっくりと対応するので、30分〜1時間かかることもざらです。
ヨーロッパの人たちは慣れているのでしょうね。
気長に待っています。しかし、例外はあります。
ドイツやスイスでは、てきぱきとこなしていましたので、予約窓口が混雑することはありませんでした。
その国や、その駅でシステムが違うのですが、私はそういうところで苦労しました。

 中でも一番苦労したのは、アイルランド・ダブリン→イギリス・カーディフの切符を買う時でした。
航路を利用しますので、運行回数が極端に少ないのです。
先ず、到着したバス・センターへ行きました。
窓口で(i)へ行きなさいと言われそこへ行ってみました。
(i)では、「国鉄駅へ行きなさい!」
国鉄駅では、「それはバスセンターだ!」と言うのです。
国鉄駅で教えられた場所に行きますと、それは旅行会社ですと、名前と場所を教えてくれました。
それにしても、知らない土地でその場所を探すのもひと苦労です。
朝早く8時半から探し探して、切符を手にしたのが10時半でした。
午前中の観光が無理でした。
こんなに時間を取られなければ列車で遠くに行けていたのに、と残念な思いをしたこともありました。
席の予約を早くし過ぎて時間にしばられ、かえって行きたい所へ行けなかったこともありました。

両替
 21ヶ国を旅して来たわけですが、旅の仕事で大きなウエイトを占めていたものに両替がありました。
シンガポールでトランジットした時は、円が通じたのでよかったのですが、トルコで大失敗をしました。
これは、”親切:ふれあい ”の所でも触れています。
旅慣れてくるうちに、その国へ入る前に両替をしておくと便利なことに気づきました。

 札束が急に増えたり減ったりすると、頭の中が混乱してしまいます。
そこで、初めて着いた国の(i)で宿を予約しようにも、その国の値段が理解できず、
高いホテルにして失敗する事になります。
列車の中で、あるいはトイレの中で検算しておくのです。
さらにいいのは、その国を訪ねる前日にしておくと便利でした。
苦労なく、次のステップが踏めるのです。

 しかし、失敗は常につきまとうものです。
それも、旅が終わろうとしていた、ポルトガルからスペインのマドリードへの移動の時です。
リスボンでたっぷり時間があったのですが、すっかり忘れていました。
早朝、7時にアトーチャ駅近くのバスセンターに着きました。
外は真っ暗です。早い時間は危険なので、動けません。
私は明るくなるまで、そのバスセンターでコーヒーでも飲みながら、過ごそうと考えていたのです。
ここのバスセンターは大きくて、大変便利に出来ています。
大きな鉄道駅構内のように、売店や両替所カフェ観光案内所などが揃っています。
ところが、私はポルトガルのお金しか持っていないことに気づきました。
後の祭りです。両替出来る時間は午前8時半です。待ちました。
その上、ひとりでいることを気づかれ、変な人に声をかけられて、
恐怖で動こうにも動けない羽目になったのです。

「英語が話せますか、あなたは、いつまでここにいますか?」
「私の荷物を見ていてくれませんか?」と、30歳位の女性に頼まれたのです。
冗談ではありません、自分の荷物だけでも、手いっぱいなのに。
即座に断りました。
彼女が去り、程なく若い男性が私の隣りに来て座りました。
見張っているのではないかと思うと、両替をするところも見られたくありません。
8時半になったので、私はちらちらと様子を伺いながら、ベンチを離れました。
その男は、じっとして動きません。
両替所へ直行しないで、ほかの場所へ行く振りをして歩き出しました。
両替所でゆっくり時間をかけ、おそる、おそるそこを出ました。
さっきの女性(女性は両替所の真正面のベンチに腰掛けていた)も男性も、姿を消していました。
私はホットしましたが、安全を期してそのバスセンターから外に出ないで、
その構内から行ける電車を選んで、目的のアトーチャ駅に行きました。

 彼らが、果たして悪人であったかどうかは分かりません。
しかし、一面識もない彼らの荷物を預かって、
彼らの仲間と仕組んだワナに、はまったら大変なことになります。
用心した方がいいですね。
両替がとんでもない方へそれてしまいした。

“Candle in the wind”
 “Candle in the wind”は言うまでもなく、
イギリスのプリンセス・ダイアナの葬儀でエルトン・ジョンが歌った曲です。
この葬儀は、9月6日、テレビでイギリス全国に放映された模様です。
私はちょうど、イギリスのブリストルで見ました。
プリンセス・ダイアナの訃報を知ったのは、8月31日にウイーンのホテルでした。
たまたま、その日イギリスへ飛ぼうと航空券を頼んだのですが、日曜日ですでに満席でした。
仕方なく9月1日月曜日となったのですから、私の驚きようはありませんでした。
とんでもない時、事故が起きたものだと。
お気の毒と思う反面ホテルがとれるかしらとか、大変な混雑が予想されて、
いろいろと不安が押し寄せてきました。

9月1日、ロンドンに入りました。
いつものロンドンを知らないので分かりませんが、さすが大都会です。
交通渋滞はありましたが、それほどまでの混乱はなかったように感じました。
9月6日が葬儀と決まって、私が滞在していた知人の寮であの歌を聞いたのです。
とても悲しく、心に響く歌でした。
それから、イギリスはエディンバラ、ウインダミア、アイルランドのダブリンで、
そしてスペイン、ポルトガルを旅している時、この曲がよくかかっていました。

ひとり旅の決断
 ひとり旅は、自分ひとりで考え、その決定に従って行動しなければなりません。
相談する相手が側にいませんので、いつもそうしています。
小さなことから、大きなことまでいろいろです。
1日の行程だってあります。
「今日は、どこに行こうか」「明日は」と、観光場所はほとんど前日に決めますが、
当日になって考えることもあります。
また、大きなコースの組立てもです。
この国へは、どこから入ろうか?何日かけて回ろうかしら?
金銭もくるめて本当に苦しい決断に迫られるときもありました。
だれも、助けてくれませんから、ひとりで考えひとりで決断を下すのです。
うまくいけば吉、悪くくいったら凶、誰の責任でもないのです。
すべて、自分の責任です。
しかし、人に縛られない自由があります。
淋しいけれど、苦しいこともあるけれど何物にも換えられません。

 よく、「ひとり旅はつまらないでしょう」と、多くの人に言われます。
「だれか、側にいないと感激を伝えられないでしょう。」
いやいや、とんでもない。
ひとりだからこそ、よく見え、感動をより多く心に留められるのです。
そして、見た感動はいつまでも心に蓄えられて貯金をしたように、
引き出しては旅の後も楽しむことが出来ます。
嘘ではありません、ひとり旅を経験なさっていない人は一度試してみて下さい。

ひとり旅に思う
 これは、前者(決断)の言い分と相反するではないか、と言われるかも知れませんけれど、
そうではありません。ひとり旅をするようになって、たくさんの友達を得ることが出来ました。
それは、ひとりだからこそ回りに目が向きます。そして相手に働きかけます。
そのチャンスは、2人ないしは数人でいる時より多いと考えられます。
人間はひとりでは生活出来ませんし、どこかで関わりを求めています。
ふとそんな時、ひとりの方が関わりを持ち易いようです。
ひとり旅をしている人たちは、とても優しいです。
日常と違った生活をしているせいかもしれませんが、
いっときでも、優しくなれる自分を見つけるのもいいではありませんか。
私はそう、思います。

一番よかった国はどこですか?
 この質問は、外国人からも日本人からもよくされました。
差し障りのない時は、正直に、きれいな街はチェコのプラハと言います。
そして、ヨーロッパの中でひと味違っているのは、スペインのアンダルシア地方だと言います。
人の優しさでは、北欧の人も、イタリア人、ドイツ人の人たちも本当に親切でした。
でも、一番はハンガリー人だと私は思っています。
”親切:ふれあい” のところで書いたように、私が1日に出会う人たちは大変な人数です。
ですから、確信をもって言えると思うのです。
ハンガリーの人は、とても素朴でした。
国が貧しいのでしょうか、街はわびしいほど薄汚れていました。
それなのに、人々はなぜこんなに優しいのでしょう?
よく分かりませんけれど。
私は、ブダペストに、たった1日しかいませんでしたので、もう一度訪ねたいと思っています。

21ヶ国の人々にふれあって
 シンガポ−ルを皮切りに、トルコとヨーロッパの国や人々を見てきたわけですが、
やはり、その国を評価するのは、出会った人たちを代表して
「いい国だ」とか「悪い国だ」とか言っているように感じました。
私の出会った日本人たちがやはり、そのように評価しているのを聞きました。
「一部の人を見て、国全体を押し計っては危険だ」と言われました。
そうかも知れません。私たち、旅人が出会える人数は限られています。
だからと言って、間違っているでしょうか?
誤解を招いてはいけませんので、個人の見解として言った方が正しいでしょう。

 私は、自分の方から相手に働きかけることが多かったです。
そこで、ふれあいがたくさん生まれました。
街角で、列車、バスの中で、ユースホステルで話しかけました。
特に、列車や船内ではコンパートンメントや2〜4人部屋なので、黙っていたら息が詰まりそうです。
ヘルシンキからストックホルムまでの船内で、若いドイツ人女性と同室になり、声を掛け合いました。
東側のベルリンに住んでいて、西側の物資の豊富なことや世間話をしました。
彼女は英語が話せます。私は、トラベル英会話辞書を片手に奮闘しました。
理解し合うのに苦労します。彼女は「ディフィカルト!!」と頭を抱えています。
それでも、意志の疎通が出来て大笑いです。
「ベルリンに行くのよ」と私が言うと、「観光は100番のバスで回るといいよ」と教えてくれました。

 また、ユトレヒトのYHでした。韓国の2人連れの女性と同室になりました。
韓国の人は、どうも、日本人には冷たく当たるように感じます。
私の方から声をかけると、だんだんと親しみを持ってくれるようになりました。
大学生だと言っていました。これから、行く場所や国なども話してくれました。
その、ひとりが風邪をこじらせ、夜になると咳をして苦しそうにしていましたので、
そっと、空いているベッドの毛布をかけてあげました。
とても感謝され、別れの時は丁寧に挨拶をしてくれました。

 反対に、イタリアのフィレンツェのYHでのことです。
私が洗濯をしようと思って問いかけたのが、きっかけで話すようになりました。
やはり、辞書を片手に会話しました。
「ひとり旅ですか?」と聞かれ「そうなんです」と答えると、私が英語が話せず苦労しているのを察して
「何か困ったらいつでもお役に立ちます」と言ってくれました。
その、翌日彼がシエナへ案内してくれました。とても優しい青年でした。
その他の韓国の人にも、たくさん優しくしてもらいました。
年長者を敬う風習が、韓国にはまだ、残っているのでしょうか。

 明るく振る舞う、台湾や香港の人たちとも楽しく過ごしました。
もちろんヨーロッパの人たちもです。
イギリスのウインダミアのホテルでのことです。
2人連れの年輩の女性と食事の時、相席になりました。かなりのおしゃべりさんで、
「私たちね、彼女とふたりでホリデーなので4日間ここに来たのよ。」
「あなたはどこから来たの?」などと聞いてきます。
「私はひとりで、いろんな国を旅しています」と答えると、
「どこが、一番よかった?」と質問してきます。
「エディンバラです」と答えると、大変喜んでくれました。事実そう思いましたから。

 言うまでもありませんが、日本の若者には大変お世話になりました。感謝の気持ちでいっぱいです。
私はこうして、十分に言葉が話せないのですが、私なりにたくさんの国々の人たちと触れあってきました。

我が家の正夢
 私が今回の旅をはじめて間もない頃、いろんな困難にぶつかりました。
一番大きかったのは、ATM機でお金が出せなかったことです。
そのため精神的な疲れがたまり、早々に旅を中止して帰ろうと予定外の帰国を考えました。
今回の旅は長丁場になるので、旅先から時々、娘宅と自宅へファクスをやりとりをすることにしました。
「昨日、お母さんが「もう、疲れた!」と言って、家に帰って来た夢を見ました。」
「疲れているのではありませんか?心配しています。」と、娘がファクスをくれました。
 次男も同じような夢を見たそうです。どうやら、身内にテレパシーが届いたようです。
「地球交響曲」と言う映画の中で、そう語っていた宇宙物理学者がいました。
やはり、迷信だとばかり、かたづけられないような気がしました。

いろんな国のいろんな宿
 旅には宿がつきものです。今回も、いろんな国のいろんな宿に泊まりました。
予算の関係から安宿(エコノミー)を中心に探しました。
それでも、ほとんどホテルと呼ばれていました。面白いのはその呼び名です。
ガルニ・ホテル、シュロス・ホテル、ペンション、アルベルゴ、B&B、イン、ガストホフ、
ガストハウス、レジデンス、シャレー、パラドール、ホスタル、ユースホステル、ツィンマーなどです。
さらに、ペンションは国によってペンサオ、パンジオン、ペンショーネと呼び方が変わってきます。
大体、宿だと理解できました。しかし、ポルトガルのレジデンスは分かりませんでした。

 呼び名がいろいろなら中身もいろいろでした。
同じ国の都市のホテルと地方のホテルでは、同じ料金でもかなり設備やサービスが違っていたことです。
当然といえば当然ですけれど。
パリからストラスブールに移動して(i)で料金をいくらにしょうかと考え50フラン安く申し出ました。
そのホテルでは、最高級の設備とブレック・ファーストで驚きました。
ブレック・ファーストの料金を取られたので、合計はパリと同じ料金になりましたが、
ずいぶん内容は違っていました。
思い切って100フラン少な目に設定すればよかったと後悔しました。

 宿の値段を設定するにもかなり考えます。難しいですよ。
特に、新しくその国へ入った時です。相場が分からないからです。
ロンドンなどでは、かなり高額なのに薄汚いホテルだったりしました。
同じイギリスでもウインダミアでは、£17=3400円でも清潔で、
オーナーのサービスがよく、最高でした。
ここは忘れられない宿のひとつです。
忘れられないと言えば、毎回訪れるスイスのホテルベラリーはもちろん、
マンハイムのホテル(名前を忘れた)です。
家族経営らしく、家族みんなで精一杯のサービスをしてくれました。
私にとっては少々高い値段でした。DM95(5,700円)。

 ドイツではDM50前後(朝食付き、シャワー、トイレはフロアー)の宿が中心でしたから、
それでも日本では考えられない安さです。
ドイツやオーストリアでは値段が安くても大変清潔でサービスがいいです。
フロントの人たちはとても愛想よく接してくれましたので居心地がよかったですね。
スペインでは敦子さんと一緒でしたから、それよりさらに安いホスタルでした。
ツインでトイレ、シャワーは別、勿論朝食はついていません。
それで3000ペセタ=2100円。一人当たり1000円です。
スペインでは食事も口に合って安くつき、10日間で38,400円で済みました。

お国変われば…ペット事情
 私は、犬が苦手です。これは、日本でのことですけれど。
私が最初に、スイスを訪れたときです。
ツェルマットのゴルナーグラート展望台からリッフェルベルク登山駅目指してトレキングをしていました。
後ろから大きな犬がまるで私を目がけるように走ってきました。
いっぺんに血が凍るような恐怖を感じましたが、どうやら私の思い過ごしでした。
飼い主がなにやら盛んに呼びかけていました。
犬は、ぴたっと、止まり主人の来るのを待ち受けています。
私には、全く危害を加えるでもなく主人の指示に従っていました。
こんな風景をあちこちで見るようになって、ヨーロッパでは全く犬がこわくなくなりました。

 ニュージランドではこんなことがありました。
ケリケリYHでのことです。広い庭で走り回っていた犬がYHのホールに入っていました。
とてもおとなしいのです。みんながてんでにかわいがっていましたが、
そこの主人が現れてホールにいる犬を見つけると、頭をバシバシ叩きました。
「どうして、あんなに叱っているの」と日本人の長期宿泊者に聞きました。
「あれはね、犬にこのホールに入っては行けないと約束しているの、それなのに犬がここへ入ったからよ」
と教えてくれたのです。
本当に、よくしつけられていて主人の言いつけをよく守ります。

 それに引き替え日本ではどうでしょう?
しつけの出来ていないペットだらけではありませんか。
迷惑しています。さすが、先進国だと思いました。 

おすすめの宿
スイス:Schweiz Suiss Switzerland ,Grinderlwald; Waldhotel Bellary
        CH-3818 Grinelwald,Berner Oberland Telefon 033-853 10 06・Fax 033-853 44 50
  ホテル、ベラリーはグリンデルワルト駅を出て左(西)へ歩いて10分です。
私は、2回のスイス行きですが、ヨーロッパに滞在中4回行きました。
日本語が通じて、居心地のよい家族経営の3星ホテルです。

イタリア:ITALY ;STAZIONE CENTRALE ROMA TERMINI;Hotel Sueet Home
        VIA PRONCIPE AMEDEO ,47 1°  PIANO-ASENSROE TEL.06/4880954 FAX 4817613 00185 ROMA
 ホテル、スイートホームは私が歩いて探しました。アットホームな小規模のホテルでした。
テルミニ駅に近くて大変便利です。

ドイツ:GERMANY ;MANNHEIM (Deutschland);Hotel Basaler Hof
        68165 Mannheim Tattersallstras 27 Tel.(0621)2 88 16/17 Fax(06 21)15 32  92
  マンハイムの駅近くです。ここも家族経営らしく、
お父さんお母さんそして娘夫婦と妹らしき人たちで明るく、
私を見かける度に「ダンケ」を言ってくれました。設備も大変いいし、朝食も豪華でした。
なお、気持ちのよかったのは枕元に置いたチップを受け取りませんでした。

ドイツはもう1つ:Rothenburg ;Fremdenzimmer-Rooms Ruth Gotz
        Schumannstarase 4 91541 Rothenburg ob der Tauber Tel.0 98 61/42 17
 ローテンブルク旧市街から歩いて15分で少し遠いですが、
明るくて、元気のいい中年女性が取り仕切っています。
ご主人は陰で応援しているようでした。送り迎えは女主人が車でしてくれます。
荷物はチェックアウトした後も預かってくれ、時間を伝えておけば駅まで車で運んでくれますので、
重い荷物でも平気です。

オーストリア:WIEN; Hotel Furstenhof
        A-1070 WIEN Europaplaz/Neubaugurtel 4 Tel.:+43 1 52233267 Fax.:+43 1 523326726
        Compuserve: 100436, 2003
        E-mail:FUERST@PING.AT
        WWW:http://ourworld.compusereve.com/homepages/Fuerstenhof
 ウイーン西駅真ん前にあります。駅の(i)で紹介してもらいました。
’94年に長男がスイス、オーストリア、ドイツをバイクで回った時、このホテルに泊まったそうです。
フロントも大変親切でしたし、綺麗で、勿論朝食も食べ放題です。良心的なホテルでした。

ギリシャ:GREECE ;MAGGINA'S  STUDIO-APPARTMENTS ON THE BEACH
        PARKIA -APROS Tel.0284 24 676 TELEFAX 22611
 エーゲ海に浮かぶパロス島にあります。
ひなびた島ですが、余り観光地化されていないのでよかったです。
たまたま出会った日本人の若い女性がこの島をほめていました。
 宿のオーナーはとても気さくな人でした。
バイクに私を乗せて用事(銀行とフリー会社)に付き合ってくれた時も、
出会う人たちみんなに片っ端から声をかけていました。
島中の人は“みんな友だちなあんだ”(手のひらを太陽にと言う歌)と言う感じでした。
本当に気のいい人みたいでした。もし、かなうならもう一度行きたい宿です。

イギリス:UNITED KINGDOM ;Autumn Leaves Guest House
        29 Broad Street Windermere Cumbria LA23 2AB Tel.015394 48410
 ピーラーラビットの故郷、湖水地方です。風光明媚なところでした。
さみしい陽光の射すイギリスにあって、とても明るい所で大好きなところです。
さらに、このゲストハウスは料金は安くて
1泊£17(約3400円共同トイレ、シャワー)で、とても清潔でした。
こんなに徹底的に掃除された宿ははじめてです。
じゅうたんのどこにもほこりやゴミもなく、水道のカランまでぴかぴかでした。
本当にうなるくらいきれいでした。
その上、食事は美味しくて、サービスは大変よかったです。
もし、ウインダミアへいらっしゃる方がいらしたら、ぜひぜひおすすめですよ。

おばあちゃんと呼ばないで!
 先日、N放送で60歳代の女性を「おばあちゃん」と呼んで紹介していました。
私はさっそく局へ抗議のはがきを出しました。
なんと失礼な呼び方だろうと思いました。
前もって名前を聞くことの出来る場面でしたし、その場で聞くことも出来たと思うのです。
こうしたことは日本ではよくあることですけれど。

 海外を旅していて「おばさん」と呼ばれたことはありません。
呼びかけは「エクス・キューズ・ミー」です。
初めて出会った時、先ず、どんな年齢の人でも自己紹介して、相手の名前を聞くのです。
ファーストネームを言ってくれます。私でしたら「スミエ」ですが、
彼らには言いにくい名前のようですが、何度も口ずさみ「スミエ」と呼んでくれました。
これは、本当にうれしいですね。
苗字よりも私自身を認めてもらったようで、大好きな呼び方です。
ひとまとめに「おばさん」「おじさん」「おじいさん」「おばあさん」と呼ばないで下さい。

 しかし、「全然知らない人をどのように呼ぶんだろう」と思われるでしょう。
「失礼ですが、落とし物ですよ」と、呼んでみてはどうでしょう?
私もカメラのカバーを落としてた時など、後ろから何度か「エクス・キューズ・ミー」とか
「ハロー」と声をかけて教えてもらいました。

 それから「失礼しました」を日本人は言いません。
先日、東京へ行って歩いていて何度足を踏まれたことでしょう。
一度もお詫びの言葉がありませんでした。
これに対して、ヨーロッパではちょっとすれ違いに体が当たっても、
ちょっとしたことでも「ソーリー」と言っていました。
私もそれに慣れて、今(日本)でも人混みで人に当たると「ソーリー」と口をついて出てきます。
このような習慣は見習いたいものです。
ふとした町中で知らない人に出会っても、笑顔を浮かべれば相手も返してきて会話が始まります。
「ひとこと」から優しい人間関係が生まれてきますね。
私は、帰国後も出来るだけ、ふれあった人にたくさんの言葉かけをするようにしています。
気持ちのいいものです。

オープン・ザ・ドアー・プリーズ〜鍵について
 たくさんの国のたくさんの街の宿に泊まりました。
トルコ・イズミールのアキンホテルでのことでした。
さあ街に出てみようと、ドアーの鍵を回しましたが全く「言うことを聞きません」。
汗だくになってしばらく奮闘しましたけれど、ドアーはビクともしないのです。
仕方なく、電話でフロントを呼び出しました。
何をどう言ったか覚えていませんけれど、しばしの応対でフロントがやって来ました。
外側でがちゃがちゃやっていましたらドアーはすぐ開いたのです。
なんのことはない、コツがいるドアーでした。
「部屋をすぐ替えて」と申し込んだのですが、コツを心得れば開くようになったので要求を撤回しました。

 パリの北駅前のアポロホテルで、またドアーが開かなくなりました。
またフロントを呼び出しました。
すると、階段側の窓の方から(5階L字型の建物)なにやら説明を始めました。
ややこしい説明は英会話苦手の私には理解出来ません。
なかなかラチがあかないので、とうとう、フロント氏はドアーの所に来て
「室内の鍵のハンドルを右に回せ」とか「上げよ」とか説明をしてくれました。
やっとの思いでドアーを開けることが出来ました。かなり複雑な操作をする鍵でした。
入る時は何気なく入ってしまうのです。
ヨーロッパの人は、こんな鍵に慣れているのでしょう。
あまり、説明もなく入室してしまうと、こんなことになってしまいます。
私の不注意が多分にあるでしょう。

 まだあります、この頃はカードの鍵のところも多くなりました。
どこかで、カードの洗礼を受けていましたので、エディンバラのホテルの時、
説明を「ふんふん」と聞き流してから入室したところ、ドアーはすぐ開きました。
ところが電気がつきません、「どうなってるの?」室内の電気のスイッチを入れまくりました。
それでも電気はつきませんでした。
またフロントに出掛けて行きました。とうとう、ホテルマンがついて来てくれました。
なんのことはありません、ドアーを開けたらそのカードをキーホルダーに差し込むのでした。
ぱっと点いた明かりに「ワアー」と言ってしまうほどびっくりしました。

 まだまだ驚くことはありました。
ひとりでについたテレビをのぞくと
「?????様ようこそ、いらっしゃいました。ごゆっくりして下さい。」と言う挨拶と、
いろいろな説明が書いてありました。(勿論英語です)
このホテルは、遅く着いて安宿がなく仕方なく泊まった高級ホテルでした。

 鍵と言えば、自分の部屋に入るまで4ヶ所も鍵を開けて入ることもありました。
イタリアのターラントのペンションが最初の経験でした。
ヨーロッパではよくあることですが、建物の一部、1フロアーのみとか、
フロアーの一部を細かく分けてペンションとして経営しているものが多くみられます。
まず、建物の入口に入居者名の入ったプレートがあり、ブザーがついています。
そのブザーのひとつを押すと用件を聞かれたり、またはそのまま、ドアーが開きます。
そして中庭に入ると、格子状の鉄製のドアーがあり「開けゴマ」式にそのドアーが開いて
やっと建物の戸口に辿り着く仕掛けになっています。
したがって、ルームキーを合わせると4個の鍵となります。
最初は、驚きました。だんだん慣れて来ましたけれど、こんな宿を多く経験しました。
したがって、鍵をじゃらじゃらさせて持ち歩いたり、フロントに返して行く方法などなど、
その宿、宿でシステムは違っていました。

 最高に変だったのは、ドイツのガストホフで“通いの経営者”に出会いました。
毎日午前11時に出勤してきます。
何か伝えたいことがあっても誰に言えばよいのか困りました。
私は5階でしたので何度も下に降りたり、上に上がったりと階段を右往左往するばかりでした。
本当に不安でした。(支払いはチェック・インの時済ませていました)
「キーはチェック・アウトする時、部屋に置いて行って下さい」と言うコメントがやっと飲み込めたのです。
掃除をしたり、ベッド・メーキングするのはその階の住民でした。
結局4日間そこに泊まりましたので、そんなことも分かりました。

 ご多分にもれず、ユース・ホステルでもカード式のキーをもらったことがありました。
ノルウェーのオスロYHでのことでした。
一室に4〜5人なので、キーは各自もらえるのだと思っていました。
(一室に2〜3枚なのを後日知りました)真夜中にドアーを叩く音で目覚めました。
「自分のキーで開ければいいのに!」怒り心頭に達しました。
おまけに、「キーを寄こせ」と言うのです。「渡せない」と突っぱねました。
彼女(ブラジル人)もなにやら怒ってしまいましたが、私も譲れません。
何日か一緒でしたが一言も口をきかない気まずい空気が漂ったのはもちろんです。
全員にキーがないことを後で知りましたが、
そんな遅い時間に帰って来て人を起こしておきながら配慮がないのも許せません。

各国の通貨について
 いろんな国へ行って来て、通貨の洗礼を受けてきました。大変ですよ。
下記に列記します(ただし、為替レートは、1996年12月下旬現在のもの)。
もっとも、欧州の通貨統合でずいぶんと楽になるになるでしょうが。

国名           通貨単位      補助通貨        円換算
シンガポール       S$        =100 Cents              86.07
イギリス                   £                 =100 Pence            201.48
イタリア         Lira(Lit)     =100 Centesimi           0.08
オーストリア       Schiling      =100 Groschen       11.61
オランダ         Guilder(G)       =100 Cents              70.19
ギリシャ         Drachma(Dr)    =100  Lepte               0.43
スイス          Franc(SFr)    =100 Centimes           86.53
ドイツ          Deutche Mark      ==100  Pfennig            77.28
スエーデン        Krona               ==100  Oere             18.12
スペイン         Peseta(P)      =100  Centimos            1.02
フランス         Franc(FFr)     =100 Centimes           24.67
ノルウェー                Nkr(ノルウェークローネ)                     21.00
デンマーク                Dkr(デンマーククローネ)                     21.00
ポルトガル                Esc(エスクード)                            1.00
フィンランド              FIM(マルカ)                                 33.00
トルコ                    TL(トルコリラ)
ルクセンブルク            LF(ルクセンブルクフラン)等価でベルギーフランが使える 4.00
ベルギー                  BF(ベルギーフラン)                           4.00
チェコ                    Koruna(コルナ)                               4.60
ハンガリー           Ft(フォリント)                                1.80
アイルランド              IR£ 等価でイギリス£が使える              220.00

(注)資料がまちまちなので以上のような形になりました。いつか統一します。

私のおみやげ
 数少ない、私のおみやげの中で異色なのは、何と言っても旅の間にためておいた列車の切符とか
美術館、博物館の入場券の半券や案内、日用品のレシート、観光案内所でもらったパンフレットや地図、
そして、出会った人々の名刺もあります。
すべてを持ち帰ったわけではありませんが、
気に入ったものを手紙と一緒に郵送したりで手元に残しています。
それから、旅の計画実施表や記録ノート、手紙など、
ひとり旅を始めてからのものが各年代と場所別に袋や整理箱に入れて保管されたままになっています。
それらが旅を蘇らせてくれので貴重な存在です。捨てきれないのでたまるばかりです。
いつか、これらを整理してと考えながら、実現していません。
足腰が弱って動けなくなったら、整理でもしましょうか。

イスラームの世界:トルコとアンダルシア地方(スペイン)
 私のイスラームについての知識は「宗教の一つであること」位でした。
そして時たま、テレビで彼らがメッカ(マッカ)に向かって礼拝する姿を見ては、
この時代になんと変な行動をするのだろうと思っていました。
さらに、「キリスト教から派生した兄弟宗教だ」とも思っていたのです。
スペインのアンダルシア地方を一緒に旅したマイフレンド・敦子さんが
建築物を見たり街を見て歩く内に「イスラームってなあに?」と私に問いかけてきました。
人生の先輩である私には前述の知識しかなく、
恥ずかしくも私の知っていることしか教えてあげられなかったのです。
でも、「帰国してイスラームについて、勉強して分かったことを知らせてあげるね。」と約束しました。
さっそく「イスラームとは何か」小杉泰 講談社現代新書を購入して読んでみました。
私には、少々退屈な読み物でしたけれど、大まかな「イスラーム」のことが分かりました。

1、西暦614年頃アラビア半島のマッカでムハンマドと言う人が神の啓示を受けて預言者となった。
2、「アッラーのほかに神なし」唯一・絶対・全能の神を信ずる。
3、信仰者は「ムスリム」と呼ばれる。(イスラム教徒)
4、一切の偶像を廃し、マッカ(メッカ)に向かって祈るのみ。
5、クルアラーン(コーラン)が啓典であり、啓示の内容がイスラームの教えである。
6、一番あとに出てきたイスラームは、ユダヤ教やキリスト教の流れをくむもので、
  クルアラーンのなかには、旧約聖書やキリスト教の福音書と同じような教えも多い。

1〜5は「イスラームとは何か」、6は「イスラームの日常世界」片倉もとこ著 岩波新書より抜粋。

 とにかく、私がトルコで見たり、聞いたり、感じたり、触れたりしたものが
遠く離れたスペインのアンダルシア地方で懐かしい響きとなって再び蘇りました。
赤いむぎ出しの土の起伏、オリーブ、哀愁を帯びた歌声。
さらに、目を見張るような美しいアラビア模様の数々。
タイル、彫り物、はめこみ細工、それらを結集した建築物。
特に、そうした文化がヨーロッパと融合して花開いたのでしょう。

てがみと切手
 大げさに言えば、毎日1通位。やはり、大げさかな!・・。
私宛に手紙が届きます。手紙は海外から、日本各地から来ます。
とても幸せな気分ですね。そして、また私も返事を送ります。
私の信条は、日を置かずして返事を書くことです。
几帳面と言うより、読んで共感したり、感動のある内に出すことと、忘れない間にと言う実利もあります。

 ひとり旅をすると、たくさんの人と出会います。
住所録に書き切れない位いっぱいになります。
ですから、それはたくさんの人と文通していますね。
ヨーロッパを旅していた間も、そのことを知らない人からもたくさん便りがきていました。
無事帰国したことを、古くからの友人や新しく友人となった人たちへも帰国挨拶として、はがきを出しました。
私が直接知らない息子の友人も文通仲間にいます。
息子が泊まった宿を私も利用することがあります。
そんなとき、私の名前を聞いて「とのさんのお母さんですか?」と急に親しみを持ってくれたりと様々です。
そんな面白い出会いから北海道では「とのはは」と呼ばれています。
便りにも勿論「とのハハ」「とのはは」「とのおかあさん」などの、呼びかけから始まっています。
面白いでしょう。

 切手はやはり、ヨーロッパのものでしょう。
本当に楽しい切手にたくさん出会いました。
中には全く面白くない、どこかの国のようなものもありましたけれど。
楽しくて、きれいな切手と言えば今回フィンランドのロバニ・エミで購入した
草花と昆虫が描かれた切手でしょう。

 【切手を一つ見ても国土の小さいこと・人口の少ないことがありながら、
  文化的に非常に充実した国であることが納得されます。・・・中略・・・、
  昆虫を含めての理解があるようにも思われて、自然鑑賞の深さは日本人のそれを超えるものがあります。】
【】内はM先生の自然誌通信から抜粋しました。
 お土産でさしあげた切手に対して、ボタニカルアート講師であるM先生から称賛を頂きました。 こんなに喜んで頂けるとは思ってもみなかったのでうれしかったです。 そんな切手の多くは、やはり北欧です。 自然が厳しいだけに自然をしっかり見つめた素晴らしい切手が出来るのでしょうか。 それから、イタリアはさすがですね。 バチカンの郵便局でも素晴らしい切手をたくさん見つけました。  切手で忘れられないのは、世界で一番小さいとされるリヒテンシュタイン候国の切手です。 この切手の収入は、国の2割を占める財源となっているそうです。 したがって、切手のデザインには力が入ります。 私が最初この国を訪れたのも、その「切手を見てきてね」と、旅の友だちに頼まれたからです。 街をあげて、切手のお店であふれていました。なにしろ、大変な種類です。 あらゆる分野に渡って切手が発行されているのです。 一軒の店でもその切手の蒐集たりや並でなかったです。 畳一畳分くらいもあるでしょうか、その表裏にびっしり切手は収納されているのです。 そんなケースが何個もあるのですから。切手アルバムもありました。  私は郵便局へ行ってみました。 確か記憶には、切手は「山岳」「花」「候室一家」など何種類かのパターンがあり、 1シート5〜6枚でした。そのシートを構成する1枚1枚の切手は、同じものではあません。 例えば「山岳」でしたら、それぞれ異なった「山」をデザインしていました。 これも、楽しいので何種類が購入してお土産にしました。

ヘンゼルとグレーテル&赤ずきんちゃん:ヨーロッパの森はこわい?
 ヨーロッパ人は森を恐がっているのではないでしょうか?
たとえば、グリム童話、ヘンゼルとグレーテルです。
森の中に住んでいる魔法使いのお婆さんに食べられそうになって、
ふたりは工夫してやっと逃れることが出来たこと。
森には魔物が住んでいて恐い存在だったように思います。

 ハーメルンの伝説「笛吹き男」もヨーロッパ中世の森への恐れが根底にあるような気がします。
私は出発前に「ハーメルンの笛吹き男」を読んで、なんとなく、
そんな恐れを感じてその土地を訪ねるのをためらいました。
ところがどうでしょう?イメージした街はそこになく、明るい所でした。
彼らは、恐ろしい森を切り拓かなければならなかったのではないでしょうか。
そして、芝生を植え明るい牧草地にしてしまったような気がします。

 今は違います。その愚かさに気づき森を再生しようと頑張っています。
日本を含め、アジアでは山には神々が存在し、人間に恵みをもたらしてくれるものと敬ってきたのでしょう。
日本では、山と言えば、樹が茂り美しい森をつくっています。
いつまでも、こんなに美しい山や森を大切にしたいものです。

私の旅づくり
 スイスの旅でそのことを書いたことがあります。今回は箇条書きにして分かりやすく書き直してみました。

1、1.行き先を決める。
  2.その国や街の情報を集める。
  (ガイドブックや小説、歴史、文化、紀行文、そしてその国の観光局などのパンフレット)
  3.予算を決める。
  4.日程を決める。
  5.コースを決める。

2、1.パスポートを取得する。
  2.ヴィザが必要な場合はその手続きをする。
  2.航空券、パス券や入国初日の宿を予約する。

3、1.旅の日程、計画表など自分にあったやり方で作成する。(持参する)

4、1.持ち物や服装を検討する。
   履き慣れた靴、乾燥し易い衣服、運びやすいバック等。
    2.持ち物を表記してチェック。持参する貴重品の番号などを控える。
  (トラベラーズ・チェックの番号、購入会社名、電話番号)
  (クレジット・カードの番号、緊急連先の電話番号等)

5、1.予約した航空券やパス、海外保険などを旅行会社で購入する。
  2.家族への連絡方法などを打ち合わせる。

6、1.その他、ガイドブックや参考にする地図やトーマスクックの時刻表も検討します。
   持つものは出来るだけ軽くがモットーです。
  2.持っていってよかったもの
   耳栓、絹のスカーフ、爪切り、安眠枕(長時間乗り物に乗るとき重宝します)、
   濡れてもよい軽いサンダル(シャワーなどでスリッパではだめ)、サングラスなど。
   これは、旅行の必携品などに書かれています。
    衣服はケースバイケースです。行き先きによっても違います。
   寝間着は出来れば昼間着る物と一緒に考えて少なくします。    

7、1.常備薬はぜひ持参する。風邪薬、胃薬など。傷薬やかゆみ止め、日焼け止めも必要。
    2.長期の旅では、日本食品など持参してもよい。(梅干しや即席みそ汁)

旅は道づれというけれど:VISAカード(セゾン・郵貯)、JCBカード
 今回、このお金に関することで泣かされました。
最初から最後までどれだけ苦しんだことでしょう。
ATM機でお金が出せないなんて、旅が始まるまで全く気づきませんでした。

 大金を引き出し持ち歩くと危険だと、もろもろの本には必ず書いてありました。
ですから、少額だけ引き出していましたから、直ぐ底をつきます。
それこそ、食べるものも買えないし、バスにも乗れない。
その夜、泊まるホテル代も心配な時もありました。
「では、銀行内でキャシングすればいいでしょう」と言う人もいるでしょう。
ところが、VISA・カードのATM機を置いている銀行がすべてキャシングしてくれないのです。
運がよければ一軒目でお金を出してくれることもありますが、少なくて2〜3カ所、
多くて5〜6カ所銀行を回ってやっとお金を手にすることができるのです。
並大抵のことではありません。
 
 第一、知らない土地で、その銀行を探して歩く。
そして長く待たされた後銀行員と対面してやっとの思いで
「ATM機でお金が出ないので窓口でお金を出して下さい」と伝えるのです。
しかも、そんな難しい会話集は私の辞書にはなのですから・・・。
「ここでは出せない」と一方的に拒否されると、
そこで費やした何十分かの時間は無駄になります。
又違う銀行へ行ってアタックしなければならないのです。
一ヶ所で最高1時間も時間を費やしたこともありました。
ですから、銀行巡りで半日はつぶれると言うことがたびたびでしたね。

 ちなみに、銀行内ではカードとパスポートを係りの人に見せて手続きを取ります。
係りから紙片をもらってキャッシュ・コーナーへ行くよう指示されるので、またそこで待ちます。
こうしてやっとお金が出してもらえます。 

 分かって頂けますか?言葉が十分話せない外国で!…涙が出そうでした。
海外で出会った人たちから「シティ・バンク」について情報をくれましたが、その時は間に合いませんでした。
これからは、彼らの忠告に従って「シティ・バンク」に口座を設けて海外旅行に出ようと思っています。

 帰国後、この辛さを黙っているのも悔しいし、
後から旅に出る人にも同じ苦しみをあわせるのもいけないと思って
「セゾン・VISA・郵貯カード」関連の窓口へ確かめに行ってみました。
「どれだけ苦労したか」「キャッシング出来なかった原因」を訴えましたが、
セゾンでも、郵貯でも何一つ解決策はみせてもらえなかったのです。

 「今までに、こんな苦情は入っていませんか、
旅で出会った何人かにキャッシング出来ないで困ったと聞きましたよ」と私。
「いいえ、こんな苦情はお客様が初めてです。これまで一度も入っていません。
 このことは本社に言ておきました。」と言うセゾンの返事でした。
「こちらは、郵便貯金に関するデータしか入っていませんので、
 クレジットについてはあちらの会社へお聞き下さい。」と、
どちらも満足のいく回答が得られませんでした。

 私は、未だに釈然としない気持ちのままです。
ただし、JCBプラザでは、何度か現地で親切に対応して頂き大変助かりました。
JCBカードもATM機は作動しませんでした。
私の場合、カードの限度額いっぱいを引き出して、現地でトラベラーズ・チェック(T/C)を作成し、
腹に巻いて持ち歩きました。
たくさんのT/Cを持っていることで緊張しましたけれど、お金のない辛さの方が、それに勝っていました。
なんとなく「安心」を抱いているような幸福感を持ちました。 

 このように、お金の問題は深刻な状態を引き起こします。
よく研究して、自分のことは自分で考えて解決するしかないようです。

通りゃんせ通りゃんせ、行きはこわ〜いが、帰りはよいよい:銀行の入り方
 銀行には大変お世話になったわけですが、その銀行の入り方が面白かったので書いてみましょう。

1.銀行の入り口にあるカード挿入機に持参したカードを差し込みます。
 するとドアーが開き中に入ることが出来ます。(休日にカードを使用する場合)

2.回転式ドアーに入ります。
 次の個室に入ります。ロッカーがあるので持参した荷物をその中に入れてキーを外します。
 次の個室に入ります。テレビのような台に自分の両手のひらを載せて、写します。
 それから、キーナンバーを打ち込みます。
 そうすると自動的に次のドアーが開き銀行内へと入ることが出来ます。
 さらに待つこと1時間やっと窓口に到着でした。(多分、ミラノ銀行)

3.まず、銀行内に入ってインフォーメイションに行きます。
 その係りの案内で各窓口を指示されて行く。

4.ドアーを開けて、銀行内のガラスのドアーを通って入る。(スイス・グリンデルワルト、日本と同じ)
 厳重な所はやはりイタリアでした。
 ドイツでも現金を扱うところは、係りの人のところだけガラス(防弾ガラス?)で囲われていました。

5.銀行の周囲を厳めしい警備員で固めている。

6.銀行内に入ると警備員が人相?をチェックします。それから入ることを許可されます。

ヘァーカットはどうしたの?
 長期の旅なので、旅に出る前、一番簡単なカットにしてもらいました。ショートカットです。
パーマをかける必要もなし、洗うのも簡単、カットしてもらう時の表現もしやすい。
などなど、成功でした。

 最初は、スイスのベルンで(約7000円)。
2回目はベルギーのナミュールで(約3800円)
3回目はイギリスのウインダミアで(約1250円)カットしました。

 簡単です。店に入り、予約が必要か聞きます。大体30分位待ちます。
そして、「カット、オンリー、プリーズ」と言えば、どれくらい切るのか聞きますので、
手まねでその位置を示せば、プロですから理解してくれました。
こうして、うるさくなくてこざぱっりした毎日が送れました。
難を言えば、洗髪してくれないので猛烈に体がかゆくなり大変でした。
日本では少々高額ですが、きめ細かいサービスでありがたいです。

 もうひとつ、化粧品の購入にはいつも苦労しました。
特にローションタイプです。言葉の表現が違うようです。
顔に塗る動作をして「ローション」と言いましたが理解してもらえません。
「ウォーター、イン、クリーム」でも駄目でした。
結局クリームを買ってしまいました。
この化粧品にピッタリの表現方法はないのでしょうか。
残り少なくなった時それを持参するのがいい方法かも知れません。

各国のスーパー・マーケットとコイン事情
 スーパー・マーケットと言えば、どこの国へ行ってもありました。
話せない私にとって大変重宝しました。
なにしろ、欲しい物をかごに入れておけば買えるのですから。
歯磨き、ニベア・クリーム、石鹸、パン、お菓子、ジュース、果物、ヨーグルトなど何でも買えました。
会計で値段を現地語で言われると殆ど理解できませんので、
金額を示す計算機を見せてと言って支払っていました。

 スペインで、
「クァント・クェスタ?」(いくらですか)とせめて現地語で言ってみようと心掛けると
「ウノ、ドス、トゥレス、クァトウロ、シンコ」(1,2,3,4,5)と言ったかどうだか、
ぺらぺらとまくしたてられて、「????」となるのです。
そこで仕方なく、私得意のボディ・ランゲージが登場します。
多分、スペイン語で聞いたので数字も理解できると判断されたのでしょう。
大体、どこの国でもそこの所を理解して計算機の数字を見せてくれました。

 支払うときも大変なのです。
入国して間もない時は通貨が理解出来ていないので、特に硬貨の支払いに手間取ります。
すると、私の財布の中をのぞいて勝手に必要なだけ取ってしまう人もいます。
時には私が「ワアー」と言うので、「ソリー」と言う人もいますけれど。
少なくとも、だまされたとは思っていません。
6ヶ月間の旅で何回か私が払いすぎては「違うよ」と言って返してくれた人が多かったからです。

 紙幣は支払うのに神経を使います。
毎日使いそうな金額だけ小出しに財布とポシェットの隠しに入れて持ち歩くのです。
いつの間にかコインがたまりますので、宿に帰ってから残りのコインを集計して、
買い物の金額がその範囲だったらコインで支払うように努めます。

 いくつも国を出たり入ったりしたので、コインが残ります。
もったいないし、重くなるので、その国を出る時、鉄道駅やバス・ステーションの売店で
金額に見合っただけの品物を買いました。大変難しい買い物でした。

 一番大きくて重いコインはイギリスとアイルランドではなかったでしょうか。
分厚いポンドでしたが、コインでもポンド(アイリッシュ£)はアイルランドを出て
イギリスへ再入国した時両替してくれました。
「スイス銀行ではヨーロッパのコインなら、スイスのコインに両替してくれるよ」と、
旅人の間でもっぱらの噂でした。
スイスに着いた時銀行で両替を依頼しましたが「NO」でした。

切符の中身、あれこれ
 以前、切符の購入についての記述はしていますが今度は切符の中身です。
乗車券や美術館フリー切符などです。

ドイツ:ベルリン1日キップは7ドイツマルク(約500円)1回乗車券で多分3ドイツマルクです。
何回も乗ったり降りたりする場合、特に私のように地名や場所に不安な場合は、
何度でも乗り降りできるのでありがたいキップでした。
ペンションのオーナーがアドバイスしてくれました。

ドイツ:メルヘン街道のどこかの都市でした。
はじめて降り立った駅構内の券売機で目的地を探しキップを購入しようとしました。
地下鉄の系統図がドイツ語で書かれているので、もうお手上げです。
「どこ?、どこ?・・・どこ?」と目を皿のようにして探すのですが、一向に分かりません。
すると、ドイツ人の若い男性が「どこに行くの?」言うではありませんか、
「ここ」と言って行き先の地名を書いたメモを見せました。
 しばらくすると「ここだ、2マルク」と言って教えてくれました。
ありがとうを言ってそこを去ろうとした私に、
彼は手のひらに載せた僅かばかりのコインを見せて恵んでくれというのです。
私はちょっと躊躇しました。
「でも、まあいいか、親切をしてその報酬を請求するのだから」
と思って1ドイツマルクを手のひらに載せました。
彼は「デンケ」と言って去っていきました。
 それにしても、後味の悪い気持ちになりました。
親切な行為だと思っていたのですから・・・。

オーストリア:ウイーン24時間フリーパス(Netz Karte 24 Stunden Wien)は
主要駅や駅のキオスク、観光案内所で購入できます。
正味24時間の通用(ゾーン内)。最初、乗車の際にバスや地下鉄の券売機で刻印すること。
改札口がないので各自がします。乗車の度にいちいち購入しなくてもよいこと、
何度使用してもよいことバスでも地下鉄でもよいこと、本当に便利でした。
72時間キップになると美術館が無料になったり、割引があったりでさらに得になります。
 
フランス:パリ、割引キップ、カルネ。
キップは何回乗り換えても地下鉄路線内なら同額。
バスの場合、同じカルネが使用できるが1回きりの乗車で前途無効となります。
これも券売機で購入します。10枚のカルネは、ばらばらに出てくるので、便利です。
割引率30%。なによりも乗車ごとに小銭を用意したり窓口に行かずにすむ。
私は幸いなことにイタリアのローマで出合った日本人に使い残した9枚のカルネをもらいました。

スペイン、ポルトガル:バス代が非常に安くほとんど乗り切りで割引キップは購入しませんでした。
スペイン、ポルトガルでは鉄道よりバス路線が便利で安く、各都市の移動はバスでしていました。
ちなみにセビーリヤからポルトガルのファーロまでのバス運賃は1200円くらいです。

どこの国か記憶にないのですがバス1日キップを購入したとき「24時間通用ですか」と聞いたところ
「いいえ、ちがいます。」と言われました。これは夜12時まで通用のよでした。
このように1日券でもいろいろ国や都市によってシステムが違っていました。
またパリでは「美術館、博物館3日券」があり購入しました。
ところが、案外通用しないところが多くて損をしました。

時差に思う
 海外に出て一番身体に感じるのは時差でしょうか。
初めての海外旅行でスイスに行った時の時差のことが分からず変な気持ちになったことを思い出します。
 
 果たして、日本から何時間かかってスイスに来たのかが疑問でした。
自分の身体がうまく対応してくれませんので、なおさらです。
今回はまあ、4回めで少しは理解出来るようになりました。
時計もさっさっと現地時間に切り替えて、いつまでも日本を引きずらないように努めました。

 もうひとつ、私が行った時期にサマータイムが始まっていたので、
その分引き算したり、足し算したりする必要がありました。
さらに、国を移動する時にも時差にかかることもありました。

 もうひとつ言えば、サマータイムが終わる時期です。
6ヶ月と言う長期にわたってのヨーロッパ旅行なので、終わりもあるわけです。
その時期に航空機に乗る場合、それこそ大変なことになります。1時間違うわけですから。

 そこで、サマータイムが終わりそうな時、ポルトガルからスペインへのバスの中で
スペイン人の女子学生と同席したので聞いてみました。
私にとって一番聞き易いセンテンス「何日にサマータイムは終わりますか?」と質問すると、
彼女は「10月26日」だと教えてくれました。
私が帰国するまではとにかくサマータイム中なので安心したのでした。

 それは、日本では日常経験しませんので厄介です。
まあ、頭で考えるよりも実際にはうまくいくものだと分かりました。
これは、通貨の両替も同様です。それで何とか乗り越えました。

国際電話
 海外から何度も電話、ファクスしました。
いつもの旅行ではほとんどしませんけれど、今回は特別です。
旅からの情報を写真とともに自宅に送り、我が家のホーム・ページに載せる使命があったからです。
時にはハンガリーからイギリスへもかけましたし、トルコではツアーの時イスタンブールへもかけました。
同国内、異国間、もちろん日本の自宅へもです。

 直通電話は次のようにかけます。
国際電話識別番号−国番号−市外局番−相手の番号となります。

 オペレーターを呼び出す方法もあります。
その場合、コイン、テレホンカード、クレジットカード、コレクトコールと様々な方法があります。
クレジットカードでかけるときでも何通りかありました。
日本でみられるように電話機のクレジットカード専用の挿入場所に差し込んで直ぐ引き出すのと、
クレジットカード専用電話機(北欧ノルウエー)では電話機の上部に
カードをスライドさせるものとがありました。

 クレジットカードを使用しようとして、どうもタイミングがうまくかみ合わず
失敗することが多かったです。いずれにしてもKDD、IDCなどのお世話にもなりました。  

 こうした場合当然時差が関係してきます。それを考慮しなければいけません。
ヨーロッパとは7時間から8時間の時差で、私は、よく時計をみて計算しては、かけました。
自分の活動時間と相手の活動時間を考えていると丁度都合のいいとき列車で移動中であったり、
山をトレキング中であったりと電話が手近にない場合があり、かけられないこともしばしばです。

 電話ひとつかけるのも苦労するときもありました。

旅の服装
 今回は長旅で当然、季節が移り変わることも考えられました。
しかも、広範囲の移動でヨーロッパの南から北へ、それこそ厳冬期から真夏までの服装が必要となりました。
バック・パックには多くを詰め込めません。
小さいし(40L)なにしろ、重くては私にとっては、行動を左右されて致命傷となります。

 私は、こうしました。
自分が着用しているTシャツ(半袖、長袖)と、もう一枚同じ物、肌着も同様。
あと着用しているジーパンとスパッツ2枚(寝間着にもする)
冬物にはフリースのジャケット、手袋、毛糸の帽子、ソックスは替え用2足、ベスト、パーカーなどです。

 とにかく、組み合わせでなん通りにでも活用出来そうな衣類を用意しました。

旅先でのトラブル
 これは旅をするとき頭に入れておかなければいけないことです。
トラブルがあったとき、すぐ対応出来るよう
貴重品の番号や緊急連絡先などを書いた表を4〜5枚用意して、
持ち物の各所に入れておくことでしょう。私はとても神経を使いました。

 スペインのセビリアでひったくりに遭ってから、さらに危機感を強くして、
大量に持ち歩いていたトラベラーズ・チェックのナンバーを自宅にも送ったほどでした。

 とにかく、自宅へ電話をかけて家族に関連場所へ通報して貰うのもいいかと思います。
(カード会社へ連絡など)

各国のトイレ事情
 トルコをはじめ、ヨーロッパ各地を歩いてみてトイレに関していろんな場面に遭遇しました。
日本のように無料のトイレはほとんど見あたりませんでした。
皆無ではないのですが、ここなら無料で入れると思いきやコインを入れないと入ることができず、
ガッカリしたことが何度もありました。
 
 トルコでは同じ街でも利用金額が高いところ、安いところもありました。
おおむね、モスクの地下にあるトイレは安かったです。
番人がいるので、きれいに清掃されて清潔でした。
ちり紙をくれるところ、くれないところ、後始末の方法もまちまちでした。
水道がちょろちょろ出ていてそれをバケツに貯めておいた水、バケツに汲んである水をコップで流す。
またはちり紙を使用して備え付けのカゴの中に入れる。
ちり紙を便器に流さないようにすることで、これは古くなった建物の下水管を詰まらせないためです。
ヨーロッパでは古い建物でも下水管が完備されているのでしょうか、ちゃんと流せました。

 トルコでもヨーロッパでもそうでしたが、長距離バスが発着するセンターでさえ、
お金を要求されました。
番人がいる所いない所とまちましてですが、いるところの方が便利です。

 これはやはり、スペインで長距離バスに乗ったときです。
私はなぜか緊張すると、トイレに行きたくなります。乗車前はもちろんトイレに行っておきます。
なのに、すぐ行きたくなるのです。
バスがとあるセンターに停まったのです。
何分停まるかどうか不安だったので行かないことに決めていましたけれど、
やはり不安になり運転手に行くことを告げて大急ぎでトイレに走りました。

 ところが、どのドアーもぴたりと閉められていてコインケースがあるではありませんか、
財布をみると必要とするコインが見あたりません。
トイレに行くことを躊躇した分、時間の余裕がありませんので
近くの人に両替を交渉する時間もなく仕方なくバスに戻り我慢する羽目となりました。
辛いです。
 
 辛いと言えば、まだあります。ポルトガルからマドリードへの長距離夜行バスに乗ったときです。
2〜3時間毎にトイレ休憩がありました。その都度トイレに走りすませておきました。
「用意万端細工は流々」安心にあぐらをかいておりました。
ところがです。旅行中はなんと規則正しく毎朝6時になると便意をもようして必ず目覚めるのです。
どんなときでも信号が発せられて、1日の行動パターンをうまくコントロールできて
大変便利なクセですが、この日はバスに乗っているとき朝の6時になりました。
大変、いつものパターンがやって来ました。

 どうしよう、どうしようと思う間に、間に合わなくなりそうです。
バスの中にトイレがあったので、そのキーを貰って入ろうと企てました。
運転手に申し出ると、「ノー」とはね除けられました。それでも我慢できません。
再度申し出ると、「ファイブ、ミニッツ」と言って取り合ってくれません。
我慢するしか他に方法がなく死ぬ思いで我慢しました。

 渋滞を通り抜けてバスセンターに着いたときは、
荷物はどうなってもいいと、トイレに駆け込んだのは言うまでもありません。
やっとの思いでバスに戻ると、お客さんは全員降りてバスの横っ腹が開いたままで
(大きな荷物を入れるところ)
運転手がひとり私を待っていました。
 
 ポルトガルのファーロと言う街では公園の入り口にトイレがありました。
標識に示されたとおりそこに降りていくと中に番人が立っていました。
トイレをすませて「いくらですか?」と聞くと
「いくらでもどうぞ」と自分の気持ちだけおくように言われました。

 こんな所もあります。コインを入れるのもいろいろですが、
なかには入るお客さんを待っていて、戸が閉まらない間に、次々と入る人がいます。
これはインチキですけれど、結構皆さんやっていました。

 また指定されているコインがないと入れません。
切羽つまって、そのコインがないと悲劇ですよ。
初めての海外旅行でスイスに行ったとき、駅構内のトイレに入ろうとコインを探しました。
丁度50サンチーネ見つかり、やれやれと思った途端
お金がころころとトイレの中に転がっていきました。
どうしようと一瞬思いましたが、もう一度財布の中をみると
同額のコインがあったので入ることもでき、中のコインも拾うことができたのした。
 
 これは、ロマンチック街道はフッセン駅でのことです。駅構内は日本人ばかりと言った感じでした。
トイレに入ってコインを入れたもののドアーが開きません。
と言うことは、トイレに入れないと言うことです。
「これって、なに。」お金はコインケースに入ってしまって、駄目だなんて、腹の虫が収まりません。
かといって、売店のお姉さんや、あたりをうろついている職員らしき人に
私はどのように苦情を言えばいいのか言葉は分かりません。
職員のおじさんを捕まえて言ってみました。でも通じませんでした。
それを側にいた日本人女性に話したところ「言ってあげましょう」と言って交渉してくれましたが
「そんなこと知らない」と言って取り合ってくれませんでした。本当に悔しいですよ。
 
 チューリッヒ中央駅は何度か出入りしましたがトイレは2スイスフランです。
ちょっと高めですがとてもいい感じです。洗面に必要な、いろんグッツも売っています。
 
 トイレには、大変な目に遭いました。
トルコではトイレに困りませんでしたけれど、ヨーロッパではそのトイレを探すのが一苦労でした。
なかなか見あたりません。かと言って、その必要もないのにレストランに入るのもイヤです。
比較的入りやすかったのはマクドナルドのトイレです。
しかし、ここはみんなもよく知っていていつも満員です。
 マクドナルドも、ある国ではお金を取られました。お金を出してもあればいいです。
どこを探しても見あたらなかったある街では、茂みに隠れて用を足したこともありました。
(大きな街の真ん中多分ヘルシンキです)

 こんな時、トイレが無料でどこでも見つけられる日本がいいなあと思いました。

ロマンチック街道とメルヘン街道
●メルヘン街道は、当初からの目的地でした。

【ロマンチック街道などに比べると格段楽しいルートで、
戦火にもあわずに残された美しい村や町が続いていく。テーマは「グリム童話」の世界。
物語そのままに、お姫様や動物達、魔法使いなどが遊びにきそうな楽しい雰囲気にあふれている。
・・・中略。
 北部の入口に当たるブレーメンから、フランクフルトに近いハーナウまでの
600kmほどの道筋である。中略メルヘン街道はまたグリム童話の故郷である。
およそ200年前、文学者のヤーコブとヴィルヘルムのグリム兄弟が、
この地方の民話を集大成して童話集とした。
『白雪姫と7人の小人達』、『赤ずきんちゃん』、『ブレーメンの音楽隊』など
・・・中略。
このルートを歩いてみればわかるが、
信じられないほどおとぎ話にマッチした光景が生き続けている。】
 【】は「ひとり旅これで十分ヨーロッパの旅」から抜粋。
 
 本当にそうでした。木骨組の家が建ち並び中世のドイツに迷い込んだような錯覚に襲われました。
ドイツだけでなく、ヨーロッパではそうですが、古いものを大切に使っていく、
使っていると言う姿勢をはっきりと目に焼き付けることが出来ました。
その木骨組みの家々を、よく目を凝らしてみると、組み方のいろいろ、装飾も様々でした。
同じでも同じでない、個性がみられました。
街並みがそっくりそのまま残されていて、日本のように保存地区がちょっとと言うのと違います。
広い範囲で残されているので、とてもいい雰囲気を味わいました。

●ロマンチック街道は、本当に日本人だらけでした。
私はフランクフルトを朝8時発のロマンチック街道号のバスに乗ってフッセンまでに行くことにしました。
最初は気がすすまなかったのですが、長男の勧めで行ってみることにしました。
トーマスクックの時間割を開いて列車にしようかバスにしようか考えました。
バスの方が便利なことと、このコースはユーレイルパスが有効であることで決めました。

 バスは美しいドイツの田舎、田園地帯を走りとても美しい風景でした。
それなのに、若者達は居眠りをしている者、おしゃべりに夢中になり景色を見ていない者とが目につきました。
「もったいない」と私は心でそう思いました。

 私はローテンブルクとネルトリンゲンに降りてそのコースを楽しみました。
このバスのガイド、シンクレットさんに出合い、大変お世話になりました。
本当にいい人でした。
このように、いい景色といい人に出合いながら感動をもってこのコースを旅しました。
いい思いでが残りました。
 
 帰国後もグリム童話に関する事柄や中世のできごとなどに非常に興味を抱くようになり、
本や新聞記事など、関心を持って読むようになりました。

「魔女狩り」森島恒雄著 岩波新書、「ヨーロッパ中世の宇宙観」阿部謹也講談社、
「ヨーロッパ二つの窓」堀田善衛、加藤周一 朝日文芸文庫、
「グリム童話−メルヘンの深層」鈴木晶 講談社現代新書、
「近代科学の誕生 上、下」H・バターフィールド/渡辺正雄訳 講談社学術文庫、

などを購入しました。

ヨーロッパの北の果て、北極圏ノールカップでの白夜
 今回のヨーロッパの旅で、“北の果てに行ってみたい”と、ノールカップを選びました。
行くまでは遠く過ぎて、「本当に実現できるかしら?」と自分でも疑問でした。
とにかく行って来られました。遠い遠い所で、オスローから飛行機での往復でした。
どんな方法がよいか、やはり旅行中に考えました。ルートは、いろいろありました。
でも、前記の方法でやって見ることにしました。
 
 丁度、私がその北緯71度10分21秒の地点に立ったのは、昼夜の時間が同じ夏至、
6月21日の前日でした。不思議な経験でした。夜なのに太陽は沈まないで再び昇ってきます。
世界各地から老弱男女たちが、その瞬間を見ようと「北岬ホール」に集いました。
そのホールから歩いて断崖絶壁の所に地球を形どったモニュメントがあります。
そこへ歩いて行くだけで、身も心も凍ってしまうのではないかと思われるくらい
厳しい寒さにであいます。夜中の1時ですから。

 その日は残念なことに霧がかかり、ホンのちょっとの間、
ぼんやりとした太陽しか見ることができませんでした。
私は翌日の6月21日ホニングス・ヴォーク
(基地になる最果ての町で3500人ほど住んでいる漁業基地、ノールカップまでバスで30分ほど)
ではっきりとした太陽を拝むことができました。(午前12時半から1時間半にかけて) 

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