これまでにも、近い場所とか日にちが経っていない場合には、時々旅人との再会があります。 日本人女性のKAさんとは、ナポリで出会った翌日ナポリ中央駅で再会しました。 そして、さらに3日後にヴァチカン王国で出会い、また一緒に観光。 ドイツ・ロマンチック街道のローテンブルクで出会った若い香港人夫妻とは、 13日後にオランダの風車の村。ハールツァレンスで再会しました。 その他にも近い場合はままありますが、昨日のOS氏との再会には驚きました。 お互いの安全と健康、これまでの旅の経過を確認し合い、喜び合いました。 この場合も、ほんのちょっと時間がずれていたら、あの人混みの中ですから出会えなかったでしょう、 その偶然を不思議に思いました。 こちらで知り合った日本人女性のKAさんと2人でイタリア人のおじさん達と おしゃべりしているところへOS氏が目の前に現れたのです。 お互いに相手を指さし、「どこかで会いましたね」。 さすがに若い人は、そのどこかを思い出しました。 「ストックホルムから50日ぶりですよ。」 「東欧各地を回ってきました。」 「エストニアはよかったです。」 古い街並みがそのまま残っていたこと、そしてわざと迷うように街づくりがしてあったそうです。 道に迷ったことなど、話してもらいました。
ミュンヘンからミラノ行きの列車に乗り込みました。 ヴェネツィアへはヴェローナで乗り換えます。 忙しいですが、明日はインスブルックへ直行便に乗って帰ります。 ベニスを見なければイタリアではない、ということで疲れをおして行くことにしました。 昨日(8/19)は、久々に思いザックを背負って新しい国への移動で、 緊張が極限に達し、腹痛を起こしました。 今回はひとまず帰ってこられる宿もあるし、軽い荷物なので 身軽と安心感からヴェネツィア行きを楽しみにしています。 インスブルックからヴェローナまでとヴェローナからヴェネツィアまで。 小さな子どもを連れた家族と同じコンパートメントでした。 前半、お母さんは若いイタリア人で大変親しくイタリア語で話しかけてくれました。 女の子に、私のことをセニョーラと言っていました。 ヴェネツィアは5世紀に、東方からの異民族の侵入に追われた人々が アドリア海の茂みに逃げ込んで集落を作ってからイタリアを代表する都市国家の1つに成長し、 1000年の繁栄になる、とガイドブックに書いてありました。 見かけはスウェーデンのストックホルムの水辺の都市を思い出しましたが、やはりちょっと違います。 水位より低くなった出入り口があちこちに見られ、水路が張り巡らされています。 街は迷路のように入り組んでいましたし、家々の窓から洗濯物が干されて生活のにおいがしました。 各家に近い水路にボートがつながれ、「あれは自家用船だね」と話しながら歩きました。 実際、家族が5〜6人乗って水路を走っているボートも見ました。 ゴンドラもゆらゆらと観光客を乗せて動いていましたが、見るだけにとどめておきました。 ボラれることが多く、評判が悪いそうです。
6/6 イタリアも南は農村地帯、果てしなく続くブドウ、オリーブ、オレンジの畑が続きます。 古びた建物は汚かったナポリですが、コモはもうスイスの影響でしょうか、自然も美しく落ち着きます。 もう一度チャンスがあったらここに落ち着きたいところです。 ヴェネチアに来る時に寄るかも? 線路はゴミと草だらけ、よくまあ列車は脱線しないものだと感心します。 列車の車体は芸術?落書きだらけですが、イタリア鉄道は平気です。街もみんなそうです。 最近よく眠ります。なぜか列車、バス、メトロに乗ると眠くなるのです。 先日、ピサ行きの列車の中で前に突っ込むほど眠りました。 緊張がとけたのか、YHでもよく眠れます。 YHに入り始めは眠れなかったのに、今では大勢の方がよく眠れます。 慣れるとは不思議ですよ。 6/7 列車はコモ駅を定刻に発車、スイスのルガーノに向かっています。 緑したたる美しい風景の中に、きれいな民家が点在しています。 ルガーノ湖が見えました。 こんなに一転して、すっきりくっきり美しい街並みになるのでしょうか。 まるで「湖面を見てください」というように、列車は湖畔をカーブして走っています。 チリ、ゴミひとつ落ちていません。
還暦"猿頑石"よりTELが入った。 しばらく音沙汰がなかったので、少々心配していたのだが元気そうであった。 その後の足取りは、ローマを出発してから鉄道でフィレンツェへと向かい、そこに3連泊。 日帰りで観光都市・シエナと、ピサで「ピサの斜塔」を観光、ミラノを経由してイタリアの湖水地方と呼ばれる 風光明媚なコモに入ったとのこと。宿泊したユースホステルがとても良かったらしい。 コモから近いので再びミラノをゆっくりと見物したらしい。 シエナが良かったと言っていた。 体調は問題がないのだが、相変わらずATM機によるVISAカードのキャッシングが出来ないでいる、 と不具合を訴えていた。 カードの磁気部分に傷でも入っているのだろうか?
レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」は素晴らしい。 そして彼の設計した模型も展示してある科学博物館に行きました。 天才(マルチ)です。 あんな人がいるのでしょうか。 絵画、建築、その他あらゆる分野に業績を残しているのですね。 イタリアは、やはりすごい国でした。
コモYHは家族経営らしい。 @奥さんが非常に親切であること。 A朝食付きで15,000リラ・・・安い。 B最大の良いところ、専門のコックさんがいておいしい料理が出ること(希望者は予約要で14,000リラ)。 イタリアに入って初めておいしい料理を食べました。 スパゲッティ・ミートソースかけたっぷり、そしてチキンのソテーと野菜、さらにフルーツで締めくくり。 アクア(水1/2リットル)、パンも込みです。 思わず「デリシャス!」とほめてしまい、今夜も注文しました。 同料金のフィレンツェの、あのまずい食事とは大違い。まあ、人も多いので事務的になるのでしょうか。 とにかく、コモYHはおすすめの宿です。 コモYHで日本人青年に会いました。東京都出身のOT氏です。 2ヶ月の予定で物価の安いスペイン、フランス、イタリアを中心に歩いているそうです。 風邪をひき、おまけにちょっと高いところから飛び降り、足を痛めて元気がなかったです。 せめても、と思い、風邪薬を一服あげました。 ミラノ駅でも再会したので、ジュースをプレゼントしました。 夕食後、ワインが入ったせいか気分がいいです。旅にも慣れたせいでしょうか。 もう少しで2ヶ月ですが、このYHにアメリカ人のおばさんが同宿しています。 おしゃべりおばさんです。←あんたもそうじゃろ(長男談) 私にも話しかけてきました。単語を連ねて会話します。 「私はイタリアオンリー」 「私はヨーロッパをぐるりと回るの」 「何ヶ月?」 「8ヶ月よ」 「ワオ!!」 とこんな調子です。 ミラノ中央駅の両替コーナーで、JCBのマークを発見。 係員に(イタリア・リラ→スイス・フラン)のキャッシングを申し出、即成功。 いきなりお金持ちになった。
ミラノから封書が届いたので、まずはこれまでの還暦"猿頑石"の行程を以下に示します。 5/29:ナポリ→ローマ;Hotel Sweet Homeにチェックイン後、市内観光。 市内観光バスでコロセアム→バシリカ→フォロロマーノ、と観光した。 5/30:ローマ滞在;ホテル→銀行1時間待ち→バチカン市国→スペイン広場→トレビの泉 5/31:ローマ滞在;ホテル→列車予約(30分)→バチカンミュージアム→カラカラ浴場 6/ 1:ローマ・テルミニ駅→フィレンツェ;フィレンツェYH泊 6/ 2:フィレンツェ滞在;午前・・・ピサ観光往復、午後・・・フィレンツェ市内観光 (午後は、ミケランジェロの丘→ポントベッキオ橋→ウフィツィ美術館→ドウモ→) (ヴェッキオ宮殿(市庁舎)→メディチ家→サンタマリア・ハフベッラ、と観光) 6/ 3:フィレンツェ滞在;午前・・・シエナ観光、午後・・・ウフィツィ美術館 6/ 4:フィレンツェ→ミラノ(市内観光・・・ドウモ、スカラ座)→コモ;コモYH泊
たまたまランドリーでやり方を訪ねたのが縁で、韓国系アメリカ人のデビッド氏に大変お世話になりました。 私の片言英語を、辞書片手によく理解してくれようと努力してくれ、 「何かお役に立てば」と申し出てくれました。 「困難な旅をなぜするのですか?」とデビッド氏。 「苦しみ半分、楽しみ半分」と答えると、「i See」と言ってくれました。 たまたま「ロミオとジュリエットの里」を訪ねようと話していたら、それはボローニャではなく、 ベローナだということがわかり、日帰りは難しいので彼のすすめるシエナに行くことになりました。 「シエナならご案内します」とデビッド氏が言ってくれたので、私は後をついて行くことにしました。 デビッド氏は、ガイドブック片手に磁石を使いながら、人に尋ねることもなく、 テキパキと方向を決めて定めて行動するのを見て、私との違いに感心しました。 バス代、入観料、食事代とかなりの出費になりましたが、他国の人、 しかも韓国人青年に良くしてもらったのは感激しました。 シエナは大変古い街並みで、印象的で良かったです。 広場に集う人々を見ていると、昔もこうだったのだと、しのぶことが出来ました。 おまけに当日、カーラリーがあり、その一群に出会って思い切り大きな爆音をたて、 古い街並みを走るクルマに乗った人たちから手を振ってもらい、思わず嬉しくなりました。 フィレンツェYHに3日目にして、初めて日本人の男女が入りましたが、 彼らもシエナへ行って良かったと言っていました。よい拾いものをしました。
ピサ観光を早く切り上げ、フィレンツェを観光しました。 有名なピサの斜塔を見ました。よくまあ、あんなに傾いているのに建っているなと思うくらい。 日本人観光客も多いです。ピサでもローマでもフィレンツェでも団体さんに出会っています。 彼らから話しかけられることはありませんが、写真を撮ってもらうのに都合がいいので、 「おねがいします」と何度も利用しています。
今日、あの緊張するローマを離れました。 まあ、こんなに静かな所があるかと思うくらい、クルマの音ひとつしません。 今、教会の鐘の音が響いています。それもそのはずです。 このフィレンツェYHは、小さいけれど、もとお城の館だったからです。 緑濃い木々の中、小鳥のさえずりは聞こえてきます。 しかし13名も詰め込まれ(2段ベッド6台と中1名)、タコ部屋よろしくあまりいい感じではありません。 今、雨が降っていますが(旅に出て初めての雨)、戸を閉めていると、西洋人から暑いと言われ、 戸のそばにいる私は寒いのです。 西洋人は寒さに強く暑さに弱いようですし、私たちアジア人は反対ですよね。 明日(6/2)ピサへ行って来ます。6/3はフィレンツェの市内観光。6/4はコモへ。 途中、ミラノで乗り換えるので(3時間ぐらいある)、ミラノのドウモとスカラ座を見学してみます。 フィレンツェYHでは、朝食と夕食が提供されますが、夕食は別会計でした。 町中より高くとられ、おまけに30分も長い長い行列に並ばなくてはならないのです。 ナポリYHは、もっと要領も良く、値段も安かったです。 まあ、同じイタリアのYHでも、所変わればでしょうか。 ローマのスイートホームで出会ったOK氏から、ガイドブックの宿情報を仕入れたので、ちょっと安心です。 今回の旅で、この宿の情報がいかに大切か身にしみてわかりました。 と、こんな風にして今までみんなの情報を得て、ホテル探しには困っていないのです。 そうそう、ハンガリーは6/13から入国VISAが不要になったそうです。取得して損しました。
<イタリア人事情> イタリアの人はとにかく人はいいようです。 ただし、道順などウソでも平気で教えてくれるので、アッチ・コッチと振り回されてしまいます。 もっぱら、ペラペラのイタリア語です。 中には、大丈夫かいな、と後戻りまでして教えてくれます。 直接連れていってくれることもあります。 今までの国で一番かな、と思います。明るいのがとてもいいですね。 「グラッチェ」「チャオ」「ボンジョール」は使っています。 トイレ(バチカン市国)のおばさんも、チャチャチャと舌を鳴らしたり陽気なので、 行列を作っている人もみんな大笑いでした。 トイレのおじさんも、踊り出すぐらい大げさな表情でおどけていました。 <トイレ事情> めったに見つかりません。駅でも有料(日本円で40円ぐらい)です。 つい我慢をして、ずいぶん苦しい思いをします。 町のあちこちに垂れ流しているようで、道を歩いても臭いです。 <バイク・クルマの洪水> 駐車している道路を、ピーピークラクションを鳴らしながら”無秩序混沌”と走っているみたいです。 排気ガスも臭いです。あのボロボロになったクルマをのければ、道路も広くなるでしょうに。 <長い待ち行列> 列車の予約で長い待ち行列が何本も出来ます。 今日(5/31)、30分待ちの行列をクリアして予約チケットを手に入れることが出来ました。 これも前々日に予行練習していたので、ばっちり正しい列に並ぶことが出来たのです。 予約には時間がかかる国です。 <バチカン美術館;システィーナ礼拝堂> ミケランジェロの「天井絵画」、ミケランジェロの「最後の審判」をとくと見ました。 ミケランジェロの絵はさすがです。 美しく生き生きとした表情と迫力を感じました。 高い天井を見上げるのですから、苦しいですよ。 ミケランジェロの「最後の審判」は、少し暗くて神々の表情はいまいちよく見えませんでしたけれど、 左側から入った光線の輝きが絵の中で生きていました。 さすがです。とても良かったです。 その反面、バチカン市国内の博物館は、歴代法皇のぜいを尽くしたティアラやら法服、冠などなど、 オスマントルコのスルタンにも負けないぐらいで、ちょっと反感をおぼえました。 四線譜のグレゴリオ聖歌の古びた楽譜もありました。
ローマで滞在中のホテル(Hotel Sweet Home)で出会った日本人のOK氏(長男と同い年)は、 8年勤めていた大手出版社を退職後、世界24カ国を旅したとか。 写真とビデオを持って、海外へ出ているそうです。 彼の出している写真集「インド見聞録」を買いました。 夕食を一緒に食べましたが、この旅で4人目のおばさんに会った、と言っていました。 OK氏から「地球の歩き方・スイス編」をもらいました。 また、おすすめの国はチュニジアだそうです。 訪問予定にしていたモロッコは、出会った人のだれからも評判は悪いです。 ナポリ・メルジェリーナ駅とナポリ中央駅で出会った日本人女性のKTさんと、バチカンでまた会いました。 彼女はバチカンで私を見つけ、びっくり仰天。 「こんな偶然ってある?鳥肌が立つよ」と2人で話しました。 それでまた彼女と一緒に、トレビの泉、スペイン広場を回り、テルミニ駅まで見送りました。
本日、ローマに滞在中の還暦"猿頑石"から電話が入った。 5/24にギリシャのアテネを出発した後、パトラス港から夜行フェリーに乗って、 イタリアのブリンディジ港に到着、バーリ→タラント→→ナポリ→ローマと鉄道で移動してきたそうだ。 体調は良好、治安の方も思ったよりも良くて、比較的安心して旅を継続しているとのこと。 ただ、キャッシュカードによるキャッシングが難しく金策に苦労しているらしい。 初めての都市で銀行を見つけることと、見つけてもカードは利用できないことがあり、 時にはひもじい思いをしながら過ごしたとのことであった。 ローマも大きな街で、銀行を探すのは苦労しそうとのこと。 ローマの宿は修道院にアプローチしたのだが、一杯です、と断られたとのこと。 1泊¥6400のホテルに泊まっているらしいが、宿の人は親切にしてくれるらしい。 今から(5/30)ローマ市内の観光ツアーに出かけるとのこと。 また、キャッシングに苦労したのでイタリアは早々に出て、スイスの田舎へ静養に出向くと述べていた。 還暦"猿頑石"は、あさってローマからイタリアのコモ地方へ直行すると言っていたので、 せめて途中のフィレンツェを見てからにしたら、と進言しておいた。 少し疲れているのだろう。
ローマに滞在中の還暦"猿頑石"から封書が届いた。 ギリシャのアテネを出発してからローマに至るまでの足取りを、簡単に紹介します。 5/24:アテネ→パトラス(フェリー乗船)・・・イタリアへ 5/25:ブリンディジ(イタリア入国)→レッチェ;Hotel Cappello泊 5/26:レッチェ→バーリ→アルベロベッロ→バーリ→タラント;Hotel Albergo Pisani泊 5/27:タラント→ナポリ;ナポリYH泊 5/28:ナポリ周辺を観光;ナポリ→ポンペイ遺跡→ソレント→カプリ島(洞窟)→ナポリ;ナポリYH泊 5/29:ナポリ→ローマ(予定) 5/30:ローマ滞在(予定) 5/31:ローマ滞在(予定) 6/ 1:ローマ→?(予定)
昨日(5/27)、鉄道でタラントからナポリへ来ました。 今、ペンドリーノ(列車)の窓外には、イタリアの田舎の風景が丘陵状に広がっていて、とても美しいです。 畑の中に木が1本ポツンと立っている様は、北海道の美瑛のようです。 午後4時、ナポリのYHにチェックイン。 日本人(福山市出身)のOK氏、MD氏、UEさんら3人と知り合い、おしゃべりしました。 彼らの薦めで、今日はポンペイ、ソレント、カプリ島(青の洞門)を回ることにしました。 ナポリ・メデリゼリーナ駅で知り合った日本人(KTさん)に、またまたナポリ中央駅で再会。 たまたま同じ方向の切符を買っていたので、ポンペイ→カプリ島を一緒に回りました。 次々と日本人に会うものです。今日もYHには、多数の日本人が入っています。 その他、アジア人もたいぶ多いです。 明日(5/29)はローマへ行きます。 ローマでATM機のキャッシングに新しい展開があればいいのですが、ずっとお金の心配がつきまといます。 その他、治安の面でローマではみんな神経を使うそうです。 私もこの間、バーリの銀行内で身なりのいい人に日本語で声をかけられました。 少しあやしいと思い、急ぐのでと相手を断ってもまた話しかけてくるので、無視しました。 詐欺師かもしれない。 今日もそのことでKTさんと話したのですが、本当に親切にしてくれる場合もあるし、 詐欺師の場合もあるし、困りますね。 KTさんは、福島出身の福島美人。 最近会社を退職後、フランスで語学留学をしつつ旅で心を癒しているとか。 自宅でインターネットにつながっているので、このホームページを見るのを楽しみにしていました。 私が帰宅したら広島にも来てね、と言うと、ぜひ行かせてください、と喜んでいました。 →それは楽しみです(長男談) YHは安く、たくさんの情報が入るので良いのですが、相部屋のためか熟睡できません。 昨夜も若い者は夜遅く部屋に入り、遅く寝ます。 私は朝6時に目が覚めるし、どうにもチグハグです。 おまけにお金のないことを考えたり、色々と考え事をするので、夜中に目がさえて困っています。 時々はホテルをとる必要があると思っています。
レッチェを出てバーリへ。 バーリでは、ATM機でのカードキャッシングにつまづきました。 それならばと、銀行内のカウンターでもトライしましたが、担当者は相手にしてくれない場合が多かったです。 2、3の銀行をハシゴしてようやく対応してもらいました。 このところいつもそうです。 そのため、所持金が限りなくゼロに近づき、元祖猿岩石のようにほとんど食事がとれませんでした。 水を買うことすら出来ないので、駅やホテルの水を容器に汲んで持ち歩きます。 まずいだの、くさいだの言っておれません。 バーリからタラントへ向かいました。途中にはアルベロベッロがあります。 バーリのタラント行き鉄道駅で日本人女性と知り合いました。 福島のMさんで、イタリア、フランスを2ヶ月かけて旅行中の人です。 今日、彼女も同じタラントへ宿泊するので、同じ宿に泊まることにしました。 私はアルベロベッロ経由で向かうので、タラントへは夕方到着しました。 大まかに頭の中に入れた地図を頼りに宿まで歩きました。 不安なので駅で駅員に聞いてみたものの、イタリア語で全く通じません。 ただし、とても親切に対応してくれました。 何とか道々訪ねながら宿へ到着、無事彼女とも再会できました。
ギリシャ(パトラス)からイタリア(ブリンディジ)への国際航路(ADRIATICA海運の、PALLADIO号)に乗船。 船内は快適でしたが、国境越えの不安(通貨、宿、治安など)が気になり、やや寝不足気味です。 アテネから港のあるパトラスまで、若い香港人と道連れとなり、双方トイレ時のバッグの監視役など助かりました。 ただ、これはよほど相手を信頼できないと危険だと思いました。以後は気をつけます。 フェリーに乗船前、その香港人に声をかけたアジア人(若い男性)がいました。 お互いに英語で話し合っていましたが、私が日本人とわかると 「え!おばちゃん日本からですか?」と嬉しそうに話しかけてきた。 今年アメリカ留学を終えたばかりで、7月には国内の外資系企業に就職が決まったというIさんであった。 就職前に旅をしておこうと、ベルギー、フランス、ドイツ、スイスなど回る予定だそうです。 久しぶりの日本人ということで、お互いによくしゃべりました。 スイスでのおすすめ情報など教えてあげました。 また、フェリーの船内放送やフロントへの要望なども通訳してもらい、大変助かりました。 ブリンディジ港に到着後、鉄道駅からローマ方面(例の香港人、Iさんも)へ北上します(夜行)。 駅での待ち時間が長かったので、他に船内で知り合った中国人6人連れともおしゃべりをしました。 彼らは上海から来たそうです。 その中の1人は愛想良く、私が英語で話しかけると、よく応えてくれました。 それにつけても、香港人はとても愛想が良かったです。