昨日(7/30)、ユトレヒトからデン・ハーグへ来て、旅人から教えてもらった日本人経営の宿へ予約を入れました。 日本人の経営ということで、完全に安心していたのですが、チェックイン時にオーナーが不在で、 オーナーと意志の疎通がうまくいかず、少しいやな思いをしました。 オーナーのお母さんが昨日入院して、宿内が少しごたごたしているみたいでした。 しかし、夕食は白菜と油揚げの煮物。 リンゴと生にんじん、シャケ、大根、日本茶とごはん。 で、久々に日本の家庭料理を食べました。 オーナー氏は30〜40代の若い男性です。 オランダには、お母さんと一緒に語学勉強に来て15〜6年になるとか。 英語、フランス語、ドイツ語、オランダ語、そして日本語と5ヶ国語を話せるそうです。 デン・ハーグのマウリッツ美術館に行きました。 今日はロッテルダムに出かけ、ボーイマンス博物館を見てきました。 ここは15〜16世紀のヴェネツィア派絵画と、フランドル派絵画の曙期の作品から、 レンブラント、ルーベンス、モネ、ゴッホ、ダリ、キリコの作品までありました。 その後、ハーレムに行き、聖パフォ教会を訪れました。 教会内には、あのモーツァルトも演奏したという5000本の見事なパイプオルガンがありました。 テイラー博物館では、フランドル派からイタリア・ルネッサンス時代のエッチングを見ました。
今日は朝からハールツァレンス(赤い町)へ行って来ました。 そもそも赤い町とは、写真を見ればわかりますが、何かのいわれがあって その町(田舎で村と言った方が良さそうです)では赤い色を窓枠に使用しているのです。 昨日行った緑の町もファザードは緑色、窓枠は白色です。 他に白い町もあるのですが、ここは遠いので敬遠しました。 ハールツァレンスへはバスで、ずいぶんと田舎です。 牛、山羊が、広い牧場で草を食んでいました。 昨日(7/28)、時間がなさそうなので「アンネ・フランクの家」の外観だけを見ておきました。 でも気残りで仕方がないので、決意して再び行って並ぶこと40分、やっと入場できました。 アムステルダム西教会(レンブラント埋葬)のすぐ側で、ちょうど昼過ぎから並んだので、 カリヨンの美しい曲を30分ほど聴きながら待ちました。 家の中にユダヤ人の悲しそうな収容所での姿を見て、涙がこぼれました。 きっと不安な日々だったことと思います。 アンネの家からちょっと出た西教会の前でお昼を食べていると、 日本人女性2人が通りかかり、声をかけてみたら千葉から姉妹でオランダに来ているそうです。 現地在住の友人を訪ねてきたそうです。 友人宅を基点に、ベルギー、そしてイギリスへ行くと明るく話し合いました。 しっかり写真も撮り合いました。
ユトレヒトYHでは、韓国の女子大生2人とイタリア人3人と同室になりました。 それにしても、イタリア人は明るい。 「あんたの国へ行ったんよ」 「ブリンディジ→タラント→ナポリ→???」 私がつっかえると、彼女らが「ローマ!」と合いの手を入れるなど、とてもにぎやかでした。 オランダの人たちも明るいです。 運転手さんも、お客さんにいちいち愛想をしています。 ドイツ人はクールで、こちらから尋ねなければ無愛想です。 オランダは居心地のいいところですよ。 このYHは田舎ですし。 「緑の町」と呼ばれるザーンセ・スカンスに行って来ました。 風車が200年ぐらい前のものが残され、動いていました。 4〜5基の風車が残してあって、その村全体がかわいい観光地となっています。 もちろん大きい農地もあって生活もあります。 馬も放牧されていて、のんびりとしたところでした。 アムステルダムでは国立博物館とゴッホ美術館に行きました。 どちらも素晴らしい絵画のコレクションが多数ありました。 レンブラントの「夜警」は、有名なのですぐわかりました。 それにしても、オランダではたくさんの画家が生まれたのですね。 かなりのものでした。 ゴッホも多数コレクションがあり、私が知っている絵もかなりありました。 みんなよく知っているようで、どちらの館も盛況でした。 もう少し時間があればいいのに、と、とても忙しい1日でした。
オランダ(ユトレヒト)に入国した還暦"猿頑石"からTELが入った。 ユトレヒトのYHは便利な場所にあり、街の雰囲気も良いとのこと。 これまでの行程実績は以下の通り。 7/24(木):マンハイム→マインツ 7/25(金):マインツ→ライン川下り→コブレンツ→ケルン 7/26(土):ケルン滞在;ボン市内観光 7/27(日):ケルン→ユトレヒト(オランダ)