還暦バックパッカー、ヨーロッパをいく

トルコ
《イスタンブール》 イスタンブール国立博物館、トプカプ宮殿(博物館)、ブルーモスク、
アヤ・ソフイア(博物館)、地下宮殿(イエレ・バタン・サライ)、ドルマバッチェ宮殿、
古代東方博物館、装飾タイル博物館、モザイク博物館、じゅうたん博物館、軍事博物館

 イスタンブールでは、その壮大さに感服しました。
ブルーモスクの立派な外観、タイルの装飾わっかのような明かりのシャンデリア、
そしてステンドグラスの美しさには驚きました。
一方、アヤソフィアの内部のあまりの大きさには、これ、またびっくりでした。
軍事博物館も見学しました。
そこでは民族衣装で着飾った出演者がトルコ行進曲を演奏しました。
私たちがよく知っているお馴染みの曲です。
勇ましい出で立ちで迫力がありました。
遠く、日本を離れて聞くトルコ行進曲「よくぞここまで来たりけり」の感でいっぱいでした。
オスマントルコ帝国の、巨大な力の跡を忍ぶ旅でした。
 
《中部アナトリア》 カッパドキア ギョレメ屋外博物館、ゼルベ屋外博物館
 カッパドキアは現地のツアーで回りました。
こんな荒涼とした地に、かつて人びとは隠れ住んだのか、と不思議な気持ちになりました。
そんな洞窟の中を這い上り、飛び下りたりしながら観光して、楽しかったことが想い出されます。

《エーゲ海》 ベルガマ、イズミール、エフェソス、セルチュク、プリエネ、ミトレス、
パムッカレ、デニズリ遺跡

 ローマ時代の遺跡がいっぱい、誰かが言っていました。
「コロンがあちこちに、ころころ、見あきました!」
ほんとに、そんな思いになるくらい、たくさんの遺跡を見て回りました。
ひっそりと静まり返った遺跡で、ひとりがじーっと耳を澄ませていると、
そよ風が吹き、辺りの木々がそよぎます。
2000年前、ここで人びとが生活していた賑わいに想いを馳せました。
「私たちも、いつかは、このようになるのなだなあ」との思いに耽りました。

ギリシャ
《ミコノス》 考古学博物館

《アテネ》 アクロポリス博物館、国立考古学博物館
 国立考古学博物館は、大変な収集でした。
興味を持って見ることが出来ました。
それにしても、こんな文明を生み出した「人間は素晴らしい」と感じました。

イタリア
《ローマ》 コロッセオ、サン・ピエトロ寺院、バチカン博物館
 バチカン博物館内は大変な混雑でした。
ラファエロの記憶がないのですが、見落としたのでしょうか、惜しい気もします。
もう少し、ゆっくり見て歩けば、あれほどの天才の絵ですから心に残るはずです。 
バチカン市国のシスティーナ礼拝堂の天井画です。
最初は誰の描いたものか知りませんでした。
バチカン市国の土産物ショップで「デルフォイの巫女」や「アダムの創造」を絵はがきで見て、
何と素晴らしい絵なのだろうと感心しました。
誰かしら?と思いながらバチカン美術館を巡っていたら、この絵に出会ったのです。
もちろん、ガイドブックに解説はしてあるのですが、絵まで入っていませんので、
そこで初めてミケランジェロだと分かりました。
気に入った絵を見つけると、必ず絵はがきを買いました。
もちろん、彼のも買って「デルフォイの巫女」、
【ミケランジェロの絵ですが、堂内に天井画として描かれ、さすがミケランジェロとうなりました。】
と絵はがきに書いて送りました。
もう一つ、礼拝堂の出口の方に「最後の晩餐」の壁画を見ました。
誰の作品かと思っていましたところ、ロッセーリのだと、
今日(11/27)「ヨーロッパ美術館ガイド」書籍情報社、で分かりました。

《フィレンツェ》 ウフィツィ美術館
 ボッティチェリ「プリマヴェーラ(春)」と「ヴィーナスの誕生」が目を引きました。
私は、「春」に描かれている、女性の足元に咲き乱れる草花を見つめました。
なぜかと言いますと、以前に、この絵の修復作業が済んで、
美しい草花が表れたと言う記事を読んだことがあったからです。
とても、綺麗に描かれていました。
後にこれは、「世界 名画の旅」朝日新聞社の記事であったことが分かりました。

 後日、この本を読んでいると、ボッティチェリの『春』のところに、関連の記事がありました。
それによりますと、【ここに描かれた小さな花や複雑な構造を持った花
(ムスカリ、スミレ、ヤグルマギク、フキタンポポなど)も的確に描かれ、正確な分類が可能だった。
想像上の花や様式化された花は少なかった。
植物は実物大に描かれ、花と草のバランスは、フィレンツェ周辺の自然の野原の状態と一致していた。】
「ヴィーナスの誕生」はあまりにも有名な絵で、「本物を見たぞ」という満足感に浸り、
ゆっくりと気が済むまで眺めていました。
【】内は「世界 名画の旅」より引用。
その他、ヴェッキオ宮、メディチ家礼拝堂、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会。

《シエナ》 プブリコ宮殿
 今は市庁舎として使われ、宮殿内には私立博物館が入っています。内部は美しい装飾でした。
このように、ヨーロッパの各地では宮殿が市民に公園として解放されたり、
博物館や美術館などに模様替えをしている物もたくさんありました。
シエナは、カンポ広場に面してプブリコ宮殿がありましたが、
人びとは昔の人を偲ぶかのように三々五々広場に集い、ゆっくりと時の過ぎるのに身を任せていました。
私は、「昔の人もこうして生活していたんだろうな」と感慨に耽りました。
どこから眺めても、中世のたたずまいを色濃く残していて、
街全体が美術品を見るような落ち着きのあるところでした。

《ミラノ》  サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院、ダ・ヴィンチ科学博物館
 私はレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」があるという修道院に行ってみました。
名画と言われるだけあって、たくさんの人が訪れていました。
少し、絵の具が剥げたような印象を受けました。
キリスト教信者でない私にとって、
この場面は、正直言ってよく分からないと言う方が正しいかも知れませんが、
あまり訴えて来るものが無いと言う感想でした。
いつも、宗教画全体に言えることですが、
クリスチャンでしたら、もっと、よく理解出来るだろうなと思いながら鑑賞していました。
 
 私は、ダ・ヴィンチ科学博物館で迷子になりました。
あまりの広さに出口が分からなくなってしまいました。
ぐるぐる、館内を回りとうとう出口を尋ねてしまいました。本当です。
それほどこの博物館には多くの展示物があり、ダ・ヴィンチその人の物はもちろん、
あらゆる分野にわたって展示してあるのです。
もうこれも、専門分野の人でなければ分からない物ばかりでした。
それでも、コーナーは一つずつ系統立て展示してあるので、時間さえあれば概略は分かるかも知れません。
こんな博物館が街にあると、将来子どもたちの中から科学者がたくさん生まれるのではないかと思いました。
日本では、地方の都市に本格的な博物館や美術館、
そしてオペラ劇場などの文化施設がお粗末なように思いました。
とにかく、レオナルド・ダ・ヴィンチは、あらゆる分野に秀でた天才であることを知りました。

スイス
《ルツェルン》 ピカソ美術館、リヒャルト・ワグナー博物館
 ピカソ美術館、リヒャルト・ワグナー博物館は静かな森の中にワグナー博物館はありました。
ワグナーがここに住み、作曲活動したのだそうです。とてもいい場所にありました。
ピカソ美術館は、デッサンや、彼と妻との生活の写真が飾られていたように記憶しています。
目立たない古い街並みの一角にありました。

《チューリッヒ》 フラウミュンスター
 リマト川沿いのフラウミュンスター(聖母寺院)のステンドグラスはシャガールの作品で、
色の美しい見応えのあるものでした。

フィンランド
《ヘルシンキ》 アテネウミン美術館
 ギリシャ神話の月の女神、知性や芸術などをつかさどるアテーナイにちなんで名付けられた。
私は、ここに納められている美術品の作者の名前を、全く知りませんでした。
しかし、作品が訴えているもの、言おうとしていることには共感出来ました。
よい、作品だったと思います。

ドイツ
《ベルリン》 ぺルガモン博物館
 ここのコレクションは圧巻でした。
しかも、日本語のテープコーダーによる解説が聞かれ、分かりやすかったです。
人間は素晴らしい文化を築いて来たのだな、と言うものを肌に直に感じました。
その日は雨でしたが、暗い石畳の舗道を歩きながらも満足感でいっぱいでした。

《カッセル》 ヴィルムヘルムヘーエ宮殿 美術館
 あまり記憶に留めていないのですが、歴史的な絵画のコレクションであったような気がします。
きちんと見た記録を整理しておけばよかったと反省しています。

《ローテンブルク》 中世犯罪博物館、おもちゃの博物館
 この街では、中世犯罪博物館とおもちゃの博物館を覗いてみました。
中世犯罪博物館にはユーモラスな罰の器具もありました。
でも、当時の人には大変な罰で苦しんだと思います。
その一つに、教会に行って説教をよく聞かなかった人は、
教会の戸口で悪口を書いた大きな札を首から提げられ、教会の入口に立っておく罰。
おしゃべりでうるさい人は、木で作られた首かせを2人ではめられておく罰。
これなど笑ってしまいますよね。
それにしても、中世では、無実の罪で訴えられて刑を科せられたり、
死刑にされたりしただろうなあと思うと、現在に生まれて来てよかったと思いました。

 おもちゃの博物館も、ドイツではいろいろ入って見ました。
どれも楽しい、今の私でも欲しくなるようなものがたくさんありました。
木製のおどけた表情のくるみ割り人形、手触りのよい可愛い女の子や動物のおもちゃ、
そして精巧に作られた錫のおもちゃ、陶製、ブリキ製のままごとなどが展示されていました。
私もどんなに欲しいと思ったことでしょう。
でも荷物になるので涙を飲んで買うのをやめました。

 おとぎの世界を塔の上から眺めました。
マルクト広場の市庁舎に60bの塔がありました。
旧市街を一望できて素晴らしい眺め。
日本人の観光客の皆さんに混じって塔に上りました。
「高い所に上る者は何とか」言いますけれど・・私は、あちこちの塔や城壁に上りました。
下では見えない物が見えてきます。
もちろん、家並みもですが昔住んでいた人たちの生活を想像し、思いを馳せることが出来るから好きです。
お城とか城壁でしたら、この銃口の穴から兵士は何を見たのだろう?とか、
押し寄せてくる軍隊を見て、どんな風に知らせに走ったのだろうか?などと、
自分をその時代に置いて考えることが出来ます。

 教会の塔と言えば、ヨーロッパで一番高いと言われる、ウルム・ミュンスターの塔に上りました。
眺めはもう最高、高さは162b、階段は768段です。
螺旋状の、人ひとりがやっとの狭い階段を上るわけですが、外が見えるような仕組みで結構スリルがありました。

《フッセン》 ホーエンシュヴァンガウ城、ノイシュヴァンシュタイン城
 ここは、日本人の皆さんお馴染みのお城です。
人気は高く、たくさんの国からも観光に来ていました。
城そのもが博物館のような物です。
築城は1869年から1886年、17年の歳月と巨費を投じてルートヴィヒU世が作らせた城です。
その日は丁度雨が降り、靄もかかっていて、
険しい谷間にマッチしたお城は美しいと言うより、何か荘厳なたたずまいでした。
内部はもちろん、大変美しい装飾で贅を尽くしていました。
絵画もかなり描かれていましたし、有名な音楽家ワグナーを支援していたとかで、
音響効果の素晴らしい音楽ホールもありました。
しかしルードヴィヒU世は、この音楽ホールで1度も音楽を聞くこともなく、亡くなったそうです。

《フランクフルト》 ゲーテの家と博物館
 私は、ここも探し歩いてやっと見つけました。
ゲーテのお父さんはかなり地位が高く、裕福な方で、今にしても立派な家に住んでいたようです。
数々のコレクションを見ることが出来ましたが、何分ドイツ語なので印象は薄いですね。

《ボン》 ベートーベンの生家
 表道路は何の変哲もない所でしたが一歩中に入ると、庭に緑があり、ベンチが置いてありました。
非常に静寂で、しかも明るい庭でした。
あの曲を作曲したベートーベンがここで生まれたのかと、何とも言えない感傷に浸りました。
私は、ゲーテよりベートーベンの方に、音楽を通じて接する機会が多いので親しみを感じたのでしょう。
庭のベンチに腰掛けて物思いに耽る人も何人か見かけました。
ついでに一言、このベートーベンの生家も一般の人が住んでいる通りで、分かりにくい所でした。
近くの、ある写真屋さんに場所を尋ねると、
友人と話していた、そこの店主が話を中座して私をそこまで案内してくれました。
私は、このような親切に何度出会ったことでしょう。
ここに、到るまでも、そしてその後もとても親切にして頂きました。
街角で、列車の中で、ホテルで、、、、。
 
《ハイデルベルク》 ハイデルベルク城、ネッカー川に架かるカール・テオドール橋
 ゲーテをして、このカール・テオドール橋を「世界のいずれの橋にも及ぶまい」と書き残した風景です。
古めかしい彫像カール・テオドールの像やアテナ女神像が、橋の欄干に配置されていました。
アテナ女神像は、ローソクが燃やされてかがりで黒くなっていました。
私には、ヨーロパのどこにでもありそうな橋だと思いましたけれど、、。
さすが、その橋から眺めるハイデルベルク城は、赤い煉瓦がひときわ山に映えて綺麗でした。
4年前、私がスイスで出会ったドイツ人の勧めでやってきたハイデルベルクは、
さすが、ずっしりと歴史の重みを感じさせる街でした。

オランダ
《アムステルダム》 アンネの家、国立博物館、ゴッホ国立美術館、オランダ海洋博物館
 アンネ・フランクの家は1度行って見て、あまりに人が多いのであきらめました。
しかし2日目に、45分も待ってやっと入場出来ました。
それほど多くの人から支持を受けているのだと思いました。
彼女がナチスから隠れ住んだ家での暮らし振りの一端が伺えて、何ともやり切れない気持ちに襲われました。
何年も人に気付かれないように息をひそめて暮らしていたかと思うと、
どんなにか不安であったろうと同情しました。
すぐそばに西教会があり、カリヨンが美しい曲を奏でていましたが、彼女もずっと聞いていたでしょう。
どんな思いで聞いていたのでしょうか。
日本は今、平和であることの幸せをありがたく思いました。

 国立博物館でレンブラントの「夜警」を見ました。世に知られた絵です。
「ああ、これがレンブラントの夜警か」と細かに観察しました。
そこには、黒一色の人物の服装、それなのに衣服のひだや光沢、厚み、
生地の素材までが分かるように描かれていました。
「なぜ、このように表現出来るのかしら?」と、ボタニカルアート画で
「陰影の表現がうまく出来ない」私は、ため息まじりで見ていました。
ここで見たフェルメールの「牛乳を注ぐ女」は、なぜか私の心に残りました。
ゴッホ美術館は、やはり多くの人で賑わっていました。
誰でもが知っている画家ではないでしょうか。
彼の生きた生涯を気の毒に思う、天才故にあのように苦しんだのでしょうか?
彼の絵は、色使いが鮮やかで個性があり、親しみ易くて、とても印象に残りました。

《ロッテルダム》 ボイマンス・ヴァン・ブーニンゲン美術館
 ブリューゲルの「バベルの塔」はあまりにも有名ですね。
なんとも不思議な絵でした。旧約聖書「創世紀」からきていることは知りませんでした。
【バベルの塔は、聖書のなかに出てきます。紀元前、古代バビロンの地にありました。
旧約聖書によると、人々は自分達に出来ないことは一つもないと思い、
天まで届く塔を建てようとしたのです。
くる日もくる日も、人々は、れんがをつみつづけました。
そして、ずいぶん高くなったときに、この人間の高慢さに腹をたてた主は、
かれらのことばを混乱させ、たがいに言葉が通じないようにしてしまいました。
それで、人びとは塔を作るのをやめて、各地に散っていったのです。
これが、世界に幾つもの違った言葉があることの起源だとされています。】
【】内は「ブリューゲルさかさまの世界」から引用。

《デルフト》 デルフト焼き(陶器)、フェルメールの生家がある。

《デン・ハーグ》 マウリッツ・ハイス美術館
 レンブラントやフェルメール、ルーベンス、ファン・アイク、ヤン・ステーンなど
オランダ・フランドル派を代表する画家たちの作品があり、
中でもフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」は私の心をとらえました。
今回、初めて彼を知り、
(正確には朝日新聞 日曜版 世界 名画の旅」で見ていたのですが記憶にありません)
大好きな画家になりました。
  
※「フランドル派絵画」
【人類と芸術の歴史に、ルネッサンスと呼ばれる時期がありました。
ルネッサンスとは「再生」と言う意味です。
それ以前の中世の人びとは、いつも神さまを中心に世界を見ていました。
ですから、その頃の芸術の世界も、神や聖書に題材をとったものばかりでした。
これに対し、新しい時代の人びとは、じっさいに手にすることのできる現実に目をむけました。
こうして、次第に私たち自身が住んでいるこの地球のことや、生命や自然のしくみについて、
多くのことを知るようになったのです。・・・中略。
自分自身の創造力の可能性に気づき・・・中略。
教会で神の前にひざまついていた人間が、立ちあがりました。
これがまさに再生、つまりあらたな生まれかわりだったのです。
再生したのは人間だけではありません。
芸術もまた、その題材を身近な世界とそこに生きる人間の
ありのままの姿の美しさのうちに再発見をしたのです。
・・・中略。

 ダ・ヴィンチやミケンランジェロ、ドナテルロといった、
いわゆる、南方ルネッサンスの巨匠たちを芸術の世界に送り出したのは、
イタリアの商業都市フィレンツェでした。
ルネサンスの担い手たち−−職人や商人、船大工といった都市市民−−は、
ヨーロッパの他の地域にも台頭してきました。
特にヨーロッパ大陸の北部には、当時もっとも繁栄していた大きな都市や港がありました。
現在のオランダ、ベルギー、フランスを含むネーデルランド地方です。

 イタリアと対照的に、北方ルネッサンスが対称としたものは、なによりもまず日常生活でした。
身のまわりの風景や普通の人間、どこにでもあるような道具類、娯楽や習慣などを描こうとしました。
ヴァン・エイク兄弟やヒエロニムス・ボス、ピーテル・ブリューゲルと息子たち
のような大画家を世におくりだしたネーデルランド絵画は、
民衆の生活や人間の心のうちをえぐりだそうとしました。
南方ルネッサンスが「美」を追求したのに対し、
北方ルネッサンスは「真実」を追求したといわれるのは、こうした理由からなのです。】
【】内はブリューゲル・さかさまの世界 カシュ・ヤーノシュ編 早稲田みか訳 大月書店より引用。
 
 私がドイツを旅していた途中、日々旅の計画を練っていました。
次に訪れるオランダ、ベルギー、ルクセンブルグは、早々に通り抜けようと思っていました。
自宅に電話した時、そのことを長男に話しました。ところが、
「もったいない、フランドル地方には優れた美術館がたくさんあるので、せひ見て来たらいいよ」
とアドバイスしてくれたので、私の計画を変更して美術館を訪ねることにしたのです。
私にとって、そこでのフェルメールとブリューゲルとの出会いは大きな収穫でした。
私が、フランドル地方の優れた美術に接しているうちに、なぜイタリアを遠く離れたヨーロッパの北側に、
こんな素晴らしい芸術が花開いたのだろうかと疑問に思うようになりました。
そして、なぜ私を引きつけるのだろうかと、、、。

 ある日、書店で「ブリューゲルの家族」曾野綾子を見つけました。
内容はブリューゲルの絵を介して、読者から著者にあてられた手紙の形式で語られている小説でした。
クリスチャンの曾野さんの作品ですから、
キリスト教の聖書を題材にしたブリューゲルの絵の解釈で、よく理解でき面白みが倍増しました。
後日、図書館で「ブリューゲル・さかさまの世界」を見つけました。
その中に答えが書いてありました。
ようやく、その疑問が解けました。
そして、私を引きつけるのは、何ものかと言うことも。

ベルギー
《ブリュッセル》 ブリュッセル王立美術館
 ピーター・ブリューゲルの「ベツレヘムの戸籍調査」はもちろん、
アブラハム・ブリューゲルの「花と果実」に、私は釘付けになりました。
この美術館には、このような絵は何点かありましたが、ボタニカルアート画の端っこをかじっている私は、
この精密な描写に憧れてしまいました。そして、この絵葉書を教室の皆さんにお土産にしました。

《アントワープ》 ノートルダム大聖堂、アントワープ王立美術館、ルーベンスの家
 ルーベンスの家は立派な家でした。
絵画はもちろん、仕事場と住まい、家具調度品なども展示されていて中庭までありました。
余談ですが、ここでも多くの日本人に出会いました。
ルーベンスの子供の絵を見ていると、日本人の青年から声をかけられました。
「僕はこの絵が好きなのです」と、館内を一緒に見て回り中庭のベンチに腰掛けました。
彼は1年前、職場からイギリスへ語学留学をしていて、
現在は帰国前に有給休暇をもらって旅行をしているところだと言いました。
彼は私の旅に関心を持ち、いろいろ尋ねました。
宿を取るのに苦労している私に、電話で予約する英会話を細かに教えてくれました。
日本語を満喫した彼は「では、さようなら」と言って去って行きました。

《ブルージュ》 グロウニング美術館、ノートルダム教会
 ミケランジェロの大理石作りの「聖母子像」を見ました。
教会内にコレクションが少ないと言うこともあって、この「聖母子像」は記憶に残っています。

《ゲント》 聖バーフ寺院(BAAFSKATHEDORAL)
 ファン・アイク兄弟の「神秘の小羊」は圧巻でした。
ガイドブックに「神秘の小羊」が絶賛されていたので、このカテドラルを訪ねました。
はじめ、その祭壇画が見あたらなくて、あきらめて出ようとしたところ、
気を取り直し事務所の職員にその絵のありかを聞きました。
教えられた所へ急ぐと、狭い囲いの入口に迄人びとはあふれていました。
本当に狭い場所に、その祭壇画はあったのです。
一目見ようと、集まった人たちの熱気で暑く感じました。
暑いのは、夏の8月4日ですから当然でしょう。
でも、ヨーロッパはどんなに外は暑くても、日陰に入ると大きな教会等はひんやりとする位です。
 
【制作後550年の歳月を経てなお輝く小羊】
敬虔な人びとの表情、これだけ大きな絵なのに、この緻密な描写にはもうことばを失いました。
私は宗教画には、あまり興味がありませんが、このファン・アイク兄弟の「神秘の小羊」には、
だだ、ただ、「素晴らしい」の感嘆の声をあげただけでした。
【油絵 油絵の技法が、西洋において完成されるのは、15世紀のフランドルにおいてである。
・・・中略、15世紀前半に、ファン・アイク兄弟がきわめて高い芸術的達成を実現して以来、
次第にイタリアやその他のヨーロッパ諸国にまで広まり、それまで盛んであったテンペラ画に代わり、
絵画の中心的位置を占めるようになった。
油絵の技法の大きな強みは、何と言っても、その表現力の幅の広さであるだろう。
塗り重ねによる透明半透明の微妙な効果や、光沢を持った絵肌の質感、厚塗りぼかしなどの自由な表現が、
ファン・アイク兄弟以降500年以上にわたって、数多くの名作を生み出してきたのである。】
【】内は「世界 名画の旅」朝日新聞日曜版から引用。

ひとこと加えます。
聖バーフ寺院内にルーベンスの素晴らしい宗教画がありましたが、誰ひとり注意を払わず、
みんな「神秘の小羊」の方ばかり人だかりが出来ていました。

フランス
《パリ》 ルーブル美術館、オルセー美術館、オランジェリー美術館、モンマルトル美術館、
凱旋門(内博物館)、オペラ座

●ルーブル美術館:なんと言ってもルーブル美術館です。
そのコレクションの規模、内容、すべてにわたって最高だと思いました。
とても、1日や2日位では鑑賞出来ません。
私は、3時間位で回りましたが、かなり、はしょっています。
エジプト、オリエント、ギリシャ、エトルリア、ローマの古代美術、絵画、彫刻等はほとんど素通り。
まあ、人並みに「モナ・リザ」をめざしました。
その絵の前は、大変な人だかりでなかなか見ることが出来ないくらいでした。
人波が去ったあと見ていましたら、すぐまた人だかりができるといった状態でした。
さすが、世界のすみずみにまで知られた名画だと思いました。モ
ナリザのほほえみは魅力はありましたね。
館内のあまりの大きさに、ここでも堂々巡りして迷子になりそうでした。
 
●オルセー美術館:旧オルセー駅を改装して作られた美術館です。
ここには、印象派の画家たちの絵が大量に所蔵されています。
モネ、ルノワール、ゴッホ、ドガ、セザンヌ、ロートレック、ルソー、ゴーギャンなどの名作がずらり、
なかでも私はセザンヌが好きなので、ワクワクでした。
セザンヌの好きな私には、見応えのある、美術館でした。
クールベの「オルナンの埋葬」はかなり大きな絵でした。
身近な村人が描かれ、当時かなりの批判を浴びたようです。
印象に残った絵のひとつでした。
 
●オラジュリー美術館:モネの「睡蓮」の連作が、部屋の壁面いっぱいに描かれていました。
はじめ興味はなかったのですが、ベンチに腰掛けて見ているうちに、
私はいつかその睡蓮の池の中に身をゆだねていました。
不思議に心が落ち着いていく気持ちを味わいました。
「誰の絵でもいい、自分がいい絵だと思ったらそれでいいのだ」と
ボタニカルアート画教室のM先生がおしゃっていました。
気持ちが満たされたらそれでいいですよね。

●オペラ座:オペラ座はシャルル・ガルニエの手で完成。
内部の装飾はロココ調で華やかでした。円天井のシャガールの絵も素敵で、
こんな美しいところで音楽を聴いたりバレーを見たなら、さぞや満足だろうと、
羨ましい思いにかられました。

《コールマール》 ウンテルリンデン美術館
 ウンテルリンデン美術館は、13世紀に創立された
ウンテルリンデン聖ドミニコ古代尼僧修道院を使用しています。
国宝的なマティアス・グリューネバルトの描いた、イーゼンハイム(衝立型祭壇画)の
「キリスト十字架像」は、なにか訴えてくるものがありました。

オーストリア
《ウイーン》 ウイーン美術史博物館、オーストリア国立ギャラリー(ベルヴェデーレ宮殿上宮)、
ベートーヴェン・エロイカハウス、モーツアルト記念館“フィガロハウス”、ハプスブルク家宝物殿

 ウイーン美術館は何と言ってもブリューゲルの作品群です。
「謝肉祭と四旬節の喧嘩」「子供の遊戯」「サウルの自殺」「十字架を担うキリスト」
「バベルの塔」「暗い日」「牛群の帰り」「雪中の狩人」「サウロの回心」
「農民と鳥の巣取り」「農民の婚宴」「農民の踊り」・・・
ここを訪れることを日本人の誰かに語ったところ、「ブリューゲルを見に行くのですか?」と。
それくらいたくさんのコレクションがありました。  

ベートーヴェンのエロイカハウスですが、
ウイーンの地下鉄で出会った素敵な老婦人に、電停まで教えてもらってやっとたどり着きました。
電車を降りてからも(間違って目的の場所より早く降りてしまいました)また、
地元の若い女性に案内してもらいました。
若い女性は同じ方向のトラムに乗ろうと待っていた人です。
行き先を訪ねると「一緒に行きましょう」と、付いて来てくれました。
道々、「ウイーンはね、シューベルト、ベートーヴェン、モーツアルト、ハイドン、ブラームスなどなど、
たくさんの音楽家がいますけれど大した所ではないのよ」と、
エロイカハウスの所で「ほら!こんなんですよ」と。
なるほど、現在は、レストランになっていました。
どこにでもありそうな、小さい建物でした。
でも、旅行者にとっては意味があるのですが・・・。 

 ウイーンは音楽の都と言われているのに、私は全く音楽会の、ひとつも行きませんでした。
なぜなら、音楽会の終わるのが遅いからです。
そして、あらたまった洋服を持参していなかったことです。
本当に残念でした。

《ザルツブルク》 大聖堂Dom地下考古博物館
 ドームの下にローマ時代の遺跡があり、入場料を取って開放していました。
このドームでリヒャルト・シュトラウスほか2名の人達がモーツァルトを記念して、
彼の音楽を演奏したのが「ザルツブルク音楽祭」の始まりとなったそうです。
ドームを出たところに広場があり、野外音楽堂となっていました。
さすが、音楽の本場らしく、ドームの入り口でヴァイオリンでワルツを弾いている人がいました。
題名は忘れましたが、聞いたことがあるその美しい音色に、しばし耳を傾けました。

ハンガリー
《ブダペスト》 国立歴史博物館、国立美術館
 国立博物館内は「暗いな」という印象と、
当日はマリオネットの人形たちが特別展示されていたのが記憶に残っていました。
一方、美術館は時間ぎりぎりに入り込みましたが、
受付の女性がにこやかに迎えてくれたのが嬉しかったことを覚えています。
ここには、ムンカーチの「死刑囚監房」があると、帰国後「世界 名画の旅」で読みました。
おぼろげながら見たような 気がしてくるのですが。

チェコ
《プラハ》 プラハ城内・聖ビート教会、おもちゃ博物館
 聖ビート教会の、奥行き64b、幅46b、高さ46bもあるステンドグラスには見取れました。
旧市庁舎の南側にある天文時計は、上が地球を中心に回る太陽と月、
その他の天体の動きを示しながら1年かけて1周しています。
カレンダーリウムと呼ばれています。
下は獣の12宮と農村における四季の作業を描いた暦で、1日1目盛り動く。
こちらはプラネタリウムです。要するに仕掛け時計です。
それよりも私は、上で動いている骸骨と下で動いているキリストの12使徒の方に興味を持ちました。
大勢の人がこの様子を見ていました。
ヨーロッパでは、どこに行っても仕掛け時計の前には大勢の人が集まって興味深げに見ていました。
大人になっても、好奇心は子供と同じなのですね。

 おもちゃ博物館、プラハ城から下る時見つけました。
私は雨の中、プラハ城の丘に上り「百塔の街」を眺めて、
その美しさにうっとりしながら坂を下っていました。
小さな「おもちゃ博物館」の看板を目ざとく見つけ入ってみました。
そのコレクションの多さ、そして系統立てて展示してあり、しかも体験コーナーもありました。
電源を入れるとその当時のおもちゃが動き出すのです。
入館していた子どもたちも、てんでに試しては喜んでいました。
私は感激して、受付の女性に「This collections is very good」と、つたない英語で言いました。
彼女は「Thank you」と満面に笑みをたたえて、うれしそうに答えてくれました。

イギリス
《ロンドン》 大英博物館、ナショナルギャラリー、ヴィクトリア&アルバート博物館
 大英博物館「世界中から文化遺産をかき集めた」と言われるだけあって、何でも揃っていました。
図書コーナーも結構面白い物を見つけました。その中には、
日本人でも地方に住んでいる私など、見ることが難しいような江戸時代の文書がありました。
ナショナル・ギャラリーは、ルネサンスから現代に至る作品で網羅していました。
ヴィクトリア&アルバート博物館では、諸々のコレクションは同じような傾向がありましたが、
私の目を引いたのは、鉄で出来た錠前や鍵、ベランダやテラスの柵などの装飾品でした。
身近かに感じられて、とても新鮮でした。

 ところで、大英博物館に入って「入館料はいくらですか」と職員に尋ねたところ、
その職員は「フリーですよ、ゆっくり楽しんで下さい。」と、にこやかに言ってくれました。
私は思わず「サンキュー」とお礼を言いました。
本当にびっくりしたのです。
こんなに立派な博物館が無料なんて信じられませんでした。
後日、入館したところでも何カ所か無料のところがありました。
あれだけのコレクションを抱え、しかも多数の職員を配して経営していけるのかと、
もちろん国営ですから国から費用が出るのでしょうけれど。
人ごとながら、ちょっと心配してあげました。

《エディンバラ》 王立博物館、国立肖像画美術館、ホーリールード宮殿
 肖像画美術館は歴史上の人物の肖像画で、あまり興味を持てなかったことだけ記憶に残っています。
ホーリールード宮殿の内部を見学しました。
小さなお城でしたが、血なまぐさい歴史があっとかでちょっと興味を持ちました。
しかも、プリンセス・ダイアナの死を悼んでお城の広場にたくさんの花束が置かれ、
観光客の人達がそのコメントを読んでいる姿が印象に残りました。
 
《湖水地方》 ウインダミーア、グラスミア、ケズウィック
 ここは、ピーターラビットの生みの親、ビアトリクス・ポターが住んでいた
ヒル・トップ小屋を訪ねました。地元の観光ツアーに参加して回りました。
途中、ワーズワーズの通っていた小さな学校がありました。
コースは、ウインダーミア湖畔に広がる、明るい森の中を通り抜ける、のんびりとした風景で
大変ここが気に入りました。
ヒル・トップ小屋は、ピーターラビットの絵本の中に入り込んだような気持ちにさせてくれました。

《カーディフ》 カーディフ城
 カーディフ城は、ユネスコから重要文化財の指定を受けています。
ちょっと押さえたような鈍色の美しさで、ウィーンのシェーンブルーン宮殿のようなけばけばしさがなく、
とても好感が持てました。

【ウエールズ国立博物館は考古学、植物学、動物学、工業や鉱業関係の資料、美術など
ウエールズの歴史を余すところなく展示している。
絵画では、15世紀のイタリア・ルネッサンスの巨匠の作品、
マネ、ピサロ、ルノアールなどのフランス印象派のコレクションが素晴らしい。】
【】内は「ひとり旅これで十分ヨーロッパの旅」から引用。

 私は、これらの展示物をゆっくり見て歩きました。
入館者が少ないので落ち着いて見ることが出来たのです。
動物学では学生になった気持ちで見ていました。

スペイン
《マラガ》 県立美術館は休館でした。

《グラナダ》 アルハンブラ宮殿、大寺院
 アルハンブラ宮殿はスペイン・イスラム文化の最高傑作と言われるだけあって、
もう、美しいを通り越して私は感嘆するばかりせでした。
城と庭園がマッチした、こんなに美しいお城を見たことがありません。
一生忘れられないところではないでしょうか。
大寺院は、フェルナンド王とイサベル女王がレコンキスタの戦いが終わったことに感謝し、
その姿で祈っている像がありました。

《コルドバ》 メスキータ、アルカサール、県立美術館
 メスキータは、イスラム・スペイン様式(ムデハル様式)の建物です。
大理石や花崗岩のアーチ約850本に支えられた薄暗い空間は、
何とも不思議な気持ちにさせるものがありました。
アルカサールはムハデル様式の建物で、色タイルなどによるアラベスク模様などの装飾が美しい。
県立美術館、ムリーリョの作品に出会えました。

《セビーリャ》 大寺院、アルカサール
 セビーリャでひったくりに遭い、記憶が消されてしまいました。
ただ、今まで見てきたアラベスク模様が、より洗練されて美しいと感じたことだけはしっかり覚えています。

《マドリード》 プラド美術館、ティッセン・ボルネミッサ美術館、ソフィア王妃芸術センター
 プラド美術館は、ゴヤ、ベラスケス、ムリーリョ、スルバランなどのスペインの画家の絵や、
フランドル絵画、ルーベンスなどの絵画のコレクションは世界一と言われています。
ゴヤ、ベラスケスの絵をまとめて見ることが出来ました。
ゴヤの絵は初期の方が楽しそうで、いいなと思いました。

 ソフィア王妃芸術センターでは、ピカソの「ゲルニカ」を見ているうちに
その画面から戦争の悲惨さが伝わって来て、思わず涙がこぼれました。
この絵を見に来てよかったと思いました。
出来れば世界中のみんなに見せてあげたい絵です。

ポルトガル
《ファーロ》 カテドラル
 「カテドラルは13世紀にゴシック建築として建てられ、後のバロックなどに改築された。」
とガイドブックに書かれています。今まで見てきた内装とはひと味違ったもので興味を持ちました。

《リスボン》 サンジョルジュ城、サンタ・アポローニャ駅、サンフランシスコ教会、国立古美術館
 サンタ・アポローニャ駅構内には美しいタイル画がありました。

《シントラ》 王宮
 イスラム建築の影響を受け、床に絵タイルやモザイクを多用していました。

《ナザレ》
 崖の上に旧市街地区があり、そこの教会の内部が絵タイルで装飾されていました。
これもきれいで、教会としては珍しいものでした。
スペイン、ポルトガルで、フラメンコや闘牛、ファドを見たり聞いたりすることなく終わったのが残念です。
いずれも、遅い時間になるので、わざと避けたのですが。

97ヨーロッパに戻る あしあとに戻る トップページに戻る