長男に国際電話をした後、モーツァルトのフィガロハウスへ行きました。 有名なオペラ「フィガロの結婚」を作曲した時に住んでいたという家で、 中に階段があって吹き抜けとなっているヨーロッパではよく見られる建物で、 楽譜が色々とあるだけで「なんだ、これは!」というハウスでした。 その後、ベートーベンのエロイカハウスと「ハイリンゲンシュタットの遺書」の家へ向かうため、 U2と37番のトラムを乗り継ぎ30分ばかり郊外へ出ました。 エロイカハウスは外から見ると民家です。 今はレストランになっていて右隣が教会でした。 「ハイリンゲンシュタットの遺書」の家は、時間を過ぎていたので閉まっていました。 なぜか日本人ばかりそこを訪ねていました。 大変田舎のようなたたずまいで、周囲に森があり、 ベートーベンがそこに住んだ時には、まだまだ深い森が広がっていたことでしょう。 王宮(ホーフブルク)の建物は、外から見ると黒ずんでいて古い建物でしたが、 内部は美しい装飾で飾られていました。 シェーンブルン宮殿ほどゴテゴテしていませんが、とても美しい内装で、たくさんの宝物を見ていると 人間はあそこまでぜいたくできるのか、と思うぐらいばかばかしいまでの栄華です。 まあ、素晴らしいでしょう。花までがゴールドです。 いやいや、宝石をちりばめた花までありました。 でも、みんな滅びていくのだなあ〜、と。 あれだけ得意に着飾っても今はもういない。 そう思うとなんだか切ないですね。 それにしても、マント、杖、王冠など、素晴らしい刺繍で、 その意味では人間はとても表現力があるんだな、と感心しました。 美術史博物館は、P.ブリューゲルの絵が楽しいですね。 ここにはたくさんありました。 ファン・ダイク、ルーベンス、ミケランジェロ、レンブラントなどのコレクションも、 王宮の装飾にマッチして良かったです。 P.ブリューゲルの「バベルの塔」、そういえばこれまでにも見ました。
ウィーンに滞在中の還暦"猿頑石"より、TELが入った。 8/23にザルツブルクからウィーンに入った後、チェコのヴィザを取得。 8/26にハンガリーのブダペストを訪れ、1泊しました。 8/28にはチェコのプラハを訪れ、2泊しました。 ウィーン滞在中は市内あちこちの観光地を回ったそうである。 9/1にウィーン国際空港からロンドン・ヒースロー空港へ飛びます。 イギリスには約2週間ほど滞在の予定。
とにかく言葉が通じるところへ行って情報をもらおうと思い、JCBプラザへやって来ました。 場所は、国立オペラ座の前にあります。 親切にコンサートチケットや市街地図、そして旅行会社の紹介をしてもらいました。 さっそく紹介されたトップトラベルへ行き、ウィーン発ロンドン行き航空券をゲットしました。 8/31は満席で、9/1は2席ほど空いていましたのでリザーブしました。 税込み3150ASとやや高めですが、情報のあるウィーンで購入しました。 プラハからも毎日ロンドンへフライトはあるらしいですが、 空港へのアクセス、旅行会社の場所などはっきりわかるところが安心ですし、 ウィーンのホテルを基点にして、ハンガリーのブダペストやチェコのプラハへ動くことにしました。 スロバキア行きは、ヴィザ取得にもう1日必要になりそうなので中止しました。
ウィーンのテレビで放映されている音楽番組で、シューベルトの「菩提樹」が歌われ、 あとフィナーレの音楽で幕となりました。 田舎の井戸のある森のようなところで、ずっと色々なジャンルの音楽が流れていて、 歌あり、踊りあり、すべて上品です。 こんなのを実際に「見たい聴きたい」のに、今のところ情報がありません。 昨日、ホテルでもらったパンフレットにあった「ウィーン森(南コース)日本語ツアー を申し込みました。7000円です。 ちょっと高いのですが、気分がやや落ち込んでいて、リラックスしようと思い切りました。 コースは、シューベルトが「菩提樹」を作曲したところとされるヘルドリッヒスミューレ、 ハイリンゲンクロイツ修道院、映画「うたかたの恋い」で有名になったマイヤーリング、 ヘレーネンタール谷、モーツァルトやベートーベン、シューベルトなど、 たくさんの有名人が静養したところ・バーデンと回りました。 日本人ツアー2組と個人組が何人かで総勢45名。 近くにいた人たちとしっかりうち解けて「梅酒しぐれ」まで 「元気を出して下さい」といただきました。 この日は1日中日本人といて、気分は安定しました。 このホテルにも日本人親子3人が泊まっておられ、特にご主人は5年間ドイツ勤務(10年前) されていてドイツ語は達者のようです。 話好きのようでしたので、かなりおしゃべりしました。 今日は暑い中、宮殿を回って(レッセル公園、カールス公園、ヴェルヴェデーレ宮殿) 14:00発のツアーバスを国立オペラ座前で捜してもわからないので、 バスの運転手にチケットを見せて聞きました。 すると「ウィンナもりはビフォアー」と答えてくれました。 私は「???」。 ようやく「ああ、ウィーンの森のことか」と気付き、めでたくバスを捜し当てました。 ウィーンの森とは言っても、美しい自然をたくさん見てきた私ですから、 「こんなものか」とは思いましたが、日本の団体客に混じってのおしゃべりは、 私の何よりの薬になりました。
車掌さんが検札に来ました。 「ラスト・デイ」と言うと、ニッコリ。 「セカンド(2等車)のウーマンもラスト・デイ」と笑っていました。 「サンキュー」と言ってパスを返してもらいました。 いくぶん後半の旅への心構えもできて、気分はだいぶ落ち着いてはきましたが、まだまだです。 今朝、ザルツブルクの宿・ジャンで朝食を食べていると、 なにやら日本語らしいので話しかけてみました。 イタリア在住の日本人家族で、子ども(2〜3才と4〜5才の男児2名)が疲れて、 「早くお家へ帰りた〜い」と泣いていたのです。 「私も早くお家に帰りたいんです」とお父さんに話しました。 旅に出て約5ヶ月というと、「長いですね」。 ウィーンにはチェコとスロバキアのヴィザ取得に4〜5日滞在する必要があると思います。 プラハからロンドンへのフライトも尋ねましたが、わからないとのこと。 まあ、何とかなるでしょう。ちょっと不安。
のんびりしたグリンデルワルドからオーストリアへ向かうとき、 緊張のあまりお腹をこわしましたが、今は大丈夫です。 ここザルツブルクでモーツァルト広場を歩き、レジデンツ宮殿のドームの中で、 パイプオルガンの演奏を聴きながらはがきを書いています。 曲目は現代音楽のように感じますが、大変いいです。 迫力があります。 さて昨日、サウンド・オブ・ミュージックのバス・ツアーでザルツカン・マーグートを回り、 ロケ地ともなった美しい郊外の風景を見て歩きました。 ユーレイル・パス最終日にウィーンに行くことにしました。
参加者は全員、英語圏の人たちです。 アメリカの若い女性が私の隣に座り、時々ガイドの英語が理解できずぼんやりと外を眺めていると、 「チャーチがあそこ」と教えてくれたりしました。 もう一組の中高年夫妻と老婦人は、おばあさんが私に話しかけてくれました。 ひとりでは全く動けないらしいのですが、息子さんがキャンピングカーに乗せてくれ、 イギリス、フランス、オーストリア、イタリア5週間の旅をしているのだと語ってくれました。 「私も9/1ぐらいにイギリスへ行きます」と言うと、 「どこの方へ行くの?ロンドン?」とか言っていました。 ご主人が昨日「サウンド・オブ・ミュージックのビデオを車の中で見ておいたので良かった」 などと、何とか理解できるように話しかけてくれました。 ツアーは「ドレミの歌」のロケ地で有名なミラベル庭園前から出発。 郊外のザルツカンマーグート地方を周遊して、ザルツブルクへ戻ってきます。 Castle Leopoldskron→Castle Helbrunn(ガラス・パビリオンのシーンあり)→ Nonnberg(トラップ大佐とマリアが結婚したところ)→ザンクト・ギルゲン、Lake Wolfgang→ Mondsee(オープニング・シーン)→ミラベル庭園、でした。 彼らとは、「バイバイ」と名残を惜しみながら別れました。 こうして知り合った人たちと別れるとき、非常に寂しさを感じます。
インスブルックからザルツブルクへ向かう列車の中です。 もう間もなくザルツブルクに到着するようです。 このあたり、インスブルックより山は低くひらけていて、明るい地方です。 東からの太陽に照らされた白壁と、赤、グレイ、チョコレート色をした屋根の民家が、 きれいに反射されて畑の緑とマッチしています。 背後に山を背負っていて、それは美しい眺めです。 ザルツブルクへは午前中に到着するので、午後からの半日観光バスに乗ろうと思います。 映画「サウンド・オブ・ミュージック」のロケ地となったザルツカンマーグートへも行きます。
インスブルック行きの列車の出発までベネチア市街を観光して、午後インスブルックに着きました。 列車内では、ミラノに行くという日本人親子のSUさんと同じコンパートメントで、 たくさんおしゃべりしました。ヴェローナにてお別れしました。 インスブルックのホテルに戻ると、2度目に会うフロント氏は満面に笑みをたたえ、 「ハロー」と握手を求められ、とても温かく迎えてもらいました。 観光名所「黄金の小屋根」を教えてもらって、2時間半ぐらい旧市街のたたずまいを眺めてきました。 大勢の観光客で賑わっていても街はきれいで、とても落ち着いた中世の名残を残した街でした。
1等車はとても設備の良いコンパートメントです。 この車両には2〜3人しか乗っていません。 横になっても眠れます。ちなみにウィーン行きです。 窓外に映る景色はグリンデルワルドとは違って山ははるかかなた。 広い畑や家が点在して、のんびりしたところです。 もうここはオーストリアのようです。列車はフェルトキルヒの駅に入りました。 また山が鉄道の両側に迫ってきました。 5日間宿の心配をせずのんびり過ごしたので、今夜の宿がとても心配です。 おまけに遅く入ってきたので、ずっと重くその心配が胸を占めています。 ブレゲンツを過ぎて列車は谷間を走っています。 お客さんが他にいないのも手伝って、寂しい気持ちです。 氷河も見えました。トンネルも多いようです。 インスブルックに着いて駅から歩いて2〜3分の観光案内所でチープホテルと頼んだところ、 400AS(シリング)で、朝食付きシャワー&トイレ共同のホテルをリザーブしました。 かなり大きいしっかりしたホテルで、受付のおじさんは太っていて汗を流しながら応対。 英語が通じました。とても愛想はいいです。 シーツは真っ白。シワひとつなく清潔です。 そして広い部屋にツインのベッドです。 1日、ベネチアに行くので大きい荷物を預かって下さい、と頼むと気持ちよく応じてくれました。 インスブルックは、やはり高い山を控えているので、半袖では寒くパーカーを着ています。 風景はグリンデルワルドのようです。 家は白壁が目立ちシャレー風で、窓辺にはゼラニウムを飾っていて、とても美しいです。 みんなお金持ちかしら、と思うぐらいきれいな建物です。 今日は曇っていて寂しい雰囲気。 どこに人がいるのでしょうか? 都会の人人人人を見慣れた私には、あまりにも寂しい風景で何となくひんやり感を覚えます。