旅日記_おばちゃん、リード90で北海道を駆ける

6/11(火)
 夜10時15分自宅から3分歩いた所にある高架を走るアストラムライン駅から中筋バスターミナルまで乗り、京都行きのバスを待つ。
夜行の高速バスで京都を目指します。

6/12(水)晴れ
 早朝6時、京都祇園バス停留所に到着。
舞鶴港から小樽行きフェリー出航まで時間に余裕があるので、天橋立を観光して現地の運輸会社でバイクを受取り、
新日本海フェリーターミナルまで走って行きました。
乗船の手続きの後、ようやく午後10時半となり、いよいよ乗船する時が来た。
フェリーターミナルに着いた時は明るかったのに、今はもう暗く、こうこうと電灯が辺りを照らしていて、いやが上にも緊張感が増してきます。
なにしろ、初めてのフェリー乗船なのです。
なにが恐いと言っても、私にとっての最大の恐怖はあの大きな船に架けられた桟橋を渡る事なのです。
へまをして海に飛び込むのではないだろうか、桟橋と船の継ぎ目から落ちるのではないだろうかなど、 出発前からずうーと心配してきたのです。
とにかく、私は狭い所と高いところが大の苦手なのです。
家の近くをバイクに乗って川土手を走る時も、何かに引き込まれて川に落ちそうな錯覚を抱きながら走るのですから・・・・。

私は、待機していたライダーのみんなに先に行ってもらって乗船を始めました。
「ゴリゴリゴリ、ゴリゴリゴリ」桟橋の横板をタイヤが擦る音を聞きながら、私は船の「よこっぱら」に滑り込んだのでした。
「やれやれ」これでひと安心。
一緒に乗船したライダー達は、荷物を解いて三々五々、エスカレーターに乗って上の階へと上る。
私は、自分のベッドを確認すると、気分が落ち着いたのでロビーに出てみました。
十分夜中なのに沢山の人で賑わっていました。
船内のロビーで何となく同年輩の人達と話が弾み、話し込む。
いずれも定年前後のご夫婦で、「なぜ、今、この旅に出たのか」を聞いてみる。
「長年働いて来た。」
「一応、子ども達は一人立ちし、自分達も元気である<今しかない>多少のわがままは許してもらおう」と。
全く同意見です。後日美瑛のYHに私を訪問して下さった島根のKご夫妻と船上で意気投合。
「29時間の船旅もまた楽し!!」でした。

6/14(金)
 小樽港そばの給油所で満タンにしてもらい、スクーターを走らせる。
夜は明けてはいるもののひっそりと静まりかえった小樽の街です。
下りてすぐ方向を見失った私は、札幌への道を尋ねようと人を探すが、誰ひとり見当らない。
さすがに朝4時過ぎから散歩をする人もいないだろうとあきらめかけた時、好運にも犬を連れた男性に出会いました。
R5を走り札幌市街地へ進む。R12を探して迷いながら早朝出勤の人に道を尋ねると、何人か丁寧に教えてくれた。
私のナンバープレートを見ては「まあ、遠くから来られたのですね!」とねぎらいの言葉までかけてもらい感激したのでした。
やっと探し当てたR12を走りながらコンビニを探す。午前6時を少しまわっていたので先ず朝食を取る事にしました。
コンビニでパンとお茶を取らせてもらう。
冷えきった体に、温かいお茶と電灯の明かりが体全体を温かく包み込んでくれるように感じました。
トイレを借りて出発。
後々ずうとコンビニではトイレのお世話になったのだけれど、特に寒い時のツーリングは女性泣かせだと思う。
行き先は美瑛町。私の大好きな丘陵地帯。耕された、なだらかな大きな畝、丘。この風景を眺めるといつも心が満たされる。
だから、この旅の出発地に美瑛町を選びました。(後述の次男との事もあるのですが)
札幌市街地を抜け、R12を岩見沢市、滝川市と走る。
R38に入って赤平市、芦別市。富良野市からR237そして美瑛町へと走る。
道中、何度も「北海道二輪車ツーリングマップ」を頭にたたき込み、標識を細大漏らさず見ながら進む。
これは私にとって大変な作業でもうくたくた。いたる所で休憩に長時間を費やす、道に迷う。
そんな訳で、道内最長の直線道路R12沿い、奈井江町の「道の駅」に着いたのが小樽を出て4時間後。
美瑛町美馬牛駅前に午後1時半、やっと辿り着いたのでした。
私は日常バイクに乗らないし、方向音痴だ。知らない土地を走ろうなんて、もう!これは冒険なのです。
「よくまあ、ここまで来られたものだ」とアトランタオリンピック女子マラソンの有森祐子さんみたいに「偉かったね」と自分を褒めてやりたいくらいでした。
美馬牛駅から余り遠くない、とほの宿「トロルド・ハウゲン」に辿り着く。
何度か泊まり、顔見知りとなったオーナーご夫妻と挨拶を交わし部屋に案内してもらう。お風呂に入り、ようやく荷物を解く。
その夜は、宿恒例のコンサートに参加。ピアノ演奏とギターの弾き語りに思わず胸が熱くなりました。
オーナーの選曲(子どもの頃、誰もが遊んだ懐かしい風景を回想する詩)に感謝。
宿泊者と夜遅くまで語り合い、ゆっくりと寝床に入りました。

6/21(金)曇り
 午前8時40分、美馬牛リバティYHを出発。
北海道に入ってからこの1週間、美瑛では雨が降ったり曇ったりで、ほとんど休養して過ごしたのです。
次に目指すは礼文島です。
予定のコースは旭川市を経て日本海へ抜け、留萌市からR232オロロンラインの羽幌町、天塩町、稚咲内海岸を通り稚内へまで。
美瑛から稚内までは約300Km余り、私のノロノロ運転では目的地に着くかどうかおぼつかない。
大体目標をおいていた羽幌町のとほの宿「吉里吉里」(キリキリ;アイヌ語で白い砂浜と言う)に予約を入れる。
OKなので安心して走行する事とした。
午後2時20分、R232すぐそばの「吉里吉里」に到着。
オーナーの奥さんが早速出て来られ、「お帰りなさい」の挨拶とともにスクーターを止める駐車場に案内して下さった。
「荷物を解かれたらこちらの部屋においで下さい、お茶を差し上げますから」とタイミングよく言葉をかけて下さる。
私は赤い「COURSE」のバッグをネットとロープ からほどいて肩にかけ、ベッドルームに置いてやっと身軽になった。
オーナーご夫妻は笑顔で応対してくれる。私は、小樽へ上陸してからの、もろもろの苦労話を散々おしゃべりさせてもらう。
お陰さまで旅の疲れをすっかり落とす事が出来たのでした。

6/22(土)はれ
 午前9時、オーナーにバイクに乗った私の写真を撮ってもらい出発する。
これは「吉里吉里」の恒例となっている写真撮影なのです。
宿泊者のライダーが宿を出発する時、彼らの愛車と共に写真を撮り、前日前もって宿泊者にコメントを書かせ写真と一緒に張りアルバムを作り、 宿を利用する宿泊者に見せているものです。
後日「ゆわんと村」で出会ったH氏と初対面の時、
「あなたのライダー姿を拝見しましたよ。吉里吉里に泊まった時アルバムを見たのです。」と話しかけられました。
あのオロロンライン(天塩町〜稚咲内〜稚内)を走る。
霧が立ちこめたような海岸線、どこまでもどこまでも続く真っ直ぐな道、原野に黄色いエゾカンゾウやセリ科の大きな白い花が一面に咲き乱れ、 次々と目に飛び込んで来る「わあーきれい!」と、ひとり呟きながら...。
上陸以来、スクーターには目もくれないライダーたち。ここまで来るのに一度もVサインを受けた事がない。
そんな時、私を抜き去って行くライダーが挨拶をしてくれたのです。
これで初めてツーリング仲間として認めてもらったのだと思うと、うれしくなったのでした。

 午後1時25分、稚内フェリーターミナルに到着。
6月上旬に礼文島を訪れた次男のアドバイスでは、宿の車が行きたい場所まで送迎をしてくれているので、バイクは必要ないと言う事でした。
そのため礼文島に居る間、スクーターを駐車場へ預ける事にしました。
午後2時の乗船を待つ間に礼文島の桃岩荘YHを予約しておきました。
私が今回、「高山植物を見る」事を旅の目的にしたかと言いますと遅まきながら登山を始めたからです。
そうです。私が山登りを始めるきっかけとなったのは、’93年8月、初めての海外旅行「憧れのスイスへひとり旅」の伏線でもあったのでした。
スイスではグリンデルワルド、ツェルマット、サンモリッツ、
フランスではシャモニーモンブラン等の山々のトレッキングコースを歩いてこようと計画した私に不安を抱いた次男が、
「たとえ整備されたトレッキングコースとは言え3000メートルを超える山、安易な気持ちで行くと危険よ。」
と山行きのノウハウを実地で体験させてくれたのでした。
’93年7月に北アルプス白馬岳に登って以来、毎年次男と北アルプス、南アルプスの山々へ行くようになりました。
苦しい登山の中、一服の清涼剤と思える位清楚に咲く高山植物に出会う事が出来、その美しさに魅せられるようになりました。
礼文島は、そのお花を低地で見られる事、そして見渡す限り、あたり一面に群生していて、おおよそ日本アルプスの比では無いらしいのです。
初めて見る礼文島に島の雰囲気はどんな感じかしら?
お花畑にはどんな花がどのように咲いているんだろう?などと、いろんなイメージを抱きながら...。
このように旅をする時、いつも自分のイメージを抱きながら現地に着いて見たり感じたりしたことのギャップを楽しんでいる。
 フェリーを下船すると、桃岩荘のヘルパーさん達が旗を振ってお出迎えしてくれた。

礼文島のYHでは「お出迎えの儀式」が厳かに行われます。それは、さながら6大学の野球応援團風景です。
畳1畳はあろうかと思えるほどの旗を身体全体を使って打ち振るもの、大声をあげて歓迎の言葉を叫ぶもの、
かけ声と共に踊るものと様々です。
さらに彼らの格好とくればれば並ではありません。そんな彼らが面白いのでしょう、あちこちで写真撮影をする人もいます。
出迎えのブルーサンダー号(トラックに工事用の青いシートが掛けてある)に乗った時からが異次元の世界。
宿に着いてからも面白いコント、歌えや踊れの結構噂に聞いた通りの賑々しさで、 究極の面白さはYHの前から水平線に沈む真っ赤な太陽に向かって「ギンギンギラギラ」の歌と踊りを奉納するものです。
当然私も踊りました。本当に楽しいひとときを過ごせたのでした。
礼文島には、この桃岩荘に2泊と、とほの宿「星観荘」に4泊、合計6泊しました。
幸い、お天気が良くて、次のようなコースを十分楽しむ事が出来ました。

「ハイジの丘コース」は、礼文林道〜ハイジの丘(礼文ウスユキソウ『アルプスのエーデルワイスに最も近い品種』の群生地を礼文ではそう呼んでいる)〜礼文滝〜海岸線(岩場)〜地蔵岩〜桃岩荘までを歩きました。
お花畑には様々な花が咲き乱れていましたが自生しているスズランを見るのは初めてで感動しました。
また地蔵岩、桃岩、猫岩のように大きな奇岩が見られる西海岸には圧倒されます。
「桃知コース」は、礼文島知床元知灯台を目指して歩きます。
更に桃岩展望台までフラワートレッキングして香深フェリーターミナルまでを歩く。
このコースにはチシマフウロ、ネムロシオガマ、ハクサンチドリ、マイヅルソウ、スズラン、カラフトハナシノブ、レブンキンバイソウ、 ヨツバシオガマ、そしてセリ科の大げさな白い花などが一面敷き詰めるように咲いていて見事でした。
「4時間コース」は日本最北限のスコトン岬からゴロタ岬や澄海岬(スカイミサキ)の海岸美を渉猟し、 西上泊(ニシウエドマリ)からは車道へ出て浜中へ向かう。
途中丘にはチシマフウロの鮮やかなブルーとセリ科の白い花の色のコントラストが素晴らしい。
更に例年なら時期的には見られない礼文固有種の礼文アツモリソウまで見る事が出来、最高でした。
「とど島探検コース」は白浜から漁船をチャーターしてとど島へ渡ります。
とど島に渡ると可愛いゴマアザラシと対面できるのです。
ここでも星観荘の同宿者6人がお弁当を持参して半日ゆったりと過ごしました。
礼文島は海と空と丘が美しい絵の具で彩られた様な素晴らしい島でした。
そこには花を愛する優しい人達が、まるで蝶のように集い、沢山の出会いがありました。
本当に忘れ得ない素晴らしい人に出会えた事、私の宝物だと思います。

6/28(金)晴れ
 朝一番、午前7時50分稚内行きフェリーに乗る。
とほの宿「星観荘」のオーナー、ヘルパー、宿泊者のみなさんのお見送りを受けての乗船です。
「別れ」は、いつでも淋しいもの。ここ、礼文島のYHと、とほの宿では「お別れの儀式」があるのです。
まず宿を出る時、連泊者と宿を出ていく旅人が向き合い、ひとりずつ握手と言葉を残しながら別れを惜しむのです。
それから、船着き場まで見送る人は、稚内行きの船が繋がれている桟橋で乗船した旅人と再び、別れの挨拶を交わします。
汽笛の音と共に船体は桟橋を少しずつ離れて行き、見送る人は大声を張り上げ、まだ何かを伝えようとしています。
だんだん、小さくなっていく姿、桟橋の端まで駈けつけて見送る。
「別れ」を嫌が上にも盛り上げてくれる。
お別れの儀式には涙がこぼれ、胸が熱い塊でいっぱいになり、はじけそうな位感動するのでした。
昨夜、星観荘で同宿した旭川市から来ていた若いお嬢さんのYさんと一緒に過ごしました。
フェリーのデッキでは、彼女とずうーっとおしゃべりをしながら退屈する事も無く稚内に着く。
お互い別れを惜しみながら、彼女はJR駅へ、私は宗谷岬を経由してオホーツク海側を走り、知床半島を目指します。
今日は稚内から100Km弱走って浜頓別に宿を取る。

6/29(土)雨
朝起きると雨。今日はどうしてもこの宿を出たくて、仕方なく雨の中を走る事にしました。
私にはオーナーの応対が事務的で、放りっぱなしにされたように感じられ、一刻も早くこの宿を出たかったのです。
これは、あくまでも私ひとりの感じ方ですけれど。
雨の中を走るのは生まれて初めてです。
憂鬱な気分に鞭打ちながら、ヘルメットのシールドに止め度もなく水滴が流れるのを手で拭う。
辛抱して走っていると、いつしか雨は小降りになりました。
午後1時20分、R238沿いのレストランでカレー定食を食べる。
結構おいしい。サラダとスープが付いて500円で安い。
疲れからか、お腹がしくしく痛む。少しゆっくりしてサロマ湖畔YHへ予約の電話を入れる。
浜頓別から、ひた走りに走り205Km。佐呂間町へ到着。
佐呂間湖畔YHでは、フランス人の女子学生、ライダー、自家用車等々のホステラー達と夕食後歓談して楽しく過ごした。

 ここでひとつ、私の出会ったフランス人の事を書いておきましょう。
スイスを旅しているときの事です。
私は、フランスのシャモニー・モンブランを目指して国境近くのマルチニという街に来ました。
やはり、YHに泊まろうと街のインフォーメーション(観光案内所)を尋ねて、YHのある場所を聞きました。
ところが、言われたところに行ってもなかなか見つかりません。
通りかかった男性に尋ねると「アイム、フレンチ」(私はフランス人です。英語は話しません)と言った切り、さっさと行ってしまいました。
なんと冷たい人。フランス人ってあんな国民なのかと思ったのでした。
  そんなことで、フランス人と見ると私も関心があるのです。今日ちょうどYHで出会えたので話しかけてみました。
彼女は英語と日本語が少し話せる学生で、日本に観光に来ているようです。ティータイムの時
「私は今、北海道をスクーターで旅をしているのよ。」と話しながら、私がJRの時刻表を開いて調べている様子を見て、
「どうして、あなたはJRの時刻表を調べているの?」と怪訝そうに聞くのです。
私は「7月8日に、上川町で息子と合う約束をしているから、ひとまず、そこにスクーターで行って、 もう一度、ゆっくり道東方面を見たいのでJRで引き返そうと思ってる。」と言おうとするのだが、なかなか理解してくれない。
私の英会話能力ではお手上げ、アメリカに1年ほど留学していたと言う若者に通訳してもらって、やっと理解してくれました。
その若者が言うには「これこれの理由は、〇〇です。」と言う言い方をするのですよ、と具体的に教えてくれたけれど、 メモしなかったので今はすっかり忘れてしまいました。
自分の納得いかない事には、執拗に食い下がる。
と、このようにフランス人は議論好きらしい。犬飼美智子著「ヨーロッパの心」の中に次のような記述がある。
「相手の議論の中になっとく出来ない点を(いくつか)見てとる力なしに、論争口論は出来ない。 正確に聞き正確に(自分の考えを)話す−−彼らの言語がラテン語を根としながら、次第に精密極まりない、 しかも微妙なニュアンスをのがさない、システマティクでしかも豊かに美しい言語に育って行ったのは、ゆえなきことではない。 その正確さゆえにフランス語はかって、世界の外交用語だった。いまも国連用語のひとつ。」
私もなっとく。!!

6/30(日)曇り
 午前9時、YHを出発。R238→R244→R344→R244→R334とオホーツク海JR釧網本線に沿って走る。
曇りがちな天気で寒い。
半袖Tシャツの上に長袖のTシャツ、その上に厚手のフリースジャケット、GWのライダーウエアー更に雨具と着こんでいても寒い。
暖を取るためJR浜小清水駅のレストランに入りました。
そこに桃岩荘で一緒だったHちゃんがいた。
彼女は昨日、とほの宿「さろまにあん」に泊まり、同宿者の年輩の男性の車に同乗させてもらって「知床夕陽のあたる家YH]に行く途中なのだそうだ。
合った途端、ふたりはおしゃべりに夢中。
私は時々、「ごめんなさいね」と彼に断りながら、かなりの時間おしゃべりをしてしまったのでした。
彼女は今日、18才の誕生日を迎えたのだと嬉しそう。「おめでとう」と、はなむけの言葉を記し再会を喜び合いました。
その夜は岩尾別YHに泊まる。美しい大自然に包み込まれながら、夕方までの時間、知床五湖への往復8Kmの道を歩いた。
羅臼岳を雲の合間に眺めながら、可愛いバンビを連れた鹿の一家や、キタキツネにも出会った。
ゆっくり歩かなければ出会えないし、見えないものもあるんだなと思いました。

7/1(月)雨
 やはり今日も雨模様なのですが、宿を出ることにしました。今晩は清里イーハトーヴYHへ泊まる。
YHからは勿論町のどこからでも斜里岳が眺められ、裾野を広げてゆったりとたたずむ姿は美しい。
カラマツやシラカバの防風林で囲まれた広々とした畑は、どこから見ても絵になる。
どこか、リヒテンシュタイン公国で眺めたヨーロッパを思わせる風景で、すっかり気に入りました。

7/4(木)曇り
 清里イーハトーヴYHを午前9時に出発しました。清里町から裏摩周湖へ行く「道々」を走る。
「道々」を抜けR391〜道々278屈斜路湖を通り、屈斜路原野YHへと走る。
清里から屈斜路までは距離が離れていないので、途中、川湯自然観察の森を歩き、つつじが原の珍しい「イソツツジ」の群生に出会いました。
余りの多さにびっくり。感嘆の声を上げながら「イソツツジ」に出会えた事を感謝したのでした。
それでも午後2時には屈斜路原野YHに到着。私は時間をもて余し気味に2階の談話室でひとり過ごす。
ホステラーの落書きノートや本棚の本などに目をやりながら、 階下ではオーナーが(吹き抜け)中島みゆきの曲をギターでかき鳴らし歌い始めた。結構一生懸命に歌っている。

7/5(金)晴れ
 午前9時、900(キュウ、マル、マル)牧場へバイクを走らせ、展望台から広々とした風景を眺める。
ここは、かって民間人が経営していたらしい牧場を町が買い取り、整備し公園にしたもののようです。
ご多分に漏れず「牛の親子の置物」がしつらえてありました。
勿論、本物の牛達も放牧されているのですけれど・・・・?。
何人かは、その置物の前で記念撮影をしていました。
宿に帰り、午前11時からYH主催の「釧路川カヌーツアー」(距離は8Km)に参加。
午後1時半からの「幻の滝ツアー」(当YHのみが知るふたつの大きな滝で、薮漕ぎ状態で山に分け入り、 幾つもの川に架かった倒木の丸太を渡りながら進んでやっとたどり着ける人気ない静かな滝)にも参加と、 今日は目一杯アクセスしたのでした。
ツアーに同行してくれたヘルパーの方々の心ゆくまでの優しさと、自然に対する謙虚さには頭が下がりました。
「満足、満足」と口に出して言うほどでした。
一緒に参加した人達ともすっかり打ち解けて、十分に心を満たされました。

7/6(土)雨
 夜明け、ポトポトと屋根を流れ落ちる水の音に目覚める。
今日は移動日と決めていたのだが、余りにも激しい雨、もう1泊しようかと迷う。
まあ行ける所まで行ってみようと決心、水しぶきを上げながら走る車がいて、こわごわと道路中央を走る。
そう、YHのみなさんが心配してたけれど、美幌峠を越え、石北峠、層雲峡を通って上川町へは200Km余り。
行って行けない距離ではない。しかし、雨足が激しく、美幌峠は霧で一寸先が見えない状態。
くねくねと曲がる道を上る。恐くなり、悲しくなる。
泣きたいぐらい心細くなり、とうとう美幌YHへ宿を取る事としたのでした。

7/7(日)曇り
 一夜明けると天気は快復、途端に「幸せ」を感じる。
上川町を目指す。寒いのでフル装備で走る。トイレを探すが、なかなか見つからない。
「無い無い・・・。」
ガソリンが少なくなり始める時もそう。無情にも街がない。
道の両サイドに広がる美しい風景はむしろ、私を脅かす。
やっとコンビニを見つけ、トイレを借りる事が出来てほっとするのでした。
こんな時、嬉しいのは「道の駅」です。
建物は立派、設備は便利に作ってあり、何も買わなくても施設を利用させてもらえるのですから。
今回の北海道ツーリング中何度かお世話になりました。
R39「道の駅、おんねゆ温泉」の案内を見て右折、広い駐車場へバイクを止める。
近くに止めた自家用車の方から「わあ、広島からですか!」と声をかけられる。
ちょうど時刻は午前11時。「からくり時計が始まりますよ。」と指さす方を見ると、 可愛い子供とお爺さんが楽器を持って現れ、楽しい音楽を奏でている。
大人も子供もみんな見上げて楽しんでいました。
音楽が終わると次々に帰って行き、ほどなく大きな鳩が出て来てポッポ、ポッポと鳴いて巣箱に帰るのでした。
時計と言えば、ひと昔前まで「スイス時計」は精密な作りで高価でした。いわゆるブランドものです。
そんなすぐれた精密な時計を製造していたスイスを旅した時、YHで知り合った日本人学生Sさんとチューリッヒの街を歩いている時でした。
やはり、昼前の11時、大きなタワーの中に仕掛けられた「からくり時計」から音楽が流れて来ました。
中から18世紀頃の服装で着飾った紳士淑女が順番に出てきては踊ったのでした。
彼女とふたりで、うっとり。今でも、その事を忘れられないです。
地元の人が「つるつる温泉と言う、いい温泉が近くにありますよ。入って行かれてはどうですか。」
「肌が本当につるつるになるんですから。」と言ってくれる。
そう言えば、北海道に来てから1度も温泉に入って居ない事に気づき、「道の駅」の職員に予約を入れてもらった。

7/8(月)晴れ
 午前9時過ぎ、宿を出る。久々の太陽の光を浴びながらR39大雪国道を走る。
雄大な大雪山の山々を眺めながら、時にはバイクを止めてゆっくりと鑑賞する。
自家用車も止めては見ている人もいるが、声を掛け合うこともない。不思議とライダーには出会えなかった。
石北峠、層雲峡を通り、上川町のとほの宿「ゆわんと村」へ到着。
お昼に着いてしまったのですが、宿でゆっくりと過ごしました。

7/9(火)曇り後雨
 今日は「大雪お鉢平一周」を試みる。
しかし、雨のため、雪渓を2つ過ぎたところで下山した。今もっても残念に思っています。
ちなみに「ゆわんと村」“見所ガイドブック”によると、「お鉢平一周」は、次のように案内されています。
層雲峡から黒岳までゴンドラとリフトを乗継ぎ{雲の平〜お鉢平〜北鎮岳〜中岳〜間宮岳〜北海〜黒岳}へと戻るコースです。
「雲の平」や「北海沢」は「高山植物の花・花・花・花・・・」と、見応えのある、お花畑があるようです。
おまけに、ナキウサギの声が聞こえる事もあるし、シマリスにもあえるよ。と紹介されていました。
幸いにも私はナキウサギは、平山(大雪山国立公園内にあって、層雲峡を挟んで黒岳の北東に位置する1771mの山)に登る時に、 ナキウサギの鳴き声を聞く事が出来たし、シマリスは黒岳のゴンドラ付近で見かけました。

7/10(水)曇り一時雨
 「大雪アンガスの郷」へ行く。
「大雪アンガスの郷」を紹介しますと、
{広大な牧草地。目の前には、大雪連峰やニセカウシュッペの山々が間近に見え、壮大なスケールに大感激!!
菜の花畑の見頃は6月下旬〜7月上旬}〜“ゆわんと村見所ガイド”より。
なるほど、曇で大雪連峰は見えなかったが、結構広大な、ひろがりには圧倒された。
観光客が来ないので大きなベンチに寝転がって、のんびりと半日を過ごした。
宿からは片道9Kmの地点にあり、スクーターでの往復でした。

7/11(木)曇り
 台風接近と言う事で、宿泊者は悪天候を見通して、宿でごろごろしていました。
何かと面倒見のいいオーナーが、
「昼迄なら、浮島湿原に行けるよ。」とアドバイス。
「では、行きましょう。」と言って5人が宿の車を借りて行きました。
湿原でしか見られない植物を見る事が出来、そして、そこから見る大雪の山々は湿原の木立ちとマッチして、とても美しい眺めでした。

7/12(金)曇り
 オーナーの計らいで、同宿仲間のN瀬さんの車に、やはり仲間のS氏とNさんと私達3人を乗せてもらって、大雪山の赤岳(2078m)に登ることにしました。
赤岳は、登山口の銀泉台まで「ゆわんと村」から車で70分、かなりの距離を走ります。
大雪山の山麓、新緑のトンネルを駆けて行く。心が洗われるようだ。
例年この時期には見られない大きな雪渓を、2箇所もこわごわとトラバースしながら駒草平にたどり着くと、激しい横降りの雨と風。
4人は、大きな岩陰に風を避けて「登山を続けるかどうか」協議。
登山経験の深い、N瀬さんの案に賛成して全員下山しました。
なるほど駒草平と言われるだけあって、あたり一面淡いピンクから濃いピンクの色合いで、 イカリ形したコマクサが風を受けながらも懸命に咲いていました。
さすが高山植物の女王。愛らしく、気品を感じるほどでした。

7/13(土)曇り後晴れ
 お天気が良くないので、札幌のN田さんご夫妻を尋ねる事にしました。
彼らとはニュージランドでお別れしてから2年ぶりになります。久々の再会をお互いに喜ぶ。
実は私は、’94年10月から2カ月間、ニュージランド(NZ)をひとり旅したのです。
まず始めに、「世界で一番美しい散歩道。ミルフォードトラック」を現地集合のツアー(アルパインツアー)に参加。
その後は、全くのひとり旅です。小さなホテルやYHを気ままに泊まり歩きました。
NZでは、YHを利用して世界各国から老若男女、どちらかと言えば若い人たちが長期に旅をしているのです。
勿論、日本人の若者も沢山来ています。「ワーキングホリデー」で来ている若者が殆どでしたけれど。
「ワーキング・ホリデイ」とは、NZでは、29才までの若者に1年間滞在が許され、その代わり語学研修が義務づけられています。
研修後は国内を自由に旅ができる仕組みです。
彼らは生活費を得るために、農場でフルーツのピッキング(摘み取り)をしたり、ハットの仕事のヘルパーをしたりしているようでした。
彼等との出会いも沢山あり、今でも手紙のやりとりをしている人もいます。
私は、「ミルフォード・トラック」の旅を終えてから、南島のクイーンズタウンを振り出しに、 マウント・クック、ワナカ湖、フランツジョセフ氷河、クライストチャーチ、カイコーラ、ネルソンそして、北島へと渡り歩きました。
N田さんと洋子さんとは、マウント・クックで知り合いました。
出会った当初、私がN田さんの写真集「ニュージランドに恋して」を買い求めて、サインして頂いたという位の事でした。
ところが、クライストチャーチYHで再会の時次の予定を聞くと、同じカイコーラなのですっかり打ちとけたのでした。
N田さんはNZをよくご存知なので、ガイドブックにはない、いろいろな情報を教えて下さいました。
私は大変恩恵に預かり、いろんな所を見て歩く事が出来て、感謝しています。
おまけに、ネルソンでまた再会。
そこでもN田さんに、NZ在住のイギリス人ご夫妻を紹介して頂いて、昼食をご地走になり、地元の人との交流を持つ事もできました。
こんな事で、帰国後、一度お会いしたいなと思って今回実現させたのでした。

7/14(日)晴れ
 次男とMさんの3人で、平山(1771m)に登る。
「ゆわんと村」から、おおよそ55.5km離れた所に平山登山口がある。
{頂上からは、黒岳をはじめ、大雪の山並みや、層雲峡を見渡せる。流星の滝も見える。}と、
「ゆわんと村」見所ガイドブックには書いてある。
沢山の滝、エゾリュウキンカのお花畑、そして北海道にしかいない“氷河期の落とし子生きている化石”とも呼ばれている ナキウサギの「ピィー、ピィ」と高い鳴き声も聞く事も出来、更にいろいろな高山植物にも出会えました。

7/15(月)曇り後雨
 朝から曇っていたので、雨が来るまでに美瑛までの80Kmを走っておこうと決め、午前9時過ぎ宿を出ました。
  「気をつけてね。」宿のみんなに見送られて出発。雨はすぐやってきたが、あきらめて走行する。
旭川市の南14Kmあたりの東神楽町で、とほの宿「ほおずき」に予約を入れる。
予定にはなかった宿ですが、「ゆわんと村」で同宿したとても楽しい女性から推薦されたのが「ほおずき」でした。
「三愛の丘」(美瑛町は丘の町で「〇〇の丘」と呼ばれる観光スポットが沢山ある)の森に囲まれて「ほおずき」の建物がありました。
玄関のドアーを開けると、たたきになっており右側にベンチが置いてあります。
真っ直ぐな廊下が食堂とくつろぎの空間へとつづいていて食堂は吹き抜けとなっており、明るくて広々しています。
食堂の全面は大きなガラス窓、フロアーは板、いたる所に可愛いグッズが配置され、心を慰めてくれます。
夕食時には、大きなテーブルに4人から6人くらいが席に着き、豪華なハーブ料理が出される。
こんな時は上品に頂く。食後のティータイムには、オーナーや同宿者は食堂に集う。
そして気楽におしゃべりする。結構楽しい。
とほの宿やYHでよくあるティータイムの主な目的は、翌日のアクティブ、予定についての説明です。
オーナーが、ひとりで行くには危険な所。みんなで行けば楽しい所など、声かけをする。
又、その宿が行っている、ツアー(有料もある)の紹介もあるのです。
2つ目は、オーナーや、ヘルパーと同宿者達、勿論、同宿者同志との懇親です。
私は、旅では未知な物、自然、歴史、その土地の文化に出会える事と、こうした人と人との出会い、 その人達からのメッセージを受ける事の素晴らしさが好きです。

7/16(火)曇り
 朝、「降水確率70%だ」と同宿のF氏。
ならばと、昨日、食事中に親しくなった保母のHさんの運転で白金温泉、麓郷の森へとドライブする事にしました。
白金温泉ではさびれたホテルの温泉に彼女とふたりだけなので、ゆっくりとつかることが出来ました。
Hさんは麓郷の森をすっかり気に入り、おみやげを買ったり記念写真をとってあげたりと、満足したようでした。
Hさんは私に輪をかけたような方向音痴らしいので、私は彼女のクルマの運転のナビゲーターを勤め、すっかり疲れました。

7/17(水)晴れ後雨
 バイクに乗って美瑛の五稜の丘、セブンスターの木、親子の木、哲学の木、などなどを見て回る。
丘を走っている時、見慣れたバイクが近づいて来て「やあ!」と声をかけられる。「ゆわんと村」で同宿したH氏だ。
「今日はどこへ泊まるの?」「遊学荘です。」などと、北海道を長期に旅しているとこんな事がよくあるのです。
本当に懐かしく、嬉しいものなのです。

7/18(木)雨
 朝から大雨、ライダー泣かせの雨。こんな時は、発想転換する事で楽しくなる。
「そうだ、JRで旭川へ行こう!」そう決めてバイクで美瑛駅まで走り、旭川市内を観光する。
駅の観光案内所で教えてもらった「優佳良織工芸館」「国際染色美術館」「雪の美術館」へ無料バスがあると言うので観光に行った。
あまり期待していなかったのですが、優佳良織の美しさや成り立ちを知る事が出来た事、さらに雪の美術館では、 雪についてのさまざまな事柄を学ぶ事が出来た事で、私なりに勉強になりました。
いつしか雨は止み、それからは午前とはうって変わってカンカン照りの暑い午後でした。
今夜から、美馬牛のリバティYHに泊まる。2カ月前から予約を入れていた所です。
(このYHは7月〜8月頃は満員になるので早めの予約が必要)今回の北海道旅行の出発点美馬牛リバティYH。
6月21日、ここから旅立ったのです。なんとなく懐かしい。
オーナーやヘルパーさんの温かい笑顔に出迎えられてほっとする。まるで、わが家に帰ったようでした。

7/19(金)晴れ
 朝、「ファーム富田のラベンダーを見たい。」と、同室のKさんと東京から来ている男性と私の3人で話がまとまり、 YHのすぐ裏を通るJR富良野線に乗って中富良野へと出かけました。
私は、今まで一度も北海道のラベンダーの花の咲く時期に来た事がないので、1度は見ておきたいと思っていた所です。
噂にたがわず、紫の花が一面に咲いている様子には迫力がありました。
大勢の観光客、そしてカメラマンが、あちこちに出没していろいろなポーズを写していました。
私たちも彼らと同様、パチリ、パチリとラベンダーをカメラにおさめました。

7/20(土)快晴
 昨夜ティータイムで、「明日は、どこに行こうかな」など、言っていたところ、
同宿で以前から知り合いのH氏が「さくらんぼ狩りが、いいんじゃないの。」と アドバイスしてくれた。
 H氏とは’92年に、ここリバティYHで出会っている。
 それ以後も、彼が旅先で見た風景やイメージを描いてプリントごっこで印刷した絵はがきを旅の場所から送ってくれている。
 しかも、念入りに風景印まで郵便局で押してもらう念の入れよう。
 その絵はがきは毎月送って頂いているのですが、もうかれこれ4年になります。
しかし私は、わざわざ北海道まで来て子供じみているようで、あまり気が進まなかった。
彼は、更に「さくらんぼの実る時期は、今しかないからね。」と言う。
「そうだ、そうなんだ折角のチャンスを逃す手はない」と気分を替えて10Km離れたさくらんぼ農場へと行ったのでした。
大きな、さくらんぼの木が何十本あろうか、可愛い赤い実をたわわにつけています。
なにか、小踊りしたい気分。農場の人に言わせると1本1本種類が違い、味も違うそうだ。
「甘いの、酸っぱいの、甘酸っぱいの、」いろいろ食べながら、子どものように楽しんだのでした。

7/21(日)曇り後雨
 富良野岳山麓の「原始が原」へ、今日はYHのガイドが休みの次男とNさんと3人で行く。
「原始が原」は布部川沿いに沢コースと林間コースがある。
道らしい道もない川沿いをへばりつくように登る時もあるし、倒木の丸太橋を渡ったり、時には川の中の石から石へと飛び移ったりと結構きびしい。
人が余り入らない所なので非常に静かで、小さな川は澄んでいて綺麗、滝も何カ所か眺められ、美しい風景でした。
湿原では一面にワタスゲが茂り、圧巻であった。
午後、次男行きつけのコーヒーのおいしい「北工房」へ行く。私は酸味のあるコーヒーを注文。
お客の注文でコーヒーをたててもらえる評判の店です。次男から聞いたのか、
「いよいよ明日ここを立たれるのですね。また、こちらにいらして下さい。お気をつけて!」
とオーナーの奥さんが言って下さった。

 時々登場する次男は、昨年4月、5年間勤務していた会社を辞めました。
これまで彼の勤務地が関東地区にあったので、休みを利用しては山登りを始めたようです。
いつか、自然の偉大さや素晴らしさに触れ、自然環境を脅かす環境破壊問題に関心を抱くようになりました。
今の自分の仕事より、「やりたい仕事」を試行錯誤の末、見いだしたようです。
一言で言えば、「森を育てる」仕事につきたいと、言っています。
今は、その「充電期間中」なので、今年6月中旬から10月中旬まで、 北海道の美馬牛リバティYHで「富良野岳フラワートレッキング」のガイドとして働くようになりました。
今回、この様な理由で、私は旅の始めと終わりに彼の働いているYHに宿をとりました。
次男が北海道へ向かう時「スケジュールが合えば大雪山に行こう」と言ってくれたのでコンタクトをとり、
上川の「ゆわんと村」でも同じ宿をとり、前述の平山に登りました。

 親子も長期間、顔を付き合わせていると腹の立つ事もありました。
私としては息子と一緒に上川町に長期間滞在して、もう少し目いっぱい大雪山を楽しもうと思っていたのです。
道東に未練を残しながら早めに切り上げて、上川町へ急いだのにはこんな理由があったのです。
しかし、彼は「自分ひとりでも行こうと言う気持ちのない者は連れては行かれない。」とか、
大きな雪渓を前にしてたじろぐ私に
「こんな雪渓を恐がってどうするの、ひとりで行かれない者は置いて行くしかないね!」などと憎まれ口を叩いていました。
そう言えば思い出しました。
やはり、NZを旅しているときの事、 早朝6時発のクイーンズタウンからマウントクック行きのバスに大学生の息子を連れた日本人の親子に出会いました。
母親は久々に見かける日本人の私を見ていきなり愚痴をこぼし始めました。
「もう、我慢ならないんですよ。私が全部今回の費用を持ち、連れて来てもらったのはいいんだけど・・・」
「息子が何もかもいちいち面倒を見る様な事ではやりきれない。いいかげんに自立してよと言うんですよ。」
見ると座席も離れ離れに座っているのです。身内とはこんなものなのでしょうか?
やはり私が身内を当てにしたのが間違いのようでした。
むしろ、旅で出会った若者のほうが親切で優しかったように思います。

7/22(月)曇り
 午前8時半、次男はお客さんを車に乗せて、今日の「富良野岳フラワートレッキング」に行く準備をしている。
今日は、長かった北海道の旅の最終日。
まもなく、小樽まで200Km近い道のりを走る不安と、息子とはしばしの別れ、なんとなくセンチな気分・・・・。
ところが今日の息子は、見送る私の側に来て、殊勝にも「気をつけてね。」とひとこと言って持ち場に帰ります。
午前9時、リバティYHのオーナーご夫妻、ヘルパー、ホステラーの皆さんに見送られて宿を出発。
R237〜R12〜R275〜当別町〜石狩町〜R337と7時間も費やしてやっと札幌と小樽の中間点銭箱に到着しました。
石狩街道は大きなトラックが行き交う中、随分と疲れてしまった。
今朝出発前の事、私が「小樽に向かうので、朝8時半には出なくては夕方までに着かないわ」と、ホステラーに話すと
「5時間もあれば充分よ、昼から出かけても、いいんじゃない。」などと、やり取りがあったのですが、
自信がないので早めの出発にしたのでした。
私は、制限速度をちょっとオーバー気味に走しるのですから、どんなに逆さになっても、 そんなに早くは着けないと思うのだけれども・・・・。
そんな、走り方なので、のろのろしているし、トラックや普通車の運転手から見ると危なげなのでしょう。
北海道を走る間殆どの車は私のスクーターを避けて大きく迂回くれました。
お陰で、あまり恐い思いはしないですみました。
小樽近くの銭箱の、とほの宿「小さな旅の博物館」に1泊。

7/23(火)快晴
 午前8時半、宿を出発。小樽港へ向かうがR5は渋滞である。
R5をのろのろと走り新日本海フェリーターミナルへ到着。そこで午前10時の出港を待つ。
フェリー乗り場には沢山の若者達が集っている。
少し年輩の人もいるけれど、私はおばちゃんライダー、しかも90ccスクーターである。一斉にみんなの注目を浴びました。
私は「スイスひとり旅」で体得した、誰とでも気軽に話しかける術で若者達に話しかける。物珍しそう。
彼らと雑談していると、赤いウエアーのおじさんライダーが来て「舞鶴行きはあちらですよ。」と声をかけてくれる。
実は、昨夜同じ宿に泊まった人で今朝出発の時「舞鶴行きは桟橋すぐ横の待機所だからね。」 と教えもらっていたのに違う場所に行ってしまった私を見て、又そこへ案内する羽目になったのです。
2、3人いた若いライダーと共に「え!舞鶴はあっちですか?」とあわてて移動したのでした。
と、こんな風にして北海道の旅を無事終える事が出来ました。


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