ノールカップの郵便局から投函された絵はがき(真夜中の太陽)が届いた。 その内容を以下に紹介します。 とうとう来ました。地の果てです。 こんな所にも住んで生活している人たちがいることに感動しました。 大画面の映画を見ました。 まるで自分が海に潜ったり、空を飛んだり、崖を登ったりするような感じでした。 それによると、高山植物のような美しい花も咲いていて、海の中も大変豊かなのに驚きです。 広島のNOさんと一緒でした。 残念、真夜中の太陽は霧で見えません。
ヨーロッパ最北端であるノールカップからTELが入った。 折しも暦は夏至の日、真夜中の太陽がサンサンと照っていると言いたいところだが、 あいにく霧で太陽は隠れているらしい。気温は5℃ぐらい、やはり寒いそうだ。 それでもさすがは白夜だけのことはある。 深夜の12時を過ぎたというのに、かなり明るい模様だ(当たり前か)。 真夜中の太陽は、ホテルのある少し南の街・ホニングスヴォーグで眺められるだろう、 とのこと。 ノールカップでは、夏至の日だけではなく、前後80日間も白夜が続くという。 フィヨルドの美しいベルゲンへは、片道7時間かけて列車で日帰り往復した模様。 現地に着いて30分ほどで帰路についたというから、観光する暇はなかったらしい (当たり前だ)。 それでも、往復の車窓から眺める森の風景は美しい、と言っていた。 これから後、6/22にホニングスヴォーグを飛行機で出発し、深夜にオスロ着。 そのままYHに宿泊。 6/23に、フェリーでスウェーデンのストックホルムに入った後、 夜行列車でフィンランドのロバニエミに向かう予定とのこと。 ロバニエミは、サンタクロースの故郷として知られている。 当初は、物価が高いので寄らないつもりでいたが、 孫娘との約束を思い出し、決行することにしたらしい。 その約束とは、ロバニエミ郵便局から、 サンタクロースが日本の孫娘宛に手紙を送ってくれること、だそうだ。
オスロYHの朝食は最高でした。 ヴァイキング方式なのですが、まあ、その種類の多いこと。 パンもコーンフレークも多数。ジャムも数え切れないぐらいあります。 そして、ハム、チーズ、バター、サラダ、ピクルス、魚のからし和え、 他にも魚の和え物がありました。 こんなのはホテルでも経験したことはありませんね。
フィヨルドの美しいベルゲンへ日帰り(鉄道往復14時間)で観光に来ています。 かなり忙しく、観光する時間もありませんが、せっかくだから来ました。 それはまあ、ともかく、今までの車窓から眺めた景色は、初めてみ見たものです。 山は低く、所々黒い土を残してはいますが、だいぶ残っています。 湖にも雪や氷が残り、木々は2〜3mで地を這うように感じられました。 Myrdalを抜けると、一変して日差しは強く、木が茂りはじめてきました。 山はちょっと高くなり、岩山ですが、川の流れに沿って、やっと春を迎えたように芽吹きはじめています。 どんな所にも、家が寒々と建っています。 里あたりでライラックの大木が(高さは低い)花盛りでした。 窓外は意外な展開。 遠くの山は雪を抱いているものの、里は家が建ち並び街です。 草花も咲き乱れています。ボスだそうです。 途中、フィヨルドを眺めつつ来たとはいえ、ベルゲンは海ひとつ見えず、美しい街でした。 いたる所に公園があり、広場があり、木々は茂り、街のショーウィンドウはあか抜けていて、 手を入れてある自然の美しさは、スイスかそれ以上のものがありました。 2〜3泊過ごしてフィヨルドを見に行けたら、もっと良かったかも。 そして暖かいというより暑いので、長袖のTシャツを脱いだぐらいです。 オスロよりベルゲンで滞在した方が良かったかも。 今、窓外は北海道の清里の風景です。 美しい丘陵に麦らしい緑の波が見られます。 白樺の木も平地に美しい木立を見せて、時々牛が草をはんでいます。 家と家は遠く離れて、寂しそうです。 それにしてもpm8:20、まだまだ明るいです。
ノルウェーのオスロに入った還暦"猿頑石"からTELが入った。 とりあえずオスロYHにチェックインし、3連泊の予約をしたらしい。 さっそくノールカップ行きの手配を始めたが、折しも学生の夏休みと重なり、どこもいっぱい。 それでもなんとか飛行機と宿の予約に成功したらしい。 それまでに多少時間があるので、ノルウェー随一のフィヨルドの観光地・ベルゲンまで日帰り観光する模様。 とにかく、物価が高い高い、とこぼしていた。 今後の予定は以下の通り。 6/17:オスロ滞在;オスロYH 6/18:ベルゲン日帰り観光;オスロYH 6/19:オスロ滞在;オスロYH 6/20:オスロ→ノールカップ;ホニングスヴォーグ泊 6/21:ノールカップ滞在;ホニングスヴォーグ泊 6/22:ノールカップ→オスロ;オスロYH 6/23:オスロ滞在?
こちらは寒いです。 半長Tシャツとジャケットでも肌寒いのでスカーフをしたりしています。 風は強く雨模様です。 オスロ市街地は、はっきり言って面白くありません。 見るべきものはなし、です。 <大阪からの合唱団員(男性3人、女性15人)と出会う> コペンハーゲン→オスロまでの列車でした。 各国の施設を訪問して合唱して回るのだそうです。 毎年団員を募って各国に出かけるとか。 私が1人旅をしているというので、人気者になり、ビデオにまで収められました。 少しばかりの話もしました。だいたい同年齢のようでした。 そして「日本の味よ」と言って、アラレ一袋をもらいました。 <ハンブルグ→コペンハーゲンまで石川県出身のKA氏と一緒になる> これが娘婿とそっくりなので驚きました。 アジアを中心に放浪の旅をしているそうですが、今回はニューヨークへ4ヶ月の語学留学。 そしてヨーロッパを回り、旅仲間のスウェーデン人とイギリス人?の所へ泊めてもらうそうです。 <コペンハーゲン中央駅にて日本人に遭遇する> KA氏と駅構内を歩いていると、岐阜県出身の日本人MIさんから声をかけられました。 3人で、「こんなこともありますね」と驚きました。 「北欧へは日本人は少なく、地元の人たちはみなやさしく、治安もいいですよ」とのことでした。 「ぜひ、コペンハーゲンへ!」 「困ったことがあったらTEL下さい!」と連絡先を教えてもらいました。 MI氏は「生きた日本人とおしゃべりした」と喜んでいました。