昨日(7/26)、ベートーベンの生家を捜してボンに行って来ました。 駅に降り立ち、どちらがボンの方向なのか、どこ行きがボンに行くのかわからずDBの職員に尋ねました。 ECのミラノ行きを指し「これが行く」と教えてもらったら、ボンはノンストップ。 コブレンツまで連れて行かれ、また引き返しました。 30分ばかり先でしたので良かったのですが、ほんとうに驚きました。 一昨日(7/25)も、ケルンYHへはUバーン16で行くというので乗車。 10分で到着のはずなのに地名が出てきません。 さらに2、3分先で降りて尋ねると反対方向へ来てしまっていました。 市電系統図を見て中央駅から4つ目だと教えてもらい、やれやれやっと到着できました。 こんなことですから、時間のかかることおびただしいことです。 今日もオランダのユトレヒトではどうなることでしょうか? 今朝、出会った日本人の学生らしき4人組が、オランダからドイツに入ったと言っていました。 「オランダはどう?」と聞くと、治安も良くドイツよりもきれいだった、と言っていました。 7/26、ケルン大聖堂の前で日本人夫妻のSA氏、FU親子に出会い(再会し)ました。 まずはSA氏と写真撮影中に出会いました。ライン川下りの遊覧船内以来の再会でした。 ボンに行って帰って、再び大聖堂広場でぶらぶらしていると、今度はFU親子に再会しました。 偶然とはいえ、よく会えましたね、とまたお別れしました。 こんな風に、よほどでないと会えない偶然が良くあります。 DB(ドイツ国鉄)の1等車と2等車について。 長距離列車では、ほとんど変わらない内装と居心地です。 ゆったりと座ることができ、コンパートメントが多いです。 しかし、2等は人が多いようです。2等車にもコンパートメントがあります。 近距離では、2等は設備と混みようの点で敬遠した方がよいと思いました。 たばこもスパスパやられるし、座席間も狭いので、大きな荷物を持っての移動は苦しいです。
昨夜のマインツYHでは、同室になった香港人女性3人と、同じアジア人として気安く過ごせた。 中でも31才の何さんとはすっかりうち解けて、別れるときは2人で写真におさまりました。 自分の名前を、以前から中国風に読むとどうなるのだろうか? と思っていたので、彼女に教えてもらいました。 →ちなみに「フウ・ソウ・メイチャン」でした。 お父さん、お母さん、孫は?などなど、4人で大笑いでした。 ケルン・デュッセルドルフ汽船に乗ってライン川下りが始まりました。 座席がすべてレストランとなっていて、何も欲しくないのに注文を取りに来ます。 仕方なくオレンジジュースを頼みましたが、いい加減にして欲しいです。 大きな荷物を持ったままでの乗船だったので、移動が非常におっくうでした。 荷物を預ける場所はないかと船内の案内所に聞いても、要領を得ません。 座席では、韓国の2人連れの女性と片言の言葉を交わし、右隣には韓国人の男性4人組が座っていました。 途中から日本人団体観光客が乗ってきました。 時々話しかけてみますが、何となく敬遠されているみたいでした。 放送があり音楽が鳴りました。 有名な「ローレライの岩」だということでしたが、どうという岩ではありませんでした。 みんな身軽な格好で乗船しているのがうらやましいです。 大きな荷物があるばかりに身動きがとれにくく、つらいです。 やはりマインツYHに2泊すればよかったと思いました。
マンハイムで宿泊した、Hotel BaslerHofは、とても感じの良い宿でした。 チップを置いていたのに、わざわざ返してくれていました。 宿には、カーレースを見て歩く旅をしているとかいう日本人の若い男性が1人いました。 ロンドン、フランス、ドイツと1ヶ月たち、これからも長い旅です、と語っていました。 マインツの街の人々は、みんな優しい感じです。 駅前でバスを待つ間も、DB(鉄道)の案内所の職員も、観光案内までしてくれました。 自分の職務以外はあっさりと断られた、ミュンヘンとは大違いです。 YHの受付のおじさんもお兄さんも笑顔で迎えてくれました。 「明日、ライン下りをするんです」と言うと、 私が乗ってきた方でない、別のバスがストレートに行くことを教えてくれました。 時刻まで調べてくれました。みんないい人たちです。 やはり田舎なのですかね。 久々に手回しオルガン曲を聴きました。 白ひげのおじさんで、写真も撮らせてもらいました。 程なくして陽気なおばさん(真っ赤なドレス)がやって来て、 曲に合わせてうまくもない歌を披露していました。 おじさんも少し微笑んで、手回しオルガンを回し続けていました。 マインツYHはライン河畔にあります。 窓から外をのぞくと、ライン川がゆっくり流れています。 泥色なので美しくはありませんが。 ところでフランクフルトも大雨で浸水、あちこちの被害がニュースに出ています。 ここマインツも川いっぱいに水が流れていて、どこも浸水の危険がありそうです。 オランダの様子が気になりますが。
マンハイムからTELが入った。 とりあえず元気そうであったが、荷物満載で長時間歩いたおかげて足が痛いとこぼしていた。 これまでの行程を以下に示す。予定通り旅を続けている模様。 7/20(日):フュッセン→ミュンヘン 7/21(月):ミュンヘン滞在;市内観光 7/22(火):ミュンヘン→ウルム→マンハイム 7/23(水):マンハイム滞在;ハイデルベルグ観光
今日のハイデルベルクのお城はきれいでした。 廃墟と化しているのですが、整備されて森の中に赤れんが色が映えて美しかったです。 ネッカー川にかかるテオドール・ホイス橋もれんがで、門もついています。 ゲーテをして「世界のいずれの橋にも及ぶまい」と言わしめたらしいですが、 古びて橋の上の銅像も汚れていました。 でも、その川にとても良く映り、ハイデルベルク城を背景にとてもいいところと思いました。 この城は、プファルツ選帝候の居城として13世紀以来、5世紀にわたって使用されたとか。 フリードリヒ5世の時代、ボヘミアの王位をかけたプラハ郊外の戦いに敗れ、 カトリックとプロテスタントの争ったドイツ三十年戦争の折りに消滅した、と書いてありました。 お城の外郭から眺めたネッカー川の風景は良かったです。
ここウルム大聖堂は、思ったほど足は疲れませんでした。 O氏が大変だと言っていましたが・・・。 還暦"猿頑石"より、「Oさん、ウルムに行ったのでよろしく」とのことです。 高さ161m、768段の階段はらせん階段で、ぐるぐる回りながら上りました。 なにしろ小学生がその狭い空間で奇声を発するので、それがこだまして耳がどうにかなりそうでした。 でも仕方ないでしょう。嬉しいのですから。 私と一緒に上り下りした4才の男の子がいました。 お母さんに手を持ってもらわず、見守りながらの昇降でしたが、落ち着いていました。 「いくつですか?」とお母さんに聞くと、4才とのことでした。 孫の翔のことを思い浮かべましたよ。
ウルム大聖堂内で荘厳なパイプオルガン曲を聴きながら、これを書いています。 O氏のおすすめで途中下車してみました。 ちょうど、夏休みの小・中学生を引率した先生と生徒たちで騒々しいですが、 おりしも今日もたまたまパイプオルガン曲を聴くことが出来て幸せです。 162m、768段もある石段は、さすがにらせん階段でしたが、 まわりが囲まれていたのでこわくなかったです。 汗をかきながら上りました。 尖塔の上からは、ドナウ川の流れに街がひらけていて美しかったです。 ちなみに、パイプオルガンのパイプ数は8370本もあるそうで、 ステンドグラスもとても美しいものでした。
ペンションにて、曇り空です。 やはり半袖では室内でも寒いので、長袖シャツを着ています。 おまけに薄い毛布1枚のベッドでしたので、昨夜は重ね着して寝込みました。 こんなことはどこかで1度体験しましたが、いつも半袖シャツとショートパンツで眠れていたのにです。 最近、この地方は雨が多いそうです。 でも、ザーッと降って、さっとやむのも面白いですね。 あまりいい環境ではありませんが、とにかく誕生日(64才)を迎えました。 早いものです。 せめてロマンチック街道でと思いましたが。 レジデンツ宮殿北側の幾何学模様の公園のベンチです。 広大なイングリッシュ・ガーデンを歩いて少し疲れたので、ひと休みです。 ともかくいい誕生日になりました。 駅で、明日のウルム→シュツットガルト→マンハイムの時刻表を手に入れて おもちゃ博物館、ペーター教会へと進み、レジデンツ宮殿内へ入りましたが、 月曜日はミュージアムの休みが多く、ここも休館で残念でした。 かなりいいものが見られる予定でした。 ひょいと入った聖ペーター教会はミュンヘン最古の教会で、11世紀の完成。 後にすっかり改造されてバロック風外観になったようです。 内部の装飾は有名な巨匠たちの手によるものらしいです。 明るい内部に入ると、いきなりオーケストラに美しいテノールとソプラノ合唱団の音楽が 教会内にあふれているではありませんか。びっくりしました。 レコードかなにかのようでしたが、音の響きも良く、終わるまで私へのエールと思って聴いていました。 巨匠の手によると言われるだけあって柱に1体ずつの銅像(金メッキ)が等身大に付いており、 その柱に方向を変えて絵画がひとつひとつ 天井に近い場にも大きな絵画が天井に描かれていて、 それを眺めながらのリスニングです。 ヨーロッパをどこを歩いても音楽に満ちあふれています。 特にメイン通りは人が行き来するので、お金が入ります。 つい私はお金を入れてしまうのですが、昨日はアコーデオンでワルツを弾いていた人に1マルク、 今日はバグパイプの男女2人連れに1マルク入れました。 とても良かったです。 今日のバグパイプは珍しいのか、円形になるほどの人が囲み、お金もかなり入っていました。 その他、時に人気を呼ぶのは南米のあの音楽(サンバ?)で、口で鳴らす笛もさることながら ジャジャジャと鳴らすマラカスと、5〜6人が勢いよく合奏と合いの手を入れるかけ声には どこの街も人だかりです。 日本のものは受けるでしょうか? やはり異文化が受けているようですね。
今朝、NIさんという中年の日本人女性に出会い、私が1日早く着いていたので いろいろと情報をあげて喜ばれました。 NIさんは既にチェコを回ってこられており、いい場所を教えてもらいました。 ボルダウガウとCESKEKRUMLOVです。 宿はすべて観光案内所へまかせたとか。 ユネスコの世界文化遺産に登録されたところらしいです。 後者はホーエンシュヴァンガウを小型にしたような場所で、城もあってきれいでした、とのことです。 ドイツ北部で暑い日々を過ごしたので、まさか南部に来て着ることはないと思っていたネル製のシャツ、 そしてパーカーを重ね着してもゾクゾクッときそうでした。 雨ということもあるのですが。 こんなに変化するヨーロッパの気温では、みんなも大変でしょう。 半袖、ノースリーブから、セーターやジャケットを着込んでいる姿はざらです。 昨夜、夕食を食べに外に出たらフリースを着てくれば良かったと思うぐらいでした。
ロマンチック街道の終点、フュッセンからTELが入った。 体調など問題はないようであるが、いささか長旅で疲れたようでもあった。 フランクフルトのシンガポール航空オフィスで帰国便の予約をしたそうだ。 スペインのマドリードを10/4に発つ便にしたそうだ。 これまでの行程を以下に示す。 7/14(月):フランクフルト滞在;フランクフルト市内観光 7/15(火):フランクフルト→ヴュルツブルク→クレクリンゲン→ローテンブルク(ロマンチック街道) 7/16(水):ローテンブルク→ディンケルスビュール→ネルドリンゲン 7/17(木):ネルドリンゲン滞在 7/18(金):ネルドリンゲン→フュッセン 7/19(土):フュッセン滞在;ノイシュヴァンシュタイン城観光 これからの予定を以下に示す。 7/20(日):フュッセン→ミュンヘン 7/21(月):ミュンヘン滞在 7/22(火):ミュンヘン→マンハイム 7/23(水):マンハイム滞在;ハイデルベルグ観光 7/24(木):マンハイム→マインツ 7/25(金):マインツ→ケルン;ライン川下り 7/26(土):ケルン滞在 7/27(日):ケルン→ユトレヒト(オランダ)
今日、ノイシュヴァンシュタイン城へ行きました。 なにしろ、日本人がいっぱいでしたよ。 何人かとおしゃべりした中で、シュツットガルト在住の日本人AKさんと、 多摩農園19名のみなさんと親しくおしゃべりしました。 ロマンチック街道はバス路線も美しく、来て良かったと思っています。 お城の中もすごくきれいで、あんなに素晴らしい城へ170日しか住めなかった ルードヴィッヒ2世は気の毒ですね。 フュッセンの教会の中もきれいで良かったです。 大理石がふんだんに使われ、明るい教会で、目を見張りました。
ディンケルスビュールで50分観光して、ここネルドリンゲンに到着したのが午後5時。 この宿は(!)で紹介してもらいました。 バス添乗員のシンクレットさんに(!)の見えるところまで案内してもらいました。 あさって(7/18)、「フュッセン行きのバスはここから出ますよ」と教えてもらい、バスとお別れ。 車中で知り合いも7〜8人(日本人)出来たので、少し寂しかったです。 「戸野さん、元気で気をつけて旅をしてね」と何人かから声がかかり、嬉しかったです。 ディンケルスビュールはとても美しい街でした。 家々の花が、それぞれ1軒ずつ統一性を持たせているので、それがまたきれいだったこと。 ローテンブルクより道が広く明るし、開放的でした。 聖ゲオルグ教会は、私が初めて美しいと思った教会でした。 大変気に入りました。 7/17、ネルドリンゲンにて バス停近くのレストラン付近をウロウロしていた私を見つけた添乗員のシンクレットさんは、 「ハロー」と声をかけてくれました。 昨日と同じレストランで食事をしたいのだと告げると、またレストランまでついて来てくれて、 日本語のメニューを出してくれるよう頼んで「よろしく」と言ってくれたようです。 おかげで、おいしい子牛のソテーとサラダを食べることが出来ました。 明日(7/18)のフュッセン行きバスの予約と、フュッセンの宿の予約を入れてくれるなど、 大変よくしてもらったので、お別れの時は心からお礼を言いました。 彼女も「アリガトウ」と日本語で答え、「See You 18!」と言いました。 勤務が当日になるようで、再び会えることを知り嬉しくなりました。 このように、長期のバスでは人の心と心が通い合う良さも発見しました。 10時前、宿を出てあてもなくブラブラしました。 涼しいうちに城壁へ登って歩こうと思い、決意。3.5kmあるそうです。 中央ぐらいまで行ったとき、ミュージアムが塔内にありました。 最上階まで登ると非常にいい眺めでした。
ロマンチック街道を行くバスで、とても明るい親切な女性添乗員に出会いました。 とてもいい人で、私の英会話能力に合わせて、親切に世話を焼いていただきました。 私のメモを見て、ローテンブルクの宿がまだ決まっていなかったので、予約してもらいました。 車内から携帯電話で予約してもらったのです。 ローテンブルクに降りた人のほとんどは(7人)、この宿の人でした。 観光前の自由時間を勘違いした私でしたが、 添乗員のシンクレットさんはいやな顔ひとつせず優しく接してくれました。 ローテンブルクは、メルヘン街道より色(日照)が柔らかく感じます。 人々も何となくふんわりとした明るさをもっているように思います。 南ドイツの人たちの気質なのかと思いました。 この宿(1泊35DM)は、マルクト広場まで15分ですが、目の前に広い丘陵地帯が広がり、 とても明るくしっとりとした住宅地の中にあるのです。 中にはいろいろな草花が植えてあるし、静かで気に入りました。 オーナーの女主人も、とっても明るくて、素通りしなくてよかったと長男に感謝します。 ローテンブルクはアメリカ人と日本人ばかりだと悪口を言われていたので、期待していなかったのに、 気分のいい田舎で来てよかったです。 ここへ来るまでの間、バスは素晴らしい風景の中を走り抜けているのに、 前も後ろも、横も、若者はみんなウトウトとしています。 「なんでバスに乗っているの?」と思いました。 左右に展開する丘陵地帯には、黄色く色づいた大麦、緑の葉野菜、ヒマワリ、ラベンダー畑、 そしてブドウ畑も果てしなく続きます。 ヒマワリがみんな太陽に向いているのは、話には聞いていましたが本当なので、 「やあ〜、本当だ」と叫びたくなるぐらい楽しかったです。 市街地をブラブラした時、城壁を歩いている人を見つけたので、階段を見つけ私も歩いてみました。 どうということはありませんが、すり減った石を見たり、見張り窓を見て少し中世のことを感じました。 目に付くのは店先に吊した店の案内看板です。 とても工夫を凝らしていて、素晴らしいものがたくさんありました。 他に人形とおもちゃ博物館へ行って来ました。 貴族の大人たちが好んで集めたと言うか、作らせた、ドイツのマイスターたちのおもちゃは大変いいものでした。 今も作られて商品としてたくさん並べられており、欲しいのですが、 荷物になるし、送料が高くつくので思案中です。 ちょっとしたものでも2万円ぐらいするし、総量も1万円ぐらいだそうです。
帰国便(シンガポール航空)の出発日を変更しようとしてHISのフランクフルト支店に電話をかけました。 しかし、お店では取り扱い業務外ということで、シンガポール航空オフィスの電話番号を教えてもらいました。 ところが、これが旧番号で、電話口で新番号をアナウンスしているのですがドイツ語で聞き取れません。 どうにもならないので、面倒を承知でHISに再び電話しました。 とても親切にHISフランクフルト支店への行き方を教えてもらいました。 HISのオフィスでは、おしゃべりの相手からコーヒーまでごちそうになり、よくしてもらいました。 また、仕事が忙しいのにシンガポール航空へ帰国便の変更を交渉してくれ、 1時間半ほどたって、ようやく変更のOKが出たとき、担当のMさんは一緒に喜んでくれました。 「こうなったら、とことんおつきあいしますよ」とMさん。 わざわざ私に昼食をつき合ってくれたのです。 もうこれは単なるお世話ではなく、本当に身にしみてわかるぐらいの好意でやってもらったように思います。 何度もお礼を述べ、オフィスを後にしました。 ゲーテミュージアム(ゲーテの生家)を訪れました。 戦災で焼けたらしいのですが、家財は疎開させていたので本物です。 この家は5階建てでかなり大きく、1749年にゲーテが生まれ育った家だそうです。 皇帝の顧問を務めた父親を持つ裕福な家庭だったらしく、大きな家具や絵画があり、 ゲーテの文章も残されていました。 ドイツに7年在住しているHISフランクフルト支店長のKさん曰く、 「1日に1度はこの日本料理店で食べています」とのこと。 私が旅に出て3ヶ月間、全く日本料理を口にしていないのを聞いて、他の日本人にも 「ひとりでヨーロッパを旅して3ヶ月目に初めて日本食を食べられたんですよ!」と紹介してくれました。 その男性は「お母さんすごい、気をつけて旅して下さい」と励ましてくれました。 ロマンチック街道のバス予約時、現地滞在している日本人の若夫婦に助けてもらいました。 TKさんと言われる、ご両親が広島出身の親切な方でした。
今日、フランクフルトに到着した還暦"猿頑石"よりTELが入った。 健康、治安など、特に問題なく旅を続けているようであった。 これまでの行程を以下に示す。 7/ 8(火):カッセル滞在;ゲッティンゲン、ハンミュンデン観光 7/ 9(水):カッセル滞在;フルダ、アルフェルト、ハーナウ観光 7/10(木):カッセル滞在;休養日 7/11(金):カッセル→マールブルク 7/12(土):マールブルク滞在;マールブルク市内観光 7/13(日):マールブルク→フランクフルト これからの予定を以下に示す。 7/14(月):フランクフルト滞在;フランクフルト市内観光 7/15(火):フランクフルト→ロマンチック街道へ(ローテンブルク)
今、アルスフェルドの駅です。 「赤ずきんちゃん」の故郷と言うのですが、木組みの家はたくさん残っていて 美しい雰囲気をかもし出していたものの、 「赤ずきんちゃん」の”赤”の字もない所でした。 絵はがきなり、キーホルダーなりを買おうとしたのですが残念。 あまりにも商売気のないのも、ちょっと寂しいですね。 その点、フィンランドのサンタ村はすごかった。 ここに来るまで道中は田園風景の美しいところで、どこも北海道のようでした。 ここへ来る前にハーナウへ行って来ました。 ハーナウはグリム兄弟の生まれたところで、中心街を外すともう川が静かに流れ、人通りもまばら。 やたらと街路樹が茂り、木立の中に家が建っているといった、よい環境の所でした。 グリムの街を、お城から歩いてみました。 風に吹かれ、涼しいぐらいで、木陰はむしろひんやりとしていました。 新市街地の真ん中にグリム兄弟が立った銅像があり、そこはマルクト広場です。 びっしりとマーケットが建ち並び、果物や野菜などの店がいっぱいで、 市民がてんでに買い物をして賑わっていました。 誰ひとりとしてグリム兄弟の銅像に注意を払わず、私は近くにいた人に頼んで写真を撮ってもらいました。 お城が歴史博物館となっていて、典型的なバロック様式の宮殿だそうです。 当時の王様や家族の絵、そしてハーナウ焼き、中世の略奪、戦争を描いた絵はとても凄惨でした。 首を切ってぶら下げた兵隊、首なしの胴体は赤く血が噴き出しているし、 赤ちゃんも剣で突き刺されたりと、そんな絵もありました。 それにしてもみんな親切です。 今日も何人の人に道を尋ね、ていねいに教えてもらったことか。 時には、わざわざ見える場所まで連れてきてくれるし、わかりそうなところまで来てくれる。 バスの番号やら、バス賃やら、いろいろと教えてくれます。 それはそれはありがたいことです。 聞くまでは、みんなこわいぐらいの表情で歩いていますが、 いったん会話を始めると、とことんつき合ってくれて嬉しいです。 ドイツ語しか言えなくても、ボディランゲージをつけてくれるので、よくわかります。
ハンミュンデンは美しかったです。 川と森と木組みの家並みがよく保存されていました。 小規模でいい街でした。 ゲッティンゲンは、残っている建物は少なく都会でガッカリしました。 ハーナウ、アルスフェルドは静かで落ち着いた街でした。 ここでは乞食を見かけます。 ハノーファー、カッセルなど都会地です。 若い者も子どもを連れたり、犬を連れて帽子を差し出しています。 とても気持ちが揺れ、時々お金を入れています。 日本でも大都会では見かけるのでしょうけど、とてもわびしいです。 ハンミュンデンで何か食べようと入ったところが、トルコ料理のケバブ屋さんでした。 私にはあまり見分けがつかなかったので、店員に「トルコ人?」と聞いてみました。 やはりそうらしく、懐かしかったので「私、パムッカレに行ったんよ!」と続けました。 せっかくなので、店の前でおばさんと写真を撮りました。 ドイツに出稼ぎに来ているらしいです。
カッセルに来ました。 今、気分的に面白くなく、書こうとすることがうまくできません。 今日(7/7)はちょっと疲れたので、ひとりになりたくて駅近くの安宿(素泊まり3800円)です。 屋根裏部屋でシーツもなく、バス、トイレは共同です。 石けんもおいていないのですが、チョコレートとジュースが置いてあっったので、 今、食べまくっています。 ベルリンに入って案外いい宿に恵まれました。 65DMでしたが、たっぷりの朝食ときれいなシーツが準備され、愛想の良いおじさんでした。 もう少し居たいぐらいで、街もみんな人が良さそうでした。 ハノーファーに入ったら、ちょっと身の危険を感じる雰囲気でした。 駅でウロウロと行き先の電車Uバーンを捜していたら、親切に教えてくれたのですが、 お金をくれとせがまれ、1マルクやりました。 ハノーファーで2泊したので、ブレーメンとハーメルンへ行って来ました。 (7/5:ミュンデン、7/6:ハーメルンとブレーメン) 7/7はカッセルに来たのですが、あまりに大きな街で見所がよくわかりません。 これから地図を頼りに歩こうかと思っています。 メルヘン街道の様子をガイドブックで見るのですが、大まかなので行き方がわからず困っています。 ハンミュンデンとゲッティンゲンは、明日(7/8)出かけます。 ハーナウとフルダは列車で行けそうです。 これまでの行程実績は、以下の通り。 7/ 2:コペンハーゲン滞在、市内&近郊(ヘルシンガー)観光 7/ 3:コペンハーゲン→ベルリン 7/ 4:ベルリン滞在 7/ 5:ベルリン→ハノーファー、ミンデン観光 7/ 6:ハノーファー滞在、ハーメルン&ブレーメン観光 7/ 7:ハノーファー→カッセル これからの予定は、以下の通り。 7/ 8:カッセル滞在;ハンミュンデン、ゲッティンゲン観光 7/ 9:カッセル滞在;カッセル→マルブルク→フランクフルト→ハーナウ→フルダ→カッセル 7/10:カッセル滞在 7/11:カッセル→ロマンチック街道へ
ブレーメンとハーメルンは、ハノーファーから日帰りで出かけてきました。 小さい旧市街で、駅から10分。 全部見て回るのに時間はかかりませんでした。 「ブレーメンの音楽隊」の像も小さくて、「なんだ」と思うほどでした。 ハーメルンは、思ったより明るいひらけた街で、周囲には農地が果てしなく広がり、 北海道を大きくしたようなところでした。 町中はとてもきれいで、よもやあの悲劇「グリム童話・ハーメルンの笛ふき」があった土地とは思えません。 街角には、あちこちでクラシックの曲を流し、お金を入れてもらっていました。 ハーメルンでは、正午から野外劇が行われたので、ひと列車遅らせてしっかり見てきました。 やはり世界の人に知られた話なのでしょう。 老若男女みなひきつけられ、広場は人で埋め尽くされるほどでした。 本場で味わう「ハーメルンの笛ふき」、これは大変良かったです。
とても居心地のよいベルリンからハノーファーへ。 メルヘン街道の出発点に、この地を選びました。 ブレーメンにもハーメルンにも近く、日帰りできそうだったからです。 ミンデンはなぜ?と思うでしょう? 川か運河が土地より十数メートル上を流れていたとガイドブックにあったので行ってみました。 しかし現地に着くと、川は当たり前に下を流れています。 現地の人に聞いてもわかりませんでした。 2時間ぐらいいるつもりでしたが、1時間で切り上げました。 後で調べてみると、降車駅をひとつ間違えていました。 今日、ハノーファー中央駅に降り立ち、Uバーンに乗るべく、 自動券売機のチケット代がいくらか思案していると、30才前後の男性が近づいてきて、 親切にチケットの値段を教えてくれました。 それまでは良かったのですが、「食べる金がこれしかないので恵んでくれ」と頼まれました。 酒臭くアル中なのでしょう、別にすごまれたわけではなかったですが、1マルクやりました。 階段を下りて行くと、別の若い男が何かを言って近づいてきました。 強く「ノー」と言ってやると、その男はさっさと逃げて行きました。 何となくハノーファーは、街並みも汚く、紙くずは散乱して、 若い者があちこちとたむろしている姿が目につきました。 あの北欧のみんなの幸せそうな国から一変して、物騒なところへやって来たようです。 2泊してここを去ります。 それにしても、列車から見る東ドイツ側のさびれ方は人気のない廃墟のようで、 寂しいようなこわいような風景として目に映りました。 今日、ハノーファーに列車で向かう途中、そんなところを通りかかり、 ベルリン駅で親しくなった台湾人のご夫妻が駅員に尋ねていたのでわかりました。 ベルリンでもそうですが、活気のある西ドイツ側と東ドイツ側では、だいぶ雰囲気が違いました。 どこを歩いても大きな樹木の並木があります。 特にベルリンのブランデンブルク門から西にかけては、光も射さないほどの繁りようで、 人も入り込めないほどでした。 もう少し間をあければいいのに、と思うほど無骨なまでの木々の繁り方には、ただ驚くばかり。 まあ都会ですから、あれほどの緑が必要なのでしょう。 ハノーファーのYHはUバーンで10分ですが、川が流れ、人気もまばら。 そして大きな森、所々まばらに運動施設があります。 日本の様子を見慣れた私には、非常にうらやましい存在です。
昨日(7/3)、夕方5時半にベルリンのツォー駅に着いた私は、ちょっと不安でした。 出発前に読んでいた紀行文の中で、ベルリンで被害に遭ったこわい体験を読んでいて、 出来ればベルリンは避けて通りたいと思っていたぐらいでしたから。 ところがまあ、だいたい同じような駅前広場のにぎわい。 そして、みんなぞろぞろ楽しそうに往来を行き来していました。 特に、ヨーロッパセンターというインフォメーションに行く時、広島の原爆ドームのように 戦争の記念碑として残してある教会前の通りでは、あちこちで歌やあやつり人形を披露して、 お金を投げてもらっている人を見ました。 インフォメーションで宿を紹介してもらい、インゼル・リューゲンというペンションにやって来ました。 フロントには頭頂部のはげた丸っこい顔のおじさんがいました。 パソコンをパチパチとたたいて、いろいろひとりで処理しているのです。 「ハロー!」と言って紹介状を見せると、おじさんは明るく答え、またパソコンへパチパチと入力。 すぐにルームキーをもらって部屋に入室しました。 久々のホテルであり、8時間の列車の旅で疲れたのかぐっすり眠れ、すっかりリラックスしました。 今朝は、おじさんに街歩きのことを聞くと、地図を出して大変ていねいに教えてくれました。 バスに乗っていて降りるところがわからず困っていたので、降りぎわの人に尋ねてみたところ、 わざわざ次のバス停まで一緒に乗ってくれ、笑顔でバイバイしました。 それ以外にも、あちこちで方向を見失った私は、おまわりさんをはじめいろいろな人に道を尋ねました。 その誰もがとても親切に対応してくれたのです。 これですっかりあの”こわいベルリン”のイメージは一新。 大好きな街になりました。 アレキサンダー広場でバスを降りて、引き返すような形で歩きました。 アレキサンダー広場の近くのタワーへ行く通りで、あのブランデンブルク門で、 ”ベルリンの壁崩壊”=ドイツ統一の写真を見て思わず涙が出ました。 ペルガモン博物館は圧巻でした。 日本語観光案内のカセットを借りて見て回ったのですが、とてもよく説明が入り、よく理解できました。 それにしても素晴らしい遺跡の展示でした。 人間の素晴らしい知恵をあらためて感じました。
ハンブルグ中央駅で、コペンハーゲン行き夜行列車待ちの還暦"猿頑石"から封書が届いた。 封書で知らせてきたスイスでの様子は、「スイス編」に書いているので、そちらを参照してほしい。 スイスを出てからの行程実績は、以下の通りである。 6/15:チューリッヒ中央駅→ハンブルグ中央駅(夜行列車) 6/16:ハンブルグ中央駅;市内散策→市庁舎→旧市街→聖ミヒャエル教会→エルベ川港→中央駅 ハンブルグ中央駅→コペンハーゲンへ(列車) 6/16 今朝、チューリッヒからの夜行列車でハンブルグ中央駅に着きました。 時間があるので、駅に荷物を預けて、テクテク市街地を歩きました。 曇っているせいもあるのでしょうが、緯度もだいぶ北になるので寒いのでしょう、 みんなコートを着て、マフラーまでやっている人もいました。 朝早いせいもあって、歩いているのは私と外に2〜3人です。 運河に沿って歩いてみました。 出発前に心配していたものの、全然怖がることもない静かな街で、仕事をする人はせっせと働いていました。 道を尋ねても非常に親切だし、むしろナポリあたりの方が怖い印象がありました。 →当然です(長男談) 運河の段差のところを、初めて見ました。 ハンブルグは大きな港のようです。 <街で目立つこと> 障害のある人が、よく街を歩いています。 犬を連れた目の不自由な人、白い杖をついた足の悪い人、車椅子に乗った人。 みんなで助けています。 <おとなしい犬たち> 決してほえたりしません。 主人の横にぴったりくっついていて、主人を引っ張って歩く犬を見たことがありません。 主人が用事を済ませるまで、ジッと外でおとなしく待っています。