マドリッドの駅からトレドへは、午前6:25から2時間おきに列車が出ていました。 帰りの列車の便も、やはり2時間おきです。 マドリッド10:25発で行き、トレドを14:30発で帰ってきました。 トレドのアルカサールは、アンダルシア地方のそれとはちょっと趣を異にして軍事的で、 スペイン戦争(1936−1939)の生々しい跡がミュージアムとして存在していました。 槍、刀、銃など、見るのも痛々しい限りです。 しかも、人形に兵服を着せて銃を持ったり、刀や槍を持たせているのですから。 カテドラルは閉まっていました。 トレドは本当に狭かったです。 かなり小さい街なのに観光客で賑わっていました。 時間はあまりなく、小道をちょっと歩いてみるだけにしました。 本当は1泊すればよかったかなと思いました。
まずはプラド美術館です。 パリのルーブル美術館を見た私には、プラドはちょっと小さいと感じました。 でもゴヤの絵は圧巻でした。ベラスケスの絵はかなり多数ありました。 ムリリョの絵も、青い布を身体にかかげた女性が印象的でした。 フランドル派のルーベンスもたくさんありました。 ラファエロ、ボッチェリ、ファン・ダイク、ピーター・ブリューゲル、エル・グレコ など、コレクションは充実していました。 次にティッセン・ボルネミッサ美術館です。 ピカソ、ミロ、ダリ、シャガール、ブラックなど、19〜20世紀にかけての現代美術が多く、 セザンヌ、ゴッホなどは少数で印象に残りませんでした。 最後にソフィア王妃美術センターに行きました。 ここは何といっても、ピカソのゲルニカです。 かなり大きな絵で、それを見ていると、 戦争で傷ついた人間の悲しみがあふれていて、思わず涙がこぼれました。 見に来た甲斐がありました。
昨日(10/1)はナザレでのんびりと過ごしてリスボンのバス停で待つこと2時間。 狭い待合室にあやしい人が出たり入ったりと、私はずっと周囲を見ていました。 まあ、大体そうではなかったのですが、中国人が1人長時間テレビを見ていました。 それとなく変だなと思っていると、だんだん私の近くの席に寄ってきて、 「おねえさん、日本人?」と問うではありませんか。 すぐその席を立ち、乗り場に行ったので事なきを得ました。 どんなに早くバスが来ないかと待ったことでしょうか。 朝いち(7:30)で南バス・ステーションに着きました。 ところが、両替をしておくことをすっかり忘れていて、 両替所は8:30でないと開かない、とおまわりさんが言うので待っていると、 ひとり女性が寄ってきて「英語を話せますか?」と問うてきました。 「少し」と答えると、「いつまでここにいるのですか?」と彼女。 「30分ぐらい」と私、「じゃあ荷物を預かってくれませんか?」と彼女。 きっぱり「ノー」とはねつけました。 自分の荷物で手一杯なのに、冗談じゃない。 もし、取られて難癖つけられたら大変です。 それがねらいかもしれないと思いました。 そしてほどなく、手にパンフレットを持った若い男が私の1つ隣に座ったのです。 様子を見ていると、時々時計を見ています。 不安が最高潮に達して動こうにも動けず、どうしようと考えましたが、 案内所へちょっと寄って、スキを見て両替所に入りました。 そこでゆっくりと過ごして外に出てみると、さっきの男と女はいなくなっていました。 やれやれ。
あと10日あまりで日本へ帰れるという今になって泥棒の餌食になる、 日本人のひとりになってしまいました。 これまでずいぶん気を付けていたはずでしたが、やはり気のゆるみと、 2人でいるという安心感から、淋しい公園内に足を踏み入れたのが悪かったと思います。 1人では絶対入らないようなところです。 それにしても、最初は彼らの存在に気付き、ちょっと不安を感じたのですが、 その時は彼らのうち1人が、歩いて私たちをやり過ごし、黒い服を着た男と合流。 変だなと思いつつ公園の外の通りに出たところ、彼らが足早に公園を出始め、 それに気付いた私が敦子さんに「変だよ」と言ったとたん、前方に行くふりをして急に引き返し、 私のポシェットのヒモに手をかけて引きずり、私は倒されながらも必死に防戦しましたが、 奪い取られてしまいました。 それでも追いかけて「ドロボー、ドロボー」と声を限りに叫んだのに誰も振り向きもせず、 知らん顔でした。 ←ここはスペインのセビリアです。 とにかく震えが止まらず、パニック状態になりましたが、 敦子さんがいたので少し安心して、徐々に落ち着きも戻ってきました。 とりあえず警察まで被害届を出そうと交番を探していたら目の前を通りがかり、 パトカーで警察署まで案内してもらいました。 被害届の用紙説明を受けた後、記入、コピーをもらいました。 その時、けがには全然気がつかなかったのですが、徐々にひりひりと痛みだし、 数ヶ所内出血していたので、病院へ連れていってもらい手当を受けました。 君子危うきに近づかず、ですね。 被害は5000ペセタと5000円、計算機、名刺、住所録ぐらいで済んだので、 ヨシとしなければならないでしょう。 ポルトガル行きの切符は、予感がしたのか腹巻きの方へ移しておいたので助かりました。 まだまだ、気持ちは静まりませんけれど。
下述の電話の後、日本時間深夜に再びせっぱ詰まった声で電話が入った。 聞けば、たった今2人組の男に財布の入ったバッグをひったくられた、と言う。 幸い、身体の方はかすり傷程度で、被害も現金5000円程度、 その他奪われた物は住所録と名刺ぐらいのものらしい。 かなり動転していたようであるが、そこが安全な日本ではなくヨーロッパであることを認識して 身の安全を最優先して、気持ちを切り替えて残り少ない旅を続けて欲しい。
セビリアに滞在中の還暦"猿頑石"よりTELが入った。 これまで、マラガ→グラナダ→コルドバ→セビリアと観光、移動したらしい。 敦子さんと一緒に行動したのだが、敦子さんがセビリアで風邪をひいたらしく一服しているとのこと。 セビリアには9/23まで滞在し、翌9/24にはバスでポルトガルへ入国する予定。 リスボンに滞在し、近くの街を観光するつもりである。 結局、モロッコ行きは時間の都合で取りやめたそうである。 スペインに入って言葉が通じなくて困っているそうだが、 とにかく人が優しいそうである。特におじさんが。 物価も安いので、また訪れたいと言っていた。 少し内陸にあるコルドバでは、37℃まで気温が上がったと言っていた。 セビリアでは25〜6℃で、過ごしやすいそうである。
メスキータ(モスク)内は、今まで私の見たことのないような柱(大理石)が林立。 とても大きな寺院でした。 天井の装飾や、一部残された壁の装飾も美しく、息をのむほどでした。 イスラム芸術の美しさを、今あらためて見ることができた幸せを喜んでいます。 ヨーロッパでありながらイスラムの美しさと調和していて、 これまでギリシャ以降のヨーロッパの建築や装飾の調和を見ていて、よかったと思います。 スペインはいいところです。 トルコもそういう意味では見てきて良かったと、今さらながら思っています。 珍しく雨になりました。 にわか雨でパラパラと降り、少し石畳が濡れるぐらいで止んだので 民家の門の木戸の前で雨宿りしました。 メスキータ(イスラム教モスク→キリスト教カテドラル)を見て、 これまでキリスト教の偶像崇拝をずっと見てきた私としては、 とても質素に写り、祈りの場としては好感が持てました。 トルコではイスラム教がアヤ・ソフィアを破壊してモスクに造り替えたのに対して、 コルドバのメスキータはモスクを破壊してカテドラルに改装したりと、 宗教争いのすさまじさを目にして、また考えさせられました。
昨日(9/18)、グラナダのアルハンブラ宮殿へ行きました。 こんな乾いた街に緑が?というほどに美しい庭があちこちに見られ、 宮殿内の装飾の美しさに、ただ圧倒されるばかりでした。 これほど庭と宮殿のマッチしたところを見たことがありません。 スペインに来て良かったと思っています。 宿も安く、食べ物もおいしくて私の口に合うので、毎日ディナーが楽しみです。 そんなことで、いちばんお金のかからない国です。 難点は暑いことですね、昨日のお昼は37℃でした。 コルドバは思ったほどではありませんでした。
日本人が半分ぐらいいるのではないか?と思われるぐらいの人気のスポットです。 敷地の至る所にパティオがあり、噴水がしつらえてあり、静かで落ち着きます。 こんな美しい城を見たことがありません。 スペインは他のヨーロッパとひと味違ったいいところです。 敦子さんとチケットを別々に買ったので パシリオス、ナザレオスに入場する時間が30分ずれてしまいました。 何人かで一緒に入場したい場合は、1人がチケットをまとめて買った方がいいと思います。 宮殿内はタイルと美しい装飾の板が、至る所に施されていて、とても華やかでした。 たくさん写真を撮らないようにと思いながら、美しい情景を見ると思わず写していまいます。 パティオの緑と、ふんだんに水をたたえた池と、茶色の壁の色が映えたところでした。 植え込みのアクセントは幾何学的に植えてあります。 ここはやはりヨーロッパですね。 グラナダは最高でした。
アルハンブラ宮殿の茶色の壁を見ながら書いています。 昨日は、あれだけバスセンターや観光案内所を探し回って疲れたのですが、 今日は、グラナダのバスセンターに降りたとたん、おじさんが近寄ってきて ホテルの客引きをしていました。 そのおじさんの説明を聞いていた敦子さんが 「行ってみる、2人で2600ペセタ」だと言うので、ついて行くことにしました。 バスに乗って、街の中心で降りて少し歩いたところがホテルでした。 なかなか清潔で、トイレ、バスは共同だけれど気に入り、そのままチェックインしました。 それから2人で市内観光をしました。 バスセンターから310番バスに乗り、その中心地まで行くのもスムーズだったし、 宿もすぐ見つかったので、今日は大変楽でした。 アルバイシンも城壁で、迷路のようで結構迷いました。 古い家並みを見て、アンダルシア地方独特の、皿や鉢で飾った壁も見ました。 街全体がイスラムの影響をいっぱい受けていて、トルコに似ています。 音楽も懐かしく、行き交う人も何となく似ていました。 店のおじさんはみんな笑顔をつくって応対してくれます。 人なつっこいです。美人も多いです。
敦子さんと一緒に、現地時間で午後7:50分、マラガ空港に降り立ちました。 市街地へのバスを待つことかなり、やっと中心地・カテドラルに着いたのが午後9時。 ホテルを探し歩いて、やっとホスタルにチェックイン。 2人で3850ペセタ。あまりきれいでないがバス、トイレ付きでした。 大通りに面しているので結構やかましく、寝付けなかったけれど、耳栓をしたのと、 久々に大きな荷物を背負っての宿探しで疲れていたのか、私は眠ることが出来ました。 昨日、路線バスの運転手が自分の娘を2人連れて運転していました。 その子ども2人とずっとおしゃべりしているので、とても心配しました。 その途中、ひょっとバスを止めて「ジャスト・モーメント」と言いつつ、 ATMにカードを差し込んでキャッシングしたのには、驚きました。 今日も観光案内所を探してかなり歩いてやっとのこと見つけたのですが、 肝心のモロッコツアーは出ていないとのこと。 他の都市から3日はかかるツアーだというのであきらめました。 街全体は清潔で、今までどこもゴミだらけでしたのに、ここはとてもきれいに掃除されていて、 道行く人たちも身なりはきれいで、さっぱりしていて、豊かに暮らしている人だな、 という印象を受けました。
予定通り、ロンドンからスペインのマラガを訪れた還暦"猿頑石"からTELが入った。 これまで、アイルランドのダブリンに2泊した後、ブリストル経由でロンドンへ。 ロンドンからスペインのマラガへ航空機で移動。 いちおう予定通りに旅は進んでいる模様。 敦子さんと共に旅を続け、体調も良好そうである。 明日(9/17)はアルハンブラ宮殿のあるグラナダへ行く予定。 その後、コルドバ、セビリアなどへ2泊ずつぐらいで訪問予定。 時間があれば、アルヘシラスからジブラルタル海峡を渡ってモロッコのタンジェを訪れる予定。 それからひとまずスペインを切り上げ、ポルトガルへ1週間ほど滞在。 再びスペインに戻り、マドリード&トレドを観光。 最後にマドリードから帰国(10/4)するつもりである。