午前10時過ぎ、予定通り還暦"猿頑石"は無事帰宅した。 いちおう出発の時と同じように、プラカードを持って、旅の終わりとした。 土産話はたくさんあるようだが、ひとまず疲れをとってから聞かせてもらおう。
旅の途中で出会った人たちは、本当にたくさんいました。 何カ月ぶりに出会ったとか、近い日程で再び出会って「ヤアヤア」と食事を一緒にしたり。 最近では、グラナダからセビリア行きのバスで出会ったNA君という学生さんと、 YUちゃんという女子学生で、彼女はスペインへボランティアで来たそうです。 コルドバでは、敦子さんと彼ら2人の4人で食事をとり、 セビリアでは、敦子さんと2人で食事中に、NA君が通りかかったというセッティングです。 その夜、2人の女子学生に出会いました。 グラナダへ行くというので情報をあげたり、色々なことを話したりしました。 出会った人は様々ですが、やはり旅の始まりのトルコ・イスタンブールで、 何かと不安な私と友達づきあいをしてくれたISさん、 そしてドイツのフランクフルトHIS支店のKAさんとMIさんが、 貴重な時間を割いて帰国便日程変更の全手続きをして下さったこと。 スイス銀行で、行員と意志の不疎通で困り果てた時、私に代わって通訳してくれたMIさん。 セビリアでひったくりにあった直後、不安感を和らげてくれたSOさんなど。 不安や絶望など、私が情緒不安定なときに出会って、やさしく助けてくれた人たちは特に印象的です。 大げさに言えば、世界中の人々と日本の若者たちの親切と、いろいろな力に支えられての旅でした。 「ひとり旅」をしたなどとは、おこがましくて言えません。 「ひとり旅−いろいろな力に支えられて−」と言いたいです。
この言葉を、これからもう言わなくて済みます。 旅で一番緊張するのは、その日の宿があるか、どうかです。 ひとり旅をしている皆さんなら、この気持ちがわかってもらえると思いますが。 いったん宿が決まるとホッとします。 宿に入って荷物をほどき、街へ繰り出す開放感は、他にありませんね。 それも、もうしなくてよくなりました。
トルコ、ギリシャ、イタリア、スイス、ドイツ、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、 デンマーク、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、フランス、オーストリア、ハンガリー、 チェコ、イギリス、アイルランド、スペイン、ポルトガル、そしてシンガポールの21ヶ国です。 2度以上足を踏み入れた国は、ドイツ、イタリア、スイス、スウェーデン、デンマーク、 ベルギー、オーストリア、スペインです。 ヨーロッパ全図に印をつけてみましたが、よくもまあ移動したものだと、我ながら感心しました。
明朝早々(深夜0:30)のフライトですが、時間がたっぷりあるので、 トランジット・フリー観光を申し込みました。 13:00からなのだといって、手続きが色々あったのですが、 カウンターのお姉さんが私に代わって記入してくれました。 申し込みを済ませ、その場に行って待っていると、先ほどのお姉さんが 「ハロー」とニコニコしながら私のそばの椅子に腰掛けました。 さっき渡してもらった書類を点検してくれます。 「アレ、ナイ?」という様子なので、「これこれ」と胸に貼ったシールを見せると、 「そうそう」と納得していました。 「これ持つ」と、後の大きいカードとパスポートは係りに渡すのよ、と何かと気にかけてくれ、 すっかりうち解けました。 旅のこと、日本の円のことを片言でしゃべり合いました。 私が「訪ねた国はね、トルコ、ギリシャ、・・・」と言っていると、 彼女が「シンガポール!」、そうでした「シンガポールよね」と私。 トランジット・フリー観光が終わったらどこかへ連れて行ってくれると言ってくれましたが、 暑さと睡眠不足で体力を消耗していたので、好意に甘えることができませんでした。 ちょっとした出会いでしたが、22才の大変いい人でした。
何か書いたかもしれませんが、旅の長さは地域に限るなら、ヨーロッパのみ6ヶ月間 というのは新鮮さを欠くので、2ヶ月ぐらいが最適かと思います。 アフリカ−アジア−ヨーロッパへと放浪するのなら、話は別かもしれません。 また違うものが見えてくるかもしれません。 その意味では、取ることスペインのアンダルシア地方が非常に似通っていて、 それでいて、また異なるという比較もできました。 あれだけ、うるさい、とだけ受け止めていたトルコですが、 アンダルシアの至る所に、トルコで見たもの聞いたもの(音楽)を感じました。 しかし、住んでいる人たちはかなり違っているように思いました。 ところで、旅を通して、わからなかったこと、知ったこと、 そしてもっと深く知りたくなったことがありました。 イスラム教について、中世のイスラム文化がヨーロッパのそれより優れていたことを発見。 それを自分の目で見ることができたことは収穫でした。 その意味でも、アンダルシア地方はスペインの最良の地ではなかったかと、今考えています。 スペインのアンダルシア地方とポルトガルで見かけた美しいタイルの模様に引きつけられました。 アンダルシア地方では、民家にもタイルを貼ったパティオがありました。 アランフェスには行かなかったのですが、「アランフェス協奏曲」 そして「アルハンブラの想い出」の曲もじっくり聴いてみたいものです。 昨日訪れたトレド、そこでのフランコ将軍と人民戦線軍との攻防、スペイン戦争についても 詳しく調べてみたくなりました。 ハプスグルク家の盛衰にも興味を持ちましたが、 むしろキリスト教とイスラム教について、もっと知りたくなりました。 ヨーロッパは、キリスト教を切り離しては考えられない歴史があり、 どこへ行っても教会を中心に街があり、生活の一部となっているので、 そこを知ることはある程度、ヨーロッパを理解できるのではないかと考えています。 それにしても中世のヨーロッパは(日本も同様かもしれませんが)、こわいですよ。 ロンドンのマダム・タッソーろう人形館では、の庶民の苦しい生活と、 あらゆる手段を使っての罪人を苦しめる道具などが再現されていて、 目を覆いたくなるぐらいでした。 レ・ミゼラブルのジャンバルジャンが、罪人としてずっと追われる姿を思い出しました。 貧しさのあまりパンを盗んだだけ、そして脱走を試みたことで重い刑に処せられたことなど、 よく理解できました。
機内に乗り込んだ際、私が席を探していると、ちょっと変わったアクセントの日本語で スチュワーデス嬢が話しかけてくれました。 それから後も、なにかにと日本語でやさしく話しかけてくれ、 とてもかわいらしい笑顔で応対してくれています。 彼女のおばあさんが日本人だそうです。 さすがに私よりは年輩だとは思いますが、親近感を持ってくれたのでしょう。 トイレを目で探していると、最近日本人があまり使わなくなった、 やさしい響きの言葉で案内してくれました。 本当にかわいい人なのです。 これで今までの緊張感もほぐれ、お腹のぐしぐしも直ったようです。 少々眠いだけです。 いいスチュワーデスに出会え、そして東洋人その他のクルーに囲まれて気持ちが安らぎます。 彼女は、残念ながら2時間のフライトの後、チューリッヒで降りてしまいました。
シンガポール航空機内にて、とにかくホッとしました。 かなり遅れての出発、スイスのチューリッヒ経由です。 極度の緊張で腹痛に見まわれ、大きな音や人間の顔色をうかがう生活から一応解放されました。 しかし、油断は禁物です。 往路で既に観光しているので、シンガポールには見るべきものはないと判断し、 今回はホテルに入るか、髪のカットでもして待ち時間を過ごそうかと思っています。 シンガポールに着いて自宅に電話しようと考えています。