あと30分でヘルシンキです。 エストニアって本当に行けるのかな?るみ子さんは言っていたけど。 荷物をヘルシンキから送ることにした。 ポストオフィスは駅の隣だし、海は近いし、船便にはもってこいの所のようです。 <エストニアのターリン行きは断念> ヘルシンキ駅の窓口でターリン行きチケットの窓口を教えられ、街中を捜してやっとたどり着いた。 高速艇のダイヤが、往路:12:30→14:10、復路:15:00→16:40。 これではあちらに50分しかおれないし、380FIMを使う価値もないので断念しました。 もう1泊ヘルシンキかターリンにすれば可能でしたが、 「もうどこにも行く所はなし」と早々と船の予約をしてしまったから失敗しました。 そんなに急がなくても船には乗れたのにと、イヴァ・イナリにも行ってみたかったのですが、 これも断念。予約を焦りすぎました。 <ノールカップからロバニ・エミへ直行のバスがあります> 真夜中の太陽をおがんだ後に、ノールカップ・バスターミナルから出ます。 ノールカップ→ロバニ・エミ 1:00 17:55 33NOK(ノルウェー・クローネ) <アテネ・ウミン美術館> 展示の中心はフィンランドの画家ですが、とても好感の持てる絵画でした。 ゴッホやゴーギャン、その他有名な人の絵もありました。 がっしりとした建物は大したものです。
小さな街でとても静かでした。 川はゆったり流れ、美しい街並みです。 何か、フィンランドの建築物はとても洗練されています。 同じビルでもちょっとずつ個性があり、その上、ひとつずつカラーが変えてあるので、 とても美しい色のハーモニーを見せてくれています。 緑のたくさんあるフィンランド、特にオウルは大変美しい街でした。 古い建物も残されているので、それなりに街を美しく見せていました。
サンタの村に来ました。 サンタさんは見えませんが、サンタ・グッズはたくさんあります。 どれも高価で、荷物になるのでおみやげは買いません。 唯一、切手があったので買いました。 こちらは、だた広い広い所です。 明日は午後9時過ぎの列車(ヘルシンキ行き夜行)なので、それまで列車でどこか行ってみます。 イウロまでは往復で13時間係り、ちょっと不安なので近場に行ってみようと考えています。 そうしないと、ヒマです。 これから14:50発のバスです。 YHのチェックインは17:00ですので、それまでウロウロしなくてはなりませんが、 ここには何もありません。退屈ですね。 あまりお金を使わないようにと思うのですが、すぐ1万円になってしまいます。 おそろしいところです。 よくまあ、この国の人達は平気で暮らしているな、と思います。 サンタさんの村は大人が多いですね。 今年のクリスマスには、娘一家へカードが届くはずです。 サンタさん(事務所)に頼みましたから。
サンタ村にて。 ただ広い地、フィンランドのロバニ・エミです。 日本語で、今年のクリスマスにサンタさんからお手紙の欲しい人はローマ字で宛先を書いて下さい。 とあったので、申し込みました。 4人の孫宛にサンタクロースから手紙が着くと思います。 本当に何もない、のんびりした所です。 サンタグッズがたくさんあり、郵便局からも出せるようになっていました。 サンタの形をした板のメールを友希(孫娘)に出しただけです。 <最高においしい夕食でした> このロバニ・エミで中華料理店を見つけて、「北京?汁」と「四川炒飯」とビール1本を食べました。 久しぶりのしょうゆ味で、おいしいのなんの、幸せ気分でした。 先日、ヘルシンキのスーパーでしょうゆを見つけ、急に日本の味を味わいたくなっていました。 たぶんに、食べることの不満が募っているように思います。 あのおいしい味、特にスープはおいしかった。 お昼はサンタ村で、マキで焼いたサーモンの大きな切り身とサラダパン、ジュースを食べました。 ちょっとぜいたくですが、いつも菓子パン1ヶにジュースではイライラします。 山のようにあった炒飯を、みごと平らげました。 <ロバニ・エミYHの食堂はアンティークが素晴らしい> 白い壁にコーナーの食器棚、古い時代のコーヒー豆ひき、白い食器セット、ドライフラワー等々、 さらに動かなくなった振り子時計、タペストリー、猫の置物、花鉢、キーケース、額縁などなど、 大変よかったです。おまけに、「こんにちは」「おはようございます」と、 ちゃんとした日本語のアクセントであいさつまでしてくれました。 家族のようで、おじさん、おばさん、お姉さんとみんな明るく、優しく接してもらえ、 アットホームないいYHでした。
ヘルシンキ中央駅にて。 YHをチェックアウトしてひたすら歩き回り、今やっと駅に椅子に座りました。 少し足が痛くなりました。 ロシアがフィンランドを統治していたことがあるのですね。知らなかった。 その時、ヘルシンキ大聖堂を建ててフィンランドの人たちの気持ちを察し、多額のお金を出したそうです。 フィンランドからは、天才的な建築家が多く輩出したそうです。 その作品がヘルシンキ大聖堂です。とても美しい建物でした。 いずこも同じですが、ローマでもフィレンツェでもベルンでも、古い街並みを残すためでしょうか? 大がかりな補修をしていました。 寒い国らしく、ショッピングセンターは建物の中に入っています。駅ももちろんです。 ソウしたところを歩いてみるのも楽しいです。 <暇つぶしは遊覧船に乗って> マーケット広場まで来てパンとイチゴを買い、みんなと同じように海岸の石段で食べていると、 「遊覧観光船・ロイヤルライン」が目に入りました。さっそく乗っていました。 デッキの上に2本立っていた旗が、なぜか日の丸とフランス国旗でした。 海から見るのもいいかと、小さな島々や本島の建物の紹介やら聞いて、 寒い風を切っての観光で、約1時間過ごしました。 これで主な見所はみんな見てしまったので、復路(6/28)の夜行船チェックインまでどうしようか? と悩んでいます。唯一残っているのは美術館と博物館です。 <少々くたびれました> 何を見てもあまり感動しなくなりました。 風景はだいたい同じです。 スイスとはちょっと違って、高い山がなく平坦で、行けども行けども畑も街も平らです。 森や公園はたくさんあって、緑はたくさんあるなとは思いますけれど。 あまり欲張って長期間にしたのは失敗でした。←長期には長期の良さがあります(長男談) ドイツ、フランス、東欧、スペイン、ポルトガル、イギリスをまだ見ていませんが。 どこの国に入っても、私には西洋人(ヨーロッパ人)は同じに見えるしね。 駅の造り方、雰囲気はノルウェー、スウェーデン、デンマークは同じようでしたが、 フィンランドは何となく重々しい感じです。 ドイツ、スイス、イタリアなどは、だいたい似ています。
今日、電話しましたが、その後、シベリュース公園とオリンピック公園に行きました。 日本が戦後、オリンピックに初参加したので、私もすごく印象に残っていました。 そのオリンピックスタジアムに立つことを、その時思ったのでしょうか? とても感動しました。 公園にある尖塔に登り、エレベーターで11階へ、そしてさらに上の階へ。 地上からは約72mあるそうです。 ヘルシンキの街、島々も見下ろせ、もちろん、あのスタジアムも全体を見ることができました。 (内部には入れません) 周囲は駐車場や公園になり、みんなの憩いの場となっていました。 よく見ると、大きな岩が至る所にニョキニョキとあって、さすがヨーロッパは岩直地面だなと。 これは車窓からもよく見えました。 そのちょっぴり上に大木が根を張り、頑張って立っている姿は、なんとなく痛々しく感じます。 こちらの人の、森を大切にする気持ちがよくわかりました。 このヘルシンキには公園がたくさんあり、ベンチに腰掛けて休んでいる人たち、 自転車に乗っている子ども、スケーターに没頭してる少年と様々でしたが、いい街でした。
フィンランドのヘルシンキ駅に到着した還暦"猿頑石"からTELが入った。 体調は良好、無事旅を継続中とのことであった。 これまでの行程実績は以下の通り。 6/20:オスロ→航空機→ホニングスヴォーク←→ノールカップ、ホニングスヴォーグ泊 6/21:ホニングスヴォーク←→ノールカップ、ホニングスヴォーグ泊 6/22:ノールカップ←→ホニングスヴォーグ→オスロ、オスロYH泊 6/23:オスロ→ストックホルム→ストックホルム港→シリアライン(夜行船)→ヘルシンキ港 6/24:ヘルシンキ港→ヘルシンキ駅→ヘルシンキYH これからの予定は、次の通り。 6/25:ヘルシンキ→(夜行鉄道)→ロバニ・エミ(サンタクロースの故郷) 6/26:ロバニ・エミ観光 6/27:ロバニ・エミ→(夜行鉄道)→ヘルシンキ 6/28:ヘルシンキ→ヘルシンキ港→シリアライン(夜行船)→ストックホルム港 6/29:ストックホルム港→ストックホルム市街 6/30:ストックホルムに数日滞在 旅の目標のひとつであったノールカップ岬行きは、費用がかなり高くついたものの、 無事真夜中の太陽も拝め、ひと安心といったところである。 北欧は物価がきわめて高いので、夜行列車や夜行フェリーを上手に使って宿代を浮かせているとのこと。 旅にも慣れてきたので、移動中でもぐっすり眠られるそうだ。 その他、デンマークのコペンハーゲンで偶然お目にかかった、コペンハーゲン在住邦人・MI氏より、 こちら(日本の実家)に還暦"猿頑石"のことで電子メールが届いた。 この場を借りてお礼を述べておく。